45、青い血
その後も、グルブラン宮殿の夜会では「貴賤結婚」だのなんだの、ヒソヒソと囁かれていたけれど、もともとわたしは表情が顔に出ない。それに、アルティニア皇家では代々、皇族である大公の妻は、同じ皇家の分家筋か、各国の王族から迎えていて、国内の貴族から娶るということがないらしい。
つまり、わたしがランデル国内の伯爵家の出であることが、アルティニア的には「貴賤結婚」に当たるらしいのだ。だとしたら、たとえここにいるのがレコンフィールド公爵令嬢であったとしても、アルティニア風に言えば「貴賤結婚」になる。
そんな、この国独自の基準で罵られても、別に痛くも痒くもないので、わたしは全て聞き流した。
「確かに、我が国でもここ数代、王妃はレコンフィールド公爵家とエルドリッジ公爵家がほぼ、交互に出しているから、少しばかり血が濃くなっているけれど、アルティニア皇家の血族結婚は正直やばいレベルだ」
そうして、殿下はわたしの耳元に顔を寄せ、声を落とした。
「大きな声では言えんが、前皇太子のフランツの息子は四人とも早世していて、育ったのは末の公女だけらしい。グスタフ皇太子も、長男のフェルディナンドがまともなのは、アデーレ妃の母親が属国の貴族の出で、彼女の両親が貴賤結婚だったせいじゃないか、なんて言われている」
殿下が小声で囁く言葉に、わたしは別の理由でびっくりした。
わたしのことを「貴賤結婚」だとあげつらったアデーレ妃の両親が、貴賤結婚だと馬鹿にされていたなんて!
「自分の両親のことを棚に上げて、わたしの血筋について、あれこれおっしゃったの?」
「自分が辛い目にあったから、他人に優しくする人間と、他人にも同じことをする人間と二種類いる。前者は気高いが後者は浅ましいな。……自分があれこれ言われてきたからこそ、長男のフェルディナンドには名家の娘をと、躍起になっているらしい」
「……グリージャ王家は十分、名家だと思うけど……」
それこそ、二千年続いているヤパーネ王家の姫君くらいしか、満足できないのでは?
わたしが言えば、殿下も噴き出した。
「まったくだな。血筋なんてバカバカしい。王制などとっとと滅んでしまえばいいのに、と戦場ではずっと呪っていたんだがな。生憎、俺には呪術師の才能は皆無らしい」
「そんな才能があっても困りますわ」
要するに、フェルディナンド大公の母・アデーレ妃はもともと、エヴァンジェリア王女との婚約に反対で、もっと血筋のいい婚約者をと、運動していたらしい。
「フェルディナンド大公が連れている女性は、暗殺された皇太子フランツの忘れ形見、マルティナ姫だそうです」
すっと近づいてきたジェラルド・ブルック中尉が、わたしたちの耳元で囁く。ブルック中尉は金髪碧眼のいかにも貴族的な美青年なので、その容姿を活かしてあちこちで情報収集をしてくる。
「紹介されないのは、彼女が成人前なのと、正式な婚約に至っていないからのようです。アルティニアの皇家に近い、有力な貴族には彼女が誰かわかるので、内々に周知する目的で、成人前の彼女を連れてきたのでしょう」
「では、エヴァンジェリア王女は――」
ブルック中尉が周囲を気にしながら言う。
「グリージャの王女がビルツホルンにいる、という情報は、誰も掴んでいない。フェルディナンドが上手く誤魔化しているのか、あるいはすでに、グリージャ大使館が捕獲済みなのか――」
今夜、フェルディナンド大公が別の女性をエスコートしているということは、エヴァンジェリア王女がフェルディナンド大公の邸にいない可能性が高い。ならば彼女はどこにいるのか。もしや――。
「もしかしたら、ランデル大使館に向かったかもしれません。どうしましょう、わたしを、探していたら――」
殿下が軽く目を見開く。
「グリージャ大使館ではなく、ランデル大使館に駆け込むと?」
「グリージャ大使館に駆け込まれたら厄介だと、カーティス大尉が言っていましたでしょ? だからわたし、何かあったらわたしを頼って、って言ったんです。もし、本当にわたしを探してランデル大使館にいらしていたら……」
婚約者に裏切られた挙句、わたしまで不在だったら、ずいぶんと傷つくのではないかしら。
わたしはエヴァ嬢のことが心配でたまらなくなった。
殿下はしばらく考えていたが、ジョナサン・カーティス大尉を呼んで、言った。
「だいたいの挨拶は済んだし、エルシーは先に大使館に帰そうと思う。ジョナサンが護衛についてくれ。俺はこの後、オズワルド小父様と少しだけ、社交して戻る。……例の、フェルディナンド大公とも少し、話しておいた方がよさそうだ」
