57話
ハンロットはボードが構えたのを見てごくりと唾を呑んだ。
このクソ野郎は最低な奴だがそれと実力は関係がない。
少なくともその構えを見ると、口だけのやつには見えなかった。
自身の緊張を誤魔化すために両手で剣を握り込みしっかりと腰を落としてボードの一挙手一投足を観察した。
周りの雑音が聞こえなくなり、動くものの動作がいつもより遅いと感じるほど極限まで集中力が高まったっていった。
常時ではわかりもしないあるかないかの体の揺れからボードの動きを読み取ったそのとき、その動きの意識の隙間を狙ってハンロットは攻撃を仕掛けた。
無遠慮に至近距離まで近づいてきていたため、ボードは反応することもなく地に倒れ伏し動かなくなった。
拍子抜けしたような顔でハンロットが一息吐いた時、ハンロットの前方、ボードの部下達が固まっているところから悲鳴が響き渡った。
ボードの部下の1人が悲鳴を上げながら首元を押さえていた。
そしてそのまま誰も何もすることができず、近くの仲間に縋るように手を伸ばしながら生き絶えていった。
それを呆然としながら眺めていたハンロットは後ろで何かが動く気配がしたため、すぐに振り返り剣を構えた。
ハンロットが振り返るとボードが幽鬼のように立ち上がりながら不気味に笑っていた。
「フフフフフ、どうですか?これこそ私に相応しい神具であり、最も家畜共を効率よく使いこなせる最強の神具です」
満足げに高笑いをしているボードにハンロットは吐き気を催すほどの痛烈な怒りを覚えた。
要は自身の身代わりを仲間に強制するということである。
仲間といってもボードには痛くも痒くもないただの消耗品であるが。
心の奥から無尽蔵に湧き出る義憤と憎悪の感情を制御するので精一杯であったが、この程度で感情に飲まれ暴れるほど柔ではなかった。
「最強の神具ね・・・・・・。たとえその神具がいくら優れていようが使い手が弱ければ、どんなに強い武器を持とうが宝の持ち腐れでしかないぞ」
気持ちを落ち着かせるために表情を押し殺しながら声を張り上げず淡々とした口調でそう言った。
「まさしくその通りですね。どれだけ優れた武具を与えようが・・・・・・貴方程度を倒せないのでは意味がないですね。しかしこの神具によってその役立たず共も私の役に立てるのですから神具というものは素晴らしいものです」
ボードは自身の着ている神具に酔いしれるように眺め、ハンロットから視線を外していた。
隙を見せたボードに対してハンロットは叫びたい気持ちをグッと堪えながら攻撃を繰り出した。
先ほどよりも精神が乱れていたため少し乱雑になったがハンロットは攻撃が当たる直前になってもボードが反応できていないのを見ていけると思った。
しかし、ハンロットが振るった剣はボードの首筋にたどり着く前で、ボードの剣に受け止められてしまった。
「おや、意外でした。てっきり平民の命を惜しんで攻撃の手が緩むと思ったのですが・・・・・・。それと・・・・・・勘違いしてもらっては困りますが、先程の一撃はあなたに絶望して欲しくてわざと食らってあげたのです。その程度の攻撃で私に2度も決まると思っていたのなら心外ですね。それに2度目の攻撃は1度目に比べてかなり精細を欠いた攻撃でした。あの程度で精神が揺さぶられるとは、やはり平民は・・・・・・ダメです、ね‼︎」
受け止められた剣を押し返され、次は私の番だと言うかのようにボードがニヤリと笑い攻めてきた。
「さぁさぁどうしましたか?先ほどまでの勢いは。その程度では私を傷つけるなど夢のまた夢ですよ?さぁ、犬は犬らしく無様に吠えながら命乞いでもしなさい!」
ボードの攻撃を紙一重で受け流し捌いているハンロットは防戦一方となりジリジリと後退していっていた。
(クソッ‼︎こいつマジで口だけじゃねぇ‼︎全然強いじゃねぇか)
このままジリジリと下がっていくとボードの部下達との挟撃に遭うため、それは不味いと思ったハンロットは反撃の機を窺いエーテルを剣に込めてボードの一撃を弾き飛ばした。
「おや、なかなか器用なオーラの使い方をしますね。位置関係を気にしたのでしょうが無駄なことです。そもそもこの私が戦いに出た時点であなたの運命は決まっています。他者など使うまでもなく・・・・・・貴方を倒すのなんて簡単なのですから‼︎」
先ほどよりも更に速度を上げてハンロットへと突っ込んできたボードを迎え撃つために、熱くなり過ぎた頭を冷やすし息を整えながらしっかりと構えた。
焦りは隙を生む。
怒りは柵を生む。
昂った気持ちを落ち着けろとハンロットは自らの感情を抑制することに努めた。
