前日譚5「風の向こうへ」
その日は雨が降っていた。
神田は、早番を終えてロッカー室で濡れた制服を着替えながら、どこか胸騒ぎを感じていた。
「現場が足りない」「制度が追いつかない」——そんな話ばかりが飛び交う中で、彼の心には、ぽっかりと穴が空いていた。
倉田さんの“ありがとう”、祖母との思い出、自分が進んできた道。
全部が大切で、でもどこか報われないままの気がしていた。
「……これが、俺の限界なのかもしれないな」
ぽつりとつぶやいたその瞬間。
視界が、まるで雷に打たれたように白く染まった。
重力が消えたような浮遊感。心音だけがやけに響いてくる。
周囲の物音、ロッカーのきしみ、雨の音——全部が遠ざかっていく。
気づけば、足元に風が吹き抜けた。
目を開けると、そこは草原だった。
夢ではない。けれど、現実でもない。
神田は立ち尽くし、そして歩き出した。
「……俺は、まだやれる。ここでも、誰かの“ありがとう”を聞くまで」
それが、彼の第二の人生——いや、もうひとつの“使命”の始まりだった。
ついに、異世界へ踏み出すその瞬間を描きました。
誰かの人生と向き合うことは、時に“境界”を越えていく。
現実で支えることの意味と、異世界で生きる介護士の存在。
この物語の出発点が、読者の心にも何かを残してくれたら幸いです。
ここまで前日譚を読んでくださり、本当にありがとうございました。




