表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/115

13話

 もはやいつ戦闘が開始してもおかしくはない異様なる雰囲気。


 だがそれに水を差すような雑味が含まれていた。


 その雑味がいまだバルトラーとアーノルドの戦いを阻害している。


 要は、バルトラーはハイルから離れられないのだ。


 アーノルドと戦っている間にコルドーとパラクがハイルを殺さぬかと。


 アーノルドはその様を見てため息を吐いた。


「場所を移動するぞ」


 付いてこいとその態度で示す。


 せっかくの機会、ただの凡庸に成り果てたバルトラーとやるつもりはなかった。


 だが当然ながらそう言われた程度でバルトラーは動かない——否、動けない。


 ハイルを置いてなどいけるわけがないのだから。


「……安心しろ。そいつを殺すのは貴様を倒してからだ。それとも——今すぐにでも殺されたいか?」


 今すぐにでもハイル程度殺すことができるぞという殺気すら孕んだ威圧。


 現にそれをやることは容易だ。


 いまこの場の主導権を持っているのは明らかにアーノルドの方だ。


 バルトラーもそれをわかっているのか構えを解き、アーノルドが歩む方へとついてくる。


 拒んだところで待っているのはハイルの死という結末だけ。


 その情景がありありと浮かぶ。


 ならば、目の前の何を考えているかもよく分からない少年に付いていくことこそがここでは最善だろうと。


 だが、それをわかっていない者も一人。


「バルトラー‼︎ 何をしている! 隙だらけなのだ、さっさと倒さぬか‼︎」


 確かにアーノルドはいまバルトラーに背を向ける形で歩いている。


 だがそれが隙だらけかと問われれば、答えは否である。


 隙など微塵たりとも存在しない。


 いますぐバルトラーが仕掛けようとも返す刃がバルトラーへと襲いかかるだろう。


 そしてその瞬間、いま保っている均衡すらも壊れ、数多の刃がハイルへと襲いかかるだろう。


 戦いすらも侮辱した愚か者への報復とばかりに。


 既にこの場を切り抜けるには正当なる手段を以てアーノルドを撃破する以外にない。


 それ以外はハイルを守る戦いになるのだから。


「ハイル様、爺に、この爺にお任せください」


 バルトラーは静かなる決意すら孕んだ声でそうハイルへと告げた。


 その言葉にハイルはふんと鼻を鳴らすも、それ以上何も言うことはなかった。


 ハイルにとってバルトラーはそれだけ信頼に値するのだろう。


 たしかにこれほどの実力があれば大抵の者は屠れる。


 だが、そうやって屠ってきたからこそあれほど傲慢なる者ができあがったとも言える。


 人間は痛い目にあって初めて、それに対して考え、臆するようになる。


 だが、いまだ痛い目にあったことがないハイルには自身が害される想像すらできないのだろう。


 その痛い目が死ということも往々にしてあるのだから救いようがない。


「この辺りでいいだろう」


 アーノルドはハイルから数百メートル離れた位置で立ち止まった。


 この程度の距離ならば正直に言えばまだ巻き込まれる可能性は十分にある。


 だが、そこまでの配慮をするつもりもない。


 巻き込まれて死ぬならばそれまで。


「……ご配慮には感謝申し上げます」


 警戒は解いてはいないが、本当にコルドーやパラク達がこの間にハイルを殺さないというのならばバルトラーからすればこの上なくやりやすくなったと言える。


 守る者がいれば力を十全に発揮することなどできようはずもない。


 だが正直、バルトラーはアーノルドの意図がよくわからなかった。


 なぜアーノルドが戦うのか。


 そもそもコルドーとパラクはこの場に付いてきてすらいない。


 とはいえ、バルトラーも先ほどの黒服達のことは見ている。


