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【書籍化】公爵家の三男に転生したので今度こそ間違えない 〜黯然の愚者が征く己の正道譚〜  作者: 虚妄公
トライデント魔導王国編

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第2-33話

『公爵家の三男が征く己の正道譚』第一巻発売中です。

 VIP区域の出口付近まで来たアーノルドの視界に、担いで運ばれてくるリリーらしき者の姿が目に入る。


 らしきというのは、そのまま野晒しで運ぶのは流石に憚られたのか、何やら遺体でも運んでいるように布に包まれているからだ。


 気絶でもしているのか、眠らされているのか、その布が動いている気配はない。


 リリーへの配慮か運んでいるのは女であり、その隣にはコルドーと同じくらい体格のいい(いかめ)しい顔付きの男が連れ立っている。


 運んでくる者達もアーノルドが視界に入ったのか、若干不機嫌そうに表情を顰め、横柄な態度でズカズカと近づいてくる。


 アーノルド達の前まで来たその女はチッと舌打ち一つ、リリーをぞんざいに放り投げるかと思いきや、そっと床に横たわらせ、被せられていた布を取った。


「たしかに返したよ」


 仏頂面の女がそう言いリリーから距離を取ると、コルドーがリリーの脈でも確認しにいったのかその手を取る。


「どうやら眠っているだけのようです」


 暴行を受けた形跡もなければ、血色も良い。


 確かに客人としての対応をされていたとみても良いだろう。


 リリーが目覚めなければ実際のところどうだったのかはわからないが、とりあえずドラムの言っていた言葉に嘘はなさそうであった。


 アーノルドは運んできた者達の方へと視線だけ遣る。


「貴様らのボスに礼を言っておけ」


 アーノルドが不遜にそう言うと、女はケッと眉を顰めながらボスのいる部屋の方へと歩いて行った。


 それに背を向けたアーノルドもまた歩き出した。


「終わりだ。帰るぞ」


 時刻は深夜に差し掛かる手前。


 普通であれば一泊でもして帰る時間帯であるが、アーノルドはこれ以上の面倒事はごめんだとクジャンを出た。


 ――∇∇――


 アーノルドがクジャンに行っていた同日の深夜、とある研究室に集まる男達はテーブルを囲み、難しい顔で唸っていた。


 集まっているのは過激派に属する者達。


 その中でも貴族の血を引く者達である。


「如何いたしましょうか、デブザール様……」


「どこから漏れ出たのか……噂が広まっているようです。それに……」


 言いづらそうにチラチラと向けられる視線にこの会合の主催者であるデブザール・オルファイト公爵の機嫌が急激に下がる。


「それになんだ」


 唸るような低い声を向けられビクリとその表情を引き攣らせるが、言わなければならないとその男は気丈に言葉を続ける。


「それに……、デブザール様のご子息が首席であったことを疑問視する声も……」


 主に教師の間で囁かれていた話であるが、最近では遂に生徒間でも囁かれるようになってきている。


 例年ならば、首席ほどの力はないにせよ、見劣りはしない能力をヒュブリス・オルファイトは持っていただろう。


 多少の点差程度ならば露見しないぐらいにはヒュブリス本人の能力も高い。


 だが今年は他のグランクロワに選ばれた者がどの者も異質。


 ダンケルノ公爵家の二人の公子に加え、アルトティア帝国の皇子、皇女、それにブーティカ聖国の聖女までいる。


 どうしてもその者達の能力ちからは一際目立っている。


 他のグランクロワの者とて七帝家の子供達であり、他に引けを取らぬのは言うまでもない。


 凡人にすぎないヒュブリスではどれだけ努力でその差を埋めようと、どうしても見劣りしていた。


 本物の才の前では平凡な才など霞み落ちるのだと言わんばかりに。


 デブザールは何よりも自身の権威を、そして家門の体面を気にする。


 それゆえ自分の息子の実力が疑われるなどという家門の恥とも言える状況を告げられ、更に機嫌が悪くなるだろうと皆が体を強張らせていた。


 だが、デブザールは予想に反してたいした怒りを見せず、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らすだけであった。


「……あの愚息に期待するだけ無駄であることなど当にわかっておる。少しは粘れと言いつけたというのに、たかだか一ヶ月程度で露呈しおって。我が血を引きながらあの凡愚さ。救いようがないわ」


 これまで最高級の教育に、設備、その他様々なものを与えてきた。


 武術も最高クラスの師を用意し、七帝家の人間に負けじと幼い頃から学ばせてやった。


 それは(ひとえ)に愛情——などではなく、全ては自分の道具とするために。


 そして(おのれ)が遂げるであろう本懐を(おの)が後にも保ち続けるため。


 だがヒュブリスは何事も卒なくこなしはするが、言ってしまえば器用貧乏。


 どの分野でも抜きん出た才がない。


 デブザールですら魔法という分野では副学院長という地位を手に入れられるくらいの才は持っているというのにヒュブリスにはそれがない。


 学生の間は優秀な生徒として過ごせるだろうが、その後はただ有象無象に埋もれるだけの存在。


 この国で上にのし上がるには致命的とも言える。


 それゆえデブザールももはやヒュブリスに過度な期待はしていない。


 むしろ評判に関してもそんなものだろうと達観すらしていた。


「疑問視する声など放っておけ。アイツがグランクロワの一の称号を得たという事実は誰が騒ごうとももはや変わらん。我らにとってはそれさえあれば問題はない。そもそも学院に入ってからの評判など所詮入ってからの成績に依るものすぎん。化ける者もいれば停滞する者も得てしているものだ。入る前の成績との違いなど捨ておいて問題ない。どうせ真相などもはや闇の中だからな。いくら怪しく思おうと、生徒だろうが教師だろうが誰も何もできん」


