70話 幕間3
10名くらいの騎士、それもダンケルノ公爵家の紋章を引っ提げた騎士が遂に来た。
感知したときから分かっていたが、いざ目の前に実際現れると夢であって欲しかったと思わざるを得ない。
だが、トーカの目は1人の男に釘付けだった。
こいつだ。
こいつだとすぐにわかった。
あの悍ましい気配を出した人物が目の前にいる。
既に逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
一度は止まった体の震えを、心の底から溢れ出てくるような恐怖による震えを抑え込むのに必死だった。
だが、子供達を置いて逃げることなど出来ない。
それでけは絶対に出来ない。
トーカは震え後退る心に喝を入れるべく声を出した。
「そこで止まりなさい」
トーカは今できる全力を以て威圧した。
この一手がどう転ぶかはわからない。
だが、簡単には御せないと知らさなければ目の前の者共にただ単に殺されて終わるかもしれない。
そう思うほど、トーカの心は恐怖で満たされていた。
刹那の静寂。
それすらもトーカには耐えられなかった。
「お前達は何者だ!何故ここまで来た⁈」
何者かも分かっている。
なぜここに来たなど自分たちが魔法を使い、怪しげな格好をしているのだ。
来て当然だろう。
だがトーカはそう言うしかなかった。
口を動かしていなければ恐怖に呑まれてしまう。
「それはこちらのセリフでございます。貴方達は何者なのでしょうか?何故このような場所で結界魔法などを発動しているのか……。我々に害を為す者ではないというのならば正体と目的を明かしなさい」
その男が一歩前に出てきて声を発した。
それだけでトーカは一歩下がりたい気持ちを抑えるのに必死であった。
子供達を背に守っている。
下がるわけにはいかない。
その想いだけがトーカを支えていた。
トーカにはクレマンが修羅に見えていた。
何千何万の屍を積み上げその頂に立つ悪鬼、鬼神。
そういうものに見えていた。
「実に見事な隠形魔法ですが私には見えています。隠すということはそれだけやましいことがあると認識いたしますが……」
子供達が見破られている。
いまある力を全て使って行使した隠形魔法。
並の者ならば認識することなど出来ようはずもないが、目の前の人物が並の者でないことは一目見ればすぐに分かる。
分かっていたことであるが、いざ事実を突きつけられるとどうして良いかわからなかった。
もはや自分が囮になり逃すことすら出来なくなった。
トーカは頭の中でどうすべきか逡巡していた。
そうこうしている内に相手の方が痺れを切らした。
「正体を明かす気はないと。それならば申し訳ありませんが怪しい者を放置するほど我々は甘くありません。全員この場で処理させてもらいます」
クレマンが闘気を溢れさせ、トーカは反射的に戦いの構えをとってしまった。
頭ではダメだと分かっている。
戦っても勝ち目などないし戦う気もない。
だが、目の前の男相手に構えを解くことができなかった。
そのときトーカの後ろから短い悲鳴が聞こえた。
誰のものかは判別出来なかったがその悲鳴のおかげでトーカの心に隙間ができた。
「お前達にそんなことを答える義理はないはずだ!だが、私たちはお前達と敵対するつもりはない。この場はそれで見逃してもらいたい」
ただの願望であり暴論である。
見逃されるはずがない。
そんなことは分かっていた。
だが、唯々諾々と従うわけにもいかない。
その行き着く先は地獄への直行便だ。
なにせ、今から殺しにいこうとしている人物を逃がそうとしているのだから。
だが、敵対する気はないと言えたのは大きい。
そのおかげかクレマンの闘気が一段階弱まった。
「ふむ、困りましたね。ですが、申し訳ありませんがこちらにも事情がございまして敵対しないと言われた程度で怪しい者を見逃すほど穏便にことを済ませるつもりでしたら、わざわざ結界魔法に抗ってまでここに来ておりません。それと一応聞いておきますがそちらのお方達は貴方様のお連れ様ですかな?随分こちらに敵意のようなものを向けていらっしゃいますが……、違うのならばこちらで処理させていただきます。我が主人への無礼を見逃すほど私は甘くありませんので。ですがそれがあなたの仲間であるのならば、子供であり、いきなり現れこちらも無礼な態度を取ったことを考慮して一度は矛を収めましょう」
道理である。
見逃すつもりならばこんなところまで来ない。
もはや敵ではないと示さなければならなかった。
だが、エールリヒ達の正体を明かすのは論外だ。
どうにか自分だけで切り抜けなければならない。
そのときクレマンの言葉で気づいた。
弱々しいながらもエールリヒがダンケルノ公爵家に向けて敵意を向けていることに。
