第2-16話 幕間1
トライデント魔導王国内にある、とある大きな大きなホール。
受験生達の試験も終わり合格者もだいたいは決まった。
あとはどのクラスに振り分けるか、そして下位の合格者の入れ替えについて話し合う。
その会議がこの場で開かれていた。
異質なのは真ん中に立つ者以外の者達の顔が見えないということ。
どこぞのオークション会場かのようにそれぞれが個室のようなボックスから変声期を使って発言することができる仕様である。
これは権力者間での不正を防ぎ、また自身が持つ権威に関係なく発言できるようにとの配慮である。
如何に優秀な者が優遇されるこの国とはいえ、優秀な者だけで全てを決めるのを良しとはしない。
特にこの国で最も重要とも言える教育の場ならば尚更だ。
そのためこの場には学院の教師だけでなく、政務局、等級管理局、罪牢局、貴嶺局、王家からも人員が集まっており、七帝家からもそれぞれ最低一人以上が参加している。
この場に来れるということもまたステータスの一つとされるほどだ。
それゆえ無条件というわけではないが、ある程度の地位になればここに来れる学院の教師という地位はこの国では人気が高い。
貴家や局の者も当主やトップが来なければならないという義務もないので、そこに誰がいるのか、そもそも発言しようともどこ所属の者なのかも含めて何もわからないようになっている。
そんな中、唯一顔を出して司会を務める者が話し出す。
「それでは揃ったようなので始めましょう。司会は此度の試験総括を務めさせていただいております、カリファが行います。どうぞよろしくお願い致します」
普通であるならば、試験の成績順によって合格を決めていけばいいだけ。
だが、この国が欲しいのは後に光り輝く可能性がある原石である。
そこいらの綺麗な石だけではない。
だからこそ試験の点数は参考にするし、もちろんそれが合格の基準ではあるが、絶対視はしていない。
子供の頃は神童だったが、大人になれば凡夫という者がいるように、子供の頃は凡庸であったが、大人になり才能が開花したという者もいるからだ。
その芽を子供の頃に成績が悪いからという理由で摘み取ることのないように細心の注意を払っていた。
そしてそうやって積み上げてきたからこそ、この国の技術は大陸一と呼ばれるまでに成長したのだ。
だからこそ、この場は極めて重要なものなのである。
司会のカリファの声だけが鳴り響く広く粛然とした会議室には紙を捲る音だけしか聞こえない。
「お手元にある資料の三ページをご覧ください」
カリファはそう言うと、手元のパネルを操作し、中央にデカデカと掲げられている半透明のモニターに資料の三ページを映し出した。
そこには受験生の名前が書かれており、横にはクラスの名前、もしくは合格保留という文字が書かれていた。
「こちらが今回皆様が“選んだ”クラス分けの票を総計した結果となります」
試験の総合点数を上から並べ、募集人数に入っている下位五○名を除き、それ以上の者は無条件で合格が決まる。
だがそれでもクラス分けは成績順ではなく試験官達の評価によって分けられる。
もちろんほとんど成績順に並べた際と変わることはないが、それでも成績以上の評価をされる者もいる。
そして下位五○名はこれから合格保留となっている、いわゆるまだ輝いていない原石達と比べられ篩にかけられる。
合格点に届いていなくとも、とある科目に特化して良い成績を収めている生徒はこの話合いによっては受かる可能性があるのだ。
これが特抜制度の正体。
そしてこの話し合いで主に使われるのが教会が行っている神眼の儀によって判明している潜在能力である。
個人情報の保護などこの世界にはそもそも概念がない。
金さえ積めば簡単にわかることだ。
とはいえ、教会側も本当ならば大々的にそんなことをすることはない。
如何に個人情報保護の概念がないとはいえ、それを無遠慮に誰にでも伝えるなどすれば貴族達の反発は必然。
個人ならともかく国単位でするのは不可能だ。
それゆえ元々は封鎖されたこの国だからこそ出来ていたことだ。
だが、初年度はいろいろありゴタゴタしたようだが、今ではその制度も整備されまったく問題がなくなっている。
神眼の儀の結果を使うかどうかは選択制となっている。
平民達は当然一縷の望みをかけて許可を出すし、貴族も八割程度は許可を出している。