 当然アーノルドを守るように控えているのだろうとは思っているが、なぜそこまでの危険を冒してまでアーノルドが戦うのか。


 そしてそれを周りが許容しているのか。


 それを許容するならば何のための護衛の騎士なのか。


 バルトラーには全くもって理解できなかった。


 普通の貴族の有り様とはあまりにもかけ離れている。


 それゆえ先ほどの感謝の言葉にはバルトラーの心情を表すかのように探るような声色が含まれていた。


 アーノルドはもはや聞き飽きたと言わんばかりにその言葉に孕まれた意図を無視し、あくまでもバルトラーの言葉に対してだけ返答する。 


「勘違いするな。あんな屑に配慮したわけではない。ただ戦いの邪魔をされる可能性を潰しただけだ」


 目の前のバルトラーは戦いの最中であろうとハイルから命が下ればそれを優先するだろう。


 あのハイルならば戦いの最中であろうと要らぬことを口走るのは目に見えている。


 それはコンマ一秒を争うような領域では命を奪うのに十分すぎる隙となりうる。


 アーノルドはそんなくだらぬ結末を望みはしない。


 アーノルドが望むのは自身の糧となりえる戦いだ。


 死力を尽くし、その末に打ち破るような。


 訓練で自身よりも格上と戦うことはあれど、本当の意味での戦いにはなりえない。


 死すら覚悟した一戦でなければ得れないものもあるのだ。


 そういう意味ではアーノルドも、もう十分イカれている。


 成長のためならば容赦なく死の道を選ぶ。


 それが常道ともなれば、常人よりも遥かに成長するのもまた頷けるもの。


 とはいえ、それだけで埋められるほどこの世界の力は甘いものではないのであるが——


 そうこうしているとバルトラーがその手にもつ愛槍を構えた。


 アーノルドもそれに呼応するようにその手にもつ剣を構える。


 そしてアーノルドの口角が知らず知らずのうちに上がっていく。


 ダンケルノ公爵家にも槍を扱う者は当然いる。


 だが、その者とやり合うことができるかと問われるとそういうわけでもない。


 レイ陣営、ザオルグ陣営、公爵に忠義を尽くす者、そういった者と訓練することは容易くない。


 それゆえ目の前にいるほどの槍の名手とやり合うのは言ってみれば初めてである。


 槍と剣、どちらにもメリットデメリットがあるが、何よりも槍の良い点はそのリーチの長さだろう。


 懐に入れなければ白兵戦では無類の強さを誇る。


 だがそれも、通常の世界の話。


 この世界には魔法があり、斬撃を飛ばすことができる者までいる。


 それゆえある程度上の領域ともなれば槍のメリットは薄くなる。


 それが昨今、槍やその他の武器が廃れた理由とも言える。


 だが——これは順序があべこべなのだ。


 上の領域の者にとって槍のメリットは確かに薄くなるが、その程度のメリットが消えた程度で揺らぐはずもない。


 所詮そんなものは下の者達が騒いでいるだけ。


 槍であろうと剣であろうと、なんなら弓であろうと、名手は名手たり得るだけの理由がある。


 それを知らぬ者が剣こそが最良の武器だと騒ぎ、若年層が剣を手に取り未熟な槍やその他の武具の使い手を打ち破ったがゆえに剣が根付いただけだ。


 だがいま目の前にいるのはそれすらない時分、槍で登り詰めた英雄だ。


 一人の武人として胸が高まるというのも仕方がないだろう。


 バルトラーは穂尻を上に穂先を下にした構えを展開していた。


 互いが構え、静寂に包まれる中、まるでこれから戦う両雄を鼓舞するかのような雄風が吹き荒れる。


 それが合図となったか、互いが示し合わせたかのように地を踏み締める。


 速度は互角。


 バルトラーは迫りくるアーノルドを打ち払うように槍を振る。


 風すら斬り裂く神槍の一振り。


 だが、アーノルドは地を這うほど体勢を低くしてそれを避ける。


 頭上を通る凶槍を感じながらも、その表情には恐れなどない。


 槍にも様々な攻撃があるが、その中でもオーソドックスなのが払いと突きだ。