ボードが振り下ろしてきた攻撃、ただの単調な振り下ろしなのにその攻撃は信じられないほどの重さを持っていた。
その細身の体のどこにそんな力があるのかと。
ハンロットはこれでもかと歯を噛み締めその攻撃を耐えている。
「・・・・・・う・・・・・・ぐぐ」
うめき声を上げながらボードの剣を必死に受け止めているハンロットとは裏腹に、ボードの顔には余裕の笑みが浮かんでいた。
「ほう、これも受け止めますか。どうやらあなたのことを少々侮っていたみたいですね。ですが‼︎」
ボードは片足を浮かせそのままハンロットの胴体部へと思いっきり蹴り込んだ。
蹴られることなど当然見えていたハンロットであるが少しでも剣の方から意識を外すと即座に押し込まれてしまうためわかっていても避けることができなかった。
「グハッ・・・・・・」
思いっきり蹴られたハンロットは唾液を撒き散らしながら地面を転がった。
おかしい。
明らかに不自然な姿勢から放たれた蹴りがこれほどの威力をもつはずがない。
ボードが悠然と地面に転がるハンロットへと近づいてきていた。
「隊長‼︎」
近くにいたハンロットの部下が咄嗟に間に入ったが
「邪魔ですよ。後で相手をしてあげますので今は寝ていなさい」
ハンロットの部下が気づいたときにはボードに顔を掴まれており地面に思いっきり打ち付けられた。
「ガハッ‼︎」
ハンロットはその光景を見ていることしかできなかった。
(クソッ・・・・・・、こいつ、情報で聞いてたよりも全然強いじゃねぇか。武具の力か?)
部下が間に入ったことでハンロットはなんとか立ち上がった。
吹き飛ばされたがまだダメージは軽微、動きに支障が出るほどではない。
「立ち上がりましたか。そうでなくては躾がいがないというものです」
ハンロットが立ち上がったことを本気で嬉しそうにしながらゆっくりと余裕そうに近づいてきたボードを見てハンロットは覚悟を決めた。
死の一線を超える覚悟を。
(久々の命を賭けた戦い。相手がこいつだってのは胸糞悪いがやるしかない。殺らなければ殺られる。当然のことだ。この先なんてもう知らねぇ。ここで出し切る。こいつをアーノルド様のところに行かせないためにも‼︎)
もはや後のことは知らないとばかりに最低限の生への保証。
それすら捨て去る捨て身の攻撃。
いわゆるハンロットの奥の手。
「我が身に纏い大いなる力となりて顕現せよ——『暴嵐』」
ハンロットが呪文を唱えるとあたり一帯に風が巻き起こりハンロットを中心に衝撃波が巻き起こった。
部下達も戦いどころではなくなり、ボードだけでなくその付近にいた者全てが腕で顔を覆い風から身を守るために防御の体勢を取った。
そうしなければ吹き飛ばされそうであった。
暴風による衝撃がボードに襲いかかった。
少し声を漏らすが少し地を後退したくらいで済んだのを見ると、鼻で笑い乱れた髪を直した。
仰々しい攻撃でしたが大したことないではないかと。
「フッ、聞きなれない呪文でしたが技の派手さのわりに威力は大したことはなかったですね。剣術だけでなく魔法まで扱えるとは驚きました。どうです?私の下に付くと言うのな・・・・・・ら・・・・・・」
ボードは暴風による砂煙が徐々に晴れその中心にいるハンロットの姿を見て、奴隷として最大限優遇してやるぞ、という言葉を紡ぐことはできなかった。
ハンロットのその姿はまさに嵐を身に纏ったような姿であった。
ハンロットの周りでは風が吹き荒れ、体には所々帯電しているかのようにビリビリと電気のようなものが走っていた。
ボードは呆けたようにその姿を見ていたがハンロットに視線を向けられたと感じた瞬間に直感的にまずいと思い歯を噛み締め動こうとした。
だが、その判断は絶望的に遅かった。
ボードが動き出そうとしたその瞬間には既にボードの背後に周り込み剣を振るっていた。
ボードはその動きを目で追うこともできずハンロットが消えたと思ったときには背中を斬りつけられ首を飛ばされていた。
いや、いまのボードに攻撃しようと斬っている感触はあるが、まるですり抜けるかのように通り抜けるだけだ。
背中を斬られた衝撃でくの字になり前に咄嗟に逃れようとしたが、ハンロットによる三撃目の方が速かった。
今のボードは斬られてもダメージは部下の誰かにいく。
しかし斬られた際に生じる衝撃までは殺しきれない。
三撃目の攻撃の威力に吹き飛ばされたボードは苦悶の表情を浮かべた。
(クッ、このままではまずい。一度体勢を——)
地面に水平になって飛ばされているボードは体制を立て直すために空中で体を起こそうとしたが、体勢を立て直すより前に先回りしていたハンロットの攻撃の方が速かった。
