37、庶子
殿下の問いに、マールバラ公爵はパイプから立ち上る煙を眺め、言った。
「王妃は第三子の出産を拒否した。そればかりか、ジョージと二人、バールの離宮に籠るとさえ言い出した。……我が国の、いや、我が文明圏の王権が脆弱たる理由はまさしくこれだよ。一夫一婦制。これこそが王権を危機に陥らせる、最たるものだ」
公爵は、わたしの胸を飾る真珠のロングネックレスを指差した。
「その見事な真珠は東洋のものだね? アシュバートン嬢」
「……え、ええ。ヤパーネの……」
突然に問われ、びっくりして答えれば、公爵は頷く。
「今日のドレスの絹も、ヤパーネかね?」
「……たぶん。バーナード・ハドソン商会が輸入した絹と聞いていますので……」
「ヤパーネの王家は二千年に渡って王統を維持している。その理由がわかるかね?」
わたしと殿下は思わず顔を見合わせる。
「いいえ、不勉強で……」
「女性が知らぬのは当然だ。……後宮だよ」
「え?」
「東洋の王家には後宮がある。ヤパーネだけじゃない。カタイの、あの広大な大陸を統治していた皇帝もまた、巨大な後宮を擁し、なんと三千人もの女を囲っていたのだよ」
「三千人? 一人の皇帝に?」
目を見開くわたしに、殿下が横から言う。
「三千人全部に手を付けていたわけじゃない。皇后と側室が何人か……あとは女官や侍女、下働きのメイド、それから宦官……」
「カンガン?」
「宦官については後で教えてやる。……今ここでは説明しにくい」
殿下が耳元で早口に言い、公爵に言った。
「少し話がズレ過ぎです。……つまり、一夫一婦ではなく、側室が必要だというのが、オズワルド小父様のご意見なのですね」
「そうだ。我が国にも公妾という制度はあるが、あれはただの愛人で、何人、王の子を生もうが、継承権はない。どれほど優れていようが、妾腹であれば庶子とされ、王位にはつけない。……先代のバークリー公爵であった、我が友ユージーン卿のようにね」
マールバラ公爵が口にした聞き慣れぬ名前に、わたしがつい、殿下を見た。
「先代のバークリー公爵……」
「ユージーン卿は父上の異母兄だ。母親が公妾で、バークリー公爵家に入婿に入った。……ウラル戦争の英雄なんだ」
「そんな方がいらっしゃったなんて!」
わたしが思わず言えば、マールバラ公爵は眉を顰めて見せた。
「彼は庶子としてすら正式に認知されていないし、戦争で怪我をしてね。それ以来、領地に籠ってあまり表には出てこなかった」
「俺も直接お会いしたことはないんです。今はもう、爵位を譲っておられますよね?」
殿下の問いに、公爵は大きく頷く。
「ああ。わしとは従兄弟で年も近いのだが、先代の国王陛下に一番、似ていたのは彼だよ。先代の陛下が最も鍾愛した息子だった」
公爵はパイプの煙を目で追って、昔を懐かしむように目を細めた。
「逆に、王妃が産んだアルバート王子は、とんだハズレくじだった。娼館に入り浸って、最期はいかがわしい病を患って死んだ」
「アルバート王子……即位前に亡くなった王太子ですね? 父上の兄の。王妃……母上は、俺の名は彼から取ったと言っていました」
マールバラ公爵は、その言葉に露骨に眉を顰めて見せた。
「ああ、そうだ。王妃は第三王子に王位が渡らないように、縁起を担いでその名をつけた。愛称もそのまま、バーティだったよ」
わたしはマールバラ公爵と、殿下の顔を見比べた。
バーティという愛称を、殿下は嫌っている。まさか、わざわざ縁起の悪い名前を付けられたのだとしたら、いい気がしないのは当然だ。
「少なくともバーティよりユージーンは優れていた。……だが庶子ゆえに、王位を継ぐことどころか、正式な王子として認められることもなかった」
「オズワルド小父様はユージーン卿と親しくしていたと聞きました。父上とあまり仲がよくないのは、そのせいですか?」
殿下の率直な問いに、公爵が苦笑し、ふうっと煙を吐き出した。