そしてそれだけでなく最も優秀なグラントフィシエのクラスの中でも最上位に位置する十名に与えられるグランクロワという称号もまた点数だけではなく、ここにいる者達の票によって決まる。
グランクロワという称号はこの国でかなりの力を持つ。
この国の要職についているような者はそのほとんどがグランクロワの称号を得ていると言っても良いほどだ。
「普段ならば……これより下位合格者五○名の選定に移るのですが、今回は疑問に思われている方も多いと思うので先にそちらから処理していきましょう」
モニターに映し出されている表示が変わり、別の画面が映し出された。
合格者を成績優秀と判断された十名、所謂グランクロワの者達である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一.ヒュブリス★
二.ローメロイ
三.レイ
四.ザオルグ
五.テレイヤ★
六.ダグレス★
七.シエル★
八.アクファ
九.ミシェル★
十.アティナ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そこにアーノルドの名前はなかった。
星のマークはトライデント魔導王国の者を表している。
この画面が映し出されてから数秒の間を置いて、カリファが続けた。
「見て分かる通り今年は随分豊作の年でございます」
その言葉に対してため息を吐くような、不快げに鼻を鳴らすような音が至る所から聞こえてくる。
基本的にボックス席の声は故意に切らない限りはオープンになっている。
だが、カリファはその否定的な何かが聞こえぬかのようにそのまま毅然と言葉を続けた。
「大変喜ばしいことでございます」
ここ三年間、上位一○名と言わず上位一○○名ほどはそのほとんどがずっと自国の者が占めていた。
他国の者を入れるメリットの一つに自分たちとは違う思想、観点を持った者たちに触発されさらにより良いアイディアが生み出せることだとカリファは考えている。
しかし今までは外から来た者達のレベルが低すぎてただ見下すだけの存在となっていた。
これではむしろ逆効果だ。
下を見て慢心しているようでは真の頂には辿り着けない。
だからこそカリファは喜ばしいことだと述べた。
とはいえ、他国の者達を見下していたいだけの者達にとってこの結果は不愉快極まりないものだ。
「さて、先ほどの結果を見て疑問を持った者も多いと存じます」
先ほどまでの雰囲気とは一転して厳粛なる声色でカリファはそう述べた。
それに対する反応は怖いほどシンとしたものであった。
是も非も声は上がらない。
カリファが黙々とモニターの画面を操作し、一人の受験生のデータがデカデカとそのモニター一面に示された。
そこに書かれていた名前は『アーノルド』であった。
学術試験、武術試験共に成績優秀であるにも関わらず、その仮の合格先は最も低いクラスであるシュヴァリエとなっていた。
これにはここにいる者達の中にも眉を顰める者が多い。
眉を顰めた者のほとんどは当然ながら最も上のクラスであるグラントフィシエ、その中のグランクロワの“一の称号”を与えるに相応しいとして提出したのだ。
当然だ。
歴代最高得点にして文句なき武力の持ち主。
それが一番下のクラスにまでなっているということは相当数が不合格もしくはシュヴァリエとしてアーノルドの成績をつけたということだ。
言うまでもなくどういった者達がそれをやったのか理解でき、幾ばくかの者が内心ため息を吐いた。
だが、この場はこの国で最も重要な場、言い換えれば神聖と言ってもいいほど峻厳な場だ。
たかが、過激派の者達による外の者達が自国の者たちよりも上に立つことが許せない程度の理由ならば、この場を無為に乱したとしてその首謀者、そしてそれに加担した者達全員が何らかの処罰を受けることすらありえる。
それゆえ、多くの者達の視線が険しいものとなり、どことなくこの場の雰囲気が重々しくなっていた。
そんな様子など意に介した様子もなくカリファが続ける。
「今回のこのアーノルド殿の成績に対して、不合格、もしくはシュヴァリエという評価を下した者が多くおりましたが、本試験の成績からすれば不自然極まりない結果と言えましょう。それゆえ試験総括の権限により不義審査会を執り行います。もし何らかの理由があり、この評価を下したというのならばその理由をこの場にて発表していただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