クレマンに注目しすぎて気づいていなかった。
「っく!この者達は私の仲間達だ。手は出すな。……お前も敵意を向けるのをやめろ」
そう言うのが精一杯であった。
エールリヒも王子とはいえまだ子供である。
今回の元凶を作った相手に感情を制御しろというのも酷な話であったのだろう。
トーカですら関係のないエールリヒに八つ当たりしたのである。
責める資格はない。
だが、事態はより悪くなった。
トーカの額には冷や汗が出てきていた。
エールリヒもまた自分の感情を制御するのに苦労していた。
(あれが、あれが、あれがアーノルド・ダンケルノか‼︎ユリーを殺した張本人‼︎)
この場で殺意を向けることが愚行であることなど分かっていはいるが、どうしても抑え切ることができない。
そのくだらなさそうに見つめる目も何もかもが気に入らない。
だが、いまのエールリヒにできることなど何もないし、ここで正体を明かすような愚行をすることなどそれこそあり得ない。
怒りに震える体を抑え、その顔を必死に記憶に留めておくのが精一杯だ。
「懸命な判断です。それと隠形魔法は解いてもらいたいものですな。敵意がないのならば問題ないはずです。我々も推し問答をしに来たわけではないのです。我々が欲しいのは貴方達が敵ではないという証。それが無いなら殺すほかありません」
トーカは顔を僅かに顰めた。
もはやここまで。
これ以上正体を隠せば殺される。
だが、だからといって謙ってはいけない。
「……はぁ、致し方あるまい。だが、その前に一つ保証が欲しい」
恐怖で声が震えるのを誤魔化すように体を動かし指を前に上げた。
「保証、ですかな?」
クレマンに懐疑的な目を向けられたがそれはそうだろう。
敵でないならば何も保証などいらぬ。
「ああ、正体を晒した後に襲ってこない保証だ」
だが、これは正体を明かせばその意味がわかるはず。
正体を明かすと言っている者に対して、では面倒だから殺す、とは言わないだろうと思っていた。
そんなことするのなら初めから殺しに来ているだろうと。
「悪いがそれはできん。だが、貴様達が私の敵ではないのならば私が貴様を襲う理由はない。だが、正体を明かさないというのならお前達は問答無用で私の敵と見做す。たとえそれがお前達にとっては理不尽なことであろうとな」
そのとき初めてクレマン以外から言葉が発せられた。
トーカも恐怖の対象であるクレマンしか目に入っておらず初めてその声を発した人物を見たのだ。
そして息を呑んだ。
その魂は見覚えがありすぎた。
自身をあの忌々しい境界へと閉じ込めたあの者。
あの者の魂の在り方と酷似している。
一瞬当時のことを思い出し殺気が出そうになりすぐに本人ではないと引っ込めたためバレることはなかったが、表情が乱れた。
そして荒ぶる心を鎮めるために息を吐いた。
「いいでしょう。お前達はそこにいなさい。動いてはダメですよ」
何よりも大事なのは子供達。
今は目の前の魂などどうでもいいことだと無理やりに蓋をした。
そしてフードを取った。
出来れば知られたくはなかったが、いまはむしろ正体を明かした方がこの場を切り抜けられる可能性が高いと踏んでいる。
「エ、エルフ……?」
これだ。
この反応こそがトーカの策。
策というほどでもないが、エルフなど人間は見たことがない。
いるはずのないエルフ。
そのインパクトは相当大きいはず。
そしてエルフならば正体を隠すことも怪しくない。
なぜ隠すのか問われれば簡単だ。
トーカはそんなことを考えながらも向けられた視線に対して反射的に威圧していた。
それはもはや癖のようなもの。
遠い昔トーカに刻まれた癖。
「その程度になさってはいかがですかな?」
ハッと我を取り戻した。
別に威圧する気などなかった。
いや、見惚れている者がいれば威圧はしただろう。
だが、敵対するつもりがない相手にそれをするのは悪手である。
「失礼。人間というものはエルフを見ると正気を失う者が多くてな。大抵の者は恐怖により理性を取り戻す」
少し気は動転していたが、それに反してぶっきらぼうな声が出た。
だが、言った内容は本心からのものである。
仮に正気を失い襲いかかってきたのならまずは恐怖を与える。
それでもまだ襲いかかってくるのならもはや容赦はしない。
「理解は致しましょう。しかし、それが我が主人に不敬を働いて良い理由にはなりませんが……」
そこだ。
そこがまずかった。
心が動揺し、トーカに見惚れていたような者は数人いた。
だが、動揺していない者も多かったし、アーノルドも驚きはしたが見惚れるようなことはなかった。
にも関わらず無差別に威圧したのはまずかった。
威圧するのは見惚れていた者だけでよかった。