素早く打ち合わせがなされて、殿下はわたしをエスコートして広間を出、車寄せに向かう。大使が不安げに近づいてきたので、殿下が手を挙げて説明した。
「ミス・アシュバートンはまだ、長旅の疲れが抜けていない。顔見せは済んだから、先に大使館に帰そうと思う」
「殿下はこのままお残りに?」
「ああ、俺も一緒に失礼したいが、そうもいかないだろう?」
わたしは一人で帰れると言い張ったけれど、殿下はガッチリと守るように腰を抱いて、車寄せまでついてきた。周囲の人々の視線が集まる。殿下に思わせぶりな視線を送る若い女性もいて、わたしは少し不安になる。
「……先に帰ってしまってよろしいの?」
「ここからは外交という名の茶番だ。エルシーが付き合う必要はない。……それより、エヴァ嬢が心配なんだろう?」
カーティス大尉が馬車を手配し、馬車が車止めにやってきた。乗り込む寸前に、殿下がわたしの頬に軽くキスをして、耳元で言った。
「よく頑張った、今夜は上出来だ」
「そんな、何もしませんでしたのに――」
「お前が横にいてくれるだけで、俺の力になれる」
わたしはカーティス大尉と馬車に乗り込み、グルブラン宮殿を後にした。
ランデル大使館には先触れを送っておいたので、門前に馬車が停まるとすぐ、門番が扉を開ける。
「実は、ミス・アシュバートンに来客があって――」
「来客? わたしに――?」
わたしとカーティス大尉が顔を見合わせる。
「それは、女性の?」
「ええ、若い女性で。こんな夜に追い返すわけにもいかず、留守番のリーン大尉に相談して、彼が対応しています」
ロベルトさんとエヴァ嬢という、ある意味、水と油の組み合わせに、わたしが青くなる。
「すぐにお会いするわ。どちらにいらっしゃるの?」
「玄関脇のサロンです」
わたしはマーメイドラインのドレスの裾をからげるようにして、サロンに飛び込む。
「フロイライン――!」
「エリース! よかった! 会えなかったらどうしようかと――」
ソファから飛び上がるように、走り寄るエヴァ嬢の頬は明らかに涙の痕があり、目は赤く腫れていた。わたしが思わずキッとロベルトさんを睨むが、彼は慌てて首を振る。
「オレじゃねえ! 最初っから泣いてたんだって!」
わたしはエヴァ嬢を促して、並んでソファに座り、控えていたメイド――どういうわけか、ハンナだった――にお茶をお願いする。ハンナが頷いて出て行くと、エヴァ嬢が言った。
「ごめんなさい、突然、でも、わたくし――」
「いいえ、わたしこそ留守にしてごめんなさい」
エヴァ嬢はわたしのイブニング・ドレスを見て、言った。
「グルブラン宮殿の夜会に行ってらしたのね! じゃあ、彼を見たのね! 彼と――」
それ以上は口にできず、手にしたレースのハンカチで顔を覆ってしまう。
「事情はよくわからないけれど……ええ。見たわ」
「じゃあ、一緒にいる女も見たのね、ひどいわ、こんなの――」
泣き出してしまったエヴァ嬢を抱き締めて宥めていると、ハンナがお茶のお盆を運んできた。
「オレ、聞き取れない部分があったんだけど、何があったの?」
ロベルトさんがジョナサン・カーティス大尉に尋ね、大尉が簡単に説明する。
「フェルディナンド大公は今夜の夜会に、前の皇太子フランツ殿下の公女をエスコートして出席された。つまり――」
「ええ? エヴァ嬢捨ててそっちと結婚すんの?」
あけすけな言い方に、エヴァ嬢の嗚咽がさらに激しくなる。わたしはロベルトさんを睨みつけた。
「もうちょっと言葉を選んでください! それに、フェルディナンド大公のお気持ちを確認したわけじゃないから――」
「たぶん、その件も含めて、殿下が会場に残ったのだと思う。……万一、殿下との結婚話を、フェルディナンド大公が誤解していたら困るから」
「わ、わたくし、ちゃんと説明して、フェルもわかったって……わたしのことは愛しているからって、ご両親に再婚約について話しに行かれて……なのに、戻ってきたら……」
嗚咽を堪えきれないエヴァ嬢に変わり、隅に控えていた付き添い婦人が話を引き継いだ。
『その……今朝になって、今夜のランデル王子を歓迎する夜会で、亡き皇太子の姫君をエスコートすることになったと仰って。大公殿下にとっては妹のような方で、まだまだ子供だし乗り気はしないと言いながら、父君の皇太子殿下に呼び出されて、出かけていかれました。その後、突然、アデーレ皇太子妃殿下がいらっしゃって、大公殿下は亡き皇太子の姫君と婚約が決まった、グリージャの王女如き、成り上がり者にフェルディナンドの妻は相応しくないなどと、口汚く罵ったのでございますよ!』