カリファはそう言い、ぐるりとその場を見渡した。
少しの沈黙の後、一人の変声されたダミ声がその場に響く。
「ゴホン。それでは僭越ながら私が説明いたしましょう」
少しばかり弾んだような嬉しさが滲む声色。
所詮は過激派の中でも末端の者だろうとカリファは内心ため息を吐く。
(代弁者でしょうね……)
何かあろうとも簡単に切り捨てられる者。
「……それではよろしくお願い致します」
カリファは若干低い声でそう言った。
アーノルドの試験の点数は過去一と言っていいほどの高得点。
本来ならばグランクロワ一の称号を手にしていたのはアーノルドであったはず。
にもかかわらず一位どころか一○位以内にすら名前がなかった。
カリファが権限を用いて理由を探ってみれば、五分の二くらいの者達がアーノルドを不合格もしくは一番下のクラスであるシュヴァリエと評価していることがわかった。
そこに理由は書かれてなどいないが、カリファにも理由は聞くまでもなく想像できた。
この評価をつけた者達は『魔導王国至上主義者』、いわゆる過激派だったからだ。
自国こそが世界を支配すべきであり、外の者、すなわち自国以外の者を屈服させるべきという過激な思想の持ち主達の集まり。
皆が皆、他国を屈服させろと言うわけではないが、自国こそが最も優れた国だと他国を見下す者も多い。
カリファとて表立って見下しはしないがそれは否定しない。
鎖国が終わり、いざ世界が広がるとそこは原始時代の住民が住んでいるだけのように感じたのだ。
間違いなく自国は他国よりも優れている。
とはいえ、そう容易く世界が取れるとも、全てにおいて自国が優れているとも考えていない。
表面上見えるものだけが全てではないことなど当然のこと。
能ある鷹は爪を隠す。
過激派の者達はそれが見えていない。
それに過激派の者達の思想もカリファには気に入らない。
確かにこの国は完全実力主義社会であるが、実力があるからと皆が他者を虐げるわけではない。
どんな国、どんな環境であれ、虐げる者はどこにいても虐げるし、虐げない者は何があろうと他者を虐げない。
そもそもが相容れない存在なのである。
カリファは今回の首謀者がおそらくはオルファイト公爵であると見做していた。
この学院にいる三人の副学院長の一人にして、貴嶺局にも所属している星一二の魔法師である。
過激派に属する一人であるが、他国の者に対する敵意というよりはそもそも公爵という権威に取り憑かれた者、というのがここ最近カリファがオルファイト公爵に持つ印象だ。
貴族と優秀な者に対しては手厚く加護を与えるが、そうでないものに対してはいっそ悪辣とさえ言えるほど陋劣なる者。
最近は公爵としての権威に偏屈なまでに拘っていることは誰の目から見ても明らかであった。
今回のオルファイト公爵の息子であるヒュブリス・オルファイトがアーノルドを除けば首席となっていることからもアーノルドを排除しようとする理由としては十分だろうと思えた。
令息の成績がいくら良かろうが、オルファイト公爵本人の評価が上がるわけではないが、それでもその成績を取れたのはオルファイト公爵の教育が良かったからである、と評判は高まり、貴嶺局での発言権も高まることは間違いない。
それに公爵家としての権威を取り戻そうとしているのならば、次期公爵となるヒュブリスの発言権を上げるというのも重要だろう。
首席と次席、そこには言葉以上の差がある。
グランクロワ一の称号というのはそれほど価値あるものなのだ。
カリファは内心反吐が出るような想いであったが、それを表には出さなかった。
だが、もし納得いくような説明がなければトコトン追求するつもりである。
——不正は許さないと。
「それではご説明させていただきます。今回の件の少年である、アーノルド殿の点数は皆様ご覧になられたと思います」
どこか同意を求めるような声色でその人物はそう言った。
そして何も異論がないことを少しの間を置いて確認した後、カリファに断りを入れてからモニターに事前に用意していたであろう資料を映し出した。
アーノルド ヒュブリス カリス
学術試験:魔言語学 800/1000 412/1000 712/1000
魔法学 497/1000 610/1000 781/1000
