67話
長いです
人里離れた山岳の上からマグル平原を見下ろす影が2つ。
そこはマグル平原からはかなり離れた場所である。
「おい!呆けてないでさっさと記録をつけろ!」
とある国の諜報員。
記録係として今回派遣されたのは新人であった。
(なんでこんな重要な任務が初の任務なんだよ!それに・・・・・・なんだよあれは?)
新人は自らの境遇を嘆き、天を裂いて現れた死神を見て以来体の震えが止まらなくなっていた。
「クソ‼︎貸せ、お前‼︎上は何を考えてやがる。こんな重要な任務に運悪く人がいないにしても新人を派遣するか⁈こういうときにこそふんぞり返っているテメェらがちゃんと働けってんだよ!」
本来ならばこの男が遠くから状況を魔法を使って観察し、記録係がそれを暗号にて記録するのだが死神の圧に当てられた新人はそれを記録するペン型の道具を持つことすらままならなかった。
痺れを切らした観察係が記録係の用紙を奪い取って記録していった。
手元を見ずに文字を書いているためなんて書いているのかわからないようなミミズ文字が出来上がっていた。
本人ですら解読出来るのか定かではない。
それから幾許かの時間が経過した後、突然宙に浮いていた術者に異変が起きた。
「なんだ?・・・・・・こりゃいい。あのダンケルノ公爵家に属する騎士の実力を垣間見えただけじゃなく弱点までわかるかもしれんか?昇進待ったなしだな⁉︎」
ロキが突然倒れたことで何らかの情報が得られると思った男はかなり気分が高揚していた。
しかし未だに震えの取れぬ新人にはそんなことで喜ぶ余裕などなかった。
今すぐにでも逃げ出したい臆した気持ちを手首を強く握ることでなんとか抑えていた。
「でも・・・・・・あんなのに本当に勝てる人いるんですか?」
恐る恐るか細い声で呟くように尋ねるが、それに対する返答は素っ気ないものであった。
「知らねぇよ。それを考えるのもするのもお上の人さ。おれは死んでもごめんだね。あんなのと戦うのはな。流石は化け物貴族の騎士だな。化け物の騎士も化け物ってか」
男は話が出来るくらいに調子が戻ったならさっさとペンを持てと記録用紙をぞんざいに返した。
「でも・・・・・・覗いていて・・・・・・バレないんですか?」
これはある意味、この男の能力を疑っている発言でもある。
人が人ならば激怒され、下っ端の記録係など殺されることもありえるだろう。
だが、男は気を悪くした様子もなく平然と答えた。
「どうだろうな。俺も自分の能力に自信は持っているが・・・・・・正直あんなものを見せられちゃ絶対大丈夫なんて言えないわな」
男は苦笑いを浮かべてそう言った。
次元が違う。
人の領域すら超越した能力を見せられ、人でしかない自分が自信があるなど口が裂けれも言えなかった。
それから少しして事態は急変した。
「なんだ・・・・・・ありゃ・・・・・・⁈」
死神を見たときでさえ冷静だった男が初めて狼狽えるような声を出した。
記録係の新人はその声色に何かを感じ取ったのか、ビクリと肩を震わせた。
「ど、どうか・・・・・・したんですか?」
新人がそう問いかけたが男からの返事はなかった。
そして——
「やべぇ‼︎おい、今すぐ逃げるぞ‼︎」
男が立ち上がり、すぐに今まで取った記録用紙が入ったバッグを手渡してきた。
それ以外のものは全てそのままである。
「え・・・・・・?」
だが新人は突然の事態に対応できなかった。
事態の変化についていけず、まるで時が止まったかのように体が硬直していた。
「早くしろ‼︎死にてぇのか⁉︎」
大声で怒鳴られてやっと石のように固まっていた体が動かせるようになった。
しかし、もはや遅かった。
「せ、先輩‼︎」
恐れ慄いた表情をした記録係を見た男が振り返ると、まるで口を開けているかのように生物の如く蠢く闇が今まさに男を飲み込まんとしていた。
「行け‼︎逃げろ‼︎逃げて絶対にあのガキの能力を本国へ伝えろぉぉぉ‼︎」
男は闇に絡め取られ助からないことを悟り、せめて自国のためにあの新人が逃げ切れることを祈って生き絶えていった。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
新人は後ろを見ることもなく、走りに走った。
一度目に入ったあの闇が恐ろしく、足が絡れ、転びながらもただ只管に走った。
一目見たあの闇が恐ろしかったが、恐ろしいが故に後ろに迫っていないか確認せずにはいられず途中で後ろを振り返ったときに見たあの巨大な黒いドーム。
あれが何だったのか。
先輩が何を見たのか。
それは記録用紙には書かれていなかった。
あの戦場の付近には自国他国組織問わず、かなりの諜報員が覗いていたが、あの黒いドームの内部を見た者は全員闇に飲まれて死んでしまった。
皆が皆、あのドームが作られた領域の外にいたのに。
生き残ったのはあの新人のみ。
それ以外の者は全員が闇に飲まれて消えた。
――∇∇――
それから半年が経過した。
季節は秋も終わり。
アーノルドはあの戦いから3ヶ月の間ずっと目を覚さなかった。
目覚めたアーノルドはロキの術を見たのを最後にそれ以降のことは何も覚えていなかった。
ロキの術の中で何を見たのかも、その後の暴走も何もかも。
闇のドームの中で何があったのかを知っている者はあの3人だけ。
そしてその報告を受けた公爵のみである。
闇のドームは辺り一帯を覆い、その内部にあるもの全てを飲み込んだ。