「別に仲が悪いつもりはないがね。ただ、ユージーンが王子だと認められていたらと思わなくもない。彼には優秀な息子が三人もいるんだ。わしよりもよほど直系に近いのに、彼らには王位の継承権がない。もったいない話さ」
殿下はブランデーを一口飲むと、グラスとテーブルに戻し、言った。
「オズワルド小父様が側室をと、おっしゃるのはそのせいなのですね」
「ああそうだ。世界的には一夫一婦を貫く王家の方が稀だ。長く続く王家は側室を認めている。ヤパーネやカタイ、マームルー朝の皇帝も、皇后の腹から生まれた者なんてほんのわずかで、ほとんどは側室腹なんだ」
マールバラ公爵が力説し、殿下は眉を顰めながら言う。
「……つまり、王の子でさえあれば、王妃の子でなくともよいと……」
「そう、わしの持論ではそうだ。別に王妃の子にこだわる必要はないと考えた。だが、現在の法では庶子に継承権はない。だから、王妃の代わりに、王妃の子として王子を生んでくれそうな女を探した」
淡々とした公爵の発言に、わたしはふと、殿下が以前に言った、土人形という言葉を思い出した。
殿下は、跡継ぎとして必要とされたわけではない。
ただ、継承の不安を解消するために望まれた。別に殿下でなくともよかった。
――なんて、身勝手で残酷な。
わたしは無意識に、膝の上で両手を握り締めていた。
そして公爵の、どこか殿下に似たところのある横顔を眺める。
彼はワインを一口飲むと、言葉を継いだ。
「もちろん、誰でもいいというわけにはいかない。やはりある程度の家柄の者であることが望ましく、王妃と瞳や髪の色が似ていることが第一の条件だった。――母親似だった時に誤魔化しが効くようにね。そして家族も含め、重大な秘密を守り、王家に忠誠を尽くす者であり、数か月姿を隠しても怪しまれないよう、王都に知り合いのいない者でなければならない。――これらの条件に合致したのが、ローゼリンデ・ベルクマンだった」
わたしは目の前の、冷めかけたハーブティのカップに視線を落とした。
水面には、わたしの顔が映っている。――もしかしたら、わたしに似ているかもしれない、見も知らぬローズの顔を思い描いた。
殿下が、感情の籠らない声で公爵に尋ねた。
「どこでローズをお知りになったのですか。彼女はもともとグリージャの貴族の家に生まれ、孤児になってストラスシャーのリンドホルム城に引き取られ、ずっとそちらで育ったはずです」
公爵はパイプを片手に、遠くを見るような視線になった。
「……まず、マックス・アシュバートンは王都の陸軍の士官学校を出て、特務機関に配属され、……わしの部下になった。有能な男でね。彼と縁を結びたいと願う者は多かった。何せ、ストラスシャーの名門だ。だが、許嫁がいるという」
「それが、ローズ……ローゼリンデ・ベルクマン」
「そうだ。母親の従妹の娘で、妹のようにかわいがっていた。十七歳でデビューのために王都に来て――彼女を一目見て、わしは閃いたのだ」
マールバラ公爵がわたしの方を見て、目を眇める。
「そう、ちょうど王妃の金髪よりは少しくすんで……ミス・アシュバートンのような髪の色だった。だが、黒髪の国王陛下との子であれば、多少の違いは誤差の範囲内だろう。瞳は青。これも王妃の色に似ている」
「……ただ、髪と瞳の色だけで……?」
わたしは思わず、聞き返していた。……少し不躾かもしれないけれど、どうせ三人だけの場だ。公爵はわたしの無礼も気にせず首を振った。
「まさか! 外見は前提条件に過ぎない。もちろん、念入りに調査したさ。彼女の両親、家族。特に両親や家族の病歴には気を使った。せっかく儲けた王子が健康でなかったら、意味がないからな」
「そんな……!」
あまりの言葉に、わたしは唇を噛む。――ローズと言う人を、そしてその子である殿下を何だと思っているのだろう。
「ひどい話だと思うかね? わしだって自覚がないわけじゃない。だがお嬢さん、国を保つために、犠牲はつきものだよ。ローゼリンデ嬢には両親もなく、後見人は田舎住まいの伯爵未亡人で、許嫁である息子は王家に忠実な特務機関の軍人。秘密を守るにはうってつけだった」