戦術論 508/1000 924/1000 249/1000
算術論 973/1000 596/1000 581/1000
現象論 912/1000 481/1000 301/1000
総合点 3690/5000 3023/5000 2624/5000
武術試験:体術 490/500 365/500 211/500
魔法 366/500 200/500 481/500
剣術 500/500 500/500 301/500
総合点 1356/1500 1065/1500 993/1500
試験総合点: 5046/6500 4088/6500 3617/6500
「この様なこともあるかと思い、事前にまとめさせていただきました。左が今回の少年、そして中央が現在首席となっているヒュブリス“様“の点数、そしてその右が昨年度の首席の生徒の点数となっております。見てわかる通り、この点数差は異常と言えることは理解していただけると思います。アーノルド殿とヒュブリス殿で約一○○○点もの差、首席のヒュブリス殿とて去年の首席よりも四○○点は良いというのに、果たしてこのような点数が現実的かどうか」
まるで嘲弄でもするかのような声色。
だがそれに色良い反応が返ってくることはない。
「才ある者が現れる年ならばこの程度の点数差など普通にあると思うが?」
毅然とした声色でそう反論する声がボックス席から響き渡る。
毎年このようなことが起こるわけではないが、数年、数十年に一度、異才を放つ者が現れた年はこのような点数差など普通にありえることだ。
そもそも試験問題すら違う。
試験は年度毎でそれほど難易度の差が無いように作られてはいるが、それでも年度の違う者と比較することにそこまでの意味はない。
「ええ、たしかにおっしゃる通りです。それにこの試験の目的は飛び抜けた才を持つ者の発掘。もし本当にこれが“実力”によって得られた点数ならば喜ばしいことこの上ないでしょう」
まるで実力ではないかのような物言い。
だが元々それを聞くための質疑である。
とりあえず疑問がある者達も皆が静まり返った。
そしてそんな中ボックス席の中で高みの見物をしている一人の男が不快げに鼻を鳴らし、醜悪なる笑みを浮かべていた。
(まったく……。無駄な手間を取らせてくれたものだ。だが、これでどうにかなるだろう。今回重要なのは疑念だ。たとえ、不正で無かろうともそうだったかもしれないという想いが皆の中に根付けば息子の地位が揺るぐことはない。まったく……、そもそも我が息子が最初から優秀であれば問題なかったというのに。試験に細工までしてやってこの体たらくとは。とてもこの私の息子とは思えんな。次席のやつとの票差もギリギリであったわ。根回しが間に合わなければそもそも首席すら危うかったであろう。だが結果として愚息が首席の地位についたことには違いない。まだ天運は私にあるということだ)
持ち込んだワイングラスを揺らしながら、笑みを漏らしていた。
そんな中、会議は進んでいく。
「まず結論から話しますと、私やその他大勢の方がこの少年に低評価をつけた理由は……不正を疑っているからです。いえ、疑っているという言い方も正確ではありませんね。不平をしたと思っているからです」
その人物はそう言い切った。
他の者達からも反論が出ることはなく、またカリファからしても予想の範疇ではあった。
そうでもなければ、あれほどの点数を取った者を不合格にする理由など存在しない。
だが、問題はその不正をしたという証拠をどこまで集めているのかということだ。
たかが心証で不正などと騒ぎ立てるはずがない。
カリファが“観た”限り、それほどアーノルドの試験は常軌を逸したものとも思えなかった。
いや、ある意味では常軌を逸しているのだろうが、不正をしたと断じるほどのものはなかった。
「むしろ、これほど優秀な人材が集うこの場にいる方々がなぜあれほど不自然なことを見逃しているのか、その方が不思議なくらいです」
その言葉にカリファは少しばかり眉を顰めた。
「では、次はこちらをご覧ください」
ラーメルイ
学術試験:魔言語学 1000/1000
魔法学 800/1000
戦術論 338/1000
算術論 770/1000
現象論 790/1000
総合点 3688/5000
武術試験:体術 121/500
魔法 500/500
棒術 133/500
総合点 754/1500
