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5話

 傲慢な少年と初老の執事、そしてゴテゴテとした鎧を身に纏った騎士が10人と少し。


 その後ろにはメイドらしき使用人の姿もある。


 少数ながらいた他の客も絡まれたくないのか、目を合わせぬように顔を伏せて食事に集中した。


 言うまでもなく面倒な客であるということがわかる。


 先ほどまで元気いっぱいだったこの店の娘もあからさまに表情に出すことはなかったが、わずかに目元が困ったように下がっていた。


「アーノルド様、あの少年ですよ」


 その一団を横目で見ていたアーノルドにパラクがヒソヒソと囁くように声をかけてきた。


 しかしアーノルドは本気でわからないとばかりに眉を寄せた。


「あれですよ。門の前でアーノルド様に突っかかってきた」


「……ああ、あいつか」


 アーノルドは門の前と言われてやっと思い出した。


 それくらいアーノルドにとってはどうでもいい相手であった。


「——なんだと⁈ こんなに空いているではないか‼︎」


「で、ですから、お客様全員となりますと今のお店の状態だと3名様分の席が足らないのです。相席か予約の時間まで待ってもらえれば開くとは思うのですが……」


 店の娘が困ったような表情を浮かべながらずいっと詰め寄ってくる少年を手で遮りながらドウドウと宥めようとしていた。


「ふん、この程度の店を使ってやるというのに席すら用意できんとは。この俺様が連れてきた者が相席など論外だ。これだから低俗な店など来たくないのだ」


 随分な言い様であるが、本来この少年たちが予約している時間はいまより20分ほど後である。


 だが、貴族であるこの少年に待つという言葉は存在しない。


 貴族を待たせるなどそれこそ不敬千万。


 そのような戯言を宣えば、その場で首を斬られてもおかしくはない。


 店の中は閑散としているがそれでもまばらに客はいる。


 それにそもそもこの店はそれほど大きくはない。


 カウンター席が5つに4人用のテーブル席が4つ。


 15人程度の大人数で来ればすぐに席が埋まってしまうだろう。


 そんなやりとりを聞いていたアーノルドは関係ないとばかりに食事へと戻った。


 だが、席がないと言われてキョロキョロと周囲を見渡した少年は見覚えのある集団を見つけニヤリと醜悪な笑みを浮かべた。


「席を自分で作れば問題ないだろう?」


 最初は自分に口答えしたこの娘にどのような罰を下してやろうかと不機嫌そうにしていた少年であるが、もはや目の前の娘などどうでも良かった。


「お、お客様⁈」


 静止しようとした娘を押し退けて店の奥へとズカズカ進んでいく少年に困惑していた店主が声をかけようとするよりも前に、少年はアーノルド達がいるテーブルへとたどり着いた。


 オロオロとしている店主にコルドーがジッとしているようにと視線を飛ばす。


 ここまで来ればもう店主がどうにか出来るとは思えない。


 ならば無駄な犠牲を出す必要はないだろうという考えである。


 そんな中、太々しい態度の少年が、アーノルドが座るテーブルの横まで来て睨みつけてきたが、アーノルドは全く反応することはなかった。


 相手にする価値もない人間に時間を割くほど酔狂な趣味を持っていないからだ。


 その代わりに従者であるコルドーが応対した。


「何かご用でもお有りでしょうか?」


 相手は一応貴族であり、従者にすぎないコルドーは丁寧な口調でそう尋ねたが、その目つきは友好的などとは程遠いほど鋭い。


 だが、少年はコルドーなど眼中にもなくアーノルドだけを睨みつけていた。


 ただ無視されているだけなのだが自身に恐れをなして見ることすら出来ないと勘違いした少年は気を良くしたようにニヤリと笑い、ドンとテーブルを力一杯拳で叩いた。


 それによりガチャンと食器の音が鳴り響き、他の客達もピタリと動きを止めたことで、店内がまるで時が止まったかのように静寂に包まれた。


 アーノルドも睨むだけならばどうでもいいが、食事の邪魔をするというのなら無視をするつもりはない。


 アーノルドがギロリと睨むと少年が偉そうにふんぞり返り自分に酔っているかのようにその脂肪に包まれた口を開いた。


「ふっ、また会ったな、下郎。あのまま逃げられるとでも思っていたか? だが、まぁいい。これもまた天運であろう。寛大なるこの俺様が、貴様にも贖罪のチャンスをやろう。聞こえていただろ。さっさとその席をどけ」


