14話
先ほどまで、新緑とは言わぬまでも、冬に向かい枯れゆく草木達が生い茂っていた辺り一帯がまるでカラカラに乾いた砂漠かのように地がヒビ割れ、戦いの余波によって吹き飛ばされた草の陰はもはや見る影もなかった。
剣戟の音だけが辺りを支配し、既に剣と槍を交えた回数は数百に届こうかというほどにまで膨れている。
剣戟と剣戟の狭間、バルトラーの矛先が煌々と輝く。
「ハッ‼︎」
バルトラーの槍によって放たれた『オーラブレイド』。
その威力は使い手、そして神槍によって異常なまでの威力を誇っている。
アーノルドよりも二、三倍は大きいかと思えるほどの斬撃が地を駆け、破滅を齎す一閃がアーノルドへと迫りくる。
だがアーノルドはまるで紙でも斬るかのような手軽さでその斬撃をその手に持つ黒剣で斬り裂いた。
斬り裂かれた『オーラブレイド』はまるで死にゆく屍人の、か細い悲鳴かのような不協音を立てて虚となって消えていった。
「はぁ……はぁ……」
わずかながらに息を乱しているのはバルトラーである。
それに対してアーノルドはいまだ健在。
そしてそんなバルトラーを見て、アーノルドは嘆息する。
「たかがこの程度で息が乱れるか」
アーノルドは落胆すら滲ませた声色でそう溢した。
だがその落胆は正当なものだ。
まだ戦いが始まって三十分程度。
如何に老いたとはいえ、英雄であり戦場を生き抜いたバルトラーが息を上げるにはまだ早い。
それは偏に訓練不足——ハイルごときのお守りをしていたがための衰えであろう。
だがアーノルドのその言葉を聞いたバルトラーはまるで獰猛な獣のような不敵な笑みを浮かべた。
「何をこの程度で。私はまだまだやれますとも」
事実、まだまだ戦えるであろう。
猛獣は手負いでも猛獣であることに変わりない。
その堂々たる歴戦の猛者が醸す威風が頑然とアーノルドへ叩きつけられる。
とはいえ、勢いが落ちていることは否めない。
救いはいまだその闘志が衰えぬことと、疲れようとも技のキレは流石に並の者のそれとは一線を画していることだろう。
だが、もうアーノルドが死力を尽くすほどではない。
「そろそろ奥の手の一つでも出したらどうだ?」
今までのバルトラーの槍術も凄まじいものであるがそれだけで英雄となったかと問われれば、それは流石に厳しいだろう。
たしかに全盛期ならば今よりももっと凄まじい強さを誇っていたのであろうが、たとえそうであったとしても今のアーノルドが本気になれば仕留めることは可能だろう。
書物に書かれていた彼の戦争のあらましが事実であるのならば、少なくとも敵国にいた全ての敵将をバルトラー一人で相手取るには実力不足だ。
「それは、お互い様ではないでしょうか?」
バルトラーとてアーノルドがいまだ手を隠していることはわかっている。
バルトラーとて当然奥の手がある。
だが、それを安易に出すのはバルトラーにとって憚られる状況であった。
「その若さでそれほどの境地。感嘆に値するなどという言葉が安く感じる程の称賛を贈りたい気分です。一体どのような生活を送ればそれほどまでの力をその歳で得ることができるのか、是非ともご教授願いたいものですね」
そう言うと、バルトラーは挑発するかのように槍を持つ手に力を込めた。
言葉に込められた称賛の意に偽りはない。
しかし目的は未だ力を隠しているアーノルドに先に力を晒させること。
だが——
「……力を見たければ、私が先に出せと?」
アーノルドの不機嫌そうな口調。
然り、と言わんばかりにバルトラーは視線険しく槍を構える。
だがそんなバルトラーにアーノルドは思わずといった様相で忍び笑いを漏らす。
そして鋭く睨みつけた。
「——冗談がきついぞ、ジジイ」
漏らされた笑いの後に返ってきたのは厳かで、鋭い声であった。
それにはバルトラーも少しばかり狼狽した。
「冗……談、ですか」
戦いを望んでいるのはアーノルドの方だ。
それは見るまでもなくわかる。
そうでないならば、わざわざバルトラーと一騎打ちをする必要などないのだから。
目的はわからない。
子供ゆえの蛮勇か、はたまたただの狂人か。
どれだけ自信があろうとも自身を英雄と知って戦いを挑んでくるなど、それもまだ到底成熟したとは言えぬ年齢でそれをするなど自殺行為も甚だしい。
だが何にせよ、それに見合う実力があるだけに、慢心もあり虚栄心もまた強いだろうと。
それゆえ少しばかり煽て、煽れば先に力を見せるだろうと思っていた。
とはいえ、それはあくまでも弱者の理論——そして未だアーノルドを子供と侮っているからそのような発想が出るということにバルトラーは気がついていない。
そんなバルトラーにアーノルドは諭すように語りかける。
「力を見せるも隠すも、それを選択するのは常に強者の特権だ。よもやまだ私と対等などと勘違いしているわけではあるまい? 如何に耄碌したとはいえ、これだけ斬り結べばどちらが優位かなどわかるであろう」
既に“ただの”斬り合いではアーノルドとバルトラーの格は決した。
それはアーノルドの中で——否、両者にとって純然たる事実となっている。
このままいくら戦おうともバルトラーがアーノルドに勝てることはないと。
それは老いによる体と心の乖離も原因であろうが、アーノルドとバルトラーがここ数年で戦ってきた相手に対する経験値の違いが大きいだろう。
「……力が上だというのであればさっさと雌雄を決すればいいでしょう。それとも、たかが私のくだらない話を聞くためだけに手加減でもしているとでも言うのですか?」
最初こそいい勝負をしていたと言ってもいいが、それはアーノルドが槍の名手との戦いに慣れていないがため。
既にアーノルドには余裕すら窺える。
バルトラーの攻撃に対して明らかに手心を加えていた。
決めに来れるところで決めに来ない。
あからさまな隙を見せても同様の反応だ。
その隙が誘いかどうか気がついているか以前の問題だ。
戦いを決めにくる意志が感じられなかった。
アーノルドがなぜそんなことをするのかバルトラーにはわからない。
ただバルトラーの奥の手を警戒しているだけならば、そこまで消極的にはならないだろう。
明らかに何かを待っている。
それに対してバルトラーの方も全力を出すのを渋っていた。
バルトラーにとっては全力を出すに警戒させる懸念事項がどうしてもあったからだ。
それゆえ容易に攻め入るわけにもいかなかった。
それにバルトラーはアーノルドを殺すわけにはいかない。
互いが互いの聖領域に踏み込まぬいま、劣勢に回ろうとも様子見こそが最善。
「クク、戯言を。貴様の言うくだらん話も聞くつもりではあるが、そんなものは二の次だ。私は私の目的のために全力の貴様を倒すだけのこと。もはや出し惜しむ理由もないだろう。最低限の力は見せたはずだ。さっさと出せ」