試験総合点: 4352/6500
「こちらは皆様も知っている約一五○年ほど前に歴代試験の最高点を出したラールメイ女史の点数となります」
ラールメイ女史は本名をラールメイ・ヴァレンヌという約一五○年くらい前の人物であり、生涯を魔術回路の研究に費やし、その過程であらゆる技術、理論を確立して一○○年は技術の進歩をさせたと言われるこの国の誰もが知っている偉人の一人である。
それ以前にも魔道具はあったが、いまのヴァレンヌ家が造る魔道具の基盤を造ったといっても良い人物だ。
その才は子供のときから群を抜いており、大人以上の知識を蓄えていたとされている。
それだけでなく魔法師としての腕もかなり高かったのだとか。
だからこそ、試験に残された点数には魔術回路に使われる言語を含む魔言語学、それと魔法陣を使う際に扱う魔法学、算術、現象論など、研究や魔法に関係のある科目は軒並み点数が高く、武術試験も魔法だけが群を抜いている。
そして関係のない戦術論や体術、棒術は点数が低い。
当時は選択科目に魔法陣がなかったため二つ目の選択科目は適当に選んだらしい。
要は全ての点数に筋が通っているのだ。
八○○点を超えているものは魔言語学だけ。
この二○○点分も当時は未解決の問題であったものであり、自身の考えた理論を書いたものの実際にその解が完全に正しいことが確認されたのは数年後であった。
そしてそれ以外の八○○点の科目は単純に魔術回路を考える上でいるから収めたという理由で、未解決の研究問題についてはどれも白紙であったらしい。
ラールメイ女史はもうその歳で専門家顔負けの才覚を露わにしていたが、専門的ではない者の考えに触発されて技術が発展することもあるので、この試験は研究者達にとっても目が離せないものなのである。
さて、そこでアーノルドの話に戻ると今回のアーノルドの点数は、魔言語学が八○○点という事実上の満点、そして算術論と現象論という2つの学問で研究問題において正答の可能性がある解答を書いている。
基本的に研究問題の点数の付け方は研究者達がその解答を読み、明らかに部分点狙いのようなものは書いてある内容に応じて少しばかり点数をつけ、これはという解答は更に他の人にも回され、最終的に複数人が集まり話し合うという段階までいったものは九○○点を越えた点数をつけられ、現段階での解決出来るかどうかという希望的観測に基づき暫定的に点数がつけられる。
ということはアーノルドの算術論と現象論はその道の研究者達が解決の可能性がある解答であると見做した証。
それだけでも驚きに値することである。
たかが一○歳にも満たない少年が二つの学問で研究者に認められるような成果を既に上げているということである。
とはいえそれらは関係が深いとも言える科目。
算術論が出来る者は現象論が出来る者も多い。
研究者の中にも両分野で功績を残している者も多数いる。
その勉学にこれまでの“人生を費やしてきた”のならば、天才、秀才の一言で片付けられるかもしれない。
だが、そうではない。
武術試験を見れば、体術試験はほぼ満点。
剣術に至っては満点である。
魔法試験については魔法学の点数と比較すれば少しばかり成績が良い。
だが、座学は苦手だが実技は得意だという生徒はよくいるためその差異はそれほど気にはならない。
気にならないとはいえ、一般的に見れば十分どころではないほど高い。
これら全てを合わせれば確かに異常であることは間違いないだろう。
いくら時間があっても、それら全てがそこまでの水準に辿り着くなど十歳という年齢では一般的には不可能である。
学問にいままで時間を割いていたのならば、武術があれほど良い点数というのはおかしい。
武術に時間を割いていたのならば、研究者並みの知識を持っているというものまたおかしい。
ただ記憶力が良いというだけならば研究問題を解けるはずもない。
天才とはいえ、その才で為せることには限度がある。
そう考えるのが普通だ。
だが、おかしいとはいえ、それはあくまで常識的に考えるからである。
この世には常識が当てはまらない天才というものはいる。
ラーメルイ女史とてどちらかと言えばその部類の天才だ。
そしてそういう者を見出すことが目的であるため、道理に合わないからと不正と断じるならばこんな会議を開く意味すらない。
要はそれだけが不正の理由だというのならば、それは弱いのである。