 他者に命令するという優越感に満たされているのかフフンと鼻息を漏らしていた。


 あれから時間が経ち、あのときに感じた怒りの感情ももはや下火になっている。


 だからこそ今この場で席を譲るというのなら赦してやってもよいと、自身の寛大さに酔いしれていた。


 そして少年はコルドーの方にギロリと視線を向けた。


「それと貴様。卑しい従者如きがこの俺様の許可なく話しかけるな。一体何様のつもりだ? 身の程を弁えろ。2度と話せないようにその舌を引っこ抜いてやっても良いんだぞ?」


 少年は醜悪に口の端を歪め、フゴフゴと笑い出した。


 アーノルドはそんな様子の少年を刃のような鋭い視線で一瞥し、嘲笑の意味を込めて鼻で笑った。


「き、きさ……まっ……‼︎」


 アーノルドの自らを馬鹿にするような態度に怒髪天を衝き、言葉が上手いこと口から出てこないほどの怒りが再燃してきた。


 その少年はその(なまじり)を吊り上げ、今にも飛びかからん様子で肩を震わせている。


 生まれてから今までこのような態度を自分に対して取った者などいなかった。


 パラクとコルドーはその目つきを鋭くし、少年が動けばすぐにでも制圧できるような体勢を整えていたが、少年がこのまま暴れると不味いと思ったのか少し後ろに控えていた執事の男が前へ出てきた。


「ハイル様、ここは爺にお任せください」


 その執事は慣れたようにハイルと呼ばれた少年を宥めるとアーノルド達に向き直った。


「大変失礼致しました。貴族様とそのお付きの方とお見受け致します。我が主人(あるじ)の無礼、主人に代わり謝罪させていただきます」


 自身の執事が謝罪したことでハイルは不機嫌そうに僅かに眉を顰めたが、フンと鼻を鳴らすだけで何も言うことはなかった。


「その上で不躾な願いで恐縮ですが、その席をどうか譲ってはいただけないでしょうか。当然いまお召し上がりになっている食事の代金はこちらで支払わせていただきますし、心ばかりのお詫びもお渡しさせていただきます」


 その執事はアーノルド達に申し訳なさそうにそう提案し、おそらく料理の代金より遥かに多い金が入った茶色い小袋をデーブルの上に静かに置いた。


 だがアーノルドにとってそんな謝意の欠片もない提案など受ける気もない。


 申し訳ないなどと言いつつ自分の主人の願いしか叶える気がない。


 こちらの意見など、どうでもいいということだろう。


 その証拠にこの男の目は微塵も笑ってなどいない。


 表面上は温厚な面であるがその瞳の奥の冷徹さを隠し切れていない。


 こちらのことを調べたのか、それとも連れている2人から推察したのか知らないが、この世では弱き者が強き者に従うのは道理である。


 爵位が上の貴族が命じたならば、国同士の力関係はあれ、たとえそれが他国の者であろうとそう易々と逆らうわけにはいかないのが当然の道理だ。


 子息本人ではなく従者にすぎない執事がそれを命じることで、ある意味こちらを馬鹿にする意図もあるのだろう。


 だがこれは、ハイルの溜飲を下げるためにこの執事がわざとやっているのだろう。


 現にハイルはその執事の行為に対して、こちらを嘲笑するような満足げな表情を浮かべている。


 後に報復されぬようにと、その執事のささやかな配慮かもしれないが、どの道アーノルドにはいらぬ配慮だ。


 アーノルドにとっては相手が王族であろうとなんであろうと関係ない。


 誰であれアーノルドを脅かすならばその報いを受けさせるだけだ。


 自身が他者に屈するのはもはや死んだとしてもありえない。


「貴様の目は節穴か? 見ての通りまだ食事中だ。相席が気に入らぬというのなら、予定通りそこいらで待たせておけ」


 不遜に、傲慢に、尊大にアーノルドはその執事の提案に見せかけた要求をバッサリと切った。


「貴様っ‼︎」


 それに対してハイルが盛大に顔を歪ませながら怒鳴ったが、隣にいる執事の険とした気配を感じ取り、まるで肉食獣の視界に入らないようにするかのように口を閉し、怯えているかのようにすぐに一歩下がった。