 デブザールはその鼻を膨らませてフフンと傲岸不遜に笑う。


 既に試験結果に関しても手回しは完了している。


 念には念を入れて、再度調べようとも、もはや何も出てこないように。


 仮になんらかの違和感を感じ取ろうともそれまでだ。


 どれだけ怪しかろうとも推測止まり。


 真相に辿り着くことはない。


 むしろその違和感に飛びつけば、死に誘う毒花すらも仕込んでおいた。


 デブザールが自分の周到さに満足げな笑みを浮かべていると、右横からカカカと(しわが)れた渋い笑い声が響いてくる。


「——掉棒打星(とうぼうだせい)だのう」


 低く掠れ、小さく呟かれた言葉を拾い、デブザールは不快げに眉を寄せる。


「……どういう意味ですかな?」


「いやなに、悪知恵に関して右に出るものがおらんのうということじゃよ。気にするでない」


 平然と嘘を吐きながらカカカと愉しげに笑い声を上げるその者をデブザールは忌々しげに鋭く睨むが、当人は全くもって気にする様子もない。


 いくら睨もうとも暖簾に腕押しといった状態で、諦めたように腕を組んでフンと不機嫌そうに鼻息を漏らす。


 その反応もお気に召したのか口端は僅かに吊り上げたその老人はニヤリと歯を覗かせる。


「じゃが、ご子息に関しては残念じゃったのう。お主の血を継いでいるというのに、はてはて、何が悪いのじゃか」


 いやらしく、ねちっこく責めるような物言いにデブザールは思わずデーブルの上に置く手を硬く握る。


 己自身が貶す分には構わないが、人に言われるのは業腹極まりない。


 貴族としての矜持か冷然と黙しているが、僅かに表情が動いているのを隠しきれていない。


 そんなデブザールの様子にカカカと笑い声を上げる老人を、皆はヒヤヒヤとした面持ちで見ていた。


「じゃが残念ではあるが、誰しも限界というものはある。お主の息子はその限界を超えてよくやったであろう。お主の“言いつけ通り”頑張ったのじゃから褒めてやるのが良いのではないか? それにせっかくの学院生活、あとは伸び伸びとやらせてやればよいではないか。その方がお主がとやかく口を挟むよりも伸びるかもしれんぞ?」


 立派な長く白いあごひげを撫でながら横目を送ってきた老人にデブザールが内心ジジイがと悪態を吐きながら、不快げに小さく舌打ちを漏らした。


 悪いのはヒュブリスではなくデブザールの教育ではないのかと遠回しに言ってきているのだ。


 それだけでなくヒュブリス自身を穢すことでデブザールの血筋そのものが悪いのではないかとも。


 デブザールと同じく公爵の爵位を持つ老人であり、同じ星の数を持っている同格の存在、ワイデール・ライグンベット公爵。


 齢七十近いというのに未だに爵位を息子に譲らず、ライグンベット公爵家の当主にいま尚君臨しているデブザールに引けを取らぬ権力の亡者だ。


 同じ過激派に属する同志であるとはいえ、同族嫌悪とでもいうのか、互いに友好とは程遠い関係だ。


 顔を合わせれば大抵このように相手の粗を責めたてる。


 それだけならばお互い様といったところだが、デブザールにとっては認めがたいことであるが、公爵という権威だけを取れば、オルファイト公爵家よりもライグンベット公爵家の方が現状遥かに高い。


 この国で公爵家と言えば、という問いを投げかければまず出てくるのがライグンベット公爵家だ。


 副学院長にまで登り詰めた自分がいるオルファイト公爵家ではない。


 未だ二番手であり、誰よりも貴族という爵位の価値を大事にするデブザールにとっては如何にこの学院の副学院長という立場があれ、適当にあしらうことはできないのだ。


 これも自身の公爵家という権力が小さいゆえだと内心毒付く。


 そんなデブザールの機微を読み取ってか老人は再度愉しげにカカと笑い声を漏らすが、一変、戯れも終いとばかりに口に浮かべた笑みを引っ込め、その目を神妙に細めた。


 その雰囲気の変わりようには、内心忌々しく睨んでいたデブザールですら気を引き締めさせるほどであった。


「——じゃて問題は、あのやりたい放題しているダンケルノの公子の方かの。やはりシュヴァリエにまで落とすのはやりすぎだったのではないかの?」


 あのときは皆それが正解だと思っていた。


 所詮は他国の者。


 シュヴァリエになれば勝手に堕ちていくだろうと。


 シュヴァリエになった貴族の反応は大抵二極化している。


 一つは学院内の法に従い、慎ましやかに過ごす者。


 もう一つは貴族としての矜持が許さず、シュヴァリエにも関わらず横柄な態度を取り、排斥される者。


 現在、他国からこの学院に来たほとんどの者は既に学院の在るべき流れに組み込まれ、各々に相応き立場に身を置いている。


 だがアーノルドは堕ちるどころか、本来逆らえぬはずの流れに逆らいながら、未だに無傷で学院に在籍している。


 そんなことあってはならないことであるが、ただそれだけの理由で追い出すことはできない。


 こうなればアーノルドをシュヴァリエに落としたことは明らかに失策であった。


 これならばコマンドゥールくらいにしておいた方がまだマシだっただろうと。


 バツが悪そうに皆が何も言えない中、腕を組んで偉そうにふんぞり返るデブザールが不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「ワイデール公も賛成なさっておいて何を今更。いまは過ぎたことよりもその当人をどうするのかを考えるべきでしょう。ただでさえ他国の者達が調子に乗っているのです。一番の不安要素は排除すべきでしょう」


