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ハーラルトが調べてみたところ、街に出入りする商人たちの一部がすでに聞き及んでいて、目の色を変えている。婚礼の儀によって高騰しそうな物品は少々高値でも祝いということで十分に購買量を見込める。
「それで、神子姫さまのあの件は露見していないんだな?」
エアハルトの長である父に報告すると、まず真っ先に神子姫の魔力欠乏が外部に漏れていないかを懸念する。
「そちらに関してはなにも掴んでいない様子です」
「分かった。神殿とエドゥアルトとに相談しよう」
「神殿も一枚岩ではなさそうですが」
特に当代の聖務長は六部族にすり寄りがちに見えるため、ハーラルトはそう言った。父はすぐにハーラルトが言わんとしていることを察した様子だ。
「神に愛される神子姫さまがおられるから、聖務長としてもいつ自分の地位が脅かされないかとひやひやしているのだ」
聖務長はすでに老境に達している。だとしても、その地位にしがみつこうとするものなのか、と不可解な面持ちになるハーラルトを他所に、父は続ける。
「だからこそ、神殿は外部から神子姫さまの情報を遮断しようとするだろう」
父は外部から神子姫を守ることこそが、神殿の権威を存続させることに繋がると言う。
「我らからしても、六部族を遠ざけることこそが、神殿の権威を守るのに通じると頑なに信じる聖務長よりもやりやすい」
深謀遠慮に感心していると、そんな風に言うものだから、長というものの老獪さに舌を巻かずにはいられない。
「俺には到底父上のようにできるとは思えません」
「なに、誰もが同じような統治をすることもない。それに、お前は一部族の長ではなくもっと別の仕事を任されられるかもしれんしな」
父の言う通り、ハーラルトは戦士たちを束ね、指揮する方が性に合っている気がした。ハーラルトの下には三人の弟とふたりの妹がいる。うちふたりが愛人の子だ。部族長は妻以外に愛人を持つことが多い。とはいえ、神子姫と結婚する前から愛人を持とうというのは、神殿の権威の手前、控えるべきだろうとハーラルトはほかの見合い相手たちのことを思い描く。
そんなことを話しながらハーラルトと父はちょうど神殿へ向かっていた。新しいウータとウーテのお披露目のためである。
「どちらもエドゥアルトの者だとはな」
父が残念そうに嘆息する。
「神子姫さまの傍仕えですから。現状においては、最善の人選でしょう」
ただでさえ、魔力欠乏により精神状態が不安定となる神子姫のためにも、彼女を良く知る人間が支えるべきである。
「それにしても、パワーバランスが偏りすぎるだろう」
ほかの部族長も父と同じような危機感を覚えているのだと実感させられることとなる。神殿に足を踏み入れたとたん、諍いの声が耳に飛び込んできた。
「エトヴィンのご子息は愛妻家だと聞き及んでおります。なのにそんな仲を引き裂くなんて、あまりに必死のご様子」
「愛妻家だからこそ、神子姫を娶った際には大切にするということだ。女好きなお前の息子とは違う」
エーレンフリートの長の揶揄を、エトヴィンの長が鼻を鳴らして言い返す。
雨乞いの儀式において必要不可欠な人員がエドゥアルト出身の者であるとなれば、是が非でも神子姫の伴侶に自身の係累を送り込みたいというのが残る部族の偽らざる望みだ。
エトヴィンの長の息子は苦虫を噛み潰したような表情で、エーレンフリートの長の子はにやにやと笑いながらふたりの部族長のやり取りを眺めていた。
「ご子息の奥方はいかがなさいます」
「エーヴァルトの息子の妻のように、身を引くだろう」
エトヴィンの長はエーヴァルトの長とその息子を見つけ、そんな風に言った。
エーヴァルトの長の息子は唐突に話しかけられておどおどする。
「ふん、妻がいなければどうにもならないな」
「エーヴァルトのご子息の妻女は世に知れた賢妻でございますれば」
エトヴィンのあからさまな言葉を、エーレンフリートは称賛によって肯定する。
息子の不甲斐なさを失笑されたエーヴァルトの長はじめじめした笑いを浮かべる。
「神子姫さまが代わりにもっと素晴らしい内助の功をもたらしてくれることでしょう」
「なんでも妻任せでいかがなさいます」
そう吐き捨てたのはエメリヒの長の息子だ。長本人は彼の一歩後ろに佇む。常にそんな風で、影ですでに世代交代を済ませたかのようだと囁かれている。
「おや、こんなところでみな留まっているのか。ほかの者たちが通れないではないか。そら、先に進んでくれ」
遅れてやって来たエドゥアルトの長が促す。そこでようやく、よっつの部族の長たちは自分たちのやり取りを遠巻きに聖務者たちが見ていることを知り、そそくさと進みだした。
当然のことながら、神殿内で起きた部族間の諍いは聖務長の耳に入った。エドゥアルトの長ともよくよく話し合った結果が、神子姫の伴侶選びに影響する。
神殿や聖務長にも、ここぞとばかりにいつつの部族から寄進がなされた。ほくほく顔の聖務長に、エドゥアルトの長が唇をゆがめる。
「それらの寄進は貯め置かれるが良かろう」
「なにをおっしゃいます」
寄進の用い方についてまで口を挟まれては敵わないとばかりに鼻に皺を寄せる。その様子にエドゥアルトの長は鼻を鳴らす。
「神子姫さまの結婚が上手くいくとお思いか。先だってのウータ、ウーテのお披露目のときの騒ぎをもうお忘れか」
言われて、聖務長は不安そうになる。
「このまま神子姫さまの魔力が欠乏したままであれば、天の恩寵を乞うことはできない」
「そんな!」
聖務長は悲鳴じみた声を上げる。
「彼らの様子からすれば、神子姫さまとの結婚が上手くいくと思うか?」
聖務長は黙り込んだ。それが答えだった。
時を置かず、神殿から内々にハーラルトに神子姫の伴侶となり魔力を供給するようにとのお達しがあった。
国民すべての憧れの人の伴侶に選ばれたことを喜ぶべきか、魔力供給のためにあてがわれたことを露骨すぎるとあきれるべきか、ハーラルトは複雑な思いにかられるのだった。