「後悔なさることになるかもしれませんよ?」


 一見、執事のその言葉はハイルがどこぞの高位貴族と知らずそのような態度を取っている者に対する忠告のようにも取れるが、この者が臭わしている血溜まりのような悪臭が鼻についた。


「脅しているつもりか?」


 ただの貴族の子供ならばこの執事の醸し出す雰囲気に押されて屈したかもしれないが、アーノルドはその程度の脅しになど微塵たりとも屈さず、むしろその代わりとばかりに子供が出すには分不相応なほどの険とした気配を表に出していた。


 その異様ともいえる雰囲気にハイルや周りにいる騎士達が怯えを覗かせた表情を浮かべて少したじろいでいた。


 その執事もアーノルドの突然の気配の豹変具合に一瞬驚きの表情を浮かべたが、それもほんの一瞬。


 すぐに元の険しい顔つきに戻った。


 その両者の圧により、アーノルドが座るテーブルにある食器がわずかにカタカタと音を立てている。


 その尋常ならざる雰囲気に、その場にいる客と店の者達が怯えたような表情で固まっていた。


 その沈黙の均衡を破ったのはアーノルドであった。


「如何に高位の貴族の出とはいえ、誰とも知らぬ者相手に何故そこまで居丈高に振る舞えるのか理解できんな」


 アーノルドは執事がテーブルに置いた茶色い袋に描かれている紋章からハイルという少年の出身を看破していた。


 その執事はアーノルドの言葉に一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに毅然とした態度を持ち直した。


「ハイル様はアルトティア帝国所属の公爵家のご子息です。失礼ですが、男爵家程度の貴方がどうにかできるお方ではないかと存じますが?」


 執事は鋭い視線を向けてそう言いながらも、男爵家の人間がここまで不遜な態度を取るという違和感を拭えないでいた。


 こちらがそれを知らぬだろうと高を括っているだけの虚勢か子供ゆえの世間知らずかそれとも——。


 調べた限りではそれほど大層な後ろ盾など見えてこなかった。


 調べる時間は少なかったとはいえ、ただの男爵家だったはずだと。


 後ろ盾に隠れた公爵家以上の家門との繋がりがあるのかもしれないと考えるが、それでも自身の主人の優位さは変わらないと思い直し視線を険しくする。


 どちらにせよ、自身の主人の出自と相手の身分を知っていると告げたのだ。


 どのような反応をするのかと相手の出方を静かに待つ。


 アーノルド達はアーノルド達でこの執事の言葉から色々と見えてきていた。


 どうやら相手はこちらのことを調べたらしい。


 たった短時間、それも他国であるにもかかわらずよく調べたものだと心の中で称賛を送るほどであった。


 だが、それでもフレベリックス男爵家というところで止まっているらしいが。


 アーノルドがそう仕組んでいたとはいえ、これはこれでなかなか面倒だなと心の中で呟いた。


 だが、男爵家を名乗っているとはいえ、アーノルドは男爵家としての態度を取るつもりはない。


 それゆえ、執事が予想していたと言っていい反応とは真逆の反応をする。


「所属か。従属した犬の間違いであろう?」


 アーノルドは不遜な笑みを浮かべ、誰に憚ることもなくそう言い切った。


 それは紛れもない侮辱の言葉。


 それには執事だけでなく、パラクやコルドーですら目を見開いた。


「貴様っ——‼︎」


 それを聞いたハイルが鬼のように目を吊り上げそう叫ぶが、隣で凄まじい怒気を放つ執事の熱気に当てられ、その言葉も途中で途切れることとなる。


「その侮辱、タダで済むとはお思いですか?」


「侮辱? 最初にこちらを侮辱してきたのは貴様らであろう? 貴様如きがこの私に席を譲れだと? はっ、なんともふざけた言葉だとは思わないか? そこのクズの言葉を借りるなら、従者風情がこの私に話しかけるな、だ。それに事実を言って侮辱とはな。お前達は負けて帝国の属国となった負け犬共であろうが。にもかかわらず、自らの主君たる王族を殺した帝国の威光に縋ろうなど、数十年も経てば躾もされようものか?」