「なっ⁈ぐぁあぁあぁぁあぁぁあ」
ハンロットの一撃によって暴風が巻き起こりボードは天高く巻き上げられた。
そしてハンロットはボードの部下達の方へ向き直った。
命のストックがある限りボードが死ぬことはない。
それはわかった。
そしてボードを人数分殺すことの大変さも。
ならばやるべきは先にその命のストックを減らすこと。
無理矢理連れて来られた者だとしてもここは戦場だ。
同情し剣が鈍るなんてことはない。
まずはハンロットの部下達が戦っている者たちをすれ違いざまに認識されることもなく殺していった。
騎士でもない民兵にはもはやハンロットの姿を目で追うことなど出来なかった。
ハンロットが纏う風のオーラと雷のオーラだけがどこを通ったのか教えてくれる。
そして最後に副官や他の者が固まっているところに疾風の如く駆けた。
(あの手の能力はそれほど遠くまで影響は及ばないはず。奴らを倒せばあの野郎も殺せるはずだ)
ハンロットは技の反動によって体に襲いかかる倦怠感と疲労感に顔を歪めながら体に鞭を打ちながら副官のところに迫った。
時間はそれほど残されていない。
体と気力が限界を迎える前に倒さなくてはいけない。
ハンロットが迫ってきても見えていないのか身動ぎ一つしない副官に剣を振るった。
しかしハンロットにとっては予想外のことが起こった。
全く反応できていなかったはずの副官がハンロットの剣を受け止めていた。
いつ剣を抜いたのかすらわからなかった。
ハンロットが驚愕したことで生まれた刹那の硬直を逃さず、副官はそのまま回し蹴りでハンロットを吹き飛ばした。
「グハッ・・・・・・‼︎」
ハンロットは蹴られた腹を手でおさえ苦悶の表情を浮かべながら膝をついた。
それによりハンロットが気合で保っていた気力が減衰し、纏っている風の威力が落ちてきていた。
だが、副官はハンロットを蹴ったことにより感電していた。
ハンロットが纏っていた雷によるものだ。
副官はなんの感情もなく足を凝視していたかと思えば、足を持ち上げることもなくそのまま足に力を入れただけで地面が大きく窪み地がひび割れ、力技で強制的に電気を排出していた。
地面が副官を中心に蜘蛛の巣のようにひび割れたのを見てハンロットは瞠目した。
先ほどの動きといい、明らかに実力が他の者達とは違う。
下手をすればボードよりも厄介かもしれないとハンロットは体を奮い立たせた。
副官は弱っているハンロットに追撃してくるのかと思いきや、他の者達を守るような立ち位置に戻った。
何を考えているのかわからない無機質な目をした副官はあくまでも後ろの平民共を守るつもりらしい。
それが善意からくるものなのか、それともただのボードのための生贄としてなのかは知らないが。
しかし副官を倒さない限り前へは進めない。
やるしかないと極限状態の体に鞭を打ち立ち上がると、まだ聞きたくはない声が聞こえてきた。
「きさまあぁぁ、よくもやってくれたな‼︎」
もうタイムリミットかと。
後ろから体が砂まみれで防具が傷だらけのボードが血走った眼をしながら迫ってきていた。
「ッチ!」
(まずい。決めきれなかった。このままじゃあ術が解けてしまう。そうなれば勝ち目はねぇ。一か八かだ)
もはや2人を仕留めることはできないと悟ったハンロットはより厄介な方だけでも屠ることを選んだ。
「ローイ‼︎あとは任せる‼︎」
ハンロットは自身の信頼する隊員に向かって叫んだ。
自身が倒れた後は頼むと。
何をしろと具体的なことを言わずともローイは理解しコクリと頷いた。
それを確認したハンロットはもはや心配いらないと最後の力を振り絞り心を奮い立たせるために虚栄の笑みを浮かべ自身が持つありったけのエーテルを剣へと注ぎ込んだ。
ハンロットを中心に風が吹き荒れ、それが徐々に大きくなっていき地面の土が抉れ、ありとあらゆるものが天へと打ち上げられていった。
ボードもハンロットの部下も立っていることが困難になり地面へと倒れ込み必死に飛ばされないようにしていた。
遠くからでも目視できるほど巨大な竜巻が天へと昇り逆巻く暴風となって周囲を巻き込んだ。
ボードの部下の中には天高く打ち上げられた者もいたが副官は微動だにせず剣を抜くこともなくその場で腕を組んで立っていた。
ハンロットはそれを見て歯噛みすると吹き荒れる風を自身の剣へと収束させていった。
剣の周りを竜巻のように凄まじいエネルギーをもった風が回転しており、一つの嵐がその小さな世界に閉じ込められているかのようであった。
それを見たボードはごくりと喉を鳴らした。
(これならば後ろの奴ら諸共殺せるはずだ!)