その中にはマグル平原にあったワイルボード侯爵が普段暮らしている街も当然あった。
だが、侯爵は小汚い平民をあまり見たくなかったためその街に暮らすことを許されていたのは騎士の家族、そして僅かな商人のみだった。
そのため、侯爵領に住まう民達の被害はあの戦いに兵士として赴いていた者達だけで済んだ。
その代わりといってはなんだが、侯爵の家族、そして侯爵領に向かったと思われる第一王子の姿も消えた。
王族を殺害したということで問題となりダンケルノ公爵家はハイエナのように腐肉を漁る複数の貴族からの糾弾を受けた。
だが、当の本人のアーノルドは目覚めていなかったし、そもそも第一王子が本当に侯爵領に行ったという証拠は何一つなかった。
そもそも、実際に侯爵領に居たのだとしても、戦場になると分かっている所にわざわざ自分から来ている時点で糾弾内容としては弱い。
それでも、王族の殺害というのはどんな理由であれ、責める理由にはなり得る。
当然だ。
身分というものはそうそう覆るものではない。
だからこそ、身分が上の者には誰も表立って逆らえないのだから。
だが、1番重要な第一王子がアーノルドの攻撃に巻き込まれたという証拠もなかった。
愚鈍な貴族は声高に声を上げ、理知的な貴族ほど沈黙を選んだ。
そして、バカな貴族は公爵によって処理された。
処理されたと言っても殺されたわけではない。
相手が弱みを見せれば攻撃してきたように、丁寧に丁寧に追い詰めただけだ。
ダンケルノ公爵家をダシに自らの権威を高めようとした者達は挙って権威を下げる結果になった。
アーノルドは目覚めてから休む間もなく忙しい日々を送ることになった。
まずは今回の騒動の事後処理について。
そのほとんどは今回のことに責任を感じているクレマンが陰で動き、公爵が表立って動いたことによって解決していた。
だが、当然ながら解決したからとそれで終わりにして良いわけではない。
本来ならばアーノルドがやるべきことを肩代わりしてもらったのだ。
当然その対価を支払わなければならない。
この家に家族だからなどという理屈は通用しないし、アーノルドもそんなことを言うつもりもない。
アーノルドは今回の戦争で得たワイルボード侯爵領を対価に色々と環境を整えるつもりだった。
侯爵領を持っていることによって得られる収益は魅力的ではあるが、公爵に預けようと将来アーノルドが公爵になれば戻ってくるものである。
渡そうが問題がない。
それにまともに運用などできない。
それゆえ目先の利益よりもまずは環境を整えることを優先するつもりだった。
だが、今回のアーノルドの暴走でそれは御破算になった。
侯爵領のみで今回の騒動の後始末の対価にはならなかった。
それに鉱山自体は魅力的であるが、公爵領とは離れた領地であり扱いづらい。
そのため、公爵にとってもそこまで魅力的である土地ではないのだ。
更に侯爵はエルフの武具を借りる担保にあの鉱山の所有権を教会に渡していたらしい。
それも面倒ごとに発展した。
あの鉱山はこの王国にとっても重要なものなので、勝手に教会へと渡すのは王国への裏切りとも取れる行為であった。
当然そんなことは王国としても認められなかったし、公爵家としても教会の言い分など知ったことではなかった。
幾ら侯爵領に存在しているとはいえ、それら全ては所詮王家が侯爵に所有を容認している国の財産に過ぎない。
国内における貴族同士の悶着ならば王家もとやかく言わないが、それを王家の許可なく勝手に他国に売り渡すなど到底容認出来ないし、それはブーティカ教の総本山であるブーティカ聖国も承知のはず。
にも関わらず、そのような行為をするというのは喧嘩を売ってきているようにしか思えない。
だが、当然そんなことを額面通りに受け取ることはしない。
裏の目的があるはずだと探りを入れるのは当然だ。
それはもうアーノルドがどうこう出来る領域を超えている。
一体如何なる約定があって公爵がこの国に貢献しているのかは分からないが、それに対しては国のために公爵本人が出張って解決したようだ。
そうしてアーノルドが寝ている間に戦争の後処理は全て済んでいた。
もっとも、その対価としてアーノルドは今回の戦争で敵が使っていたエルフの武具を一つ残らず対価として公爵へと献上することとなり、手に入れた侯爵領も公爵の手に渡ったのだが。
だが幸いにも、公爵もアーノルドから取り上げるだけではなかった。
今回の騒動、最後の詰めは悪かったが、それでも正確な顛末を知っている者はごく僅かであり、ヴォルフとは誓約魔法でクレマンとお互いを縛ったため何が起こったのか外に漏れることはない。
結果だけを見ればアーノルドの能力によって残っていた相手の兵全員と街一つが壊滅した、そう取れなくもない。
それにその考えに追い風を送るかのような情報もダンケルノの与り知らぬところで拡散されている。
あの惨劇を齎したのはダンケルノ公爵家の三男だと、それも5歳というありえない年齢で。
この時代では類を見ないほど迅速に拡散されていった。
この情報を唯一得れたあの新人が属していた国が秘匿ではなく売買を選んだからだ。
それによって、彼の国の国庫は嘗てないほど潤っていた。
だがそれでも、あの闇がアーノルドの能力であるというのは記録にはない。
あの観察員の最後の発言によるもので推測されているだけだ。
生き残ったあの者も直接見たわけではない。