 それは果たして誰にとっての不安要素か。


 考えるまでもないことであるが、誰も口を挟みはしない。


 どちらにせよアーノルドが邪魔というのはこの場にいる者の共通認識だ。


 アーノルドに関する噂はアーノルドの知らぬところで予想以上に広がっている。


 グランクロワの他国の者ならともかく、シュヴァリエであるアーノルドの噂は過激派の者にとって邪魔以外の何物でもない。


 この学院では自国の者達こそが上に立つべきであり、他国の者達は虐げられるべき存在。


 それが正しい在り方。


 過激派の理想とする世界(がくいん)


 少数の例外は認められても、下のクラスにいる他国の者が下剋上をするなど到底認められることではない。


 それがたとえ自分たちが仕組み、落とした者であっても。


“惰弱”な他国の者が自国の者を優越することなど許されない。


 その秩序を乱すかもしれない存在を放置することなど出来るはずもない。


 だが実際、問題となるのはアーノルドというよりも自国の生徒の行動だ。


 例年、他国の者達を標的にしたイジメのようなものが横行している。


 当然シュヴァリエの中でも目立つアーノルドはその標的となるだろう。


 その上エルテミス・ヴァレンヌに関する“噂”も出てきて否が応でもこれから注目が集まることは間違いない。


 学生間でも情報のやり取りはあるだろうが、所詮は学生。


 アーノルドがシュヴァリエという事実しか見ないだろう。


 アーノルドにまつわる不確かな情報より自身が信じているクラスという絶対的な基準の方が信頼性が高いのだから。


 それゆえいまはまだ大人しい生徒達も星詠戦が解禁されれば、光に群がるハエのように数多の宝を“無防備”に身につけているアーノルドに(たか)るのはこれまでの傾向から目に見えている。


 流石に他国の者を見下しているデブザール達といえど、その結果がどうなるかはわかる。


 そうなればアーノルドの実力がシュヴァリエなどではありえないということが広まるだけでなく、自国の価値が下がることすら予想される。


 それも、またしてもダンケルノ公爵家が自国の者を下したとして。


 それだけは我慢ならない。


 既に幾人の生徒からはアーノルドの実力とクラスの差異を疑問視する声も上がっている。


 現状、アーノルド本人がそれほど学院に現れないことと、まだ噂を聞いた段階で実際にその力を見たことがない者が大半なのでそれほど信じている者も少なくはあるが——。


「彼奴が頭角を表してくるのも時間の問題じゃて。かといって生徒共に奴に手を出すなとも言えん。やはり事が起こる前に始末をつけた方が良いじゃろうな」


 業腹だがその通りだと同意するように頷こうとしたデブザールであるが、それを遮るようにそもそもと低く鋭い声が耳に突き刺さる。


「——誰ぞが余計なことをしおったからこれほどまで事が抉れおる。奴を追い出すための次策も空振りじゃったようじゃしのう」


 まったくと、デブザールを見てはいないが、苛立ちと僅かな嘲りが混じった声色でそう吐き捨てた。


 しかしこれは正当な批判だ。


 そもそもヒュブリスを首席にするという今回の件はデブザールの独断専行。


 過激派の発言力を増すためという大義名分はあれ、その本質が自身の公爵家の復権であることは誰の目にも明らかであった。


 実際ヒュブリスが首席を取ったことで、過激派の発言力が増したことと、現状上手くいっているがゆえに捨て置かれてはいるが、図らずも綱渡り状態に付き合わされているワイデール公からすれば文句の一つでも言いたくなる状況だ。


 自分で蒔いた種は自分でどうにかせよと。


 だがデブザールもただ無為に過ごしていたわけではない。


 デブザールからすれば試験において唯一直接手を加えたアーノルドは不安材料でしかない。


 叶うのならばさっさとこの学院から追い出してしまいたいのだ。


 だからこそアーノルドがクラス分けに関して“難癖”をつけに来れば相応の対応にて追い出すことを画策していた。


 ボルネイを叩きのめそうとした性格からして、必ずやって来ると思っていたのだが、予想とは異なり来なかったことで準備が全て無駄になった。


 敢えて情報を流したというのに、主導したのがデブザールとすら見抜けなかったのかと悪態を吐きながら、その他にも細々とした案を考えはしたが、アーノルドは予想外の行動ばかりするゆえに全て空振りに終わっている。


 誰も直接言いはしないが、それだけ策を用意しておきながら全く効果がないなど無能というレッテルを貼られてもおかしくない。


 貴族の若い男衆はそれを表に出さないためか、そう思っているとさえ疑われぬためか、目の前に置かれているティーカップや机の上など意図的にデブザールから視線を逸らしていた。


 だがそれもまたデブザールを苛立たせる。


「ふんっ。公爵家の人間とはいえ所詮は庶子。行動も言動も野蛮極まりなく、私のような生まれながらに高貴な人間にはどう行動するのか予想もつかんだけだ」


 言い訳のようにそう言ったデブザールはその失言を後悔してか思わず舌を鳴らす。


 いまの言葉はある意味自分が無能だと言ったに等しい。


 たとえ、予測できない人物であれ、それを考慮にいれて対策を立ててこそ真の策士。


 それが出来ないと公言したも等しいデブザールはまたしても隣の老人がネチネチと何やら言ってくるだろうと苛立たしげに表情を顰めた。


 だがそんなデブザールにもはや構う気もないのか、ワイデール公は神妙な表情でトントンとデーブルを指で叩きながら皺々のその目を鋭く細める。


「とはいえ、実力は本物のようじゃの。お主らも聞いたであろう。高等部の学生、たしかリンネであったか? 七帝家でもなく、貴族でもない賎民の出だというのに、家門秘伝の魔法に改良まで加えたという大層優秀な生徒だそうじゃないか。中等部の頃の戦いをワシも見たことがあるが、なかなか学生にしてはやりおる女子(おなご)であったのは覚えておる。数年前であの実力ならば、今ならばもっと強くなっておるじゃろう。それをいとも容易く倒したともなれば……それに奴を止めるためにあの怪物(バァさん)まで出張ったとなれば、単純な武力だけならばもはや中等部の域など超えておるぞ? いつものようにはいかんじゃろ」