 普段のアーノルドであればここまで言いはしなかっただろうが、ハイルのとある一言がアーノルドの機嫌をこれ以上ないほど損ねていた。


 それにどの道もはや相容れない。


 ここで席を譲らねば、この執事が実力を以ってアーノルド達を排除しにくるのは目に見えている。


 ハイルがアーノルドに絡んできた時点で、いや、この執事がハイルの願いを叶えようとした時点で衝突するのは必至。


 もはや避けられぬことだ。


 引く場面があったとするならば、もっと深くこちらのことを調べておかなければならなかっただろう。


 如何に身分を隠蔽しているとはいえ、深く調べればアーノルドが男爵家の爵位を持つダンケルノ公爵家の人間であることなど分かることだ。


 情報の管理が甘いこの世界では完全な隠蔽など不可能だからだ。


 それを怠り、権力でこちらを従えようと、あまつさえ危害を加えてくるのならば知ったことではない。


 この世で大事なものの一つが情報だ。


 如何に強かろうが情報を正確に持っていなければ負けることすらありえる。


 それを怠ったのは向こうである。


 その末に待っているのは弱者の淘汰。


 より弱い者が死に、強い者が生き残る。


 それに仕掛けてきたのも向こうだ。


 情状酌量の余地もない。


 その時、トントンとコルドーが指先でデーブルを叩いた。


 アーノルドは分かっているとばかりにコルドーへと不敵な笑みを浮かべ、わからぬ程度に店の入り口のほうをクイっと顔で示した。


「そうですか。そこまで仰るのならば———」


 執事の闘気が高まったそのとき、店の入り口がバンと勢いよく開いた。


「動くな‼︎ 治安隊2番隊副隊長メルリースだ! 通報があり駆けつけた! 抵抗するならば容赦はしない!」


 ゾロゾロと入ってきたのはこの辺り一帯の警備をしている治安部隊の一隊であった。


 見事な手際である。


 押し入ってものの数秒で誰も動けぬように制圧した。


 治安部隊と店主とのやり取りを聞いている限り、この店の店主が通報したようだ。


 だが、店の店主も娘もこの店を出ていない。


 ということはそういうことを可能にする魔道具があるということ。


 遠くにいる者に知らせる魔道具の存在にアーノルドは無意識にほくそ笑んだ。


 店主に話を聞いていたメルリースと名乗った女が他の騎士達に見張られているハイルと執事の方へと歩いてきた。


「話は聞いた。悪いが、ご足労願おうか」


 メルリースはハイルと執事を睨みつけた。


 貴族相手に有無を言わせぬ毅然とした態度。


 騎士達は星を胸にでもつけるのかと思ったがどうもそうではないみたいだ。


 おそらくつけることで逆に不正が起こることを防ぐのだろう。


 星の低い騎士が星の高い者を捕まえられるように。


 もしくは相手に実力を悟られぬようにか。


 それがどこまで機能しているのかはわからないが……。


 ハイルは何か喚いていたが敢えなく連行されていった。


 執事は異様なほど静かにこちらを見つめ、大人しく去っていった。


 そのときアーノルドはハイルや執事達には既に興味はなく、すでに食事を再開していた。


 ハイルが机を叩いだことで少しばかり料理が飛び散っていたが、食うには支障がない。


