50、帰国
翌日、正午にビルツホルンを発する汽車に乗って、わたしたちは帰国の途についた。
ホームまではお忍びで、エヴァンジェリア王女とフェルディナンド大公が見送りに来てくれた。
――二人の再婚約が現在のアルティニアのトップニュースで、ランデル王子の愛人まがいの婚約者のニュースなんて、すっかり隠れてしまった。お二人には感謝すべきかもしれない。
列車は行きと同じ、豪華寝台列車。国際寝台車会社の重役、ベジャール氏はやっぱり同じ列車に乗るらしくて、わざとなの? と思う。
「違いますよ! ちょうど、重要な商談が終わったんです。昨日一日、ビルツホルンで休暇を入れたから、今日の帰国になりますが。今回、私はアデレーンまでです」
「ニシンの缶詰は手配してくれたか?」
「それはもう、もちろんですとも!」
ベジャール氏は請け合い、わたしたちも笑う。
五日ぶりの個室で懐かしい気分を味わうが、わたしはふと、ハンナのことを思う。
――実は、出発間際に月のものが訪れたのに気づいた。妊娠していなかったのはホッとするけど、ハンナには本当に手数をかけてしまった。
ちなみに、殿下はすごく残念そうな表情をしたけれど、子供ができていないことよりも、多分、一週間ほどお預けを食うのが嫌なのだろう。
「大聖堂の誓いは無駄になったか……」
「ええ? 何かおっしゃって?」
「いや、何でもない。身体が辛かったら、すぐに言えよ?」
殿下がわたしの膝にブランケットを掛けながら言う。彼は時々、とても過保護だ。
「……国に戻ってから、ハンナに手紙を書かなくちゃ……」
わたしが呟けば、隣に並んで座った殿下が、不思議そうにわたしを覗き込む。
「いろいろお世話になったの。……彼女の父親、我が国の男爵で、外交官だったのに、本国に妻がいながら彼女の母親を現地妻にしたらしくて――」
「まあ、そういう男は珍しくはないな……」
殿下が薄く窓を開け、煙草を咥える。
列車のスピードが次第に上がり、窓の外の光景が飛んでいく。
「行きより混雑してますのね、駅も、車内も」
「ああ、聖誕節が近いからな。そろそろ、休暇中の大移動が始まる」
ノックがして、ジュリアンが熱いコーヒーを運んできた。
「その……ちょっと、お話しがあるのですが」
「なんだ?」
「ランデル大使館のメイドをしていた、ハンナ嬢のことなのですが」
ジュリアンの口からハンナの名前が飛び出して、わたしたちは顔を見合わせる。
「ハンナがどうした?」
「その……結婚したいと思いまして」
「……誰が、誰と?」
殿下が思わずと言う風に、煙草を指で挟み、身を乗り出す。
「……俺が、ハンナ嬢と」
「はああああ?」
わたしも殿下も茫然として、言葉もない。
「実は、ここ数日で、意気投合しまして。俺ももう歳だし、そろそろ結婚したいと思っていて、彼女は何と言うか、波長が合うんです」
「……ハンナは?」
「彼女の方は先年、母親を亡くし、親戚もビルツホルンにはいないそうで。彼女、レディースメイドを目指してるのですが、ランデル人との混血という理由で、アルティニアの名門貴族ではあまり歓迎されないらしく、大使館の仕事も短期契約で、長く続けられそうもないので、父親を頼ってランデルに行くことを考えていたそうなんです」
ジュリアンの言葉に、わたしは首を傾げる。
「でも、彼女と母親を捨てて帰ったロクデナシの男爵でしょ? 頼れるのかしら」
「俺もそう、思って。俺と将来的に結婚するなら、ランデルでも暮らしの保証はあるし、何より、ミス・エルスペスがハンナを気に入っていたので、このままお仕えできないかと思って」
「……それは……でも、どうして俺たちが大使館にいる間に言わない?」
殿下の問いに、ジュリアンが難しそうな表情をした。
「ランデル大使館のメイドは臨時雇いが多くて。王子の部屋付きになっただけで、やっかみがすごいんだそうです。そこで、ランデルでも雇ってくれ、なんて申し出たのが同輩にバレたら、何を言われるかわからないと」
わたしは初日の朝に見た、躾けのなっていないメイドを思い出していた。
「本年中は大使館との契約が残っているので、それを済ませ、家の方もケリをつけてから、心機一転、ランデルに向かいたいような話で……」