 教師自らが手を下さぬとも同じ思想を持つ生徒に追い詰めさせれば良い。


 それが普通であり、わざわざデブザール達があれこれ画策しなくとも大抵は勝手に生徒達が気に入らぬ者達を追い詰め、二度と逆らえないようにと奴隷のように自らの下に置く。


 それでも屈しない者には精神、肉体、両方から追い詰めていき、この学院から追い出してしまう。


 そのため基本的にデブザール達がこのように考える必要もなく、ここぞという時にそれとなく手助けしてやれば良いだけだった。


 だがそれはその生徒達の方が強い場合のみ有効な手段だ。


 これまではこんなこと考えるまでもなかった。


 何せ自国の優秀な生徒に真っ向から立ち向かえるシュヴァリエの学生などいなかったのだから。


 シュヴァリエやオフィシエに属する貴族などプライドだけが高く、口ばかりでたいした腕などない。


 それゆえ少し追い詰めればすぐに耐えきれなくなって自ら去っていく根性なしばかりだ。


 そういう意味では平民の方が忍耐力と順応力は高いだろう。


 彼らは誰の下につくべきか身の程を弁え、身の丈にあった学院生活を送る者がほとんどだ。


 平民にとっては人生そのものがかかっているため、最初から貴族のように逆らうこともない。


 だがアーノルドが追い詰められた程度で身の程を弁えることとも、根を上げるとも思えない。


 マフィアの拠点に自ら乗り込むような者がたかが生徒の嫌がらせや脅し程度に屈するなどありえないだろう。


 そもそもただの生徒ごときではアーノルドを追い詰めるなどできないだろうと。


 それをこの場にいる幾人がわかっているのかとワイデール公は目を細めながら周囲を見回し、たいして情報を集めもせず口々に自らを慰め合う者達を見て、小さく息を吐く。


 未だアーノルドを他の他国の者と同一視している者は多い。


 ダンケルノ公爵家の者ということで少しばかり警戒はしているようであるが、年齢という偏狭に囚われて、端から下に見ている。


「……幸い自らの力を誇示するようなタイプではなさそうじゃが、獅子が鼠に噛まれて反撃せん道理もなかろうてな。そうなれば、試験そのものの結果も見直される可能性もあるじゃろう」


 そうなれば困るのはデブザールである。


 真に不正をしているのはアーノルドではなくデブザールの方であり、それは今回の件におけるデブザール唯一の汚点——試験への細工だ。


 何年も掛けて手回しして何とか実行にこじつけた策だ。


 本当ならば全て上手くいくはずであった。


 だが試験のすり替えを任せた者がしくじり、気が付かれたことが誤算の始まり。


 しくじった者はその罪ごと押し付けて処分したとはいえ、デブザール自身に疑いの目が一度でも向けられたことは痛い。


 その上、ヒュブリスが自力で首席を取れなかったがために、無理矢理と言っていいほど強引にアーノルドを引き摺り下ろすはめになった。


 当時はそれが最善などと考えていたが、冷静になれば最善とは程遠い手法であっただろう。


 少なくともワイデール公の言う通り、確かにシュヴァリエにまで落とす必要はなかった。


 その後に齟齬が出る可能性の方が高いことなど、少し考えればわかっただろう。


 デブザール自身、過激派の選民的な思想に染まっていないつもりであったが、周囲にいる者達と過ごすことで無意識に自分の思考に影響を齎していたかと顔を歪める。


 それゆえ如何に試験結果の隠蔽が完了しているとはいえ、そんな状態で弄した策を掘り返されるのはあらゆる意味で面倒極まりなかった。


 デブザールの敵は挙ってアーノルドにこそグランクロワ一の称号が相応しいのではと騒ぎ出すだろう。


 そこで止まれば良いが、それが再びデブザールが不正をしてヒュブリスの成績を上げたのではないかと飛び火しかねない。


 一度ついた種火を消すのは容易ではない。


 いまのヒュブリスの現状がそれを後押しする可能性すらある。


 それでもまだ現状ならば、証拠も何もない与太話だと跳ね除けられるであろうが、その労力は決して軽くない。


「……やはり自らの手で学院から追い出してしまうのが手っ取り早いか」


 直接動くというのは避けたいところであるが、最悪を想定すれば自らが動くのが確実であるのは間違いない。


 舌打ち混じりにそう溢したデブザールに恐る恐るといった様子で若い貴族が口を挟む。


「ですが、彼はあまり私達の講義を取っていません。それにあまりに露骨すぎるとボルネイ殿の二の舞になることもあるのでは……?」


 ボルネイの一件があったからか、若干及び腰になっている若い衆に内心舌打ちをしながらもデブザールは呆れは含むがあくまでも穏やかな視線を向ける。


「あれは特異な例だ。奴が自分の感情すら制御できずに起こった必然の結果。あの判決も致し方あるまい。身の程を弁えず自身の欲を優先させた奴のことなど考えるだけ無駄だ。自分の役割を徹底しておればあのような結末にはならなかったのだからな」


