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51、ひとり

 列車を降りたアルバート殿下を、フロックコートにトップハットの閣僚たちが出迎える。


 今回、殿下は軍縮会議の全権大使として、無事、軍縮会議を取りまとめて戻ってこられた。その労をねぎらい、功績をたたえるためには当然のこと。ただ――。


 わたしはカーテンを半ば閉めた車窓の窓から、身を縮めるようにして、そっとホームの様子をうかがう。


 進み出た背の高い壮年の男性が、新聞でも写真を見たことがある、首相のバーソロミュー・ウォルシンガム卿だ。


 眩いほどのカメラのフラッシュの渦の中で、殿下に握手を求めるが、殿下はやや素っ気ない風情。ウォルシンガム卿の隣には、綺麗な桃色のスーツに揃いのトーク帽を被り、毛皮の縁取りのついたケープを肩にかけたステファニー嬢が、優雅に微笑んで立っている。相変わらず、隙のない令嬢姿。ただふと、彼女が殿下の背後に視線を飛ばし、列車の中を探るように見た。


 一瞬、目が合った気がして、わたしはハッとしてカーテンの陰に身を潜める。

 こんな風にコソコソ身を隠しているのは、実に惨めだけれど、堂々と出ていかれる身の上じゃないのは確かで――。


 ステファニー嬢は媚びを孕んだ視線で、頭一つ以上高い殿下を見上げるけれど、殿下は意図的に無視しているのか、視線を合わさない。周囲の閣僚とそつなく挨拶を交わし、ゆっくりと歩き出す。集団が崩れるように動き、フロックコートの背後にいた、記者たちの集団も動きだす。カメラのフラッシュがバシャ、バシャと光る。


 集団が歩み去った後に、見慣れた紳士と貴婦人が一人、立っている。


 ――マクガーニ閣下と、ジェニファー夫人だった。


 わたしが慌てて立ち上がると、カーティス大尉もそれに気づき、二人でゆっくりと列車から降りる。


「エルシー!」


 ジェニファー夫人がわたしに走り寄り、わたしも慌てて彼女に近づいた。


「ジェニファー夫人……大丈夫なんですか?」

「ええ、身体は何ともないの。ごめんなさい、わたしが――」

「いえ、あなたのせいではありません。新聞記者が押しかけたら、赤ちゃんのためにならないわ」


 わたしが言えば、マクガーニ閣下も言う。


「我が家で面倒をみるべきだが、新聞記者の過熱ぶりは酷い状態で。今日は、レコンフィールド公爵令嬢が殿下を出迎えるというので、あっちに釘付けになったがね」

「ええ、大丈夫です。――殿下が、アパートメントの方が安全だからと」

「不本意ながらそうだ。我が家はどうしても、人の出入りが多い。おかしな輩が入り込むかもしれない」


 マクガーニ閣下が、荷物を纏めているジュリアンと、カーティス大尉を見て言った。


「あの二人がいれば問題はないだろう。……ジュリアンは戦場では殿下の従卒で、ああ見えても武闘派でね」

「そうなのですか!」


 ジュリアンは背も高いし均整の取れた体つきだけれど、乱暴な雰囲気は全くないのに。

 わたしたちが数歩、歩み始めたその瞬間、バシャッと凄まじい光が走って、顔を挙げればカメラを抱えた若い男が立っていた。


「貴様!」


 すぐに気づいたジュリアンが追いかけるけれど、男はすごい勢いで逃げていき、ただ、横にいた、眼鏡をかけたひ弱そうな男を捕まえただけだった。


「どこの新聞社だ! 勝手な掲載は許さんぞ!」


 マクガーニ閣下がドスの効いた声で脅しをかければ、男は首を振って言った。


「いえ、その……なんでもありません!」

「どうします、こいつ……!」


 ジュリアンが捕まえた男を後ろ手に捻り上げれば、男はヒイヒイと情けない声を挙げた。


「い、痛い、痛いです……」


 わたしは目の前で繰り広げられる暴力を直視できず、顔を背ける。ちょうど、ジェニファー夫人も困惑して眉を顰めていた。


「いきましょう、エルシー、レディが見るものではないわ」

「え、ええ……」

「待って、あの、待ってよ、君、ええと、エルスペス嬢!……俺はニコラスの友人で……! 君に伝言があるんだ!」

「ニコラス? ……誰?」


 思わず足を止めてまじまじと見る。……ニコラスなんて知り合い、いたかしら?