それゆえ、半信半疑な者、誇張されているだけだと思う者、箔付けのための偽情報であるなど議論は絶えなかった。
ほとんどの者はアーノルドの能力などと信じていない。
あの惨憺たる惨状を直接見ていないのだ。
どれだけ言葉から想像しようと、どれだけ状況証拠からあの惨劇を齎したのがアーノルドである可能性があろうが、そんなことは常識的にありえないと判断されるだけ。
人間は自身が知っていること、想像できることしか受け入れることは出来ないのだから。
だが結果として、今回の戦いは対外的にはアーノルドの勝利で終わっており、ダンケルノの力を世に知らしめたのも事実。
信賞必罰の罰は支払ったので、あとは賞であった。
そこに例外はない。
それに公爵は公爵で何か得られたように満足気でもあった。
アーノルドがいくつか提示された中から選んだのは、公爵がいくつか持っている爵位の中から一つ男爵位をもらうことであった。
王国から与えられている爵位は公爵位だけではない。
功績を挙げるたびに歴代公爵達が貰った爵位が山ほど存在する。
もはや何の価値もない形だけの爵位だ。
もはや使わぬ権力など形骸化しているし、別段領地があるわけではないが、書類上では有効な爵位である。
公爵家の子息というのも確かに強力であるが、爵位を持っていないことには変わりがない。
爵位があろうがなかろうが、アーノルドの振る舞いは変わらないが面倒事が減るのは確かである。
特に貴族でありながら娼婦の子供という汚点を持つアーノルドには重要な要素であった。
アーノルド自身は後継者争いにそれほど興味はないが、周りから見ればアーノルドが一歩リードしたように見える。
それは公爵が手ずから褒美を賜わせたことにより、傍目には明らかであった。
実際公爵がどう思っているなど当の本人にしか知り得ないが。
男爵位をもらったことによってそれ相応の領地もついてきた。
公爵領の端にある村2つ。
そこをアーノルドが治めろということらしい。
ただの厄介払いのようにも思えるが、それでも自由に扱えるところが増えるのはアーノルドにとっても好都合である。
アーノルドはそこを基盤に技術開発をしていくつもりである。
アーノルドが目覚めてからかなり経っているが、もう一つのやるべきこととしてワイルボード侯爵との対面がある。
メイリスがついでに捕らえていたため、勝手に殺すわけにもいかず地下牢で最低限生き残れるだけの糧を与えられ生きながらえていた。
だが、既に対外的には侯爵は死んだことになっている。
亡骸すら見つかっていないのだ。
それにワイルボード侯爵家は既に滅んでいる。
婿養子も居らず、親族も全員が消息不明。
物理的に継げる者が存在しないため存続出来なくなった。
アーノルドもやるべきことがあらかた片付き、余裕が出来たためやっと地下牢へと向かうこととなった。
正直もはや侯爵のことなどどうでも良い。
言ってしまえばアーノルド個人としては別段侯爵自身に恨みなどない。
強いて言うならばあんな娘を育て上げたことに関する文句がある程度だ。
既に殺したという扱いならばもうどうでも良いのだが、それでも生かしてここから出すことも出来ない。
それに聞きたいこともある。
だからこそ赴かなければならなかった。
冷たい石が敷き詰められ、壁にある燭台の蝋燭の光のみが光源となっている地下牢はとても侯爵を捕らえておくような気品ある場所ではなかった。
アーノルドが指示したわけではないが、ダンケルノ公爵家の使用人達も侯爵に配慮するつもりなど微塵もないことが窺える扱いだ。
アーノルドが地下牢に来て初めに目に入ったのは手と足が鎖に繋がれてぐったりとしている痩せ細った男であった。
侯爵は報告では中年腹を持つデブとまではいかないが脂肪を丸々と蓄えているような人物であるとなっていた。
だが、目の前のげっそりとした男は似ても似つかぬ小汚い男であった。
スラムにいる浮浪者と言われても納得しただろう。
まぁ、数ヶ月間最低限の食料しか与えられなかったのだから無理もないのだが。
「さて、貴様がワイルボード侯爵、いや元侯爵か」
アーノルドが鷹揚に問いかけるとジャラリと小さく鎖の音が鳴った。
「ふっ、・・・・・・やっと・・・・・・来たか・・・・・・やっと」
笑みを浮かべて自嘲気味に笑っている侯爵は数ヶ月間ほとんど喋ることがなかったからか声を出すことが苦しそうであった。
「水でも持ってきてやれ」
アーノルドは目の前の男を改めて観察した。
なんの覇気も持たぬただの凡夫。
たとえ万全な状態であったとしても、アーノルドの目に止まることはないだろう。
だが、一つ評価する点があるとするならば、このような状況になっても未だ冷めやらぬ憎悪の瞳をアーノルドに向けれていることだ。
侯爵は溢さんばかりの勢いで水を飲み干し、改めてアーノルドを睥睨した。
「ついに、私を・・・・・・殺しにきたのか?この悪魔の子が」
まだ30〜40代のはずであるが枯れた声とその姿からまるで老爺のようであったが、その瞳には燃え盛らんばかりにアーノルドへの憎悪が満ちていた。
アーノルドはその瞳に臆することなくただ悠々と、そして傲岸たる様で返答した。
「ああ。だが殺す前に貴様に聞きたいことがある」
声を荒げる侯爵に対し、アーノルドは冷静そのものである。
それに、アーノルドのその瞳はそれこそ侯爵など映していないかのように無機質なものであった。
自らなど眼中にないといった様子のアーノルドを見て、侯爵は怒りに表情を歪ませながらギリっと歯噛みをした。