 面倒ごとを増やされたからか、少しばかり苛立たしげにそう吐き捨てたデブザールに、その貴族は恐縮したように縮こまった。


 だがその言葉を嘲笑うかのような小さな嗤笑が漏れ響く。


「——たしかにそうじゃのう。身の程というものは大事じゃな」


 自身の欲のために試験に細工をするという犯罪まがいのことにまで手を染め、その上邪魔になる者を不合格にしようと画策し、追い出そうとしているのは果たして身の程にあった行為なのかとワイデール公は笑いを抑えきれなかった。


 そもそもこの学院であの怪物(バァさん)がいる限り不正など不可能。


 デブザールは学院長がいないときならば監視の目がないと考えているようだが甘い。


 あの怪物はこの学院内に限っていえば神の力を持っている。


 その代償に学院外では本来の力以上に能力が落ちるようだが、それでもワイデール公程度赤子を捻る程度に倒せるのだから真正の怪物だ。


 そしてそれはダンケルノ公爵家とて同様。


 ここにいる者達は簡単に考えているようだが、あの一族の者がそう容易く御せるものかと。


 そんなワイデール公の心情など知らぬデブザールは嗤笑をその貴族に対してと捉えたのか、眉を顰めるだけであった。


 己が非凡であると自惚れているような者は自身の行動を省みるようなことなどないと、その惚けたような顔が示していた。


 身の程という言葉が自分に向けられるなど夢にも思っていないのだろう。


 その様子にワイデール公は愚鈍にすぎると呆れたように息を漏らし、一層嗄れた声でデブザールへと話しかける。


「——ところで、いま奴がどうなったか知っておるかの?」


 ワイデール公にそう問われたデブザールはいまする話かと煩わしそうに口端を歪めた。


「奴の末路になど興味もないが、どこぞで野垂れ死んでいるのでは?」


「ふむ、当たらずとも遠からずじゃな」


 もったいぶるかのようにカカカと笑みを浮かべるワイデール公にデブザールは能面のように仏頂面になっている。


 二人に流れる温度差は天と地であり、それを粛々と見せられている者達にとってはとてもではないが居心地の悪いものであった。


 一人がその空気に耐えきれなくなったか、続きを促すようにどうなったのですかと恐る恐る問うと、ワイデール公は愉快げに肩を揺らしながらニヤッと口端を上げた。


「——殺されたのよ」


 それにいち早く反応したのはデブザールだ。


「ほう……。どこぞの誰かの虎の尾でも踏んだのですかな?」


 殺されたと聞いて声を弾ませたデブザールはティーカップを手に取り、その結末など当然だと嘲笑うかのような笑みを溢す。


 判決を覆すために奔走し、自業自得のくせして要らぬ苦労を強いられたゆえ、殺されたという言葉はいまの陰鬱とした気持ちが晴れるかのようであった。


 だが——。


「——その虎の尾がまさしく件の小僧よ」


 粛然とそう言ったワイデール公の言葉と、向けられたその細い目を見据えたデブザールの口角が目に見えて下がり、露骨なまでに不機嫌さを醸す。


 ワイデール公のその視線の意味は言葉にせずとも雄弁に物語っていた。


 デブザールも虎の尾を踏むことになるのではないかと。


 身の程を弁えた方が良いのではないかと。


 嘲弄が目的ならばまだいいだろう。


 だがワイデール公の視線に宿っていたのは呆れと憐憫であった。


 ——侮辱。


 それは嘲弄以上に許し難い侮辱だ。


 明確な侮辱に瞳孔が開くほどの怒りを覚え、もはや体裁すら捨ててワイデール公を血走らん眼で睨みつけていた。


 たかが学生、それも他国の貴族風情と同列に語られ、あまつさえ殺されないかなどという危惧を持つなど。


 この大魔導師デブザール・オルファイトに向かってなんたる無礼だと、これが一介の小物程度ならばその場で八つ裂きにしていただろう。


 デブザールは魔法師であり、星一二の魔法師。


 星一二はこの国でも強者に分類される等級だ。


 それを得るまでの全てが清い道程であったとは言えないが、それでも口先だけの詐称者とは違う。


 相手が騎士であろうが、同じ魔法師であろうが負けるつもりなど毛頭ない。


 それに見合う努力も、研鑽も十分積んできた。


 それゆえたかが齢十程度のアーノルドに恐れ、慎重になれなど侮辱以外の何物でもなかった。


 だがここで感情に任せて声を荒らげ、暴れることはできない。


 一つには、ワイデール公もまたデブザールと同じく星一二の等級を与えられた武人だからだ。


 それに同じ星一二とはいえ、ワイデール公は剣威によってその位を与えられている。


 ワイデール公の傍らに置かれた長刀とデブザールの組み上げる魔法。


 抜き振るのと放つのと——どちらが“速い”かを読み違えるほど驕っても耄碌してもいない。


 この場で一対一(サシ)で戦えば負ける可能性の方が高いのは明白。


 少なくとも魔法師にとってこの間合いは致命的であり、圧倒的に剣士が優位。


 せめてこの部屋の隅と隅くらいの距離差があればまだ如何とも言い難いが、隣同士のいまの状況で仕掛けようとも目の前の老人相手に勝ち目はない。


 それにワイデール公が星一二を得たのはもう何十年も前。


 限界に辿り着いたという見方もあるが、敢えてその等級に抑えている気がしてならなかった。


 二つには、ワイデール公もまた過激派の重鎮。


 発言力はかなり大きく、いなくなればそれだけ困ることは目に見えている。


 己の本懐を遂げるためにはまだ居てもらわなくては困る。


 激情に身を任せて殺すことなどできようはずもない。


 とはいえ内心の感情はまた別物。


 忌々しい爺だと内心憎悪を滾らせ、権力を取り戻した暁には一番に叩きのめしてくれると内心で悪態を吐きながら、内心を悟らせぬように落ち着き払って静かにティーカップを置く。