いや、弱いどころか全くの無意味。
それゆえカリファや他の過激派ではない者達の表情は変わらない。
だが口を挟むことはなかった。
流石にこれだけであるはずがないことくらいわかったからである。
もしこれだけならば、集団でアーノルドを貶めるようなことをするはずがない。
勝算があるからこそ追従する者がいる。
それにたしかに疑念はある。
ラーメルイ女史は幼少期の自伝が出るほどその幼い頃の生い立ちは知られている。
天才として名を馳せた少女の幼き頃は研究漬けの毎日であった。
魔法試験は満点であるが、それは研究によって培われた技術によってであり、戦闘能力が高かったわけではない。
それに今とは試験内容も違う。
それゆえ言っては悪いが、今の魔法試験の点数と昔の点数ではその価値が全く違う。
更にアーノルドとラーメルイ女史の学術の試験の点数はほぼ同じくらい。
だが確かに時代が違えば試験も違う。
それゆえ比べることは無為だと分かっているが、それでもやはり皆の心から疑念は消えない。
如何に天才といえど学術と武術の両立など可能なのかと。
否、可能であったとしてもその年齢による懸念が頭から消えない。
才は無限でも時間が有限であることだけは絶対不変の真理だと。
「それでは本題に入りましょう。確かにこれらの点数を自力で取ったということも考えられましょう」
その言葉に対してカリファは僅かに眉を寄せた。
「まず一つ目です。この少年には剣術試験の際に不正疑惑をかけられております」
その人物は自信満々な様子でそう言ったが、皆の顔は晴れない。
むしろ眉が寄る想いだ。
「ふむ……、その件はハーメティア殿が直々に出向いて解決したとのことだったと思うが、愚生の記憶違いだったかな?」
誰かはわからないが皆の気持ちを代弁するかのような言葉が発せられた。
当然ながらこの場にいる全員がその件については把握している。
武術試験における不正という珍しい出来事だけでなく、最近行われた“裁判”は記憶に新しいからだ。
「いいえ、その通りでございます。しかし、こう言ってはなんですが、ハーメティア様は剣術にはあまり精通しておられません。そしてそれは魔道具についても同様だと思われます。魔道具に精通し、魔法に強くなることはあれ、魔法に精通し、魔道具に精通するといったことはありませんゆえ」
「道理ではある。とはいえ、魔力の痕跡は調べられておるぞ?」
たしかにハーメティアは見ただけで魔道具か否かを判断することは出来ないだろう。
だが、魔道具であっても使われれば魔力の痕跡は残る。
剣術試験で使われていたならばハーメティアが見逃すはずもない。
それを否定するということはハーメティア本人が不正に加担していると言うに等しいし、場合によってはボルネイら試験官に処罰が下された裁判そのものにケチをつける発言に他ならない。
それを分かっているのか分かっていないのかその代弁者は話を続ける。
「確かにハーメティア様は優秀なお方。とはいえ、それは武術に限った面では、とも言えるのではないでしょうか?」
「——回りくどいな。さっさと結論を述べよ」
変声されていても尚わかる厳粛なる一喝に代弁者は思わず震え上がる。
いま話している人物は所詮はオルファイト公爵の手駒に過ぎない、いわばそれほどの地位がない者。
窘めてきた人物がハーメティアのことを様ではなく殿といった時点で、誰かはわからなくともそれなりの地位を持った人物であることは理解できる。
そんな人物に不機嫌そうに窘められれば、たとえ自分が誰とわからぬとあっても気持ちが逸る。
「し、失礼しました。こちらをご覧ください」
先ほどまでの毅然とした言葉も形を潜め、焦ったように次の映像をモニターに映し出す。
オルファイト公爵はそんな手駒の態度に舌打ちをした。
(小心者めが。自ら志願するから使ってやったというのにあの程度で臆するとは……。まぁ良い。誰がやろうとも結果は変わらん。それに奴が使えんのなら変わりも用意してあるしな)
そしてモニターを見てニタリと嗤う。
映し出されていたのはアーノルドの魔法試験であった。
そしてその序盤、アーノルドが魔法を放とうと腕を上げた瞬間に映像が止められる。
そしてそこに映されているアーノルドの手にズームアップされた。
「ご覧ください。私はこの手に嵌められている指輪のようなものが不正に使われた魔道具であると確信しております」