「私も貴様に聞きたいことがある」
侯爵の態度は鎖に縛られ自由すらないこのような状況であっても不遜であった。
それはアーノルドに対して決して媚びぬという意志を体現しているかの様であった。
アーノルドの付き添いとして来ていた騎士が侯爵の言葉遣いに不満を露わにし剣を鳴らした。
だが、アーノルドはその行為に対して嘆息するだけであった。
「余計なことはするな」
侯爵の態度などアーノルドにとってはどうでも良い。
自身に遜ろうが、横柄だろうがどうでもいい。
侯爵の態度によってアーノルドが変わることなど何一つないのだから。
だが、形ばかりの敬意を払う者よりよっぽど好感が持てる。
この別邸の使用人もあれからかなり様変わりした。
早速ダンケルノとしての頭角を表したアーノルドへと鞍替えしようとする者。
噂を聞き、恐れ慄き、もはやこんなイカれたガキには付き合ってられないとばかりに逃げ出した者。
学習せず今回のアーノルドの功績を娼婦の子供如きが出来るわけがないと、この邸宅内で陰口を叩き、アーノルドが目覚める前にクレマン達によって処理された者。
もはやアーノルドに付くと決めたクレマン達は様子見を決め込むほど気も長くはない。
たとえ別の後継者の間者であろうと丁寧に送り返した。
貴族として、贅沢をし浪費することは美徳であるが、正直あれほど多くの使用人など必要ないのである。
それゆえ抜けた穴の補充は特にされていない。
問題なく屋敷の管理は出来ているし、アーノルドの母親であるメイローズが率先して間引いたため今やアーノルドが住まう屋敷はとてもスッキリとしていると言ってもいい。
今、斜め後ろに控えている騎士は今回の戦争に同行した騎士の1人である。
臣下ではなく配下に加えてくれと言う者が多かった。
それは実質アーノルドの下に付くという宣言だ。
それはアーノルドが今回の戦いで得た戦利品の一つとも言えるだろう。
「さて、まさか相見えるのにこれほどの時がかかるとは思わなかったが、私も暇ではない。さっさと済ますとしよう。まったく面倒なことだ」
その言葉を聞いた侯爵は鎖をジャラジャラと盛大に鳴らしながらアーノルドを血走った眼で睨みつけてきた。
貴様がそれを言うのかと。
こうなった全ての原因を作り出した貴様が言うのかと。
侯爵はアーノルドの言葉を看過出来なかった。
怒りで鼻息を荒くし、必死の形相で鎖に繋がれた手を伸ばそうとしアーノルドを締め殺さんとしていた。
だが、その手が届くはずもない。
護衛騎士は暴れる侯爵を押さえつけるために動こうとしたが、アーノルドがそれを手で制し、代わりに粛然たる様子で口を開いた。
「何をそんなに怒る。私と戦わずして負けたことか?それともこんなにも来ることが遅れたことか?まさかとは思うが・・・・・・馬鹿な貴様の娘を殺したことか?」
何に怒っているかなど聞くまでもない。
娘を殺されて怒らない親などいないだろう。
いや、貴族ならばいるのかもしれない。
だが、この目の前の男はそうではない。
侯爵からすればアーノルドは娘をただの子供の癇癪で殺した上に家族すらも殺しにきた不条理で横暴で貴族としての道理すら弁えない子供でしかない。
人の心など持ってなく、礼儀すらなっていない。
ただ本能のままに行動する獣。
ダンケルノ公爵家という猛獣に守られているから好き勝手出来る獣。
そんな身勝手な獣に娘を殺された侯爵は今すぐにでもその獣であるアーノルドを殺してやりたかった。
だが、侯爵が激怒しているようにアーノルドとてそれなりに怒っている。
あの馬鹿な娘のせいで一体どれほどの時間を無駄にすることになったのかと。
得られたものも多いが、失ったものもそれ相応に多い。
侯爵が直接的な原因ではないが、それでも好意的な態度など取れようはずもない。
「貴様が、貴様がそれを言うか‼︎」
侯爵は耳が聾するのではないか思うほどの大声で絶叫した。
突然大声を出したためか、侯爵は咳き込み苦しそうにしていた。
そんな有り様になっても侯爵はまだアーノルドに強い意志を持った瞳を向けていた。
アーノルドはそんな侯爵を鼻で笑った。
どれだけ威張ろうが、どれだけ声を荒げようが、痩せこけ、鎖で繋がれ余喘を保っているだけ。
この結末は必然の結果である。
この世は正しい者が勝つのではない、強い者が勝つのである。
それをアーノルドは知っている。
正しさで集めれるのはただの人だけ。
いや、それすらも集まらないこともある。
だが、強い者には全てが集まる。
人も権力も金も。
そうなるように出来ている。
いや、そうなるように創られているのだ。
他でもない人間によって。
アーノルドは権力という強さを持っていた。
生まれながらの強さを。
それだけで侯爵は負けたのだ。
何も不思議なことはない。
アーノルドがそもそも侯爵よりも権力が下ならばあのような暴論、戦争すら成立してはいないのだから。
だが、それでもアーノルド自身の力によって今回の戦いを勝ちで終われたことには違いない。
侯爵は自らを見下すような尊大な態度のアーノルドも気に障ったらしく眼を血走らせ、今にも叫びださんとしてた。
だが、その前にアーノルドが侯爵の前に進み出た。
それに対して侯爵は眉をピクリと跳ね上げ、より強く睨め上げた。
「侯爵、なぜ激怒する?何を悲嘆する?これは貴様の望んだことであろう?」
アーノルドは怒るでもなく、見下すでもなく、何の感情もない顔をしていた。