 アーノルド達はこの騎士達がこの店に近づいてきているのを察していた。


 入学試験を受けにきている身だ。


 なるべく問題は起こしたくないし、この国で今の段階で目立つことも避けたい。


 予想以上にそこら中に騎士が配備されており、現状でマークされれば動きにくくなることこの上ない。


 子供のしたことだ。


 子供の躾は大人の義務。


 あれは躾を怠った大人によって作られた失敗作の典型例。


 執事にはヒントもくれてやった。


 一度は許そうと見逃したのである。


 既に互いに抜身になっていた状態、そうでなければ騎士が来ようともこの場で殺している。


 そこに先ほどの女騎士が戻ってきてアーノルド達に声をかけてきた。


「失礼。我が国でご不快な思いをさせたようだ。来るのが遅くなり申し訳ない」


 ピシッとした姿勢に凛とした声、騎士とは思えぬようなきれいな肌。


 明らかに位の高い人間だと見ただけで分かる。


 アーノルドの考える通り、今のこの時期は特に人が増えるため普段治安部隊でない者が見回りに回される。


 そして元首がいるこの国の城に勤めているいわゆるエリート騎士も駆り出されているのだ。


 この女性もそのうちの1人であった。


 だが、当然飾りの騎士などではなくそれ相応の力があるのが読み取れる。


 流石は実力主義の国だと、アーノルドはご飯を食べながらそう評価した。


 応対するつもりのないアーノルドの代わりにコルドーがその女騎士に応対した。


「いえ、助かりました。感謝申し上げます。随分と早く来ていただいたおかげで荒事にならずに済みました」


 メルリースは遅くなったことを謝罪していたが、コルドーからすれば早すぎるくらいであった。


 だがこの国の者にとっては、受験シーズンのこの時期、他国の貴賓達が来る以上、警備を強化するのは最低条件だ。


 万が一この国で殺傷事件などあればこの国の汚点となり得る。


 あらゆる国から再び優秀な者を集めるためには、昔以上に警備に気を遣わなければならない。


 だからこそ、要注意と見做された者たちには監視がつき、何かあればすぐに対処できるようにとなっていたのだが、メルリースはハイルを監視する担当であったにもかかわらず別件で少し離れていたために来るのが遅くなっていた。


 どんな理由があれ、それはメルリースにとっては明らかな汚点であった。


 だからこそ、その感謝の言葉に対して少し言い淀んだ。


「……いえ」


 そしてその上で言うことは憚られたが、この国の騎士として言わざるを得ないことを意を決して口にする。


「ですが、貴方方も彼の者達を挑発なされたとお聞きしました。そういったことは——」


 その言葉をアーノルドが鼻で笑いながら遮った。


「やめろとでも言うつもりか? まぁ貴様らの国で暴れるつもりはなかったとはいえ、問題を起こしたのは事実だ。それについては謝罪しよう。だがな、こちらも私の従者を傷つけると言われて大人しく引き下がるつもりもない。それに仕掛けてきたのは向こうだ。貴族としての体面もある。一方的に引けと言うのは些か傲慢ではないか? だが、安心しろ。少なくともこちらから仕掛けるようなことはない。それ以上の警告は無用だ」