「ん? ヴァレンヌ家がこのような指輪型の魔道具など作っておったか?」
思わずといった様子の声が響く。
仕込みでもない純粋なる疑問の声。
魔道具といえばヴァレンヌ家のもの、というのがこの国での共通認識。
アーノルドの指に嵌められた指輪は宝石一つの簡素なもの。
だが、ヴァレンヌ家の魔道具に指輪型のものはあれど、売り物だけあってか基本的には優美なデザインが施されている。
となれば、もしあれが魔道具であるならば、ヴァレンヌ家が秘密裏に与えたものか、それ以外の魔道具かということになる。
それゆえか、問われた者は弾んだような声で返答する。
「いいえ。ヴァレンヌ家に確認致しましたところ、このような魔道具は作った覚えはないという返答をいただきました」
自信満々といった様子でそう言うが、聞く者からすればヴァレンヌ家が嘘を吐いている可能性もあることは拭えない。
ヴァレンヌ家は過激派に属する者達。
口裏を合わせていないなどと断じるのは無理がある。
とはいえ、ヴァレンヌ家は過激派よりの家門であるがそこまで過激派の思想には染まっていない。
過激派に手を貸すメリットも、まして誰ともわからぬアーノルドと手を組んで不正に加担する理由も見当たらなかった。
「……では、古参の魔道具か?」
古参の魔道具、要は神具のことだ。
「そこまでは分かりません。ですが、少し前に魔道具を売り出した商会があったことは記憶に新しいかと思います。このような魔道具が販売されたという情報はございませんが、この者があの商会と何らかのつながりがあり、あの指輪を手に入れたならばおかしいことではないかと」
自信を持ってその者はそう嘯く。
事実など所詮どうでも良いのだ。
彼の商会は皆が興味ある話題。
餌を撒けば食いつく者も出てくる。
「ほう……。あの商会か。確かに可能性としては無くはない。だが、所詮は推測だな。そもそもこの指輪が魔道具であるという証拠はなんだ?」
いま現在、あの指輪が魔道具であるという体で話が進んでいるが、そもそも魔道具であるという証拠はまだ提示されていない。
だが代弁者はそれを待っていたかのように食い気味で返答をする。
「こちらをご覧ください」
そのままモニターに映し出されている映像を進めていき、アーノルドが上位魔法を放った後でもう一度映像を止めた。
そしてそこに映される指輪に再びズームアップする。
「こちらです。このように先ほどの指輪にヒビが入っております」
画像は粗いが、たしかにヒビが入っているのが見て取れる。
そしてそのまま映像を切り替え、剣術の試験での映像に切り替わる。
こちらは試験官視点の映像だけでなく、ハーメティアの護衛がつけていたものも入手し、あらゆる角度から見れるようになっている。
試験官が過激派の人間であることはバレているので、関係のないハーメティアの護衛の映像も見せることで映像を加工したものではないことをアピールしている。
そして剣術試験でアーノルドが身につけている指輪にもまた先ほどと同じようなヒビが入っていた。
それを見た者はこの代弁者の言いたいことがわかり、僅かに鼻を鳴らした。
あの魔法試験は対象者の持ち物を含め、試験中に壊れたものが再生できるように術式が施されているが、魔道具は例外である。
魔道具自体が術式を組んで作られている物のためか、相互作用によって修復の術式が基本的には弾かれてしまう。
それゆえ、修復されていないということはあれが魔道具であることの証明とも言える。
「なるほどのう。言いたいことはわかった。だが、あれが果たして本当に魔法試験でヒビ割れたのだという決定的な証拠がない。画像で見れば確かに同じような割れ方には見えるが、あくまで見えるだけだ。ズームにすれば画像が粗い。それに昨今は映像に加工をするような不届者もいるようじゃしのう。些か決定打には欠けるように思えるが……」
如何に声が変えられていようと独特な話し方や威厳を持つ者ならば誰であるかわかる者もいる。
この者もまたこの国有数の実力者の一人だと誰しもがわかった。
その者の言葉ゆえに大勢が傾くかと思いきや、そこに水を差す言葉が一つ。
「ふむ。公の言うことも最もではございますが、このような場に持ちうる映像。当然検閲など済ませてあるはずのもの。疑うということはこの議会そのものを疑うということではございませんか? それともこの不正疑惑者の肩を持つ理由でもお有りですか?」