 突きは点による攻撃であるため相手にとっても受けることは難しいともいえるが、もし外せば簡単に懐に入られる可能性がある。


 だからこそバルトラーは初め、払いを選択するだろうとアーノルドは思っていた。


 だが、懐に入られようともバルトラーに焦りは見られない。


 アーノルドが完全に懐に入りきる前に穂尻側の再度の一閃にてアーノルドを弾き飛ばした。


 当然アーノルドはその一撃を剣にて防いでいる。


「……そう簡単には取らせてくれんか」


 そう言ったアーノルドの表情には余裕とも喜色とも取れる笑みが浮かんでいた。


 所詮は両者共に小手調べ。


「その剣——ずいぶんと凄まじい剣でございますね」


 バルトラーの感嘆とも取れる声色。


 実際バルトラーは感嘆していた。


 バルトラーの槍はまさしく神槍なのだ。


 神より賜りし天の槍——要は神具の槍だ。


 それと相対した者の武器を幾重も破壊してきた。


 一合交えば、その槍の衝撃に耐えきれず砕け。


 どれだけの名剣、名手であろうとも十合も交えれば砕け散った。


 幾そもの魔物を斃し、それと同じくらい人も殺した。


 猛勇、練兵、新兵、老兵、時にはただ武器を持たせられただけの子供まで。


 その槍は何の例外もなく全てを呑み込んできた。


 普段ならば安易に使わない槍であるが、今回は他国に赴くということもあって持ってきておいたのだ。


 直感とでもいう何かによって導かれるように。


 それがどれだけ英断だったかとバルトラーは息を呑んだ。


 まだ一合交えただけであるが、手にもつ槍から伝わってきた感触は今までになく異質も異質。


 攻撃したのはバルトラーであり、受けたのはアーノルドである。


 にもかかわらず、手に伝わってきたのはアーノルドからも攻撃を受けたかのような感触。


 並の槍ならば、今頃自身の槍の方が断ち斬られていた可能性があった。


 神槍に匹敵するまさしく宝剣。


 確かに視る者を魅了し、畏敬すら抱かせる剣であるが、実際に相対すれば不気味にして恐怖をもたらす凶相の剣であった。


 バルトラーは手に持つ槍を一旋させて構え直す。


 アーノルドとバルトラーは互いにジリジリと足摺りをしながら間合いを測り直す。


 先に大きく動いたのはバルトラーであった。


 ——『槍砲突』


 『オーラブレイド』と同様、飛ばす斬撃とでもいうようなもの。

 

 点ともいえる刺突によって繰り出される攻撃がアーノルドへと飛んでいく。


 まるで弾丸かのような速さの三つの『槍砲突』がアーノルドに襲いかかる。


 が、その程度ならばアーノルドは何一つ焦ることなく最小限の動きだけで避けることができる。


 だが当然、そんなものは本命ではない。


 バルトラーはその『槍砲突』によってできるアーノルドの死角から間合いを詰めてきていた。


 当然アーノルドもそんなことはわかっている。


 ただ目にだけ頼った戦いなど教えられてはいない。


 とはいえ、余裕がなければその気配を探ることもできていないことも事実だ。


 普通の者ならば、先ほどの攻撃を避けることに必死でバルトラーが迫ることまで気が回せないだろう。


 だがバルトラーにとっては気が回ろうが回らなかろうが関係ない。


 『槍砲突』をアーノルドが避ける瞬間に放たれるバルトラーの一閃が迫る。


 『槍砲突』を避けたアーノルドが避けるにはあまりにも鋭い一斬である。


 バルトラーからすれば、アーノルドが『槍砲突』に当たろうと、大きく避けようと、小さく避けようと、どれであっても結果は変わらない。


 どう避けようともバルトラーの槍が相手へと追撃をもたらす。


 数多の猛勇達を仕留めてきた、そして仕留めれなくとも後の勝敗を決定付ける傷を負わせた必中の槍撃を。


 だが——アーノルドはバルトラーの迫りくる凶槍を間一髪のところで打ち払った。 


二重時間デュアルタイム

 