そんなバルトラーの考えなど知ったことかとばかりにアーノルドはそう嘯く。
その言と態度は、バルトラーが奥の手を出すことを待っていたとありありとわからせた。
バルトラーが奥の手を見せなければ見せるまでアーノルドは飄々と戦いを延ばすだけだろうと。
とはいえ、ただ自分だけが力を見せるのはやはり許容できない。
「……それならばせめてそちらの腰に引っ提げたままの剣を見せていただきたいものですね。確かにそちらの黒剣も凄まじきことには違いがありませんが、それもそちらの神具——“神剣”に比べれば、いまだ二流止まりでありましょう。私も武人として最後は全力の相手と勝負したいものであります。この老人の最後の願いをどうか叶えていただきませんか?」
アーノルドが持つもう一振りの剣——神剣とも言える神具。
その存在がバルトラーにとっては鬼門。
抜かれていなかろうがその存在感がバルトラーを圧する。
その力の程が分からぬ内に自らの奥の手を晒すわけにはいかなかった。
「……」
そう請われたアーノルドは黙したまま小さなため息を吐き、黒剣を鞘に納めた。
襲い掛かればアーノルドが剣を抜くよりも早くバルトラーの槍が届くだろう。
だが、バルトラーは動かなかった。
そしてアーノルドは白い鞘の剣をバルトラーに見えるように前に突き出し、そのまま柄に手をかける。
だが、その手に力を入れようともその剣を引き抜くことはできなかった。
それはアーノルドが引き抜けない振りをしているなどとは思えないほど、言葉にせずとも明瞭に、びくともしないことがバルトラーにも見てとれた。
「見ての通りだ。こいつはいつでも使える剣ではない。だからこそ黒剣がいる」
そう言うと、アーノルドは再び神剣を腰に下げ、緩慢な動きで黒剣を引き抜いた。
そのアーノルドの顔に浮かぶのは疑念だ。
「だが……、なぜこの剣が神具であるとわかった?」
それに対して不可解そうな表情を浮かべたのはバルトラーであった。
「? 神具は神具と引かれ合うでしょう?」
「なんだと……?」
さも当然かのように告げられた言葉にアーノルドは眉を顰める。
「そもそも、その槍、神具だったのか? 神槍と謳われたのではなく事実神槍であったとはな」
アーノルドは『ガラジュボルン』という槍の存在自体は書物にて知っていたが、それが神具などという記述があったなどということは記憶にない。
ただ歴史の英雄が使った名のある槍というだけの情報だった。
「それに……、神具と神具が引かれ合う? そんなことは聞いたことがないし、私はそんなものを感じはしない」
だがそれについては正直アーノルドも真偽の程はわからない。
アーノルドは神具である剣を有しているが、その剣身を見れたのは手に入れた際のただ一度のみ。
それ以降はただの一度もその剣を引き抜けていない。
神具は必要とするところに現れるという。
アーノルドが現状この剣を使えぬのが、ただこの神具がその役目を終えたゆえか、別なる主を求めているゆえか、それとも今現在が必要と見做されていないがゆえか……判断できなかった。
何せ神具に関する情報が少なすぎる。
神具と神具が引かれ合うというバルトラーの言葉も、ただバルトラーが持つ槍固有の力なのか、それとも既にアーノルドがこの神剣の持ち主と見做されていないがゆえなのか——可能性は山ほど思い浮かぶ。
神具など早々お目にかかれぬもの。
神具を持つ者同士が相対することなどそれこそ歴史でも無きに等しい。
特に神具の中でも希少な武具同士となれば尚更だ。
だが、それを知っているということは少なくともバルトラーは過去に別の神具を持つ者と相対したことがあるということ。
おそらくはアルトティア帝国の皇族か騎士か、それとも戦時の最中か。
バルトラーの言葉の真偽はわからないが、その目に偽りの色は見えなかった。
聞きたいことも増えたが、どの道バルトラーが話すことはないだろう。
アーノルドはため息一つ吐き、オーラを僅かにその剣に纏わせる。
その色は輝かしい黄金色——などではなく、燻んだ黄色といったところ。
たとえアーノルドの持つ金色のオーラを纏わせようとも、その剣に使った黒龍の力が強いからか、混ざり合い、どうしても黒に燻むのである。
だが、アーノルドからすれば好都合。
アーノルドの持つ金色と黒のオーラはどちらも希少なる色。
正体を隠すにせよ、何にせよ、目立つことこの上ないのだ。
それに二色あるというのもまた異質。
だが、黒龍という破格の魔物の素材を使った武具ならば、こういうこともありえるという事実はアーノルドにとって戦いやすくなる。
オーラの色が全てを表すわけではないが、アーノルドの経験上、やはりその色によって得意とするものが大体わかるというものまた事実に思えた。
オーラの色にはその者が司るものが透けて見えると。
妄信できるほどのものではないが、参考にはできる。
各々のエーテルには力が宿る。
独自の力が。
ラインベルトには倍増の力が、シーザーには他者を傀儡にする力が。
それらは魔法などではなく、各々が持つエーテルという力によるもの。
騎士の成長は基本的に、まずは自己の鍛錬をし、剣術というものを学び、それを自己に昇華するところから始まる。
そしてそれと共にエーテルというものを感じ、欲するようになる。
とはいえ、ここの壁は高い。
アーノルドはそれこそ意図せずその壁を越えたが、従騎士級の中には終ぞエーテルを感じ取れぬ者もいるし、感じ取れても身体強化が為せるほどまで及ばない者もいる。
しかしそれを乗り越えなければ騎士級にはなれない。
そしてそこからは剣術とエーテルを如何に使うかが問われる領域。
次の段階は剣などの武具にエーテルを流すというもの。
自己の強化だけでなく、武器等の強化というわけだ。
自己と切り離せば離すほどエーテルの扱いは難しくなる。
それに同じ段階にいるからといって同じくらいの実力があるとも限らない。
どこまで極めるかは個々人に依る。
そしてその次が『オーラブレイド』のような自らのオーラを切り離し攻撃として使う技の習得だ。
もちろんこれらも一意などではなく、それぞれがそれぞれに特徴があり、威力なども違う。
これが出来るようになれば大騎士級と見做されることが多い。
ここまでいけばもはや一般的には一国の騎士団長になれるほどのレベルだ。
そしてその次が、各々のエーテルの本質に迫る——つまりは能力の発現だ。
そこに至れる者はそれこそ極少数。
各々が持つ“力”というものを扱うことができる。
だがアーノルドは未だその“力”というものを扱うことができない。