ただ心底理解できないと侯爵を直視する冷たい双眸が光輝いていた。
「な、何を・・・・・・」
侯爵はアーノルドが何を言っているのか理解できず言葉に詰まった。
だが、すぐに目の前のこの子供は人間などではなく怪物なのだと思った。
怪物に人の心などわからない。
大事な者を殺される痛みや苦しみなど到底及びもつかないのだろうと。
親の愛情すら知らず、誰からも祝福されぬ娼婦の子。
見下ろしてくるアーノルドの目が人間を人間とも思わぬ冷徹なものに見え、侯爵は意図せず体が強張った。
だが、そんな侯爵の心が整う前にアーノルドは更に言い募った。
「貴様の娘は貴様の思い通りにちゃんと生贄としての役割を果たしたではないか。まぁ肝心の貴様が失敗したのではあの娘も浮かばれないがな」
アーノルドはフッと憂いを帯びた笑みを浮かべた。
亡き娘を偲ぶよう表情を浮かべるアーノルドを見て、侯爵はより混乱した。
「い、いけにえ・・・・・・?」
辛うじて言葉を絞り出したがまったく話についていけていなかった。
「そうであろう?あの娘は晴れて生贄としての役割を全うしたのだ。よかったではないか」
「生贄だと⁈そんなものを差し出した覚えはない‼︎」
ずっと言葉に詰まっていた侯爵は二度言われたことでやっと頭が回転し出し、そんな言葉など認められるかと大声で反論してきた。
我が娘は断じて生贄などではないと。
「そうか、奴は生贄ではなかったのか。それではあの娘はただの馬鹿であったということだな。まぁ、あの娘もお前の被害者なのかもしれんがな。なぁ、侯爵」
「貴様!貴様はさっきから何を言っている‼︎この、この!殺す‼︎殺してやる‼︎よくも娘を!よくも!」
侯爵はアーノルドの言葉などまともに聞いても意味がないと、そして目の前の子供が改めて娘を殺したのだと再認識し殺意が沸々と湧いてきた。
だが、いくら暴れようと手や足に嵌められた枷は外れない。
籠の中に囚われた鳥のように、ただ鎖が伸びる範囲でジタバタともがくことしかできない。
何一つ自由がない侯爵を見て、アーノルドは憐れむように憫笑した。
「一つ聞くが侯爵。貴様は自身より身分の低い者に暴言を浴びせられたらどうするのだ?」
アーノルドの突然の問い。
侯爵は足掻くのをやめてアーノルドを忌々しげに睨んだ。
だが、どれだけ睨もうがアーノルドは何も言わない。
侯爵だけがアーノルドを睨んでおり、その温度差が激しい。
ただ牢の閑寂さだけが耳を抜けていく。
騎士達が侯爵を見つめる中、人の目を気にして生きてきた侯爵にとってはその滑稽な構図に耐えきれず、その重たく閉ざされていた口を開いた。
「そんなもの決まっておる。それ相応の罰を与えるまでよ」
フンっと鼻を鳴らし、答えるのも嫌だと言わんばかりに顔を背けて吐き捨てた。
だが、アーノルドに言わせればそれもまた滑稽であろう。
他者の目に縛られて自身の行動を変えるなどアーノルドならばありえない。
「例えば?そうだな・・・・・・、平民ならばどうだ?」
侯爵は怪訝そうにアーノルドを見たが、本人の表情は至って真剣である。
これ以上目の前の怪物と話などしたくもないが、もう、一度は返答したのだ。
ここで答えぬというのも可笑しな話と、少しばかり荒々しく返答した。
「そんなもの決まっておる。死刑だ。死刑以外にあるはずなかろう」
それ以外にあるのかと、くだらん質問をするな、と睨みつける。
だが、アーノルドはそんな視線など気にせず、少しばかり口角を上げて話を続けた。
「だが、平民共はそんなことは横暴だと言ってきたぞ?ほらどうする?」
その薄暗い牢屋を照らす燭台の上にある蝋燭の火が揺れ動きアーノルドの顔に一瞬影が差した。
そのとき闇に輝くアーノルドの双眸を見て、侯爵は一瞬怖気が体を突き抜けた。
何かよくわからぬが恐怖の心が芽生えた。
石畳の殺風景なこの空間に侯爵が吐く荒々しい息遣いだけが聞こえてくる。
アーノルドは別に威圧をしたわけではない。
だが、あの一件以来アーノルドの纏う雰囲気が変わった。
それは確かなのだ。
「どうした?答えられんか?」
アーノルドは嘲るでもなく、ただ平然と侯爵に問うた。
だが、今の侯爵にアーノルドを見る気力などなかった。
それでも亡き娘を想ってか、目の前の怪物だけには屈しぬと下を向きながらではあるが声を張り上げた。
「き、決まっておる!叩つぶすのみだ!平民が納得できぬなど知ったことではない!」
侯爵は自らを奮い立たせるように大きな声を出した。
それでも、アーノルドはただ淡々と続ける。
返答など分かりきっているとばかりに。
「では貴族はどうだ?」
「貴族ならば・・・・・・然るべき措置をする」
侯爵は少しだけ言葉に詰まり返答した。
平民とは違い、あらゆる状況が頭の中を駆け抜けたからだ。
「例えば?」
「程度にも依るし、身分にも依る。酷いのならば鉱石の取引を一切取りやめるとかだな」
「その違いはなんだ?」
「違い?侮辱の程度の——」
「違う。死刑とそうでない違いだ」
その言葉を聞いた侯爵は、予想だにしない発言に呆気に取られて目が点になっていた。
侯爵に貴族を殺すなどという発想などそもそもない。
「貴族だぞ⁉︎そう簡単に殺せるものではない!それに殺すことに意味などないだろう!それならば、賠償金やら利権を要求したほうが後々の面倒事を考えても断然いい!殺せば禍根を残すだけだ!今後の付き合いが一切なくなるわけではないのだ!殺せるわけなかろう!」