 アーノルドの奥の手の一つともいえる時間魔法。


 体内時間の加速をすることによって事実上二倍に近い速度で動くことができるようになる。


 だが、動ける時間は未だほんのわずか、それに体にかかる負担は他の技の比ではないため乱発はできない。


 一連の攻防が落ち着き、各々が各々、異なる感情をその胸に抱く。


 アーノルドは称賛を、バルトラーは驚きを。


 アーノルドが人を相手にした実戦で時間魔法を使った——いや、使わされたのはまだ幼かった時に戦ったあの野盗の頭以来である。


 まさしくバルトラーはアーノルドが死力を尽くすに値する者ということ。


 バルトラーはバルトラーで驚きという感情を浮かべるのは当然であった。


 この世界には身体強化というものがあるので人間それぞれ一般人にとっては普通ではありえない動きというものをすることができる。


 だが身体強化をすることができる者にとってそれはもはや通常たりえるものだ。


 驚嘆に値するようなものではない。


 もはや頂点近くに座すバルトラーにとっては並大抵の動きでは驚きを与えることすらできない。


 だがそれでも、アーノルドの動きは言ってみれば人間にしては至極気持ちの悪い動きであった。


 そこだけ時間が倍速で動く——いや、まるで自分が遅くなっているかのように感じる動き。


 身体強化で動くのとは根本的に何かが違っていた。


 時間魔法を使えるような者などこの世にはほぼいないと言っていい。


 それゆえ、バルトラーがいくら魔法について勉強していようともそんな可能性を思い描くことはできないのだ。


 だが、驚きが心を支配しようとも体は即座に動く。


 互いが間合いの範疇。


 アーノルドとしてはすぐにでも斬り込むべき間合い。


 バルトラーとしてはそれ以上踏み込ませるわけにはいかない間合い。


 もちろん踏み込ませたからと即座にやられるほどバルトラーも脆弱ではない。


 だが、いまだ底を見ていない不気味な少年を相手に悠長に構えるほど驕ってはいなかった。


 下肢に力が込められ、老兵とは到底思えぬ筋肉の動きが服の上からでも視認できる。


 アーノルドとバルトラーの剣と槍が交差する。


 互いが互いに力を込めた一斬。


 それゆえその衝撃は辺りの地面をめくれ上がらせ、暴風すら巻き起こす。


 その烈風が遠く離れたところにいるコルドー達にも届くほどだ。


 だが、アーノルドはその一撃に対し幾重もの意味で内心驚きを浮かべていた。


 その一つは自身の剣に対してだ。


 これまで幾度か試し斬りはしてきた。


 だが、自身が死力を尽くさなければならないような相手との斬り合いは初めてなのである。


 その強度と斬れ味もそうであるが、何よりもすごいのは違和感のなさだ。


 剣士にとって自身の持つ剣とは分身のようなもの。


 徐々にその特性を理解し、馴染ませていく。


 だがいまアーノルドが持つ剣は既にアーノルドの体の一部かのようにまったく違和感がない。


 そして何より馴染むのだ。


 今まで使ってきたどの剣よりも自身に共鳴しているような感覚。


 意識が混じり合うような呑まれそうな——


 アーノルドはそこまで考え、歯を食い縛る。


 ——剣に呑まれる——


 これがいまアーノルドが抱いた言葉だ。


 そして混じり薄れゆく意識を振り払うかのようにバルトラーに対してまるで素振りでもするかのように緩慢な動きでその剣を振り下ろす。


 だが軽く振っているとはいえ、そこに秘められた威力は並大抵のものではないことが見て取れる。


 バルトラーはその剣がゆっくりと振り下ろされる様を見終わる前にその顔を苦渋に染めながら自らの持つ槍へと力を込めた。


 避けるなどという選択肢は最初から存在しないかのようにバルトラーは迎撃を選択する。


 同じく渾身の力を込め、その槍にオーラを纏わせ振り払う。


 アーノルドが撃ち出した黒撃とバルトラーが撃ち出した槍撃。


 互いの武器は触れぬが、その衝撃は先ほどの比ではないほど大きいものとなった。


 何せ二人がいた場所はさながら爆撃にでもあったかのような有り様。


 砂煙が立ち込め、二人の斬撃の衝撃で竜巻すらも巻き起こる。


 大地が砕け、天が逆巻く。


 そんな中でもその場に立つ二人は無傷であった。


 だがその攻撃を仕掛けた当の本人の胸中は無傷とは言えなかった。


(なんだ今の感覚は……? 没入ともまた違うような……)


 まるで剣と意識が同化するかのような感覚。


 戦闘の最中、極限状態になればそういったゾーンなどといった状態になることは多々ある。


 だが、先ほどのはそういう次元の話ではなかった。


 そのまま身を任せていればどうなるか——自分でも分からないほどの混濁感。


 そんなアーノルドの胸中など知らぬバルトラーが話しかけてくる。


「……いやはや、驚きました。流石はダンケルノ……ということでしょうか。まさかその歳でそれほどとは。それに先ほどの動き——いったいどうやって躱したのか気になるところですね」