言ってしまえば『オーラブレイド』止まりなのだ。
大騎士級と見做されるほどの実力は兼ね備えている。
本来ならば技量、経験、それらが通常の大騎士級に比べれば劣るはずであるが、クレマンとコルドーによる強力な魔物との戦闘訓練、そして人との戦いによってその年齢にあるまじき実力を兼ね備えた存在となっている。
だがそんな程度ではダメなのだ。
たとえこの世界で有数の強者になろとも、更に上にはまだ超越騎士級という存在もいる。
それにマードリー以外の神人級の魔法師もいる。
そういった存在にはいまのアーノルドではどう足掻いても勝てない。
謂わば、アーノルドはまだ公爵やその他の者達の背中すら見えていない状態だ。
アーノルドが目指すのはこの世の頂点。
誰にも屈する必要がないほどの力。
もしその“力”がエーテル固有のものであるならば、アーノルドには金色と黒、それぞれの力が発現するはず。
だが、未だにその力の本質が何なのかは見えてこない。
この状態になって二年。
二年もの間、アーノルドには何の進化も見られない。
とはいえ、アーノルドの成長速度を考えれば、たかが二年だ。
そもそも大半の者は十歳など良くて従騎士級、悪ければ当然小姓級に過ぎない。
この年齢で大騎士級に至った者などそれこそ歴史上でも一握りほどだろう。
むしろ歴史上に居たのかも定かではないほどの強さだと言っても過言ではない。
だがそんな一般的なことなどアーノルドにとってはどうでもいい。
かつて公爵であるヴォルフレッドが言ったように、理不尽というものはいつ襲いかかってくるのかわからないのだ。
自身が弱いからと、自身よりも弱い者しか敵対してこないわけではない。
現に黒龍との戦いも突発的なものだった。
黒龍は当時のアーノルドが一人で仕留めるには強大すぎる相手。
それはたとえ若龍であろうとも変わりなかった。
もしあの場にクレマンが居なければ……、もしアーノルドだけだったならば……、条件一つ違えば今頃アーノルドは黒龍の腹に収まり、この世の肥料となって還元されていただろう。
それを仕方がないという言葉で済ますのは簡単だ。
何せまだ十歳にすら満たぬ年頃。
訓練を始めてたかが五年弱。
才ある者でもいまのアーノルドの道を辿るには十年、二十年とかかるのが常道だ。
だからこそ周りからすれば焦る必要などないと考えるもの当然のこと。
これだけの年月でそこまでの強さを手に入れられていれば十分だろうと。
天災クラスの理不尽など、それこそ仕方がないことだろうと。
人間には為せることの限界がある、どうしようもないこともあると。
だが、仕方がないなどという言葉で済ませれるならば、アーノルドは今頃こんなところになど立っていない。
その理不尽を許容できるのならば、平民のように泥水を啜り、泥に塗れながら鍛錬に打ち込まず、貴族としての権利を享受し、優雅とも言える生活の中で才ある者としての鍛錬に打ち込んだだろう。
それでも十分アーノルドは“同年代”ならば他を圧する力を有することができたに違いない。
だが、その程度の力には興味がない。
理不尽という究極の横暴を断じて認めることはない。
しかしながらそうは言っても、いまアーノルドは高さの見えぬ壁の前に立っている。
押せども引けども、どれだけ登ろうとも頂の見えぬびくともしない壁の前に。
それが二年ともなると少しばかり焦りも見えてくる。
その末に魔術回路という別なる分野に手を出し、成長を遂げたとはいえ、それでもアーノルドの心が埋まることはなかった。
能力の発現はエーテルの発現同様、何がトリガーとなるのかはわからない。
これをすればわかるなどということがない、まさしく道なき道を進むものだ。
その道が正しいかなど誰にもわからない。
一寸先が見えぬ暗闇を進むかの如く鍛錬するしかないのである。
未だ見えぬ自身のエーテルの能力。
周りにいる者でそれを持っているのは、クレマン、コルドー、シーザーの三人だけ。
各々が別の言葉を使っていたが、能力の発現に必要なのは要約すれば“理解”という言葉に落ち着くだろう。
とはいえ、何を“理解”するのか、どう“理解”するのか、そういった具体的なことは何一つわかりはしない。
言うなれば悟りでも開くような感じか。
各々が各々で見つけるしかないもの。
少なくとも考えてどうにかなるようなものではなさそうであった。
そして英雄とまで言われたバルトラーならばその能力を持っているはず。
ダンケルノ公爵家の騎士達とはできぬ死力を尽くした戦いの最中であれば、その糸口を掴めるやもしれないと。
だからこそアーノルドはバルトラーにそれを出させるために様子見をしながらも出方を窺っていたのだ。
そうこうしているうちにバルトラーの呼吸もわずかながらに回復してきていた。
(流石に老いには勝てませんか……)
普段ならばこれほどの戦いになることもない。
如何に老いたとはいえ技術は健在だ。
そこいらにいる者で大騎士級相当の力を持つ者などそうそういない。
数秒もあれば片がつく。
仮に実力者がいたとしても、経験の差から、そして武具の差からそれほど武器を交えることなく斃せる。
アーノルドとの戦いがこれほど長引くなどバルトラーにとっても想定外であった。
普通の者相手ならばこれほどまで手の内を隠そうとすることもなかっただろう。
だが既に齢七十を超えるバルトラーにとって如何に身体強化があるとはいえ、全盛期のように動くのはそもそも肺の方が持たなかった。
まだまだ動くことに支障はないとはいえ、これだけで息が乱れたのはバルトラーとしても驚きであった。
(それに、あの強さの気配が剣によるものではなく実力によるものとは誤算でした……)
バルトラーは終始あの神剣を警戒していた。
とはいえ、抜きもしていない状態、隙あればアーノルドを倒すつもりではいた。
如何に剣が強かろうとも自身も神槍を持つ者。
互いに神具を持つとなればあとは互いの力量とそれぞれの神具の能力に依る。
だが、アーノルドの個人の能力がバルトラーが思い描いていた数十倍は強かった。
それこそただの純粋な斬り合いならば自身を凌駕するほどに。
現実を現実として受け入れられぬほどの驚嘆が心に浮かんだほどだ。
誰があれほどの若輩に技量で遅れを取るなどと思うものか。
(とはいえ、結果が変わるはずもなし。如何に私の実力が落ちようと、思ったよりも相手の実力が高かろうと、最後に勝つのは私です。私が命じられたことはあの方を跪かせ、邪魔する従者は殺せというもの。私はその命をこの命が潰える最後まで遂行するまで)
バルトラーとて、このままいくらやろうともアーノルドに勝つことが難しいであろうことはわかっている。
