41、許してあげる
「俺は、許せない。――スペアの王子を産みだすために、ローズの人生を捻じ曲げ、マックスの約束すら踏みにじった王家が。……おばあ様が、エルシーを王家にはやらないと言ったのは当然だ。俺は――」
「リジー……」
わたしが殿下の顔の側に顔を寄せると、殿下が涙で潤んだ瞳でわたしを見た。
「エルシー……結局は俺が元凶なんだ。俺が生まれてしまったばかりに、マックスは戦死して、お前とおばあ様は領地を追い出されて――俺がいなければ今頃……」
金色の瞳が真剣なまなざしで揺れる。わたしはふいにおかしくなって、思わず吹き出した。
「……殿下がいなかったら、きっとお父様はローズと結婚して、わたしのお母様とは結婚しなかった。その場合、わたしもビリーもこの世にいなかったわ?」
その指摘に、殿下は初めて気づいたような表情で、睫毛を瞬いた。
「そ……か。そう、なるな……」
「ええ、どのみち、リジーを責めるつもりはないわ……」
わたしは少し考えて、殿下の額に軽くキスして、言った。
「リジーは特別だもの。……許してあげる」
「エル、シー……」
チュっと、軽く唇が触れて、自分からキスしておきながら、急に恥ずかしくなったわたしは、慌てて身体を離してそっぽを向こうとした。が――。
殿下にがっちりと捕らえられ、アッと言う間もなく視界が反転し、圧し掛かられて身動きもできない。
「な――リジー?」
気づけば殿下はわたしに覆いかぶさり、至近距離から涙で潤んだ瞳で見下ろしている。
「エルシー……愛してる。愛してるんだ。お前だけ、俺の――」
「な……どうしたのです? 急に……」
何かまずいことを言ってしまったのだろうか? 慣れないことをしたからか? いったい何が悪かったのか――。
「あのローズの庭で初めて会ったとき、お前、言ったんだ。『この庭は特別な秘密の庭だから、知らない人は入っちゃだめ。でも、あなたは特別に許してあげる』って」
「……たしか、その後、草むしりをさせたんでしたわね?」
「ああ、特別に許すかわりに、草むしりをしろって――」
それは要するに、草むしりをさせたかっただけでは――と思ったが、なぜか殿下は感激して瞳を潤ませている。
「あの時に俺は――ああ、この子は俺の存在を許してくれるんだって――王宮で存在を否定されている俺も、この子はここにいてもいいって言ってくれるんだって、それで――」
――その当時七歳のわたしが、そんな深いことを考えているわけがない。たぶん、ただ、草むしりの手が足りなくて、ちょうどいいと思って、適当なことを言っただけに違いない。
「ああ、愛してる、俺の、ただ一人のエルシー……」
そうして強引に唇を奪われて――。
結局、その夜もわたしは殿下のなすがままにされた。
マールバラ公爵の話を聞いて、殿下は何かが吹っ切れたのかもしれない。
その夜、殿下は初めて避妊しなかった。
わたしは、殿下を見つめて言った。
「どうして……赤ちゃん、できたら……」
「……産んでくれ。俺と、エルシーの子が欲しい」
「でも……ローズと同じになっちゃうわ……」
正式な婚約も結んでいない状態で妊娠・出産すれば、子は私生児だ。今、この状態で妊娠したらまずいのは、殿下もわかっているはずなのに。
「俺は父上とは違う。……お前も、俺を愛してくれているんだろう?」
「ええ、愛してます……でも……」
「でも……?」
殿下がわたしを抱き締め、額と額をくっつけて問い返す。
「エルシー、前に約束したはずだ。俺が王子だという理由で、俺を捨てないで欲しいって。お前を得るためなら、何でもする。継承権も王族の籍もいらない。いつか捨てる覚悟で、俺は金を貯めてきた。お願いだ、エルシー。お前に無理を強いているのは、わかっている、でも愛してるんだ」
殿下に熱っぽく囁かれて、わたしは目を閉じて、もう一度殿下に縋りつく腕に力を籠める。
「わからないの……でも不安で……公爵が王子妃に推薦すると言ってくださって、味方が増えたはずなのに、かえって不安になるなんて……怖い……」
「エルシー……」
「王子の婚約者として扱われて、みんなにジロジロ見られて……リジーがわたしを愛して、そのためなんだってわかっても、怖いの。いけないことをしてる、神様の許さないことをしてるんじゃないかって、怖くて――なのに、リジーから離れたくはないの。ずっと側にいて。前のように、いなくなってしまわないで。たとえ――」
その後の言葉は、口に出せなかった。……あまりに浅ましくて。神様を冒涜しているも同然で。
マールバラ公爵という後ろ盾を得たことで、今まで漠然としていた王子妃という地位が、明確になったせいかもしれない。
「結婚」すると殿下は何度も誓うけれど、何となく今のまま、二人で過ごす夢のような未来のことだと思っていた。――殿下と「結婚」する、殿下の「妻」になるとは、どういうことか、わたしはよくわかっていなかった。愚かだと罵られても、反論もできない。
でもマールバラ公爵が議会に働きかけ、ステファニー嬢と殿下の婚約を解消させ、わたしを「アルバート殿下の妃」に推薦すれば、王室も議会も国も大きく割れるだろう。
――何の落ち度もない公爵令嬢を捨て、命の恩人の娘とはいえ、爵位も継承できなかった元・伯爵の娘を王子妃にする。わたしは当事者として、その、醜聞の渦中に立たされることになるのだ。
「エルシー、俺がお前を手放すわけない。永遠にお前だけだから。エルシー……」
殿下の唇が、わたしの唇を塞ぐ。
離れたくない。離さないで。ずっと側にいて。いなくなってしまわないで。
たとえ――愛人のままでも、ずっと側にいられるのなら、それで――。
翌朝、昨夜の疲労でぐったり起き上がれないわたしとは裏腹に、殿下は早くから起きて、軍縮会議の進捗状況に関する報告を受けたらしい。――らしい、というのはわたしは眠っていて、後から聞いたからだ。
なんとか起き上ってシャワーを浴び、寝間着にガウン姿で浴室から戻ってきたところを、ちょうどハンナと鉢合わせする。
「おはようございます。朝のお茶です。ご朝食はもうすぐお届けできます」
「おはよう、ハンナ。ありがとう。……殿下は?」
「殿下はお茶だけ召しあがって、書記官の方との簡単な打ち合わせに出ていらっしゃいます。ご朝食はご一緒なさるとのことです」
「そう……じゃあ、ちゃんと仕度しないとダメね。着換えてきます」
「……お一人で大丈夫ですか?」
「ええ、昼間の服なら一人で仕度できます」
わたしはハンナから受け取った朝のお茶を飲み干すと、コネクティング・ドアの向こうの自分の部屋に戻り、ブラウスとロングスカートにニットのプルオーバーを着て、鏡の前で髪を整え、簡単に化粧をした。
「……マニキュア、少し剥げかけね。塗りなおさないと」
ふと、手元を見下ろして気づく。ミス・リーンが、市内のサロンかホテルに行けと言っていたけど……。
ハンナに聞いてみようと思いながら、コネクティング・ドアのノブに手をかけた時、ドアの向こうから、シュルフト語の会話が聞こえてきた。
『信じられないわ、ハンナ。王子のお世話ならともかく、どうしてあたしたちがあんな、愛人の世話までさせられるの!』