 アーノルドは戦闘の最中ということで一旦先ほどまでの思考を頭から追いやる。


 そしてバルトラーの言葉を鼻で笑い飛ばした。


「ハッ、たぬきが。さっさと全力を出さなくてもいいのか? 貴様はあの屑に私を跪かせろと命令されているのだろう? それほど悠長に構えていては日が暮れるぞ」


 いまの一瞬の攻防はまさにバルトラーの実力が先ほど程度ではないことを示している。


 互いにいままでの一連の攻防が様子見なことくらいはわかっている。


 だが、バルトラーはその様子見であわよくば終わらせるつもりであった。


 というよりも、全力を出す必要などあるはずがないと思っているのだ。


 いかにアーノルドが歳にそぐわぬ強さを持っていようとも戦いの勝敗というのは一意的に決まるわけではない。


 戦争を経験した本物の英雄とたかが十歳のアーノルド。


 本来ならば比べることすら烏滸がましいほどの実力差、そして経験の差がある。


 だが、バルトラーに油断はない。


 それはアーノルドの醸す雰囲気がバルトラーにそうさせることを許さない。


 だが、そうは言っても自らの力に対する自負がある。


 その自負がたかが十歳のアーノルドと自身を同列に並べるなどということを許容するわけがない。


 単純な実力であれ、どんな策があれ、一対一ならば負けるなどとは微塵たりとも思ってなどいない。


 ハイルという荷物がなければ、バルトラーとそして神槍たる『ガラジュボルン』の敵となりえる者など限られる。


 だが重ねて言うがバルトラーは油断しているわけでも、アーノルドを舐めているわけでもない。


 ただ当たり前の常識ともいえる世界の法則に従っているだけだ——十歳などという年齢ではどれほどの才があろうとも、どう足掻こうとも自身の立つ領域には辿り着けぬと。


 そしてバルトラーはアーノルドの挑発とも取れる言葉に対して幾許か目を細め、苦言を呈す。


「それほど時間をかけるつもりはございません。それに、ハイル様はそのようなことで何かを言うほど度量の小さなお方ではございません」


 それにはアーノルドも、戦闘中であるにもかかわらず吹き出しそうになった。


 確かに狭量と寛容は別物だ。


 自らの騎士を殺したのは人によっては狭量とも取るが、ハイルの中ではただあの騎士達が寛容なる処罰で済ませれるだけの一線を超えていたというだけ。


 その一線が低いと思うか高いと思うかは考えるだけ無意味だろう。


 それを決めるのはあくまでも個人なのだ。


 翻って、アーノルドの寛容さのラインは低く、また高くもある。


 それを決めるのは偏にアーノルドが敷いた法によるものだ。


 その法を犯した者には厳罰を、法を犯さぬ者には寛大に。


 だが、ハイルに果たしてそんな崇高な信念など存在するのか——否、まず存在しないだろう。


 ただ感情の赴くままに殺すだけの愚物。


 それを狭量、広量という言葉で語るのはアーノルドにとっては言葉違いも甚だしく感じていた。


 上位者としてその行為自体は赦されるが、少なくともアーノルドはそれを、度量、などという言葉に当て嵌めるのは滑稽であると思う。


 だがアーノルドはその言を否定しはしない。


 が、受け入れもしない。