既に単純な力量ではアーノルドの方に軍配が上がるだろうと。
目の前の少年はまさしく怪物に匹敵する異形だと認識した。
ごく稀に現れる異質なる者だと。
だがそれでも負けるなどとは微塵も考えていない。
老いて、そして怠惰に過ごし、どれほど力量が落ちていようとも、それら全てを埋めるのが神槍だ。
この槍ある限り、負けるなどとは考えもしない。
バルトラーの懸念は神剣とも呼べる神具のみであった。
神具はまさしく神の御業。
一手で全てをひっくり返せるもの。
それが使えぬとわかった今、最後の懸念も潰えたも同然。
とはいえ、だからといって安易に全力を出すわけにはいかない。
表情を引き締めたバルトラーが改めて槍を構えると、それに反応したかのようにアーノルドの踏み込みが地を鳴らす。
鈍く輝くオーラが残影となりアーノルドの進む道を示す。
だが、それを示す頃にはもうアーノルドはそこにはいない。
バルトラーは瞬時に体を反転させ、その長い槍に遠心力を乗せてアーノルドの剣閃を迎え撃つ。
剣と槍による衝撃が雷鳴の如き音を伴わせ空気を振動させる。
そのまま、バルトラーは中国槍術でいう攔にあたる槍の基本、外側に回転を加えアーノルドの剣を絡め取り、払った。
基本技とも呼べる小手先の技術であるが、基本技であるがゆえにハマると強い。
刹那、体勢を崩されるアーノルドであるが、体幹を駆使してすぐさま立て直す。
だがそこに、騎士がするには外道とも取れる、砂かけと言える攻撃がアーノルドへと飛んでくる。
人間に備わる反射によってアーノルドは目を閉じる。
顔にかかる砂と泥の感触にわずかに顔を顰め、アーノルドは内心舌打ちをした。
どれだけ泥に塗れた経験があろうとも、やはり砂が顔を叩く感触というのは不快なのだ。
その眼が映すのは瞼の裏の暗闇のみであるが、研ぎ澄まされた感覚によってバルトラーの槍が迫るのがわかる。
数多の突きを躱し、薙ぎを往なし、斬りを剣で弾く。
正確に、そしていとも容易く行われたその所業にバルトラーが僅かに目を見開き、そして歯噛みした。
砂かけというのは下策も下策。
騎士としては詰られ、罵倒され、不名誉者の烙印を押されることは間違いない。
とはいえ、そんなことは小綺麗な戦いしか知らぬ最近の騎士達の戯言。
戦争を経験したバルトラーに言わせればそんなことなどどうでもいい。
それにバルトラーにとってそんな名誉などハイルの命に比べれば微々たるものだ。
子供相手に使うものでなかろうともそれで命令が遂行できるのならばそれを使うことに躊躇いはない。
とはいえ、やるならばその一撃で決めなければならない。
なぜならば、アーノルドが怒れば、それこそその時点でハイルを殺される可能性もある。
他の騎士達をハイルの命令で殺したが故にいまハイルを守る者はいない。
それこそコルドーとパラクのどちらであっても容易くハイルを屠れるだろう。
だが、それは恐らくないと踏んでいた。
アーノルドはこの程度で怒ることはないと。
アーノルドは良くも悪くも戦いに対して貪欲で真摯だ。
それはこの短い戦いの中でも感じていた。
どんな攻撃であろうとも卑怯などとは言うまいと。
だがそれでも周りの者はそうはいかない。
騎士として生きている者たちにとって先ほどの攻撃は侮辱以外の何物でもない。
激昂し、バルトラーに襲いかかってくるのならばまだいい。
だがハイルに襲い掛かられてはまずい。
だからこそ、アーノルドを動けぬくらいに押さえつけ、人質に取るのが最善の策。
それこそがバルトラーがハイルの命令を遂行しつつも、ハイルの命を救う道。
ここぞという場面でしたはずであった。
小綺麗な戦術しか教えられていなければ対処できないだろうと。
そうでなくとも、まだ若き身ゆえにそこまでの蛮行に対処できるほどの鍛錬を積んでいないだろうと。
それに奥の手——つまりは槍の能力をアーノルド相手に出すこともできれば避けたいのだ。
バルトラーにとってアーノルドの戦いなど前哨戦という認識に過ぎなかった。
ハイルもよくする強者に見張られながらするただの八百長戦。
そういったものだと。
今でこそその認識は改められているが、どの道ここでアーノルドを倒したからと戦い全てが終わるとも思っていない。
それゆえ手の内を全て明かすなど自殺行為。
だからこそアーノルドを仕留めるのは槍術だけに頼るのが最善。
技量で遅れを取ろうとも経験でカバーすれば良いと。
だが信じられぬことにアーノルドは目を瞑ったままでバルトラーの攻撃を簡単に捌き切った。
ある程度の領域に達した武人にとっては為せることだろう。
だがそれを年端もいかぬアーノルドが出来るなどと誰が想像できようか。
この歳でそこまでの技量を持っていることに、バルトラーは敵ながら身が震えるほどの感動と悍ましいほどの畏敬を覚えた。
そしてアーノルドのあまりの揺るがなさにバルトラーももはやここまでかと悟る。
だが簡単にとバルトラーは捉えているが、アーノルドからすればそれほど簡単なことではなかった。
(……流石にヒヤヒヤものだな。クレマンとの鍛錬で慣れていなければ流石にこのクラスの実力者の攻撃を捌くのはきつかったな)
そこいらの騎士級程度の攻撃ならば終始目を瞑っていようともアーノルドは圧倒できるだろう。
だが目の前にいるのは大騎士級の実力を備えた掛け値なしの英雄クラスだ。
その一撃が地を砕き、風を起こす。
目を開けていようとも鋭いと思える一閃を目を瞑った状態で正確に受けるのは流石にアーノルドといえど神経を削る作業だった。
何せこれは訓練ではない。
たった一つのミスで簡単にその命が散ることになる。
攻撃が止み、バルトラーから少し離れたが故にアーノルドは目元を拭い、その瞼を上げた。
視界に入るのは槍の石突を地につけ、達観しているかのような表情を浮かべるバルトラー。
喋る様子も、攻撃を仕掛けてくる気配もないバルトラーに声をかける。
「……わかっただろう? もはやそんな小手先の技などきかん。さっさと『能力』を出せ」
エーテル固有の能力を一般的に『能力』と言うが、正直アーノルドはこの言い方が気に入らなかった。
まるで自身の能力ではなく誰かに与えられたかのような言い方。
現に、その言葉の由来は神からの贈り物という意味で付けられたそうだ。
だからこそアーノルドの表情はわずかながらに不機嫌さを滲ませている。
「『能力』……ですか。なるほど、貴方はそれを私に期待していたわけですか。しかし、申し訳ありませんが——私にはそのような力などありません」
「……なんだと?」
自嘲とも取れる笑みを浮かべて頑然と言い放ったバルトラーのその言葉にアーノルドは眉を顰める。