侯爵はこれでもかと自身の理を捲し立てた。
ただ感情に任せて損しかない行動をするなど、貴族としては考えられない。
だが、そんな必死な言葉もアーノルドの心には届きはしない。
「意味か。なら意味があれば殺しても問題ないということだな」
「なっ⁈」
暴論だと叫びたかったが驚きの余り言葉すら出てこなかった。
侯爵の吐く息がどんどん荒くなっている。
「侯爵、貴族の侮辱罪に対する刑罰が何かは知っているか?」
それはこの国で定められている法。
だが、目の前の怪物が法を熟知しているとも思えず懐疑的な表情が浮かんだ。
「・・・・・・それぞれの貴族の裁量に任せられておる」
侯爵は貴族として当然のように法を熟知しているので、その問いへの解を述べたが、アーノルドの真意を探るような弱々しい声色となっていた。
「そうだな。その通りだ。国の司法に任せても良いし、貴様の言う通りそのまま平民を殺しても問題はない」
侯爵の返答に満足げな表情を浮かべるアーノルドを見た侯爵は、眉を寄せてその真意を問うた。
「何が言いたい」
それに対してアーノルドは笑みすら浮かべない。
ただ淡々とつまらなさそうにしていた。
「いや、何、ちょっとした確認だ。さて、侯爵、本題に戻ろう。事の発端は貴様の娘が堂々と衆人環視の目がある場で私を侮辱したことだ。それは知っているな?」
アーノルドが侯爵に問うが、侯爵は否定も肯定もしなかった。
だが、アーノルドはそのまま続けた。
「当然放置できない問題だ。あの娘は私よりも自分の方が身分が上だと思っていたらしい。貴様はそれを聞いてどう思う?」
侯爵は言葉に詰まった。
娼婦の子などを貴族としてなど認めたくない。
そういう選民思想を持っているのは侯爵なのである。
純粋な血統こそが尊ばれるべきだと。
だからこそ娘達にもそういう教育を施したし、それを当然だと思っている。
だが、いくら侯爵がそう思おうが現実は変えられない。
書類上では、たとえ娼婦の血を持っていようが公爵家の子は公爵家の子。
それもダンケルノ公爵家の後継者候補。
侯爵の娘が侮辱していい相手ではない。
それも衆人環視の場ならば尚更だ。
そうでなくとも、たとえ嫌々であろうが自らが仕えている主人に対して使用人がとっていい行動ではない。
侯爵の品位も疑われる。
まともに教育すら出来ないのかと。
だが、それでも侯爵は叫ばざるを得なかった。
「だが、殺す必要はないだろう‼︎」
殺す必要などどこにあると、心からの叫びであった。
侯爵に謝罪を要求し賠償請求するなり、貴族としてまずやるべき対応があるだろうと。
周りの者もなぜアーノルドを止めなかったのかと。
100歩譲って子供の癇癪として突発的に殺そうとしたのかもしれない。
だが、その命令を受けた者が諫言し、貴族としての道理を教えるべきではないのかと。
だがそれはあくまでも貴族的な考え、それも勝手な思い込みに過ぎない。
当然のようにそんな考えもばっさりと切り捨てられる。
「馬鹿か、貴様は。殺す必要があるのかを決めるのは貴様ではない。私だ」
先ほどまでとは違い、明らかに鋭く冷たい声。
越えられない壁があるかのように突き放したような鋭利な言葉。
侯爵はその言葉に何も言えなかった。
この目の前の怪物には人間の理など通じないのだと。
そしてそれ放置する公爵家の当主、騎士、使用人全てを憎悪した。
「どうせ貴様は、貴族同士の揉め事は慎重に事を運ぶべきだ、貴族を殺すなどあってはならぬことだ、とか言うのだろう?それが普通だとでもほざくのであろう。だが、知ったことか。それはお前の価値観、考え方だ。自らの考えを他者に求めるなど馬鹿のすることだぞ。他者には他者の考えがある。当然だ」
「そ、それは暴論だ‼︎貴族にも繋がりがある。だからこそ勝手なことは出来んのだ!それによってお互いがバランスを取りながら自らの権利を主張するのだ!それこそが人だ‼︎自らのやりたいようにやる者などもはや人ではないわ‼︎言葉すら交わさぬのは、それはもうただの怪物だ‼︎」
ガシャンガシャンと鎖を鳴らしながら唾を盛大に飛ばす侯爵に、アーノルドは出来のいい生徒に向けるような、それでいて相手を嘲るような歪な笑みを浮かべた。
「そうだ。よくわかっているじゃないか。お前は相手が人の形をしているからといって人間であるとでも思っているのか?この世には人の姿をした怪物がたくさんいる。野盗などがいい例であろう。あいつらは法など守らず、奪い、犯し、喰らう、まさにやりたいようにやるだけの怪物ではないか。なぜ他者が怪物ではないと思っている?信じられるのは自身だけであろう。だが、勘違いするなよ。私は自身を人であるなどと言い張るつもりはないが、かといって無差別に誰も彼も殺す怪物ではない」
アーノルドは見下すような視点から、侯爵の目線に合うようにわざわざしゃがんだ。
「侯爵よ。この世は法があるからこそ人が人らしく生きていける。だが、罰を受ければ法を破ってもいいのなら身分制度など、それこそ要らぬではないか。貴様は与え甘やかすばかりで肝心なことを娘に教えなかった。たかだか他人の権力を自身の権力と勘違いさせ、なんでも許してきたのだろう?何をしても貴様がどうにかしてくれるだろうと。そうやって増長した結果があれだ。侯爵よ、貴様がしっかりと娘に教育を施していれば今回のような顛末にはならなかったのだ。他者に期待などするな。何をしても相手がこのようにしてくれるだろうなど、それはただのお前の幻想にすぎぬ。常に最悪の事態を想定しておくんだったな。少なくとも私はお前如きの娘のために我慢することも死んでやることもごめんだ」