 ただ剣を構えることによってそれに対する返答とする。


 自らの主張を通せるのは力のみだ。


 ここで言い争うことになど何も意味などないのだから。


 それを見てバルトラーも何も言わず槍を構える。


 周囲一帯は既に悲惨ともいえる有り様だ。


 たった数合の交わい、それも小手調べともいえる程度にもかかわらず既に周りは壊滅的に破壊されている。


 だからこそ、踏み込む瞬間、地は更に音を立てる。


 先ほどとは一線を画すバルトラーの刺突。


 その鋭さはいままで戦ってきた槍の使い手とはもはや根本から違う。


 アーノルドとて顔を僅かになんとか動かし、ギリギリ避けるに至れた。


 思わず顔を顰め、舌打ちをしてしまう。


 アーノルドはその槍を打ち払いつつバルトラーから距離を取る。


 それに対してバルトラーは追撃してくることはなく代わりとばかりに言葉を紡ぐ。


「まさしく驚嘆に値しますね」


 避けられたバルトラーは悔しがるどころか、呆れとも取れるため息を一つ吐いた。


「はっ、避けていなければ死んでいたぞ? (めい)を守るつもりはないということか?」


 顔に対する突きであったため、アーノルドが避けていなければ致命傷は避けられない。


 当たっていればほとんど串刺しで即死だろう。


「大丈夫です。あの程度ならば避けると確信しておりましたので」


「ぬかせ」


 挑発とも取れるバルトラーの言葉をアーノルドは鼻で笑う。


 事実避けるとは思っていたのだろう。


 だが、別に死んだら死んだで構わないとも思っていたはずだ。


 バルトラーの槍には威が込められていたのだから。


 再度動くは同時——だが手数はアーノルドの方が上だった。


 アーノルドも剣だけで戦うなどと出し惜しむつもりはない。


 アーノルドは基本的に剣を主体で戦い、魔法はその補助として使う。


 狙うは地面。


 武人にとって踏み込みは命。


 その踏み込む地面が泥になれば、良くて威力が大減、悪ければ体勢を崩し攻撃どころではなくなる。


 刹那の狭間、地がバルトラーの足を絡めとる。


 バルトラーの一瞬のグラつき——そこに伸びるアーノルドの剣。


 狙いは十全。


 互いが互いに交差する。


 だがアーノルドは内心舌打ちをした。


 バルトラーの槍が掠ったことで僅かながらその頬から血が出ていた。


 互いに踏み込んだ一撃であっただけに、その刃がアーノルドに届いたのだ。


 状況はアーノルドに有利であったはずだった。


 魔法を魔法として見せたのは今回が初めて。


 この世界にエーテルと魔法の両方を高次元で扱う者は少ない。


 それゆえ、剣士だと思えばどれだけ注意をしていようともやはり魔法というものに意識がいかなくなる。


 アーノルドはいままでそういった賊や暗殺者達を何人も見てきた。


 アーノルドはその若さゆえに更にそう思われる傾向が強い。


 だからこそ、と、全員が全員そうだと言うつもりはないが、バルトラーにもここぞという場面、いわば互いが様子見を終え、遂に端緒が開かれるというときに仕掛けたのだ。


 アーノルドは普段の戦いにおいて魔法は基本的にあまり使わない。