バルトラーが『能力』を使えることに疑いなど持っていなかった。
「私が使えるのはこの槍の力。この槍の力こそが私の力。それゆえ神は私に『能力』をお与えにならなかったのかもしれませんね。既にこの手にあるのだからと」
バルトラーはそう言うと自身の手に持つ『ガラジュボルン』の切っ先を突き出した。
「……くだらぬな」
アーノルドは数瞬の無言の後、嫌忌を滲ませそう溢した。
「ただの武具頼りの老人でさぞや失望——」
「そうではない」
アーノルドは言葉に呆れを伴わせて首を振る。
バルトラーがアーノルドの言葉を非難の言葉と捉えていることは見てとれた。
バルトラーの真の実力を引き摺り出すためにわざわざここまで引き延ばしたというのに、蓋を開ければバルトラーは『能力』を使えぬ神槍頼りの三流だったかと。
もちろん神槍が無くともバルトラーの実力が大騎士級に及ぶことには違いないが、アーノルドの異常なまでの強さからすれば、ただ武具によって上げられた実力など認めないだろうと。
だがアーノルドはそんな理由でくだらぬと言ったわけではない。
「『能力』がいるとも知れぬ神の贈り物などと言ったことに対してだ。自らの力は自らで得るもの。神からの贈り物などと期待している者が得られぬなど当然のことだ」
アーノルドは、バルトラーが実際これまでどう思いながら鍛錬していたのかは知らない。
ただ鍛錬の末に得ることができなかった『能力』という力を神槍を得たがため、と自己弁護しただけなのかもしれない。
だがどちらにせよその心の弱さは頂けない。
アーノルドとて実際問題、『能力』に関して真実など知らない。
事実、神からの贈り物ということもあるだろう。
だが少なくとも、アーノルドはいま手にしている力が他者からの力などと思うつもりはない。
いま持つ力はすべて自身の鍛錬の末に手に入れたもの。
神からの贈り物などとくだらぬと断じる。
「……信心深くはないのですね」
「はっ、神に祈って応えてくれるのか?」
アーノルドの自嘲すら伴った言葉に対する返答は槍による攻撃であった。
だがそれは鋭くもなく、ただ力が込められただけの鈍重な一撃。
アーノルドは僅かに後退を強いられ、バルトラーを怪訝な目付きで睨む。
「この槍こそが神の応えです」
そう答えるバルトラーの瞳には有無を言わさぬものが宿っていた。
狂信者というわけではない。
アーノルドが否定しようともバルトラーは何も言わないだろう。
だがどれだけ否定しようともバルトラーの中の答えが覆ることはないとわからせる瞳であった。
バルトラーにとってその槍はまさしく神の存在を信じるほど自身の人生を変えたものなのだろう。
とはいえ、アーノルドとて頭ごなしに神の存在を否定するわけではない。
むしろどちらかと言えば“いる”という方に傾くだろう。
だが、神がいようがいまいがどうでもいいだけだ。
——神に縋ることだけはないのだから。
「そうか……ならば、もはや戦いを引き延ばす意味もないということだな」
『能力』が使えぬのならばもはやこれ以上待つ必要もない。
バルトラーを圧し、ハイルを殺すのみ。
無駄な時間を過ごしたとアーノルドは抑えていた闘気とも殺意とも呼べる何かを発露させる。
だがその言葉にバルトラーは僅かに笑みを浮かべる。
「それは早計やもしれませんよ」
そう呟くと、バルトラーは地面が陥没するほど脚に力を込めた。
そしてアーノルドが動くよりも早く猛進してくる。
今までと何も変わらぬ何気ない槍の一振り。
アーノルドは少しばかり速度が増しただけのバルトラーの一撃をつまらなさそうに剣で受けようとし——刹那、身を捻った。
「ッチ……‼︎」
槍の切っ先がアーノルドの髪先を掠める。
「ほう、流石ですね。極限まで薄くしたつもりでした、がッ‼︎」
アーノルドは再び迫る槍から逃れるようにすぐさまバルトラーから距離を取る。
おそらくいまの攻撃を受けていれば、剣が斬り裂かれ、アーノルドは真っ二つになっていた。
そういった予知とも言える何かが働き、アーノルドに咄嗟に避けることを選択させた。
離れたアーノルドは警戒をそのままに前髪の毛先に触れた。
槍の刃先が僅かながらに当たったことで切れた髪。
触るとまるで石化でもしているかのようにパラパラと崩れ落ちた。
(あの槍の能力か……? 触れるのはやはりまずい、か)
直感とも呼べるもの。
警戒をしていなかったわけではない。
あの槍が神槍であると分かった時点で何らかの能力を有していることは確実だ。
だが、これまで使わなかったこと、そして自ら神槍という情報を明かしてきたことから能動ではなく受動な能力だと思っていた。
特にあの槍に接したときには僅かながら違和感があった。
常時発動型の神具。
その能力の一端が武器破壊という結果を齎すのだろうと。
が、その考えもいまの一撃で覆された。
(……この剣も相変わらず抜ける気配はないな)
神具との戦いであるならば抜ける可能性もあるかと思ったが、相も変わらず腰に在るだけの神剣はその剣身を露わにしようとはしない。
抜き時ではないのか、はたまた本当に役目を終えたということなのか。
とはいえ、アーノルドとて武器に頼って戦うつもりなどない。
それでは意味がない。
アーノルドは改めて黒剣を構える。
バルトラーも両手で改めてその手に持つ必殺の槍を構え、アーノルドにとっては不吉ともいえるオーラをその槍に漂わせていた。
初手を外せばもはや隠す意味もないとでも言わんばかりにそのオーラの量は甚大だ。
それにバルトラーの表情にも自信の文字しか浮かんでいない。
アーノルドとてもはや迂闊には踏み込めない。
バルトラーの槍の能力は未だに未知数だ。
それにバルトラーが『能力』を使えぬという言葉も本当かどうかなどわからない。
槍の力とそれとわからぬように『能力』を使ってくるかもしれない。
だが、ここからが本番。
アーノルドは僅かに口角を上げた。
両者が醸す雰囲気はそれこそ決戦の前、張り裂けそうなほど濃密な空気が支配していた。
――∇∇――
「はっ、貴様らの主人がこの俺様の前に跪く時も近そうだな。助けに行かなくていいのか?」
離れたところからバルトラーのオーラが立ち昇るのを見ていたハイルは嬉しげな口調と見下すような視線をパラクとコルドーに向けた。
バルトラーの力を誰よりも知っているのがこのハイルなのだ。
だからこそ、力を発揮したバルトラーがどれほど強いのかを知っている。
嘗て一度だけ相見えたことがある自身の血の源である皇族達。
目も合わせられず、ただただ圧倒された怪物達。
だがバルトラーならばその者達にも劣らぬ——いや、勝てると妄信している。
それゆえ、たかが同年代のアーノルドごときに負けるなどとは毛頭考えない。