「所詮は子供のおままごとでしょう。ボルネイも行くあてもなく疲弊しているところを狙われ殺されたのでは?」


 ワイデール公に反論する意図も含まれているが、そのほとんどは本心だ。


 いくら強いといっても子供にしてはの話だと。


 大人の実力者と対等に渡り合うなど耳を貸すに能わぬ戯言の域。


 試験でボルネイが負けたという話を小耳に挟んだ時もデブザールは真剣には捉えていなかった。


 ボルネイは格下相手に油断癖があった。


 どうせ悪癖ゆえに負けたのだろうと、試験の映像を見ようともアーノルドの実力など生徒にしては強いが自身とは比べるまでもないと嘲るように鼻で笑うだけでたいして真剣にも見ていない。


 それこそ粗探しのためだけに見ていたと言っても過言ではない。


 それゆえボルネイが死んだと聞かされても、一度目の失敗で学ばず二度も同じことを繰り返すとは愚かにすぎるという感想しか持たないし、嬉しさが先に来る。


「カカ、そうかもしれんのう」


 反論するでもなく意味深に嗤うワイデール公はそう言うと、自らのティーカップへと手を伸ばした。


 その答えを知っているであろうにもったいぶるかのような態度にデブザールが苛立たしげに歯をギリッと噛む。


 もはやワイデール公の為すこと全てが気に入らぬといった様子でフンと大きく鼻息を吐き、これ以上は付き合っていられぬと話を戻す。


「奴が普通ではないことはもういいだろう。しかし、やはり最初は生徒共を使って様子見をさせた方が良いのでは? どの道あの忌々しい“黒猫”の噂が本当ならばこれから奴に突っかかっていく者も自ずと増えるはず。それによって露見する奴の実力は……もはや致し方あるまい。だが、それだけ我らが介入するチャンスも増えるはずだ」


 そこで叩けばいいとデブザールは主張する。


 だがワイデール公は別のところを気にかける。


「噂か……あの者が腰に差す黒剣を手に入れた者には一兆ドラとヴァレンヌ家での庇護じゃったか?」


 そう呟いたワイデール公の言葉に、ある者が恐る恐るといった様子で口を挟む。


 自分が聞いた噂とは少し異なると。


 それを皮切りに他の者達も口々に自分が聞いた話を喋る出した。


 報酬に関してはどうやら人によって食い違いがあるようだが、一貫して言えることはどれも破格と言っていいもの。


 だがモノに関しては、ほとんどが黒剣に関するものではあるが、少しばかり従者に関することやアーノルド自身の死など、物騒なものまで含まれていた。


 ワイデール公はフムと小さく呟いて、自身のあごひげに手を伸ばす。


「噂の出所がイマイチ判然とせんが、たしかに真偽に関わらず釣られる者はいような。あの小娘との縁を望む者は多いからのう」


「しかし、奴の実力が本当に高いかもまだ直接見た者はいないようですし、我らを脅かすほどの実力があるかまずは生徒達で見るのも悪くはないでしょう?」


 先ほどのワイデール公の言葉への当てつけか、ワイデール公があそこまで言うのならという態度を見せながら、その責任の所在をワイデール公に擦り付けているのだ。


「リンネという者を倒したというのもいったい何処から出てきた話なのかも結局わからないまま。少なくとも口を閉ざしておる当事者達が流した話ではないのは確かなようだが、本人が名声欲しさに誇張して流したということも考えられるでしょう」


 ワイデール公は集めた情報から読み取ったアーノルド像からして内心それはないだろうと思うが、敢えてそこには口を挟みはしなかった。


「じゃがたしか、奴は学道が専攻だったじゃろう。剣を賭けた戦いを申し込まれようとも、拒否されればどうしようもないのではないか? 彼奴に脅しなど通じまい。クラスの差による本来あるべき強制権などないに等しいじゃろう。それにどちらにせよバルフォメット家の当主が目をかけたというのも事実ならば、やはり学生程度に任せても時間の無駄じゃろうて。奴は世辞は言わんからのう。最低でも七帝家の嫡男共を当てねば話になるまいて」


「何も真っ向から勝負させる必要はないでしょう。幸いグループ講義も近い。我々がそれとなくサポートしてやれば良いのでは? 不慮の事故による退学もまた仕方がないもの。我らが介入すれば少なくとも身の程を弁えぬ凡愚が実力だけでやっていけるほど甘くはないと思い知らせることはできるでしょう。それに警告にもなりましょう。それで大人しくなるのならば我らが直接手を下す必要もなくなり、一石二鳥でしょう」


 授業の内容もその点数も、全ては教師が決めるもの。


 流石に露骨すぎれば問題視されるであろうが、気に入らない生徒の点数を多少下げる程度ならばなにも問題はないし、どちらか片方に有利になるように組むことなど造作もない。


 そして教員同士が結託すれば、特定の生徒の点数など簡単に下げられ、退学へと追い込める。


 余程の馬鹿でなければそれよりも前に身の程を弁えた行動をするようになる。


 グループ講義も同様であり、今年度は幸いにも担当者がこの場にいる。


 普段は一人での参加も認めているが、なんならグループでの参加を強制させ、作れなければ落第か、もしくは足手まといを抱えさせることで試験を通過させないことも出来るだろう。