 アーノルドは貴族としての一般的な言い訳を並べてそう言うと、もう用はないとばかりに食事に戻った。


 貴族ならば報復とばかりに、暗殺者を遣すような者もいる。


 拘置場で貴族が殺されたなど醜聞以外のなにものでもない。


 もちろんそんなことを許すつもりはないが、そうなれば次はそれを誰がやったのかという犯人を探すことになる。


 そのとき第一容疑者として挙がるのがアーノルドである。


 それゆえアーノルドは前もってそのつもりはないと答えたのだ。


 こんなことで騎士どもに目をつけられるのも面倒である。


「……ご協力感謝申し上げます。では、これで失礼致します」


 メルリースはアーノルドの言葉に一瞬面食らったような顔となったが、すぐにキリッとした表情を作るとアーノルド達に一礼してキビキビとした動きで店を出て行った。


「天運か。今回は必然であるがそれに賭けるというのも悪くはないだろう」


「ああ、それで見逃したんですか?」


 パラクは今までの傾向から如何に他国とはいえあそこまであからさまに害意を向けてきた者を見逃したことに違和感を持っていたためそう問うた。


 それに対してアーノルドが珍しくも少しばかり口ごもる。


「いや……、だが、子供のやることの責任の所在は果たしてどこにあるのだろうな。親か、周りの大人か、それとも本人か」


 子供の躾は大人の義務。


 これはアーノルドが前世で自分自身の子供がいたからこそ持ち得る考えだ。


 だが、果たしていまのこの世でその理屈が通じるのか。


 社会が違えばルールも違う。


 世界が違えば考え方も異なる。


 珍しくアーノルドが考え込んでいる表情を見て、パラクとコルドーは顔を見合わせる。


 パラクとコルドーもアーノルドの言葉に対して軽々とは口にはできなかった。


 だが、深く考えている様子も一瞬で、アーノルドがその後食事を再開したことでパラク達も気にはしなかった。


 そしてパラクはこの国の治安の良さに感激したような言葉を呟いていた。


 他国ならばたまたま近くにいたとかでない限りこんなに早く治安部隊が到着するなどありえぬことだと。





 メルリースは店を出た後に立ち止まり、店の入り口をジッと見つめていた。


 そこに別の騎士が話しかける。


「メルリース様? どうかなされましたか?」


「いや、気のせいだろう。なんでもない」


 そう言うとメルリースは髪をバッと靡かせそのまま連行されたハイルの後を追うように繁華街の方へと歩き出す。


「まったく元首様にも困ったものですよね〜」


「……ああ、そうだな」


 隣を歩く騎士の言葉に対してメルリースは目を細めながらそう返答し、歩く速度を上げて繁華街へと消えていった。




 試験日2日目。


 昨日も嵌めていたものであるが、アーノルドは左手の指に宝石のようなものがついた指輪を嵌めている。


 これは自身の実力を実力以下に見せ、ある種、力を抑制できるようにするためにアーノルドが作った魔道具である。


 面倒ごとを避けるためには自身の力を示すことも大事であるが、力を隠すということもまた戦闘においては大事なことである。


 そのために、そして魔術回路の練習のために作った魔道具であるが、今回は少しばかり用途が違う。


 いくら試験といえど、将来敵になるかもしれないこの国の人間に必要以上に自身の戦力を明かすつもりはなかった。


 全力を出さずとも成績優秀者になれるだけの実力はあるので問題はない。




 昨日に比べて大幅に人数が減っているのかと思ったが、案外そうでもなかった。


 武術には自信があって来たが学問はおざなりだという者が多いのだろう。


 武術なら巻き返せると自信満々そうに鼻息を荒くしているものが多い。


 逆に武術は苦手そうに見える者や気が弱いのかオドオドとしている者もいる。


 それに特抜制度という、ある科目で特に優れた成績を収めた者は全体の合格点が足りていなくても合格できる可能性があるという制度がある。


 これを狙っている者もいるのだろう。


 学問で1次選抜でもすればいいと思ったが、この国の特徴からして全体的に優れたものよりは何かに特化した者を見つけたいという腹づもりなのはその制度からも読み取れる。


 だからアーノルド達の国のように騎士は騎士学院、魔法師は魔法学院といったように専門的に学ぶのではなく、あらゆるものを一通りやらせてみて自分に適したものを見つけさせる総合的な学院体系となっているのだろう。


 アーノルド達の国のように特化型ならば、それだけに専念は出来るが、本当にそれにあっている者を見つけられない可能性がある。


 現に親が騎士だから、親が魔法師だから、などといった理由でどの学院に行くか選ぶ、もしくは強制される者が多い。


 本当は剣術の方が得意だが親が魔法師の家系で騎士になることを許さないなど貴族社会ではよく見られる。


 魔法などは特に才能がものをいう世界だ。


 どれだけ頑張ろうが満足に扱えない者もいる。


 そんな者が魔法師になることを強要されても悲惨な末路にしか成りはしない。



 アーノルドは体術、そして選択科目である魔法、剣術の順に試験を受ける。


 体術は複数人の試験官が1対1で生徒と対戦形式で試合をし、その実力を見る試験だ。


 アーノルドは受験番号に従って進んだ受付で4番の札を渡された。


 この番号は試験を受ける順番ではなく試験場の順番である。


 受ける順番は適当。


 行きたい者から行けばいいが、基本的には試験会場に着いた順番に始める。


 だが、番号札を渡された者の中にすぐにその場に行こうという者は少ない。


 ほとんどの者が他の人の顔色を窺うようにその場で足踏みをしている。


 最初にいけばそれだけ試験官が疲れていないため不利であり、相手がどのように動くのか見ずに戦うより、ある程度試験官の動きを見てから戦った方が有利になると思っているからだ。