それに自身でも為せぬことを下郎如きが為せるなずもないというのがハイルの思考だ。
これまでの壮烈なる戦いを目にしようともハイルの中ではアーノルドの実力は自身よりも下に設定されている。
その血に流れる高潔さこそが、そしてその者が認めた者こそがこの世を統べるものだと
だがパラクとコルドーは当然そんなことは思っていない。
アーノルドのことをよく知っているのもまたこのパラクとコルドーである。
どれほどの逆境を跳ね除けてきたのかも知っている。
神具との戦いは確かに初めてであるし、それを持つのがたとえ英雄と呼ばれし者だとしても、その程度で簡単にやられる程アーノルドは柔ではないと。
それにアーノルドにもまだ奥の手はある。
助けに行くなど考える必要もない。
だからこそパラクもコルドーもハイルの言葉を無視する。
話す価値もない相手と雑談に興じるほど酔狂な趣味は持っていなかった。
それに対して無視されたとハイルは僅かに顔を顰めたが、だがそれでも従者如きが自身に話しかけてくることをわざわざ許可したかのように振る舞うのも認められないことであったため鼻を鳴らすだけに留めた。
「しかし馬鹿な奴よ。たかが下郎如きが爺に挑むとはな。身の程を弁えん奴の考えというものはわからんな」
そう言いクツクツと嗤うハイルにパラクとコルドーは内心ため息を吐いていた。
どの口が言うと。
だがたしかに勝負としてはアーノルドが絶対に勝てるなどという保証はないだろう。
英雄クラスとの命を賭けた対人戦など初めてだ。
だが、所詮は英雄クラスの敵。
クレマン程ではない。
今更アーノルドがその程度の格相手に怖気づく心配はしていない。
とはいえ、ハイルがずっと言っていたことを信じるならばあの槍は神具の槍。
神槍という力を前にどれほど苦戦するのかはわからない。
それが唯一の懸念事項だろう。
コルドーとパラクも神具がどれほどのものなのかは知らないのだ。
だが、何かあろうとも隠密達がアーノルドについている。
ならば、コルドーとパラクが為すのはハイルの見張りという任務だけ。
それにバルトラーとアーノルドの醸す雰囲気が一段階変わったのを感じ取っていた。
戦いはこれからだと。
何せ神具が齎す威圧感がコルドーとパラクのいるところまで届いてくるのだから。
だがそれでもコルドーとパラクはアーノルドの勝利を微塵たりとも疑ってはいない。
アーノルドは常に格上との戦いで勝利してきている。
今更老いた過去の遺物如きに遅れを取るなどとは思っていない。
精々主君の良い糧になることを祈るだけだ。
これもまた“いつも”のことと。
――∇∇――
——仕掛けたのはバルトラーが先。
先ほどまで自身の懐に入られぬようにしていた立ち回りとは真逆。
攻め一辺倒ともいえるほど大胆な踏み込みを見せる。
アーノルドが動こうとして刹那、その足がもたつく。
明らかに外的なもの。
内心驚愕を露わにし、舌打ち一つするが、考える時間すらない。
すぐそこにアーノルドを排しようとする槍が迫りくる。
剣で受ければ間に合うだろう。
だがその選択肢はない。
とはいえ避けるのももう間に合わない。
そのため本日二度目の時間魔法の発動を余儀なくされる。
「クッ……‼︎」
それによりアーノルドは間一髪難を逃れるが、バルトラーの猛攻は止まらない。
先ほどまでとは別人かのような鬼の如き威風がアーノルドへと襲いかかる。
受けてはならぬという条件に加え、槍のリーチの長さによる懐への入りにくさがアーノルドに防勢を迫らせていた。
「動き、の制限……いや、感じぬ何かによるッ、妨害か。それか、事物への干渉、とでもいった力か……?」
アーノルドは冷静に迫りくる槍を躱しながら、そう分析した。
それに対してバルトラーが僅かに苦笑を浮かべる。
「たったこれだけの短い時間でよくぞそこまで……、とはいえ——その程度だと思ってもらっては困ります、ね!」
アーノルドの顔目掛けて寸勁の如く放たれた亜音速の刺突。
アーノルドは僅かに顔を逸らすことで躱す。
時が止まったかのような両者の刹那の硬直。
アーノルドは即座に動き、その槍に沿って行くかのようにバルトラーに迫らんとする。
だが——
「——それは罷り通りませんよ」
バルトラーがそう呟くと、アーノルドの体が槍へ吸い寄せられるかのように大きく体勢を崩した。
「なっ⁈」
アーノルドは驚愕の声を漏らしつつ、倒れる体を足で踏ん張る。
そこに迫りくる凶刃。
すぐさまアーノルドは自らをその場から飛ばすために上位に相当する風魔法を自身に放ち、それと同時に槍に向けて水弾を放った。
それを見たバルトラーは僅かに瞠目した。
(二重魔法。それも無詠唱とは……まったくどこまでも化け物ですね……。ですが)
剣術だけでも熟兵のそれであるのに魔法までとはと末恐ろしさまで抱いたが、それでもバルトラーは焦ることなく、ただそのまま槍を振るう。
所詮そんな魔法、神槍の前には無価値だと。
それを表すかのように、驚くことになったのはアーノルドの方である。
風魔法はアーノルドをその場から飛ばすどころか現状維持、水魔法は槍に迫ると蒸発したかのように消え失せた。
それを認識したときには既にバルトラーの穂先がアーノルドに届かん位置であった。
もはや避ける手段などない必中の間合い——
「チッ……‼︎」
そして無情にもその槍は暴風を齎しながら颯爽と振り抜かれた。
風が吹き荒れ、空気を切り裂いた一撃によってその空間にあった失った空気を取り戻すためか砂塵を巻き起こす。
槍を振り終えたバルトラーは槍を引き戻し、嘆息しながらも内心感嘆した。
「……ほう、必殺の間合いだと思いましたが、今のも避けますか。その歳で歴戦の猛将達よりも強いとは」
そう呟くバルトラーの持つ槍の鋒には僅かに血がついている。
確かに過去、いまの一連の技を避けた者もいた。
だがそれはバルトラーの力を知っていたがゆえ。
また多対一であったがゆえだ。
アーノルドがそれらの情報を知っていたのかは知らないが、それでも今までの言動からバルトラーの槍の力までは知らなさそうであった。
となれば、初見で避けたということ。
まさしく驚嘆に値する強さであろう。
高く見積もっていた実力を更に上方修正するほどに。
とはいえ、バルトラーの顔に避けられたゆえの焦りはない。
所詮バルトラーにとってまだまだ出せる手札は多い。
それにタダでは当たらぬ攻撃でも必中にする方法など山ほどある。
しかもいまのアーノルドの状態を見れば焦りがないのは然もありなんだ。
アーノルドは息を乱し、その顔に冷や汗を浮かべている状態である。
