第1話 Side レア はじまりの森
目の前には広大な森が広がっていた。
森に妙な違和感を覚える。それはこの森の名前をあたくしが知っていてるからかもしれない。
「目的の場所はこの先で間違いないのかしら?」
横にいる男に聞いてみた。男は背が高く、あたくしからは少し見上げる格好となる。
「はい、レア様。しかし中に入るのは危険です。少し引いたところで待たれてはいかがでしょうか?」
丁寧な物言いとは裏腹に彼は鋭い目つきで森を見据えていた。彼の名前はジークハルト・ブリッツェン。あたくし専属の近衛騎士になって今年で8年目になる。若い頃から既にその才能は開花していたらしく、剣の腕は確かで、いくつか魔法の心得まである。そしてジークはあたくしが最も信頼を置いている人物の一人だ。しかし今年でもう二十八歳になるというのに、未だに結婚どころか浮いた話の一つも聞かない。
少し真面目すぎるけど顔も悪くないし、将来性どころか現役の近衛騎士の中ではかなり有望株らしく、一度父上に取られそうになったことまである。
そんな彼だが、幼い頃からあたくしに対して何かと過保護すぎるところがあるから、早いところ身を固めて落ち着いてくれないものかと常々思っている。
「あなたたちがいても?」
あたくしはジークに向けて挑戦的な眼差しを向けた。
今回の外出にはジークを含め、6人の近衛騎士が付き従っていた。
それぞれが金属製の鎧で身を固め腰に剣を差しており、かくいうあたくしも白銀のブレストプレートを身に付けている。最もあたくしの場合、腰の剣は飾りみたいなものだけど。
「残念ながら」
ジークは首を振って言葉を続ける。
「我々騎士が常日頃から訓練を怠っていないことはご承知かと思いますが、近衛騎士は任務上魔物との戦闘経験はそれほど多くはありません。もちろんそれでも並みの魔物相手に我らが遅れをとることはありませんが、この先は魔獣の森・・・暴獣が数多く生息していると聞きます」
「なるほど、ね」
暴獣とは一般的な魔物と一線を画すほど強力な力を持った魔物たちのことである。そのため暴獣とはひと括りに言っても単眼の巨人や吸血蜘蛛など人の手によって討伐可能なものから、竜や魔狼といった人の手ではどうすることもできない災厄クラスの魔物まで様々である。
ジークは謙遜しているが、近衛騎士とは王族を守るべく選び抜かれた者たちであり、騎士の中でもトップクラスの実力があるはずだ。
とは言え、暴獣の中では比較的弱い部類に入る吸血蜘蛛でさえ、わずか6人では討伐に向かうなど無謀もいいところだ。
しかし、今回の目的は暴獣の討伐ではない。
「入るのは無理でも、もう少し近くまで行きましょう。もしかすると中の様子が少しでも分かるかもしれないわ」
「・・・仕方ありません。ただし約束してください。決して我々より前へは出ないこと。引くときは躊躇しないこと。よろしいですか?」
ジークはあたくしの目をしっかりと見て真剣な顔つきで言う。心配してるのは分かるんだけど・・・
「もう・・・本当に過保護ね。分かった、分かったわよ。約束すればいいんでしょう?」
あたくしは口をとがらせながらそれに答えた。心配してくれるのは嬉しいが、それがいつもいつもとなるとさすがに鬱陶しく感じてくることもまた事実である。
森に近づいていくと先ほど感じた違和感が次第にはっきりしてくる。木と木の間が異様に広いのだ。そう・・・まるで巨大な何かの通り道のように・・・。
「すごい・・・竜でも住んでいそうな森ね」
あたくしは思わず感嘆の声が出た。木と木の間隔が広いため、かなり奥まで見渡すことができる。その所為か目の前に広がっている森がより一層広く感じる。
あたくしが森に目を奪われているとジークが相槌を打った。
「そうですね。竜を見たという噂もありますが、そう勘違いしてもおかしくはない雰囲気はあります」
「勘違い?」
「恐らくは。竜は自分の住んでいる国や近隣の村に対して貢物を求めると聞きます。我が国や先程の町が竜に対して貢物を送っているという話は聞いたことがありません」
そういえばそうだった。もし本当に竜がいたとしたら、それこそ国にとっては一大事である。
そんな話があたくしたちのところまで伝わってこないということは本当に噂のレベルなのだろう。