「お前との結婚は了承したのか、彼女?」
殿下が確認すると、ジュリアンは少しばかり苦い表情をした。
「そこは……微妙にはぐらかされました。もしかしたら、付き合っている男がいるのかもしれません」
「彼女、潔癖なのね」
わたしの言葉に、殿下が不思議そうに目を丸くする。
「一応、恋人がいる状態で、結婚を申し込んできた人に頼るべきじゃないと、思ったのではないかしら」
「そうだといいんですが……」
ジュリアンが肩を竦め、「そういうわけで、彼女がランデルに来たら、俺を頼るように言っているんで、よろしくお願いします」と言いおいて、出ていった。
「なんだか、周りの縁結びばかりしてるな、俺たち」
「……ほんと、どうしちゃったのかしら」
わたしたちは笑い合って、そうして穏やかに、汽車の旅は続いた。
狭い個室に二人っきりで、車窓の風景を眺め、時々、途中の駅のホームを散策したり、食堂車で豪華な料理に舌鼓を打ったり。
月のもののせいで身体を繋げる事はできないけれど、毎晩、狭い寝台で身を寄せ合って眠り、殿下はわたしにたくさん、たくさん、キスをして、くどいくらいに愛してると囁いてくれた。
つかの間の、愛し、愛される時間――。
七日後の昼過ぎ、聖誕節まであと五日という時に、わたしたちの乗る列車は王都の東駅に到着した。
ホームに居並ぶ、フロックコートにトップハットの集団を見て、殿下が眉を顰める。
「……聞いてないぞ?」
列車はここが終着駅だから、わたしたちはもともと、ゆっくり最後に降りる予定にしていた。――他の乗客の邪魔にならないために。だがあれだけの出迎えがいるなら、長くとどまったら大変な迷惑になってしまう。
個室に、ジョナサン・カーティス大尉が慌てたように走り込んできた。
「殿下、出迎えの中にレコンフィールド公爵令嬢がいます」
「なんだって?」
「それと首相のウォルシンガム卿が――」
首相の出迎えと聞いて、殿下が顔色を変える。
「なんだって、そんな不意打ちを――」
口走ってから、殿下は盛大に舌打ちする。
「あの野郎、俺が逃げられないように――」
「議員や閣僚も大勢、来ているようです。この状況で、レコンフィールド公爵令嬢を無視するのはまずいです」
「チクショウ! ふざけやがって!」
口汚く罵って、殿下が吸っていた煙草を乱暴に灰皿に押し付ける。
それからしばらく考えていた殿下は、わたしとカーティス大尉に言う。
「今回はしょうがない。……オズワルド小父様の帰国は来週で、それまで、婚約に対する異議申し立てはできないから、議会が承認した婚約者はステファニーだと言われたら、反論できない」
……大方、婚約早々、軍縮会議に駆り出された殿下を、婚約者のステファニー嬢が駅までお出迎え、という演出だろう、と。
「ウォルシンガムはステファニーの母方の伯父だ。ステファニーを溺愛している気持ち悪い奴なんだ」
議会があそこまで急に、婚約を承認したのも、ウォルシンガム卿の思惑が絡んでいる、とも。
「ジョナサン、お前が護衛として、エルシーをアパートメントまで送ってくれるか?」
殿下がホームをさりげなく見ながら言う。
「アパートメントですか? ですが、ホテルを取るのでは――」
「フロックコートの集団の背後に、新聞記者が大量にいる。ホテルでは、安全を確保できない。俺のアパートメントなら、警備を強化できるし、ジュリアンもいる」
「……そうですね。ホテルではジュリアンのような従僕は置けませんから……」
「そもそも、マクガーニの家が使えなくなったせいでもある。マクガーニも文句は言えまい」
カーティス大尉と殿下が素早く打ち合わせ、殿下が配下とともに先に降り、出迎えの一団が去ってから、わたしとカーティス大尉、それからジュリアンが降りることにした。いつの間にか個室の隅に控えていた、ジュリアンがさっと車掌に伝えに行った。
殿下はわたしをじっと見て、それから耳元に顔を近づけて小声で詫びた。
「……済まない。俺はまだ、どうしてもお前を守るには分が悪い。でも愛してるんだ、それだけは――」
「ええ、リジー……信じています」
そっと唇に触れるだけのキスをして、殿下がわたしから離れ、個室から出て行った。