「……その状態、私の攻撃でなったとは思えませんが……、魔法、ということでしょうか? しかしあの状況から逃れられる魔法など私の知りうる限り思い浮かびませんが」
ポタポタと液体が滴る音。
その発生源はアーノルドの左腕だ。
槍が迫る刹那に、移動魔法を行使したことによる代償。
確かに少しでも判断が遅れていれば死んでいただろう。
移動魔法にて少し後方に自身の体を移動させたのは英断だった。
だが、命を救った代償は左腕が二重三重にと捻れている状態。
移動魔法を正確に発動できなかったがゆえに、時空が捩れ腕を不完全な状態で転移された。
一歩間違えていればそれこそ自身の魔法で体全体が捩れ死んでいただろう。
だがあの状態から抜け出すにはこれしかなかった。
先の魔法試験で試していなければ、それこそ死んでいたかもしれない。
時間魔法であっても間に合いはしなかっただろう。
何せ、僅かに掠ったバルトラーの槍が頬をまるで乾いた砂漠かのようにひび割れさせている。
「なかなか……、厄介な能力だな」
万感の思いが込められた言葉。
行動の自由が奪われ、強制的に槍に近づけさせられた。
それも何の予兆もなく行われるため、対処が難しい。
それに加え、あの槍。
今回は掠っただけなので大したことはないが、逆を言えば掠っただけで、アーノルドの頬はひび割れたかのようになっているのだ。
直撃すれば、それこそ必殺の一撃だろう。
とはいえ、これまで隠していたということはそう長くは発動できないということか、それとも発動条件のようなものでもあるのか、常時発動するには何らかの負担があることが窺えた。
アーノルドが頬に一筋の汗が滴りそう考える中、バルトラーが余裕ともいえる表情で問いかける。
「あの間合いからどうやって避けたのかも気にはなりますが……、今度は私が聞きましょう。奥の手はありますか?」
先ほどとは真逆、どちらが優勢かわかるでしょうとでも言わん声色。
降伏でも迫らん勢いだ。
流石は英雄と言うべきか、たった数手で状況をひっくり返した。
誰がどう見てもいま優勢なのはバルトラーだ。
遠く離れたハイルもまた歓喜の笑みを浮かべている。
いまの状況になりバルトラーの心に浮かぶのは安堵というものが一番近い。
底見えぬ少年ではあったが、こうなればもはや負けることはないと。
神剣こそ使えぬと判明したが、それでも一抹の不安がバルトラーの中にはあった。
何せ神槍と分かろうともあれほどの落ち着き具合。
それこそ奥の手の一つくらい持っていてもおかしくはないし、ダンケルノともなれば神具を二つ持っていてもおかしくはない。
だが腕一本が使えない状況で負けるほどバルトラーも落ちぶれてはいない。
少なくとも、自身の槍の力を以てすればアーノルドが少しばかり強くなった程度ではもう勝敗は覆らないだろうと。
周りの騎士の中に治癒魔法が使える者がいるかもしれないいま、その隙を与えるほど甘くもない。
バルトラーは槍を構えた。
とはいえ、これもまたアーノルドにとっては想定内。
そもそも求めていたのはこうした死力を尽くした戦いだ。
しからば、アーノルドの顔に浮かぶは畏怖などではなく、狂喜の笑みだ。
「奥の手か。そう逸るな。これからが楽しいところだろう?」
左腕は完全に使い物にならなく満身創痍。
にもかかわらず、笑みを浮かべるその様子はバルトラーをして狂気と言わざるとえなかった。
その笑みに引きずられたかのようにバルトラーが動く。
だがそれはバルトラーが動いたというよりはアーノルドに動かされた猛進。
意志に沿っていないがゆえかその動きは精細に欠けていた。
「——おい……、なんだその動きは?」
今までにないほど硬く暗い声色。
そしてアーノルドはバルトラーに対して“黒い”オーラブレイドを放つ。
先ほどまでの黒く燻んだ金色とは違い、本能から畏怖を齎す黒き斬撃。
バルトラーは足を止め、その一撃を受けた。
「くっ⁉︎」
黒い一斬はバルトラーの槍の柄に当たり、軋ませながらも往なし虚空へと弾き飛ばした。
“予想外”の出来事に刹那、唖然とするバルトラー。
コンマ数秒であれ、それはこの領域の戦いでは形勢がひっくり返るほどの隙になりうる。
「——どうした英雄? 動きが止まっているが、そこまで余裕があるのか? 失望させてくれるなよ?」
それが聞こえてきたのはバルトラーの懐からだった。
咄嗟に槍を振るい、幾ばくかの刺突を放つ。
当てるというよりは引き離す目的。
だがアーノルドはそんな槍の雨をスルスルと縫うように躱す。
(くっ、素早い……だが、捉えたッ‼︎)
躱しながら徐々に迫るアーノルドの一瞬の隙を捉え、放った超速の刺突。
槍が放たれ、退けた空間にあった空気が圧縮されたかのように荒れ狂うが——そこにアーノルドの姿はなかった。
その代わりに聞こえるは体内からのグシャリという不快音。
「ぐッ‼︎ ガハッ……‼︎」
肝臓部への痛烈な痛み、そしてその衝撃によってバルトラーは吹き飛ばされる。
数メートル吹き飛びゴロゴロと地面を転がるが、その手に持つ槍は手放していないのは流石と言うべきか。
「たった少し優勢になった程度で油断するとは、長く戦場から離れればそうも落ちぶれるか?」
バルトラーに叩き込まれたのは剣ではなく“拳打”による一撃。
とはいえ、クレマンに仕込まれている拳打だ。
並大抵の一撃とは訳が違う。
バルトラーは痛みに嘔吐く中、先ほどの攻撃の不可解さに頭が混乱していた。
剣を握るのは右手だ。
ならばどうやって殴られたのかと。
そしてアーノルドを見て瞠目した。
アーノルドの捻れた左腕とひび割れていた頬が治っていたのだ。
「ち、治癒魔法まで、使えるの、ですか……⁈」
周りの騎士達に治癒魔法を使わせる隙は与えなかった。
バルトラーが引き離そうと攻撃していたときにもまだ頬がひび割れているのは確認している。
となれば使ったのはバルトラーを殴る直前、それもアーノルド自身によるもの。
魔法を使えることは確認していたが、それでも希少ともいえる治癒魔法まで使えるとは思ってもいなかった。
だが、バルトラーは魔法と考えているが実際には治癒魔法ではない。
とはいえアーノルドもその間違いを修正するつもりはなかった。
だがバルトラーにとってはそれすらどうでも良いことだ。
バルトラーが内心それよりも驚いていたのは、アーノルドの『オーラブレイド』を往なさざるをえなかったことだ。
今回の攻撃を喰らう要因となった最たるもの。
本来ならばバルトラーに足を止めて攻撃を迎え撃つという選択肢などなかったはずなのだ。
触れるもの、近づくもの全てを呑み込み、消し去る神の槍。
それはどんな攻撃であろうと、武器であろうと、人であろうと例外ではない。
