46、逃亡王女
その話に、わたしとカーティス大尉、ロベルトさんが顔を見合わせる。
「俺の耳がおかしいのかな、皇太子妃がお姫様を口汚く罵ったって聞こえたけど」
「いや、僕の耳にもそう聞こえた。……『口汚く罵る』、と『皇太子妃殿下』って組み合わせ、割とカオスだね」
高貴な女性は汚い言葉なんて使わない、と男性陣は夢に見るのだろうか。わたしが言う。
「アデーレ妃殿下、わたしにもひどいことを仰ったわ。『若い人は貴賤結婚も平気なのね』、なんて。もちろん、アルバート殿下が即座に言い返してらしたけど」
「まさかそんなことを……!」
潔癖なカーティス大尉が絶句し、エヴァ嬢がしゃくりあげる。
「……フェルはマルティナ姫と婚約する、お前のような成り上がり、今すぐに国に帰れって言われて……わたくし……フェルは出かけたまま戻ってこないし、どうしていいかわからなくて……」
不意にわたしの言葉を思い出し、藁にも縋る思いで、ランデル大使館に駆け込んだのだと言う。他に頼る人もいない彼女のために、ロベルトさんが副使に相談して、内密に居室を用意した。
グリージャのエヴァンジェリア王女がランデル大使館に滞在するという、いささか奇妙な事態に陥ったのである。
かなり夜遅くになって、殿下がグルブラン宮殿から戻っていらした。
わたしはギリギリの時刻までエヴァ嬢の部屋で彼女を慰めていて、殿下のご帰還を聞いて慌てて殿下の部屋に急ぐ。
わたしが部屋のドアをノックすると、すぐにドアが開き、殿下に強引に室内に連れ込まれ、唇を奪われる。
「んっ……リ、ジー、……だめっ……」
「部屋にいなかったから、心配したぞ?」
「ごめんなさい、エヴァ嬢が落ち着かなくて……」
殿下がわたしの腰を抱いてソファに導き、並んで腰を下ろす。
「フェルディナンドの話を聞いてきた。……フェルディナンドとしては、従妹のマルティナは幼すぎて、結婚する気にならないそうだ」
「じゃあ、エヴァ嬢を愛していると?」
わたしはフェルディナンド大公の様子を思い浮かべる。貴族的な、非の打ちどころのない貴公子だが、少しばかり気が弱そうに見えた。
「フェルディナンドは、エヴァンジェリア王女と再婚約するつもりでいたが、両親、とくに母のアデーレ妃が強硬に反対しているらしい。今回は、身分を隠して突然やってきたエヴァ嬢に非があるので、フェルディナンドも強く言えなかったと」
「エヴァ嬢はアデーレ皇太子妃に結構ひどいことを言われたらしくて、ショックを受けているの」
殿下が眉を顰める。
「貴賤結婚が云々と、エルシーを貶めたババアだな。クソ、一発くらい殴らせろ思ったが、我慢したんだぞ? 褒めてくれよ」
「殴っていたら大変なことになっていたわ。我慢して当然です」
わたしがあっさりといなし、溜息をつく。
「お互いに愛し合っていても、あんなお姑さんでは大変ね。――お母様もおばあ様には苦労していたし」
「それでだ、フェルディナンドはエヴァンジェリア王女が邸を出て行ったとの知らせを聞いて、実は会場でかなり慌てていた」
わたしが驚いて殿下を見る。
「そうなのですか――」
「ああ、ちょうど、ロベルトがジュリアンを使いに寄越したから、俺もエヴァンジェリア王女がランデル大使館にいるとわかった。だから、フェルディナンドにその旨を伝えたら驚いて、明日にもランデル大使館に来ると言うんで、必死に止めた」
「どうして! エヴァ嬢は彼に会いたがっているのに!」
わたしの言葉に、殿下が笑う。
「うちの大使館を修羅場にするつもりか? フェルディナンド大公が外国の大使館を訪問して、女と逢い引きなんかしてみろ。しかも身分を隠した外国の王女と。バレたら大事になるぞ? だから外で、密かに会わせることにした」
「外?」
殿下が頷く。
「明日、朝の内に聖ゲオルグ大聖堂に行く。……もちろん、エヴァンジェリア王女も一緒に。向こうで、フェルディナンドと待ち合わせる。とにかく二人で話し合いをさせて、その間、俺たちは懺悔して――」
懺悔のことをこんなに気にするくらいなら、わたしを抱かなければいいのにと思ったけれど、エヴァ嬢をフェルディナンド大公に会わせることには、わたしは同意した。
翌日、朝食を済ませて、わたしと殿下、それからエヴァンジェリア王女とで地味な馬車に同乗して、聖ゲオルグ大聖堂に向かう。……見かけは外国からの旅行者にしか見えないはず。
「わたくし、あなたのことを誤解していましたわ、アルバート殿下」
わたしもエヴァンジェリア王女もシックなツイードのスーツを着て、頭にはトーク帽を被っている。……エヴァ嬢はわたしの付き添いという風情だ。
「たまたま、混乱しているフェルディナンド大公を見て、声をかけただけだ。その代り、話合いは二人でやってくれ。俺たちは大聖堂ですることがあるから」
「もちろんですわ。本当に感謝しましてよ、アルバート殿下。わたくしとフェルの結婚が無事決まったら、是非、エリースと二人で結婚式にも出てくださいまし。きっとこの聖ゲオルグ大聖堂で式を挙げることになるわ……素敵だわ……トレーンを長く引いて……ブーケはやっぱり白薔薇かしら。それとも白百合? エリースはどう思う?」
「……まだ何も決まってないのに、よく、そこまで先走れるな……」
うっとりと結婚式のブーケを夢想するエヴァンジェリア王女に、殿下も呆れている。
「ブーケの前に、フェルディナンド大公のお気持ちを確かめなければ。先走り過ぎですわ」
「そ、そうだったわね……」
聖ゲオルグ大聖堂は、高い尖塔と大きなステンドグラスの窓が特徴的な、壮麗な教会だった。わたしたちがそっと教会の中に入ると、まだ若い、白い服に司祭の刺繍の肩掛けをした聖職者が、足早にやってくる。
『ようこそ。外国の方ですか?』
『ああ、だが、ここで待ち合わせをしている人がいて――』
薄暗い教会堂の、隅の暗がりの椅子の前に、立ちあがった男性の影が見える。
『フェル……!』
エヴァ嬢が小声で叫んで、走り寄る。それを見送って、殿下はわたしの手を引いて、内陣近くの隅に、司祭を引っ張っていく。
『懺悔したいことがあるんだ。……二人で』
『お二人で? ……懺悔用の部屋は一人用で……』
『あのすみっこでいい、話を聞いて欲しい』