「グループでの講義か。悪くはないが、奴を倒せる魔物を用意するとなれば、他の生徒にも被害が出るやもしれんぞ? もしくは教員の誰かを秘密裏に忍ばせるつもりかの?」


 デブザールもアーノルドが黒龍を倒したという会議で出た話は覚えている。


 そんな話、虚言の類と間に受けはしないがそれでも確かに不安は残る。


 少なくともアーノルドが上位相当の魔物を倒せることは魔法試験の際の映像からわかっている。


 何体いれば確実に重症を負わせられるほどになるのかわからないし、流石に死傷者を出したとなれば責任を取らされるのはこちらだ。


 いい塩梅を把握していなければそれだけリスクが跳ね上がるし、そこにつけ込まれてせっかく上がった過激派の発言力を大きく下げることにも繋がりかねない。


 だからと教師を投入するとなれば、先の案以上にリスクが凄まじく高い。


 バレれば問答無用で学院から追放されるだろう。


 やった者はもちろんそれに加担した者全員が連座となる。


 それに学院長の逆鱗に触れれば、どうなるかもわからない。


 普段はあまり介入してこないが、一線を超えた者に対しては容赦がない。


 そしてその一線も誰にもわからないがゆえに慎重にならざるをえない。


 学院長の気分次第と言われても納得できるほど、その基準があやふやなのだ。


 デブザールはどうするべきかと顎に手を当てて考え込むが、その姿はそれこそ生贄とする教師を頭の中で探しているようにも見えた。


 それゆえ、そんな役に当てられてはたまらないと立場の弱い若い者達は示し合わせたかのように視線を逸らすが——。


「——う、ぐっ……⁉︎」


 その瞬間、デブザールが胸を苦しげに抑え、ガタッとテーブルに肘をついた。


 何が起きたと顔を上げた皆が、どうしたのかとデブザールに声をかけようとするが、それよりも前に脳内に声が響いてくる。


『——面白いお話をされておりますね』


 突如響いてきた男の声に、その場にいる全員が椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。


 苦しみ喘いでいたデブザールも同様だ。


「誰だッ‼︎」


 顔色が悪いデブザールがその手にいつでも発動できる魔法陣を浮かべて部屋を見渡すが、どこにも姿が見えない。


 過激派の会合であり秘密の話ゆえに、この部屋には誰も入れぬように簡易ではあるが結界を張っていた。


 そもそもここは学院にある研究棟のデブザールの研究室ゆえに許可ある者しか入れない。


 先ほどの胸の痛みはそれらの結界を強引に破ってきたことによる痛み。


 それも結界そのものを破壊したのではなく、内側から食い破られたような感触であった。


 どちらにせよ相手の魔法技術が自分よりも上回った証に他ならない。


 魔法師としては形無しだ。


「痴れ者が‼︎ いますぐその姿を現せッ‼︎」


 矜持も傷つけられ、これまで溜まりに溜まった鬱憤を爆発させたかのように顔を真っ赤に怒りを露わにしているデブザールとは対照的に、侵入者の声はどこまでも粛然としていた。


『私が誰かなどどうでも良いことでしょう。私たちにとって重要なのはただ一つ——彼のことでしょう? 色々と画策しているようですが、彼は貴方達が思うほど甘くはありませんよ? 生徒に様子見をさせる? そこいらで調教できる程度の魔物を一体ぶつける? その程度でどうにか出来るのならば彼は今頃冷たい土の中にいますよ』


 少し調べればわかるでしょうと嘲笑うかのような物言いにデブザールはギリと歯を噛み、怒りを増大させる。


 そんなデブザールに向けて侵入者はフフッと笑う。


『——今ならばそんな回りくどいことをせずとももっと簡単に追い出す方法がありますが——如何ですか?』


 フフフと奇妙に笑う声と共に発せられた得体も知れぬ者の怪しげな言葉。


 通常ならば耳を貸すことなどありえぬが、悪魔の囁きとでも言うのか、とても甘美な提案のように皆の脳内に侵食していく。


「……そ、それは……、どのような方法なのでしょうか?」


 この会合に参加している者の一人、これまで一度も言葉を発していなかった者が熱に浮かされたような赭顔(あからがお)で虚空に向かって問い掛ける。


 それを皮切りに他の者達も、睦言でも紡ぐように惚けた表情でうわ言を呟いていた。


 まさに異様な光景と言えよう。


 そんな中、怒りを露わに握り拳をフルフルと振るわせているデブザールが何かを掴むようにバッと右手を広げると、研究室の奥から無骨な杖が勢いよく飛んでくる。


 それを掴んだデブザールは自身の怒りの度合いを表すかのように勢いよくカツンと床に押し立てた。


 そしてこの部屋全体を満たすように自らの魔力を放出させた。


 魔力の奔流により吹き荒れる暴威で研究資料等が宙を舞い、試験管のようなものが地面に落ちて割れる。


 吹き荒れる奔流が落ち着き、もう一度カツンと床を打ち鳴らしたデブザールは盛大に鼻を鳴らし、怒鳴り声を上げる。


「ふんっ、小賢しいわッ‼︎ よくも精神操作などと……‼︎ 大魔導師たるこの私を操ろうなどとは片腹痛いわ‼︎」


 デブザールの魔力が部屋に満たされたことにより、洗脳されかかっていた他の者達の目も正気に戻り始める。


 夢にでも侵されていたかのような感触から抜け出したばかりで、意識が混濁としているためか、まだ虚ろ虚ろと魂が抜けたようになっている者が多い。


 全くかかる様子がなかったのはデブザールとワイデール公の二人。


『流石は長老級のお二方。このような児戯ではお遊びにもなりませんか。しかしそれでこそ私が提案を持ちかけるに相応しきお方といったところでしょうか』


 称賛でもするかのように愉しげな声色を含んだその言葉に、それまで沈黙を貫いていたワイデール公が嘗てないほど鋭く眼光を光らせる。


「児戯とな? 誰とも知らぬ者がするには些か度が過ぎる児戯よのう。ワシを相手にこの狼藉、児戯などという戯言では済まされんとは思わぬか?」


 デブザールと口撃し合っていた時とは比べ物にならぬほどの刺々しい覇気を纏っているワイデール公は、左手に持つ長刀の鯉口を僅かに切る。


 どこに敵がいるかわからないにも関わらず、その構えが醸す迫力には相手を視認できるかなど関係なく、森羅万象あらゆる事象を無視して全てを“斬る”という気迫が宿っていた。