——『風破暴斬』
ハンロットは副官に向けて空を斬り裂くように剣を振った。
進路にあるすべてのものを切り刻み進む風の刃の斬撃。
一度飲み込まれれば上下左右もわからずただその圧倒的暴力に屈するしかない暴風の塊。
騎士や民兵は逃げようと慌てふためいているが副官は逃げる気などないのか、その暴力の塊を前にしても微動だにしなかった。
斬撃が直撃し凄まじい爆音に天にも昇る勢いの砂煙によって何も見えなくなり、攻撃による余波がハンロットのところにも届いてきた。
しかしその風すらも耐えれないほどハンロットには限界であった。
「ローイ、あとは任・・・・・・せた」
文字通りすべての力を注ぎ込んだハンロットは意識を失うことはなかったが立っていることすらできず、そのまま受け身を取ることなく前へ倒れた。
指名されたローイはハンロットの攻撃が直撃したのを確認した瞬間にボードに向かって走り出していた。
「任せてください隊長。これで終わりダァぁぁぁ‼︎」
ハンロットの一撃に呆けてローイが近づいているのに気づかなかったボードは対処に遅れてしまった。
しかしその程度で諦めるほどボードは潔くなどない。
「ッ‼︎舐めるな愚民がぁぁぁぁぁ‼︎」
ボードもすかした顔を崩し、叫びながら剣をなんとか差し込もうとした。
しかしローイの一撃の方が一手上回っていた。
(よし!これで——)
だが——、無情にもローイの攻撃が通ることはなかった。
ボードを斬ったにもかかわらず、ボードは何事もなかったかのように立っていた。
「・・・・・・へ?」
間抜けな声をあげたのはボードの方であった。
ローイは即座にどういうことかわかり、ボードの部下達がいる方を向こうとしたが、それは叶わなかった。
ローイは突然視界がグルンと回り、地面に叩きつけられ背中に衝撃が走った。
「うぐっ・・・・・・‼︎」
痛みで目が開けられなくなり、痛みを分散するかのように全身に力を入れた。
「お、お前生きていたのか」
そう呟いたのはボードであった。
「そんなことはどうでもいい。時間をかけすぎだ。こいつらが本命ではないのだ。さっさと済ませ」
痛みが徐々になくなり目を開けることができるようになったローイはこの男が生きていたことにも驚いたが、明らかに上官に対しての言葉遣いではないことに疑問をもった。
(なんだ?こいつら上官と部下の関係ではないのか?そもそもあれほどの攻撃を耐えれる奴がいるなんて今この戦場にはあのヴォルフ以外にはいないはずだ。こいつ何者なんだ)
「さて、わざわざ放置する義理もないな」
男はそう言いながら足をローイに乗せ、力を入れるだけで地面をひび割れさせることができる足に力に込め始めた。
「ぐああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ」
身体強化で纏った体を貫いて骨がボキボキと折れる音が聞こえてくる。
だが、その足がピタリと止まった。
「あはは、お姉さん。その子一応僕の仲間なんだその足を退けてくれないかな?」
副官のすぐ目の前に気配もなく突然現れたロキは無邪気そうに楽しそうな笑みを浮かべた。