 ここぞという場面でしか使わないので、知れ渡っている情報にもアーノルドが魔法を使って戦うということはあまり載っていないはずだ。


 いまのアーノルドは対外的には騎士級(ナイト)貴人級(ノブレマ)の立ち位置を取っている。


 貴人級は平人級(ウォーン)の一つ上。


 少しばかり魔法が使えるといった程度だ。


 もちろんただの冒険者や傭兵程度ならば十分戦える階級である。


 だが、バルトラーと戦うというのならば最低でも聖人級(ハイリ)、少なくとも帝王級(ペラトーレ)クラスの実力がなければ魔法などというものに意味はない。


 魔法師の階級は発動できる魔法も重要であるが、その練度も重要だ。


 貴人級程度の実力ではバルトラー相手には何の足しにもなりはしない。


 それにアーノルドが使った魔法は所詮中位魔法レベル。


 だが、中位魔法とはいえど使い方次第では戦いを優位に運ぶことができる。


 現に、バルトラーとて一瞬は足を取られた。


 だが一瞬とはいえ、このあるかないかの一瞬はアーノルドとバルトラーの領域では勝敗が決まるだけの時間が余りある。


 しかしバルトラーはアーノルドの予想を超えた動きでそれに対して対応してきた。


 咄嗟にアーノルドが速度を遅くする闇魔法を使ってバルトラーの動きを阻害していなければやられていたのはアーノルドであったかもしれない。


 だが、アーノルドも傷を負ったとはいえ、バルトラーも決して無傷ではない。


 太ももの辺りを軽く斬られている。


 斬られた箇所は違えど痛み分けの結果となった。


 むしろ斬られた箇所を思えば、アーノルドに一旗上がるだろう。


 それでもアーノルドが思い描いていた構想とは全く別なるものへとなったのも事実だ。


「流石は元英雄か」


 アーノルドがそう言うとバルトラーが不快げにほんの少し目を細める。


 その仕草はアーノルドの物言いというよりは言葉に反応したかのようであった。


「なんだ? 英雄などと言われることは好まぬか?」


 英雄と持て囃された結果、国に消されかけたのならばさもありなんであるが、はたして真相はどうなのか。


「……英雄など、私の柄ではございませんので」


 まるで後悔でもしているかのような声色。


 そしてバルトラーはその口元をわずかに動かし、それにそれを言うならば……、と誰に聞かせるでもない掠れた声を出す。


 バルトラーは嘗ての戦争で数多の歴戦の猛者達を見ている。


 それこそ将軍クラスともなると一目見ればそれとわかる雰囲気を醸している。


 そしていま目の前に立つ年端もいかぬ少年がその歴戦の猛者達と同等の雰囲気を醸しているのだ。


 唸るのも仕方ないと言えるだろう。


 それにバルトラーの頭には先ほどの一連の攻防がぐるぐると巡っている。


(不可思議な現象。それにあの歳で魔法、それも無詠唱でとは……。なるほど、確かにあれほどの実力があればハイル様の力無き言葉を不快と捉えるのも仕方なきことかもしれませんね。——ですが、貴族とは権力。武力を持つ必要などないのです。力そのものを動かせる権力さえあれば……。私は武の力。それゆえ全力でハイル様の命を遂行するだけ)


 バルトラーはチラリと斬られた太ももを見る。

 

