36、マールバラ公爵
在アルティニアのランデル大使館のこじんまりした一室に、わたしと殿下は三人がけのソファに並んで、マールバラ公爵閣下は一人がけのソファに寛いで、向かい合った。十二月の初め、内陸の都市アルティニアの朝晩の冷え込みは厳しく、暖炉には火が入っている。
部屋には壁付けの電灯が四つ。暖炉の火が揺らめき、パチパチと薪のはぜる音がする。
飲み物を運んできた給仕が下がると、厳重に人払いされた室内には、ただ、三人きりになった。
わたしたちの前のコーヒーテーブルには殿下のブランデーのデキャンタとグラス、それからわたしのためのハーブティーのポットとカップが置かれている。一方の、マールバラ公爵のワインは、閣下の椅子の脇の、小さな丸テーブルに。殿下が紙巻煙草を勧めたが、閣下は首を振り、パイプに煙草を詰めて美味そうに吹かした。
「それにしても、ずいぶんと思い切ったことをしたもんだね、アルバート。……国王陛下の許しも得ずに恋人を外遊を連れ出し、さらに正式に『婚約者』として周囲に紹介する。わしが介入しなかったら、大使が困った立場に置かれてしまったよ」
「……わかっていますが……父上の許しを得ていないわけではないのです。オズワルド小父様」
三人きりになると、マールバラ公爵は殿下の敬称を使わず、殿下もまた、近い親族として閣下を「おじ様」と呼んだ。わたしは殿下の言葉に驚いて、思わず尋ねていた。
「国王陛下はすでにお許しになったのですか?」
わたしの問いに、殿下が困ったように眉を顰める。
「……その辺りの言い方は難しい。俺には許可を出していない。だが――」
「マックス・アシュバートンには出している……のだな?」
マールバラ公爵が言い、殿下が頷く。
「ええ。ですが、それが反故にされた。おそらくは、レコンフィールド公爵の差し金で」
「……もう一人の……ではなく?」
マールバラ公爵がパイプから煙を吐きだしながら言う。
「あの人は離宮にいる。もはや口を出すことない」
さっぱり意味がわからなくて、わたしが殿下と閣下を見比べていると、殿下が少しだけ微笑み、わたしの膝を撫でた。
「……すまない。いずれ全て話す。今はまだ、その時じゃない。それに……」
殿下がチラリと公爵を見る。
「そう、今はわしの話が優先だ。ローゼリンデ嬢のことを聞きにきたんだろう?」
閣下が言えば、殿下が頷いた。
「ええ、そうです。そして、できれば俺たちの結婚の後押しをしてほしい。あなたが王位についてどう考えているかわからないが、俺はエルシーと結ばれるためならば、継承権も、王族の籍も放棄してもいいと思っている」
「それは困るな。継承権を放棄されては、いったい何のためにローゼリンデ嬢を陛下に紹介したか、わからないじゃないか。王太子に男児の産まれていない現在、アルバート王子をみすみす失うわけにいかない」
芝居がかったマールバラ公爵の言葉に、わたしは茫然とする。
――いったい何のためにローゼリンデ嬢を陛下に紹介したか――
つまり、この人がローズを。
アルバート殿下はすでに知っていたのだろう。特に気にする風もなく、言った。
「ならば、エルシーとの結婚を後押しして、父上や議会を説得してください。そうでなければ、俺は何もかも捨てて、彼女を連れて新大陸に逃げる。……今回もそのつもりだったのを、マクガーニに止められて、ビルツホルンに送り込まれたのですから。……あなたに会い、支援を取り付けろ、と」
閣下はククク……と肩を揺らして笑い、テーブルの上の脚付きのグラスを手に取り、赤ワインを一口飲む。
「これは愉快だ。あの時の赤ん坊がもう、こんな風にわしを脅すようになるとは。まあいい……」