バルトラー個人に攻撃を当てぬ限り、槍がどんなものであろうとも消す。
正確には経年劣化による風化といった現象を強制的に起こさせる能力だ。
それに加え、この槍には風による引力ともいえる力も備わっている。
遠くからの攻撃は槍によって難なく防げ、近くの戦いであろうとも槍による引力で強制的に体勢を崩させ屠ることができる。
並大抵の者では立つことすら叶わぬ槍の力だ。
だからこそバルトラーは戦場の中、一人でも戦えた。
鬼神の如く槍を振り回し、誰であろうとも立つことすら赦さず、近づかせなかったがために。
にもかかわらずアーノルドの攻撃は槍の力で消し去れなかった。
これまで一度たりともこんなことは起こらなかった。
いつまでも残り続ける技などない。
それこそ『オーラブレイド』など持って数分の命。
槍がその命を消すのなど武具よりも容易い時間だ。
となれば考えられるはアーノルドの『能力』。
たかが個人の力が神の力を上回ったという事実。
それに“色”が違うというのもまた頭を混乱させる。
これまでとは明らかに違う漆黒の黒。
武具によってオーラの色が染まる現象を半端に知っているバルトラーはあの黒剣による能力かと思いを抱いた。
だがそれでも納得するには及ばない。
神具でもないただの剣のはず。
一体どんな素材を使えば、神具すらも上回る魔剣とも言える剣を作れるのかと。
バルトラーは腹部に走る尋常ではない痛みに喘ぎながらもすぐに立ち上がった。
戦いの最中、痛みで止まることは死を意味することを誰よりもわかっている。
今更臓物の一つが潰れた程度で蹲ることなどない。
とはいえ、もう先ほどまでのような動きは為せないだろう。
たった一つのミスが命取りになる。
それが戦場だ。
それを誰よりもわかっていたはずのバルトラーが思考を止めたのは一体どれほどの衝撃であったか。
「仕方が、ありませんね……」
そう呟くと、バルトラーは槍を今までにないほど低く構えた。
まるで這う蜘蛛の如く低頭で挺身。
口端から血を流しながらも、その動きに陰りは見えない。
バルトラーは本当に『能力』を使うことができない。
だが如何に『能力』が使えぬとも、バルトラーにはこの槍がある。
そしてその槍の刃とそして前方にある窪みからオーラが湧き出て、それが周囲の空気を乱すことでさながら小さな竜巻のようなものを造り出していた。
そして視認できるほどの空間の歪みが露わになり、吹き出るオーラが空間に耳朶を打つ。
少し離れたところにいるアーノルドですら気を抜けば吸い込まれそうになるほどの狂風がその場に荒れ狂う。
人が創り出すにしては過ぎたる光景がアーノルドの眼前に広がっていると言えるだろう。
だがアーノルドの心にそれほどまでの驚きはない。
この程度は“今更”だ。
魔物達が生み出す攻撃、そして荒れ狂う自然という猛威を幾度となく目にしてきたのだから。
アーノルドの周囲にある拳大くらいの石が宙に浮き、バルトラーの槍へと向かうのをアーノルドは顔を動かさず目で追った。
残り一メートル付近になった瞬間、その石が歪んだ空間に入るや否やまるで圧され風化したかのように一瞬で崩れ去った。
(引力と風化……急速な時間経過による劣化とでもいうところか)
槍に吸い込まれる周囲の物体を見ながらそんなことを考えていると、バルトラーから声をかけられる。
「私が持ち得る最大限の攻撃です。もし……この攻撃で貴方様を倒すことができたならば、ハイル様だけでも無事に帰すということをお約束願えませんでしょうか?」
バルトラーはハイルの命を果たすつもりだ。
だがハイルの命を果たすことと現実逃避をすることは違う。
いくらここでアーノルドを倒し、ハイルの前に跪かせようと、ハイルに未来はないことは確実だ。
少なくともバルトラーがここでアーノルドを殺せばそれこそ他の騎士達がハイルを殺さない理由などなくなる。
主人を殺され、そのまま去る騎士などいないだろう。
少なくとも逆の立場なら、バルトラーとて自身の命を賭けてでもアーノルドを殺そうとすることは間違いない。
いまから行使する技を放った後に他の者達を相手にするのはもはや無理だ。
それほどまでに先ほどのアーノルドの一撃はバルトラーの体を貫いて余りあるダメージを負わせた。
アーノルドを生け捕りにする。
それこそがハイル生存の唯一の道だった。
だが今から放つ技は抑えが効かぬもの。
放てば高確率で殺してしまうもの。
だがこの技以外にアーノルドに確勝できる道はない。
だからこそアーノルドを殺した後の保証が欲しい。
後に残された騎士達がハイルを殺さないという保証が。
だがバルトラーの言葉自体は何とも都合の良い言葉だ。
アーノルドがそれを聞き入れるメリットなど何一つない。
それを表すかのようにアーノルドの表情は不快げに歪んでいる。
いまのアーノルドの表情からはとてもバルトラーの言葉を承諾するとは思えなかった。
だがどうにかして承諾させなければならないのだ。
バルトラーにとってここはもはや死地。
一瞬の気の緩みが招いた、致命傷にも近い傷。
勝とうが負けようが生き残るなどとは考えていない。
それはどう足掻こうとも変わらないだろう。
主君であるアーノルドがこれほどの実力を有しているということはそれを守る騎士達の実力は如何程か。
考えるまでもない。
手負いの自分一人がハイルを守りながら退けられるほど甘くはないだろう。
少しでもダンケルノ公爵家の騎士達が凡俗と考えていた自身の浅慮を嘆きたい気分であった。
だがそれでもハイルの命だけは救わなければならない。
だからこそアーノルドを説得するための言葉が頭を駆け巡り、次なる言葉を紡ごうとするが——
「——好きにしろ」
その吐き捨てたかのような予想外の言葉に一瞬、バルトラーは言葉を失う。
それを知ってか知らずかアーノルドは淡々と続ける。
「私に勝てたならば好きにすればいい。死んだ後になど興味もない」
本当に興味がなさそうに言い捨てられた言葉。
アーノルドにとって重要なのはいま、そしてアーノルドが生きて掴む未来だ。
負けて死んだ後のことなどどうでもいい。
その約束が果たされるか否かはともかく、少なくともアーノルドがハイルを殺せるはずもなし。
臣下や配下のことなどアーノルドの知ったことではない。
アーノルドが死んだ時点で——否、生きている今であっても臣下達は自由だ。
アーノルドが縛るつもりはない。
「そう、ですか。ならばこの一撃に全てを賭けましょう。戦争を終わらせたと言っても過言ではない一撃」
そう言うとバルトラーは大きく後ろへと飛び退いた。
そして先ほどの比ではないオーラが、そして狂風が荒れ狂う。
「止めれるものならば——止めてみなさい‼︎」