その言葉に会場がシンとする。
誰がそれを言ったかなど考えるまでもない。
今回の議論の大元、オルファイト公爵だろうと。
「……あくまでも可能性の話を言っていたつもりであったが、貴公にはそう聞こえたか? 心当たりでもあって焦ったわけでもあるまい。貴公が誰かは“知らんが”、いま釈明をしているのは別の者であろう。そう容易く出しゃばるとは……」
そこで言葉を区切ったが、その意味するところは理解できた。
上に立つ器ではないと。
それを正確に読み取り、オルファイト公爵が手に持つワイングラスにヒビが入る。
たかが少しばかり水を差された程度で黒幕が早々に口を挟むなど堪え性が無さすぎる。
だからこそお前はいつまでも名ばかりの公爵なのだと。
「それに、……そも不正とは試験をしているその場で我らが見抜くべきもの。今更このような場でいくら詰めようとも憶測の域など出なかろう。——そうであろう?」
この場は討論の場。
それゆえ、力による弾圧が起こらないように術式が組まれているのであるが、それを突き抜けるかのような重々しい言葉による重圧がその場を支配した。
司会であるカリファすら、思わず鳥肌が立ち、奥歯を噛み締めた。
「ふむ。あくまでも私個人はその程度では不正であるという決定打にはならぬと考える。だが、かと言って、不正でないとも言い切れぬのもまた事実よのう。もしそれが魔道具であるというのならばそれはどんな効果がある魔道具だと考えているのかのう?」
オルファイト公爵にではなく、先ほどまで話していた代弁者に対して向けられた言葉。
「し、私見になりますが、魔力量を増大させる魔道具であると考えられます」
重々しい雰囲気の中で話を進められたことで少し焦ったような声色でそう述べた。
「ほう、魔力量の増大か。理由は」
まるで詰問されているかのような錯覚に冷や汗が止まらず、歯を食いしばる。
「ま、まず第一にこの試験中に見せた魔力量の異常さ、魔力量は皆様知っての通り、歳とともに訓練を重ねることで増やしていくことができるとされています。もし仮に魔法だけに費やしていたならばこれ程の魔力量もまたあり得なくはないのかもしれません。で、ですが、この全体の成績を見る限り、むしろ魔法は二の次といった印象を受けます。それにラン様の術式を自力で拒絶できるほどの魔力量を持つなど一般的には考えられません」
「ふむ……」
それに対しては確かに皆が唸る。
魔法は基本的に七歳を超えてからしか習ってはいけないというのが世界の共通認識だ。
それは鎖国していたこの国でも同様だ。
これは体の成熟に伴い体に蓄積できるエネルギーが増え、成熟していない段階でマナを持ち過ぎれば、魔力暴走を起こしたり、器を破壊して死に至る可能性すらあるからだ。
となればたった三年弱、もしそれより以前から鍛錬していたとしても五、六年であれほどの魔力量を得たということ。
試験の映像を見る限り最小限の魔力にて上手いこと運用していた。
それゆえ試験で見せた程度の魔力量ならば有り得なくはない。
だがランの術式を弾くほどの魔力量を一○歳のアーノルドが持っているということは確かに一般的にはあり得ない。
素の状態でそれを為すには学院長を除く、この場にいる誰よりも魔力量が、そして魔力抵抗が高いということ。
たかが十にも満たない子供がだ。
この中には魔法師の精鋭達も数多くいる。
理としても、心としてもそんなことを軽々しく受け入れられはしない。
外部魔力に依るものだと考える方が至極自然なことなのだ。
魔力の増強でなかったとしても、術式を弾くための魔道具を身につけていたのは間違いないだろうと。
それに一つの才能ならばともかく、アーノルドはそれだけではない。
数多の分野で常人離れした成績を残している。
そうなれば、人間というものは奇跡の子と思うよりは自分の常識に当てはめて考えるようになるのも致し方ない。
誰もが反論など口にしない中、幾人かの人物が薄らと笑みを浮かべる。
明らかにこの場を漂う不正を疑う色が濃くなってきているからだ。
このままいけば自国こそが優れているのだという自身の絶対的な矜持が守られると。
「とはいえ、魔力の痕跡がなかった説明にはなっておらんの」
「それは……、魔道具が壊れたために痕跡が潰えていたか、もしくはそれを隠す何かが組まれていた可能性も」
だがそこに場違いなほど軽い口調な声が響く。