どうも上手いこといかぬとトーカは歯噛みする。
普段ならばもっと冷静に事を為せるはずなのに。
心の制御が上手くいっていない。
だが、クレマンもそれが純粋な敵意から来るものではないと分かってはいた。
先ほどのエールリヒの敵意ですら、トーカがエルフと判明した今となっては誘拐されたエルフの子供が人間という種族に向けた敵意であると邪推させていた。
だが、クレマンが何か言うよりも早く助け舟は当の本人から出された。
「クレマン、かまわん。ただでさえ面倒事の最中に更なる面倒事は避けたい。敵でないのならばわざわざ片手間で殺せぬ敵に挑む理由はない。貴様が頑なに正体を明そうとしなかった理由はわかった。そしておそらく私の敵でもないこともな。……改めて確認しておくが貴様はこちらの敵ではないということでいいんだな?」
トーカは内心助かったと胸を撫で下ろしていた。
そして心を落ち着かせて答えることができた。
「ああ。そちらが敵対してこないのならばこちらから敵対する理由はない」
が、その落ち着きようも次の言葉を聞いたことでなくなった。
「もう一つ。あっちにいる子供達は……エルフの子供か?」
トーカに興味を向ける分にはまだ構わない。
だが、子供達に向けるなら別だ。
刺し違えてでも———。
そういう感情がトーカから滲み出ていた。
「勘違いするな。エルフの子供に興味はない。それよりもだれが、エルフの子供に手を出した?まさか観光にでも来たと言うつもりじゃあないだろう?」
目の前の少年の様子は本当に子供達には興味がない様子であった。
だがその言葉からは少年とは思えぬ重圧を感じた。
それにその問いは答えに困るものであった。
「それに答える義理はない」
トーカは拒絶の意を示したが、それで許してくれるほど目の前の少年は優しくはない。
しかし、トーカとて譲る気などない。
そこで譲るならば最初から隠してなどいないのだから。
まったく引く気はないと睨みつけるトーカとそれに一切怯むことなく見つめ返すアーノルド。
だが、トーカはアーノルドの瞳をずっと見ていることはできなかった。
それは自身にある負い目なのか、まったく引く気のない少年の圧に屈したのか、それはわからないが意志とは無関係に目を逸らした。
「はぁ……、何もこの子達が攫われたと決まったわけではあるまい」
そして言い訳のように、自身でも無茶な言い分だとわかっているが意図せず口から出た。
目の前の少年が呆れるようにため息を吐くのも当然だった。
トーカも自分にため息を吐きたい気分だった。
それほどまでに後手後手にまわっている。
全てが裏目に出ているような感覚。
「では、エルフの宝であるはずの子供をわざわざ自らが引き篭もる領域から連れ出してまで探検していたとでも言うのか?そのような愚行を犯すとは存外エルフというのは学習能力がないのか?……それとも自らの力を過信しているのか?過信するほどの力は持っているようだがな」
“自ら引き籠る”、この言葉を聞いたトーカは理性という名の蓋が、自身が先ほど無理やり閉じた蓋が吹き飛んだ。
エルフの奥底に眠る激情とも怨念とも言えるそれは、似た魂を持つアーノルドがエルフ達を封じ込めた本人ではないと分かっているにも関わらず抑え込めない。
感情の抑制が効かぬという自覚はあったが、それでも口から出る言葉を抑えることが出来なかった。
「我々エルフの実力を随分と過大評価してくれているみたいだが……確かに大昔にエルフが一国を滅亡に追いやったのは事実だ。だが、我々エルフが境界に引きこまざるを得なくなった理由を貴様は知らないのか⁈私はお前達のことをよく知っているぞ⁉︎たとえ名前が変わろうが姿形が変わろうが我々にはわかる‼︎」
当時の状況を昨日のように思い出し、納得などできず、かといって逆らうこともできぬ超常の存在を前に何も出来なかった自分を憎悪し嘲笑し軽蔑したときの感情が蘇る。
それをアーノルドへとぶつけた。
気がつけば地に組み伏せられていた。
「流石に今のは見過ごせないでしょ」
軽い口調に聞こえるが、その者からは最も死に近い匂いがした。
化け物3人に押さえつけられ抵抗する気すら起きない。
いや、もとより抵抗する気などない。
自身の感情すら制御できず、まったく関係のない第三者に憎悪の感情を向けた自身を恥じた。
当時関係のない自分が同じ種族だからという理由だけで閉じ込められたことで憤っていた自分が、その祖先に似た魂を持っているという理由だけで怒りをぶつけた。
エールリヒには王妃の子供だという理由だけで罪となるわけではないと言ったにもかかわらず。
地に組み伏せられたことによって顔に接している土の冷たい感触がトーカの頭にかかっていたモヤのようなものを取っ払い少しばかり冷静にさせた。