「し、しぬ・・・・・・?」
突然の予想だにしない言葉に侯爵は狼狽を隠しきれなかった。
娘を殺すことと、アーノルドが死ぬことの因果関係が見出せなかった。
それに今の今までただの癇癪で殺されたと思っていたのだ。
もっともらしい理由などあるはずがないと思っていた。
「当然だ。私は舐められればいつ死んでもおかしくないような立場だ。まぁ舐められていなくても殺しにくるがな」
噂を信じず、弱いからこそ誇張した噂を流し、大きく見せているのだろうと思った者達や真偽のほどは如何にと考える者達が暗殺者を送ってきているのである。
特にアーノルドが賜った村に赴いた時にはほぼ毎回。
自らの汚点を隠すために、すべてを消し去ることはよくある。
それが出来るだけの力をダンケルノ公爵家の騎士達が持っているのも知っている。
ならば、アーノルドが何かしらの失点をし、それがバレないように全てを屠りさったと考える方が自然なのである。
しかし、暗殺しに来る者全てを殺しているからか最近は少しそれも落ち着いた。
弱い者から殺される。
ダンケルノでは今までもそうやって何人も候補者が死んできている。
それにアーノルドはただでさえ、身分という貴族社会の楔に苛まれる立場だ。
他の二人に比べれば殺しやすいと思うのも当然である。
それに噂が真実だとしても強くなる前に叩くなど常識だ。
もし噂が本当であるならば、それこそ今しか叩く機会などないのだから。
「たかだか小娘の狼藉すら見逃せばこぞって暗殺者が私の元に来ただろう。そう言う意味では貴様の娘は運も悪かった。いや・・・・・・、運などではないがな。まぁとにかく1番最初でなければ死ぬことはなかったかもしれん。最初が肝心だ。侯爵、貴様もそれくらいは理解できるだろう?」
理解できる。
当然だ。
1番最初、そこが1番大事なのだ。
侯爵も爵位を継いだ際にどれだけ毅然とした態度を取ることに苦労したか。
舐められぬようにと横柄に、尊大に映るようにと振る舞ったか。
だが、分かりたくないし、理解もしたくない。
それでも殺さずになんとかする方法もあるのではないかと。
「殺す。殺さない。この選択には天と地ほどの違いがある。そうだな、貴様にも分かりやすく例を出してやろう。貴様が平民に侮辱された時、その平民を死刑にすればその後貴様を侮辱する平民は増えると思うか?減ると思うか?逆に平民をただの罰金刑や従軍刑に処した場合増えると思うか?減ると思うか?」
侯爵は何も答えなかったが言うまでもなかった。
わかってしまった。
アーノルドにとって侮辱されたのが貴族か平民など関係ないことも殺さなければならぬ理由も。
だが、それでも尚それは全てアーノルドの都合であり、極論とも言えるものだ。
侯爵が心から納得するにはまだ弱い。
「私がリスクを負ってまでわざわざ貴様の娘を生かす理由などない。生かして返して欲しければそもそもまともな教育を施してから寄越せ。使用人の分際で分を弁えん言動など論外だ。それは私に対してだけではない。貴様とてそうであろう。身分を弁えず僭上な振る舞いをした奴を何度も殺しているのだろう?それだけでなく、ただ気に入らないと殺した者もいるそうじゃないか。他者に求めるならせめて自身はするな。そうでなければ筋が通っていない」
侯爵にとって貴族と平民は違う。
平民など幾らでも代わりがいる消耗品。
それを自身の娘と比較に出されても何一つ納得など出来はしない。
だが侯爵はもう何も言えなかった、何も言う気力もなかった。
どの道、もう娘は返ってこないのだと心が理解してしまった。
目の前の怪物を殺そうが、傷つけようがどう足掻いてももう娘は返ってこない。
侯爵は項垂れるように地面に腕を突き、動かなくなった。
アーノルドの揺るがぬ心に侯爵の心が先に折れた。
その後、アーノルドはエルフの武具の入手先などについて聞いたが、もはや抗う気もないのか従順に質問に答えていた。
だが、アーノルドには聞いていて一つ気がかりなことともう一つ聞きたいことがあった。
「貴様、エルフには会ったことはあるか?」
突拍子もない質問。
されることすら意味のわからない質問。
もはやここ数百数千年でエルフの目撃情報など皆無なのである。
御伽話の住民。
だからこそ意味のわからない質問のはずなのである。
だが、侯爵はゴクリと唾を飲んで返答した。
「あ、あるわけなかろう」
見ようによってはそんなことを聞くアーノルドに驚いているようにも見えるが、アーノルドはその些細な変化を見逃しはしなかった。
「どうした?冷や汗が出ているぞ?」
侯爵はアーノルドの言葉にビクリと肩が跳ねた。
ギリっと歯を食いしばったが、まだだ、まだ、となんとか堪えた。
「どうやら知っているみたいだな」
アーノルドが寝ている間にもあらゆることが起きていた。
当然あの戦争の背景やそれぞれの思惑なども調べられている。
公爵は必要以上の情報をアーノルドにやってはいない。
自分で調べろということだ。
本気で必要最低限しか関わる気はないらしい。
教会がエルフを探しているという噂がここ最近出ている。
その理由はわからないが信憑性は高いらしい。
そして今回のエルフの武具の入手先は教会であると判明している。
それと交換で鉱山の権利を手に入れているのだから。