 もし試験官に一撃でも入れられたなら当然合格点は超える。


 一撃入れるためには万全の状態より疲れた状態、そして相手の動きを見て戦略を立てた方が一撃入れやすいなど自明の理。


 だが、アーノルドはそんな考えを嘲笑うかのように第4試験場と書かれている案内にしたがって移動し始めた。


 試験官がどの程度のレベルかは知らないが、学生程度と数戦、数百戦した程度で体力が尽くような者をそしてその程度の小細工に翻弄されるような者を試験官になどするはずがない。


 そんな小細工など考えるだけ無駄なのだ。


 アーノルドはさっさと終わらせたかったので一番乗りで試験場へと足を踏み入れた。


 学問とは違い試験を受ける時間が決められているわけではないので、早く終わればそれだけ早く帰れるということ。


 他のアーノルドと同じ場所で試験を受ける受験生たちはアーノルドの後ろを、親鳥に付き従うヒヨコのように恐る恐る未だに他の受験生を牽制しながらゾロゾロとついて来ていた。


 試験場に入っていくと、その中央に一人の男が佇んでいた。


「お? 今回は随分早かったな。他の奴らはとりあえず上に上がっておけ」


 ニカっと笑ったその男は如何にも面倒見の良さそうな活発な好青年といった感じであった。


 いや、青年というには少し老けているかもしれない。


 歳は30代手前くらいだろうか。


「う〜ん、緊張は……してなさそうだな。大抵ここに来るやつは緊張でガッチガチか自信満々って感じなやつなんだが……やる気ねぇのか?」


 男はアーノルドの自然体ともいえる態度にやる気がないと判断したのか、それに対して怒るでもなく、少しだけ困ったように眉をハの字にした。


「そう見えたか?」


 アーノルドは淡々とそう返した。


 試験官はそんなアーノルドに困ったような笑みを浮かべ、準備運動でもしているのか腕を伸ばすような運動をしていた。


「まぁ、態度だけ見るとな」


「そうか。ではやる前に一つ聞いておきたい」


「なんだ? 採点基準なら教えんぞ? ただまぁ、俺に一撃でも入れりゃ文句なしで合格点はくれてやるぜ?」


「お前を倒した場合、この後の試験はどうなるんだ?」


 自信過剰、不遜とも取れる問いであるが問われた試験官は一瞬呆けたような表情になったがすぐに嬉しそうに顔を綻ばせた。


「なんだよ! ちゃんとやる気あるんじゃねぇか! 若いんだからそうじゃねぇとな! ああ、それで俺を倒せたらか……、控えがいるから問題はねぇよ。だが、そう易々とやられるつもりもねぇぞ?」


 嬉しそうにニカっと笑い、後ろに控えている他の試験官達の方を親指で指差した。


 若い者の夢を潰さないために、倒せるはずがないから心配するな、などという野暮なことは言わない。


 むしろアーノルドに倒すと言われた試験官は期待に胸を膨らませているのか早く始めたいという雰囲気を隠しきれていなかった。


 だが、それでもまだアーノルドのことを表情に出にくいだけで自信過剰なタイプとしてか見ていない。


「そういえば名前を聞いていなかったな」


 拳を胸の前でトントンと合わせて視線だけはこちらに向けて来ていた。


「アーノルドだ」


 アーノルドは姓を答えなかった。


 それはこの学院のルールだ。


 純粋に実力だけで評価されるべきという考えによって行使されているルール。


 元々はこの国の者達に対して適用されていたルールの名残であり、別にいまこの段階で従う必要などないのであるが、アーノルドにとっても大々的にダンケルノの姓を言うつもりもなかったし、いまはフレベリックスという男爵位を表に出している。


 それゆえあまり言いたくもなかった。


「俺はゲイツ、ゲイツ・ラングラーだ。さぁ、記念すべき今期最初の挑戦者だ。お前の実力を見せてみろ、アーノルド君!」


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