「竜じゃないとはいえ、そんな暴獣の棲家があたくしの国に住んでるっていうのはぞっとしない話ね・・・ん?」
ふとかすかな音が耳をかすめた。
「総員、警戒!」
「はっ!」
ジークがあたくしと森を遮るように立ち、他の騎士たちもあたくしの周りを取り囲むように展開した。
風が木々を揺する音の隙間からかすかに何かが聞こえてくる。
「人の声・・・かしら」
聞こえてくるのはどうやら人の声のようだ。しかし、話し声という感じではない。声には一定のリズム・・・のようなものがあるように感じられる。そう、これは多分・・・。
「歌、でしょうか。魔力は感じられませんね」
耳に意識を集中する。ジークの言うとおり多分これは歌だ。そしてこの歌声にはあたくしたちを害するような魔力は感じられない。
魔物の中には歌に魔力を込めて人を惑わせるものもいる。そういった魔物は海上に多く現れるらしく、それが原因で船が難破することもあり、度々問題となっていると聞く。
「そうみたいね」
あたくしはジークの言葉に頷いた。怪しくはあるが、ただの歌なら何の問題はない。
「もう少し近づいてみましょう」
「分かりました。ですが決して自分より前へは出ないように」
それはさっき言ったばかりでしょうに・・・。
「・・・あなたの中であたくしは鳥頭なのかしら」
あたくしは呆れたように声をあげる。
「そのようなことはありませんが、レア様は直情的なところがありますので」
ジークは全く悪びれた様子も見せず人の欠点を指摘してくる。この男は本当にいい性格をしている。でもこういうところが信頼できるところでもあるし、逆に鬱陶しく感じさせるところでもある。
「それはわるぅございましたねっ」
普段ジークを振り回している身として否定できない事実に敗北宣言を告げることとなった。棘のある言い方になってしまったのはご愛嬌。きっとこんな性格だから未だに結婚もできないのだと一人納得する。
さらに少し森へ近づくと次第にはっきり聞こえてくる。美しい声が木々の間をこだましている。どうやら女が歌っているようだ。
「森の中から聞こえてくるわね。こんな危険な森に村娘が来て呑気に歌っているんじゃないなら・・・」
「目的の人物、ということになりますね」
そう、あたくしはただの好奇心で魔獣の森に来たわけではない。
とある人物がこの森に向かったという話を聞いたからここまで来たのだ。
「綺麗な歌声ね。少なくともたまに聞かされるオペラのプリマドンナよりは上手だわ」
本当にそう思った。聞こえてくる歌声はオペラのように華美なものではないものの、とても澄んでいて、母親が子供に聴かせる子守唄のような優しさも感じられた。
しかしジークはそんなあたくしの発言にやれやれといった顔をする。
「またそのような・・・」
「それにしても、どうして歌なんて歌っているのかしら」
ジークのお小言を遮るようにもっともな疑問を口にした。こんなところで歌を歌うだなんて正気の沙汰じゃない。
「理由ですか・・・。こんなところで歌っても魔物を・・・・・・、まさか魔物を誘き寄せるために?」
ジークが信じられないといった顔をする。
それはそうだ。下手をすれば何匹もの魔物を誘き寄せてしまうかもしれない。いや、その可能性の方が高い。ここには暴獣以外にも数多くの魔物が生息しているという話だから。
「でももしそうなら、この声の持ち主があたくしの捜し求める・・・」
あたくしはこの声の持ち主を想像して期待が膨らむ。こんなところで歌うくらいだ。きっと普通の人じゃない。その者は自分の強さにどれほど自信があるのだろうか。その者は一体どれほど胆力を備えているというのだろうか。
そんなことを考えているといつの間にか歌は聞こえなくなっていた。
「あら、歌が・・・ッ・・・ッ・・!」
言葉を言い終えようとした瞬間あたくしの身体は完全に固まった。まるで全身の血が逆流するかのような感覚に心がすくむ。わずかな身じろぎすらも許してはくれない。
すぐに理解した。あたくしは今強烈な殺気を感じている。
それは自分がまだ生きているのか、もう死んでいるのかも認識できなくなるほどにあたくしを責め立てる。それほどまでに強烈な殺気に包み込まれたあたくしは呼吸すらできなくなってしまった。