だが、普通ならばありえない。
たとえ向こう何十年何百年と鉱石があるとしてもあれほど大量のエルフの武具と釣り合いが取れるなどとは考えられない。
ならばあれを放出してもいいほどの何かが他にあったはず。
そこでまず最初に思い浮かぶのがあのエルフの存在だ。
どこに捕まっていたのか、どこから来たのか何もわからないがそれでも怪しさは満点である。
侯爵は焦ったような怒ったような憮然たる表情をした。
その表情はアーノルドにとってよくわからないものだった。
だが、それを顔に出すわけにはいかない。
「どうした?私がエルフと会っていたら何か不都合なことでもあるのか?」
アーノルドは出来るだけ不敵な笑みを浮かべた。
「フフフ、騙されん。騙されんぞ!教会の者共から聞いたのであろう⁉︎そんな小細工は無駄——-」
「逆だ。私が聞きたいのはそのエルフを使って教会の犬共が何をしたのかだ。ああ、エルフに会ったのを疑っているのならあいつらにはフォグルの森の中で会った。結界魔法まで使ってさらに怪しさ満点の薄茶色いコートを身に纏った7人組にな。子供が4人に大人が3人、貴様らのところにいく1〜2日前にな」
合っている、遭遇するとしたらそのくらいであることも合っている。
だがそれでも教会から聞いたのではないという証拠にはならぬと侯爵は強く信じた。
アーノルドがエルフと会っていてここにいるのならば妻と娘は・・・・・・。
そんなことは考えたくもなかったし、認められもしなかった。
侯爵の唯一の希望。
アーノルドの攻撃によって辺り一帯が破壊され、皆が死んだ。
侯爵夫人や侯爵令嬢も例外ではない。
そうなっている。
だが、実際には違う。
侯爵夫人と侯爵令嬢は第一王子に連れられたエルフと共に侯爵領を事前に出ていたのだ。
ダンケルノの監視すら免れて。
本当なら死ぬはずだった侯爵夫人と娘が生きている。
それだけが侯爵の希望であり、死ぬまで隠すと決めていることである。
だが、もしや既に———
考えたくなかった。
信じたくなかった。
もし本当にアーノルドが既に妻と娘を殺しているのなら是が非でもアーノルドを殺さねば死んでも死にきれないと。
侯爵から殺意のようなものが漏れていた。
先ほどまであれほど弱々しかった者が突然活力を取り戻した。
アーノルドは騎士には手を出すなと合図した。
死にかけの侯爵がアーノルドに殺意を持つほどに活力を取り戻るもの。
家族関係しか思い浮かばない。
だが、夫人と娘は既にアーノルドの暴走に巻き込まれて死んだと伝えられているはず。
そのときの反応も抜け殻のように淡白であったらしい。
今更思い出し殺意を滲ませるというのは考えづらい。
やはり家族関係。
夫人や娘が死んだことは状況証拠でしかない。
ならば——
「夫人と娘の最後を知りたいか?」
実際には知らない。
たとえアーノルドの暴走に巻き込まれていようとどこかに逃げていようとそんなことは知らない。
だが、いまの侯爵には効果的面だった。
「きさまっぁぁぁぁあああ!殺す‼︎殺してやる‼︎クソ‼︎外れろ‼︎殺す‼︎殺すぅぅぅぅ‼︎」
侯爵は自身の腕などどうでもいいとばかりにガンガンと鎖を引きちぎらんばかりに引っ張りアーノルドへと腕を伸ばしてきた。
手枷が嵌められている侯爵の手首からは血が滴り落ちている。
今にも憤死しそうなほど顔を真っ赤しにものすごい剣幕で食ってかかってきていた。
夫人と娘は生きている。
侯爵の反応から分かった。
だが、生きていることはどうでもいい。
アーノルドにとって夫人と娘の命などどうでも良いのだから。
何なら侯爵の命ですら正直どうでもいい。
侯爵の反応を考慮すれば、あの集団のうち今判明しているのは、トーカと呼ばれた女エルフ、侯爵夫人、侯爵の娘、そしておそらく第一王子。
あと分かっていなのが子供2人に大人1人。
だが少なくとも子供1人はエルフの子供だろう。
不明なのはあと2人。
単純に考えれば、エルフの子供がもう1人と、侯爵夫人と侯爵令嬢を世話する使用人といったところ。
だが、もう1人のエルフという線もありえる。
「ふっ、安心しろ。まだ死んではいない。まだな。どうなるかは、侯爵、貴様の態度次第だ」
アーノルドは別に侯爵夫人と次女を捕らえているわけではない。
だが、侯爵はそんなことは知らない。
「き、貴様‼︎エルフにまで手を出したのか⁉︎分かっているのか⁉︎殺せばどうなるのか‼︎」
アーノルドの口ぶりからまだ殺してはいないのだろう。
そう信じたかった。
そしておそらくあのエルフごと捕らえられているのだろうと推測した。
侯爵はエルフを持ち出すことでアーノルドを説得しようとした。
だが、侯爵はまだわかっていない。
アーノルドにそんな理屈など無意味なのだと。
「二度言わせるな。他者のために私を犠牲にするつもりなどない。必要ならば誰であろうと殺す」
アーノルドの本心からの言葉である。
そこに演技はない。
その態度、その毅然とした言葉を聞き侯爵の方が折れた。
もはや妻と娘が助かる可能性があるのならそうする他ないと。
「・・・・・・何が聞きたい」
侯爵はもはや動く気力すらないというくらいぐったりとしていた。
「教会がエルフに何を要求したのか、それを吐け」
全てを聞き終えたアーノルドは喚くこともなくただ項垂れるだけの侯爵の首を何の感傷もなく淡々と刎ねて今回の戦いの幕を閉じた。
何とも締まらない幕切れだと嘆息しながらアーノルドは地下牢を後にした。