「ニコラス・ハートネルだよ! 君に求婚した!」

「……ハートネル中尉?!」 

 

 予想もしない名を聞いて、わたしがギョッとする。


「……ハートネルは退役したと聞いているが」


 マクガーニ閣下の言葉に、わたしはもう一つびっくりする。


「退役? ハートネル中尉が?」

「そう、君に振られて……というか、君との仲をアルバート殿下に引き裂かれて、第二司令部に異動になったけれど、いたたまれなくて軍をやめたんだ」

「……わたしとハートネル中尉の間は、引き裂くような仲ではなかったわ」

「ニコラスは本気だったんだよ!」


 眼鏡の男性が必死に言うけれど、正直、迷惑という気分だった。


「そんなこと言われても……で、伝言ってわたしに?」


 眼鏡の男が逃げないとわかったので、ジュリアンがしぶしぶ、拘束を解いた。男は眼鏡の蔓を直し、くたびれたラウンジ・スーツの皺を伸ばしてから、言った。


「〈あんな形で引き裂かれたけれど、俺は今でも君を愛してる〉って」

「……はあ?」


 思わず茫然と立ち尽くしてしまう。


「ニコラスから聞いたよ。おばあ様の入院費を捻出するために仕方なく……だって。ニコラスはそれに気づけなくて、君を責めたことをすごく後悔して……必ず君を取り戻すからって! じゃあ、伝えたよ?」


 男性は身を翻し、アッと言う間もなく走り去る。


「ああ、しまった、あの野郎!」


 ジュリアンが悪態をつき、カーティス大尉とマクガーニ閣下が不穏な表情で男の後ろ姿を目で追う。


「何だったの……あれ」


 わたしが呟くと、ジェニファー夫人が心配そうにわたしの腕に手を掛ける。


「……取り戻すって、もしかして、わたしを? ハートネル中尉が? どういうこと?!」


 混乱のあまり眩暈がしてくる。

 取り戻すも何も、一秒たりとも、ハートネル中尉のものであったことなんてないのに!





 ほとんど一か月ぶりに戻ってきた殿下のアパートメント。

 本当はここに住むべきじゃないのだろうけど、わたしには他に、行くべき場所もない。


 出迎えてくれたアンナ・アンダーソン夫人と、メイドのノーラの姿。それから居間のピアノ。いつもの寝室の、暖炉の上の壁に飾った、薔薇園(ローズ・ガーデン)の絵。


 ――少なくとも今は、ここが、わたしの家。


 カーティス大尉が殿下に報告すると言って帰っていき、ノーラとジュリアンが、二人がかりでわたしの荷物を片付けている間、わたしは寝室のソファに崩れるように座って、ただ、薔薇園の絵を見上げる。


 ――そう、この絵のある場所が、わたしの部屋。いつまで、いられるかわからないけれど――。


 列車のカーテンの陰から見た、殿下と寄り添うように歩いていく、ステファニー嬢の後ろ姿を想い出して、ズキリと胸が痛む。


 旅の間ずっと、一番近くにいられたから、感覚がおかしくなってしまった。

 わたしは本来、殿下の横に立つべき人間じゃない。遠ざかる背中が、わたしにそれを教える。

 愛されていて、そして愛しているのに――。



 当然だけれど、その夜、殿下はアパートメントには戻ってこなかった。

 一人のベッドは広すぎて、冷たすぎて。


 ……わたしは一人眠れずに、涙を流した。



第二章が終了します。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
皆さん、勝手ですね~。 そこがリアルですけど。 自分の気持ちばっかりドンドン押し付けてきて、気が弱いと死にたくなりそうな状況かと。
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