 バルトラーが着る執事服はピタッとしているが戦闘にも支障がない伸縮性に富んだ特注品にして防具の役割も兼ねている。


 だが、アーノルドの剣を前にすればその防御性など皆無に等しいと言わざるをえない。


 ほんの僅かに掠っただけで紙のように斬り裂かれたのだ。


 斬られたのは太ももであるため、下手をすれば大幅に機動力を奪われていた。


 だが運良くか、バルトラーの動きに支障をきたすほどの深傷ではなかった。


 剣術だけでも一流と言って相違ないのに、魔法すらも使ってくる少年。


 ダンケルノ公爵家というのは嘗てのただの平民時代、遠く離れた国に住んでいたバルトラーでさえ聞いたことがある名であった。


 噂というものは絶えず誇張され続ける。


 バルトラーとてそれを当時から知っていた。


 だがそれでも、やはり少年というものは凄まじい武勇を伴った話には惹かれる。


 バルトラーも例に漏れず、幼き頃は何度も頭にダンケルノ公爵家の話を思い浮かべたものだ。


 そして自分も、と。


 実際英雄に相応しい器となってからはあまり思い浮かべることはなくなった——というよりもそれどころではなかったというのが実態であるが——とはいえ、ダンケルノ公爵家の話が誇張たりえるとは思っていてもそれでもという気持ちはあった。


 そして実際にアーノルドとその騎士達を見て落胆にも似た感情を抱いたことも事実だ。


 あれがダンケルノ公爵家の騎士と子息だったのか、と。


 だが、バルトラーにとってはもはやそんなことはどうでもよかった。


 噂は所詮噂だったというだけ。


 それに過去、アルトティア帝国の皇帝陛下、そして皇族達に拝謁したときに彼らの凄まじさを知った。


 バルトラーは英雄などと持て囃されたが、所詮は井の中の蛙だということを思い知っていた。


 事実バルトラーが世間一般で英雄と持て囃されるに相応しくなかったかといえばそうではないだろう。


 それゆえ、そんなものはただ話す人が違えば、感じ方も違うというものに他ならないのだと。


 ダンケルノ公爵家の者達も幼き頃に抱いた幻想ゆえにか自身よりも強くあれと、もはや祈りにも近い想いを抱いていたが、それでも実際に視た皇帝よりは劣るだろうと思っていた。


 それは仕方のないことでもあるだろう。


 見たことのない者と実際に見た者とでは抱く感想は全く異なるものだ。


 当然目に見えぬ脅威よりも目に見える脅威を上と見做す。


 そして実際に見たアーノルドと騎士があれでは、その考えに拍車をかけるのもしかたがない。


 ダンケルノ公爵家はアルトティア帝国の脅威たりえないと。


 とはいえ、いまその考えは当然ながら捨て去られている。


 目の前の少年がただの少年などと思う者がいるのならば、その者はただの愚鈍なる者というだけ。


 ここで相対した時点で手加減などと元よりするつもりもなかったが、意識はもはや戦時のそれまで引き上げられていた。


 まさしく戦時以来の緊張感。


 コルドーとパラクに向けていた警戒さえ、そしてさらにアーノルドの周りにおそらく隠れているであろう黒服にさえ、もはや意識の根底に押し込めるかのように警戒は最低限だけ。


 アーノルドがそのような無粋なることをしないであろうことは武人として分かる。


 アーノルドとてバルトラーのその変化は感じ取れていた。


 というよりも感じ取れなければおかしいほどの威容なる気配。


 まさしく鬼神のごとき雰囲気。


 “本物”が醸し出す死への(いざな)い。


 臆する気持ちが僅かでもあれば、その死は容赦なく相対する者の命を刈り取っていくだろう。 


 老いて尚も劣らぬその威風にアーノルドは笑みを浮かべるとともに憮然たる面持ちであった。


 実に惜しいと。


 老いによる衰え——否、戦場から離れたことによる衰え。


 ハイルによって弱者ばかりしか相手にしてこなかったことによる弊害ともいえるもの。


 それがバルトラーから垣間見えることに残念という気持ちしか湧かない。


 それでも容易に倒せるほどの相手ではない。


 アーノルドは手に持つ剣へと力を入れた。


 まるで古くからの友であったかのように、息ぴったりの動作の開始。


 数合、数十合という攻めぎ合い。


 コンマ数秒という世界で幾度と降り注ぐ互いの凶撃を捌き、往なし、躱す。


 互いに久しくなかった好敵手との戦いへの胸の高まりに知らず知らずのうちにその顔に笑みが張り付く。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