 だがそれを向けられた当人は焦る様子もなく、あくまでも悠然とした声色で話しかけてくる。


『いえいえ、お待ちください。私は敵ではございませんよ。……かといって味方とも言いませんが。フフッ、そうですねぇ……共通の敵を抱える同志とでもいったところでしょうか』


 同志という言葉に構えを僅かに和らげたワイデール公は、視線は険しいままに眉を顰め、小馬鹿にするように鼻で笑った。


「同志じゃて? いきなり我らを操ろうとした者を同志と思えなどと、ちと頭が足りんのではないか——(わらべ)よ。幼きゆえに人に協力を頼む態度というものを知らんようじゃのう」


 声色は明らかに成人男性のそれだと言うのに、童などという言葉を吐いたワイデール公にデブザール達の訝しむような視線が突き刺さる。


『……なぜ私が子供などと? 確かに小技程度の児戯とはいえ、それで子供などと揶揄される謂れはないと思いますが。お望みであれば更なる力をお見せ致しますが?』


 自身の実力が軽んじられたとでも思ったのか、これまで感情を感じさせなかったにも関わらず、初めて不機嫌そうに凄むような声を出してきた。


 その言葉にワイデール公は小気味よさそうにカカカと返す。


 大の大人に対して、童などという言葉は確かに侮辱にあたるだろう。


 それも自分が相手を操る側だと思っているような賢しい者にとっては尚の事馬鹿にされたと感じてもおかしくない。


 だがワイデール公はそうではないと嗤う。


「歳を取るとわかるようになってくるのじゃよ。何とは言えんが、言葉の端々に現れる青臭さというやつかのう。それが何やら臭ってくるのよ。相手の情報も何もかものう。お主、声は男のものじゃが、中身は女子(おなご)じゃて? どうやっているのかは知らんが、その程度で隠し通せると思うなどとは舐められたものじゃて」


 その言葉に完全に部屋の中が沈黙に包まれる。


 貴族の世界にある男尊女卑の考えに加え、子供程度に操られかけたという事実。


 ワイデール公の言葉が真実であるのならば、誰にも言えぬほどの恥をかかされたと言える。


 だが違う意味で押し黙る者が一人。


 女か男か、子供かそうじゃないかなど怒るデブザールにとってはどうでもよかった。


「ワイデール公……この者が誰か分かるので?」


 その声色は暗く、重い。


 魔法師としての尊厳、貴族としての体面を傷つけられ、殺意がこれでもかと乗せられているような声色であった。


 ワイデール公が誰ぞかの名を口にすれば今すぐにでも殺しに行きそうな様相だ。


 だがワイデール公はデブザールの問いにすぐには返さず、老人らしくゆっくりと椅子に腰掛けたかと思えば、惚けたような声を出す。


「はてな〜。そこまではわかるはずもないじゃろう。じゃが、これほどの実力者。一つ一つ潰していけば自ずと答えは出るかもしれんがの?」


 誰かわかっているのかわかっていないのか、曖昧な態度を取るワイデール公にデブザールは内心舌打ちする。


 だがワイデール公の言葉も正しい。


 どれくらい若いのかは知らないが、ワイデールの言葉を信じるのならば相手は若い女、それもおそらくは成人していないくらいの子供と考えて良さそうだ。


 少し高めに考えて、少なくとも二十歳以下にでも限定して候補を挙げれば、絞るのもそう難しくないだろう。


 たとえ他国の者であろうとも必ず見つけてその報いを受けさせてやるとデブザールは手に持つ杖を握り潰さんくらいに力を込めながら息巻く。


 だがデブザールは気持ちを整えるためか一度息を吐き、杖をカツンと盛大に鳴らした。


「この私の研究室に土足で上がり込むなど、万死に値する罪であるが、それは後回しにしてやろう。——それで、奴を追い出す方法というのは何だ?」


「オ、オルファイト様⁈」


 驚いたような声をあげる若い貴族と正気かと片眉を吊り上げるワイデール公の表情に若干溜飲を下げたデブザールは僅かに微笑む。


 そのデブザールをワイデール公は侵入者に向けるのとたいして変わらぬくらい鋭い眼で睨みつけた。


「このような得体の知れない輩の提案を呑むつもりか?」


 そこまで堕ちるつもりかと。


 だが睨むワイデール公を蔑むような視線を向けたデブザールは馬鹿にするような笑みを浮かべる。


「ワイデール公。何も聞いたからと実行せねばならぬわけではありませんでしょう。まずは聞くだけ聞いてやりましょう。果たしてその簡単な方法とやら、使えるのならば使ってやればよいのです。一考にすら値しないものならば、そのとき我々の時間を無駄に取った報いを受けさせれば良い。捨て去るのも、燃やし尽くすのもそれからで遅くはない」


 貴族とは他者を使う者。


 使いこなす者だとデブザールはワイデール公を見下すように見据えていた。


 そんな中、侵入者のフフフと愉しげな笑い声だけがその部屋に響いていた。


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