「いや、トーカ‼︎」
「トーカ‼︎」
そうすると、自身にとって何よりも大事な自身の命を賭してでも守るべき存在の声が聞こえてきた。
このままではあの2人まで巻き込んでしまうと、失っていた熱を取り戻したトーカはガバッと顔を上げた。
「来るなっ!お前達!」
目の前の人物達はエルフの子供にもトーカにもそれほど興味を持っているようには見えなかった。
ただただ敵か否か。
判断基準はそれだけに見えた。
もしあの子達を人質に取ったり危害を加えるなら、自身の命を燃やしてでも相手を殺すと決めている。
エルフにとっては子供とはそれほど大事であるし、また自らの命もまたそうやって救われた命であるからだ。
自身の命は次代のために。
それこそが自分のために死んでいった、自身の愚かな行為が招いた同胞への贖罪なのだと。
だが、そんな覚悟も意味がないとばかりにトーカの拘束はアーノルドの一声であっさりと解かれた。
が、拘束が解かれたからといってまだ話が終わったわけではなかった。
「それじゃあ、話を戻そう。お前達エルフが報復しにくる可能性はどれくらいだ?」
アーノルドの鋭い視線がトーカへと向けられた。
難しい問いである。
子供達がいなくなって数年が経っている。
エルフにとって数年というのは長くはないが、これだけ子供達が姿を見せぬとなると長老達も慌てふためいているだろう。
いまの状態でこの世界に大々的に出ていくことは出来ないだろうが、勝手に抜け出してきたトーカ以外にも既にエルフを送っているかもしれない。
が、幸いにも長老達を納得させるだけの材料はある。
エールリヒが筋を通すと付いてくるのだ。
過激派のエルフがいないいま、わざわざ危険を冒す者はいない……と信じたい。
「……大丈夫だ。私が来させはしない」
どうやってなど、具体的なことは言えない。
それを話すにはエールリヒのことを話さなければならないからだ。
元々トーカは隠し事というのが得意ではない。
すぐに表情に出るのだ。
「ふっ、それを信じろと?」
少年は嘲るように鼻で笑った。
信じられようはずもない。
もう少しマシな言い訳をしろと誰もが思うだろう。
ギリギリわからぬギリギリをなんとか絞り出した。
「エルフは契約を重んじる。今回のことは人間との間で既に話はついている。たとえ被害が出るとしてもそれは今回の加害者だけだと。もしそれ以外の者に危害を加えようとする者がいたならこちらで始末する」
誰とは言わない。
これ以上は言わない。
嘘は言っていない。
だが、真実でもない。
それゆえトーカは顔を僅かに顰める。
「その契約者は誰だ?」
当然の問い。
「それは言えない」
だが、トーカは確固たる意志をもって拒絶の意を示した。
すでにエールリヒからはエルフの子供達、そして自身を王妃から解放するという対価を貰っている。
ここでそれを明かすことはエールリヒへの不義理である。
そしてそう言っても目の前の少年はトーカを殺しにくることはないだろうと思った。
むしろここで言う方が危うい。
エルフは契約を重んじるという仮定が崩れるのだから。
トーカは決してアーノルドから目を逸らさなかった。
逸らせば終わる。
それがわかった。
「はぁ〜、害がないなら放置で構わん。わずかなリスクがあるからとより大きなリスクを背負ってまで全て根絶やしにする必要はない。行くぞ」
アーノルドが去っていったあともトーカは恐懼の余韻がその身を侵し、息が荒くなっていた。
クレマンなどに比べれば強いということもない、権力という意味ではトーカを脅かせるだろうが、アーノルド本人がたとえいまの弱体化しているトーカに襲いかかってきても返り討ちにできる。
だが、トーカがアーノルドに感じたのはそんな単純な強さによる恐怖ではなかった。
少年とは思えぬ言葉の重み、迫力。
そしてその身に宿る底すら見えない闇の気配。
それにたかが数年しか生きていないとはとても思えなかった。
まるで数十年数百年生きているような、クレマンとはまた違った化け物の気配を感じ取り畏敬の念を抱いていた。
トーカが自分の昂った気持ちを落ち着けていると、またしてもクスクスと愉しんでいるような笑い声が森に響き渡った。
——面白いものを見せてもらいました。無礼の対価はこれで相殺としておきましょう、森の子よ
それを機に見られているような視線が無くなった。
トーカは顔を顰めるが、超常の存在相手に何もできることはない。
むしろ、弄ばれたわりには生きているということは本当に害意などないのだろう。
無論、だからといって安心など出来ないし、何が目的だったのかも分からない。
トーカは再びフードを被り、この森を早く抜けて境界へと帰るために子供達と共にアーノルドとは逆方向に駆けていった。