マールバラ公爵はグラスをテーブルに戻すと、わたしを頭のてっぺんから爪先まで、舐めるように見た。
「まあ、合格かね。建国以来の名家で、容姿も文句ない。……正直に言えば、レコンフィールド公爵令嬢よりも好みだね。冷たい雰囲気がいい」
「そんな話を聞きたいわけじゃない」
殿下がイライラと身を乗り出せば、閣下はさらに面白そうに笑った。
「いやはや、これは嫉妬深いな……まあいい……何から話せばいいのか……」
「俺が知りたいのは、父上とマックス・アシュバートンの間の、約束についてだ」
「ああそれか。それはつまり……アルバートを生んだ後の、ローゼリンデ嬢の処遇についてだ」
マールバラ公爵はそう言うと、もう一度ワインを飲み、それから一人がけのソファに悠然と凭れて、パイプをくゆらせた。
「……すべては第二王子、ジョージの病が不治のものと発覚したことに萌す。ジョージは成人は迎えられない可能性が高く、子供を持つことは絶望的だと。時にジョージは十歳には今少し、という年齢で、王太子のフィリップが十二歳になったばかり」
「ジョージは三十をとうに過ぎているが、まだ生きているけどな」
殿下がまぜっかえせば、閣下は皮肉げに言った。
「それが、本人の幸福であるかはまた別だ。アルバートは幼くて覚えていないだろうが、ジョージも十五、六歳ごろまでは、立ち歩くこともできていた。だが、二十歳を過ぎたころからは床に就き、起き上ることもできなくなった。今はもう――」
わたしがチラリと殿下見れば、殿下が睫毛を伏せた。
「ここ数か月は意識もない時間が増えて、いつ、神の身許に召されても不思議はないと聞いている」
「そう――こう言っては何だが、手厚い看護と最先端の医療のおかげで存えたものの、いたずらに苦しみを長引かせただけだ」
公爵の言葉に、殿下は何もおっしゃらなかった。
「とにかく――国王陛下には嫡出の男兄弟がおらず、王家の直系で、血筋を伝えることのできる男子は、フィリップただ一人。これを王国の危機と言わずして何と言おうか」
マールバラ公爵の芝居がかった言い方に、殿下が肩を竦め、テーブルの上のグラスに手を伸ばす。
「……従兄ではあるが小父様もいらっしゃる。王統は続きますよ。」
「甘いな」
ピシリ、と公爵は指摘して、少しだけ椅子から身を起こす。
「古来、王統の危機は全て、直系の男子が絶え、傍系から王を迎えることに萌すのだよ。近いところではルーセンの王家がそれだ。男系が絶えて王女の息子が継いだ。そこをつけ込まれて国が乱れ、ついには革命が起こって共和制のできあがりだ。……そんな無様なことに、我が国がなったら何とする!」
「別に、無様とまでは思いませんが……ルーセンは共和国としても、大国のままです」
「今はな。共和国政府が安定するまでに百年だぞ、百年! その間にどれだけの血がギロチンの露と消えたと思っている」
「……まあ、たしかに、政治不安からの恐怖政治の被害者が膨大な数に上りますがね」
殿下が渋々同意すれば、公爵はもう一度、ソファに深くかけ直して、言った。
「そう……だからこそ、王統の安定こそが王権の安定であり、つまりの国家の安定につながるのだ。後継となるべき王子がフィリップ一人では、あまりに危うい。ゆえにわしは、陛下に強く、第三の王子を儲けることを進言奉った。……陛下もそれについてはわしと同じお考えでな、すぐにも王妃と協議されたが――」
「その頃はすでに、二人の仲は冷えていたのでしょう? さらに、下の息子が不治の病と知らされてすぐにそんな――」
殿下が言うが、わたしも同意見だ。王妃陛下の心情を思えば、新たに次の子を、なんて気持ちにはならないだろう。
「俺が知りたいのは、ローズが……ローゼリンデ・ベルクマンが父上と知り合ったきっかけだ」




