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3、薔薇園

 翌日、久しぶりに祖母と夕食の食卓を囲んだ。

 祖母は痩せた、厳しい雰囲気の人で、襟元の詰まった昔ながらのドレスに、きっちりコルセットを締めている。――最近の流行ではコルセットをしないドレスや、ブラウスにロングスカートが主流だが、祖母はそういう服装を嫌うので、わたしもやや古臭い、襟の詰まった薄いブルーのドレスを着て、食卓に着く。料理はメアリーが、給仕は執事のジョンソンが行い、堅苦しい夕食の時間が始まる。収入に全く見合わないが、祖母はかつての、伯爵家時代の格式に拘る。


 ジャガイモたっぷりのシチューに、チキンのロースト。ライ麦のパン。

 メニューを見た祖母が、溜息を零す。


「ジャガイモばかりじゃないの。……なんともみすぼらしいこと。それにライ麦のパンだなんて」

「つい最近まで戦争だったのよ、おばあ様。料理に文句を言うのははしたないと、いつもわたしを注意なさるのに」


 わたしの反論に、祖母が眉を顰め、ギロリと睨みつける。


「文句をつけているのではありませんよ。わたくしは格式の問題を言っているのです。ジャガイモなどというものは、昔はパンも食べられない、貧しい農夫が飢えをしのぐためのもので、貴族の食べるものではなかったの」

「そうですか。でも、メアリーの料理はいつも工夫があって美味しいわ。冷めないうちに召しあがらなければ、メアリーに悪いわ」


 祖母もメアリー夫妻の忠誠には感謝しているので、メアリーに悪い、という言葉に、渋々、スプーンを手にする。ジャガイモと、大豆、キャベツと、豚の塩漬け肉がほんの少し。それでも、そこそこ美味しい料理に仕上げてくるメアリーは本当に得難い人材だと思う。メアリーがいなければ、王都の暮らしはもっと悲惨なことになっていたに違いない。


「全く、この王都という場所は本当に忙しなくて……不衛生な上に不道徳がまかり通って、不愉快極まりないわ。今朝も新聞で読んだけれど、婚約者を奪われた令嬢が世を儚んで自ら死を選んだとか。恐ろしいことですよ!  かつてわたくしの周囲では聞いたこともなかった!  最近の若い人は自由恋愛などと、ふしだらなこと。エルスペス、まさかお前はそんなことに巻き込まれたりはないでしょうね!」

「もちろんです、おばあ様」


 清く正しくあり過ぎて、可愛げがないなんて陰口さえ叩かれている。若い男性にも縁がなく、向こうから近づいてくるのは、鬱陶(うっとう)しいハートネル中尉くらいだ。この点に関しては、おばあ様のご期待に背くことはあるまいと、わたしは神妙に頷いておく。

 祖母の愚痴にひたすら相槌をうって食事を終え、食後のお茶が出る。最近、紅茶のカフェインは眠りを妨げるから、と誤魔化して、夜は庭で採れたハーブティーに替えた。祖母が好む高級紅茶を少しでも節約するためだ。ミントはいくらでも殖えるので、貧乏人にはありがたい。


「……それで、エルスペス、お前はいつまで働くつもりでいるのかえ?」

「それは……」


 わたしの給金がなければ、この家はたちまち、明日の食事にも困るのだが、祖母は現実を一向に理解しようとしない。


「……近々、マクガーニ中将閣下は陸軍司令をご退任になり、陸軍大臣に昇進なさいます。次の司令には第三王子のアルバート殿下が内定なさっているとか。……それを潮にわたしも職を辞そうと思うのですが……」

「そう、アルバート殿下が。……それはよかった。王家の方の下でなど、働くものではありませんよ。命を懸けて働き、国事に死んだマックスの二の舞はたくさんです」


 ハーブティーのお代わりを注ぎながら、ジョンソンがわたしをちらりと見る。わたしの収入がなくなれば家計は非常に厳しくなるから、不安そうなのも当然だ。


 ……わたしだって不安だ。でも、他にどうしろと言うの。


「由緒あるアシュバートン家の娘が、いつまでも働くなんてみっともない。そろそろ相応しい相手と結婚しなければ――」

「そうは仰いますが、簡単に相手がみつかりません」


 祖母は理想だけは高いのだが、自分であれこれ、縁談を見つけてこようとはしない。それが救いでもあり、問題でもあった。


「とにかく仕事など早く辞めて、いいお相手を見つけてお嫁に行きなさい。アシュバートン家に相応しい家に」

「……はい」


 祖母の言ういいお相手、というのは身分も金もあって人品骨柄優れた男の意味だが、爵位も金もないわたしのような女が、そんな男と知り合い、さらに結婚する機会など絶対にないと思う。


 一瞬、ハートネル中尉の顔が浮かんだけれど、あり得ないと否定する。

 あの男は口ばかりだ。調子のいいことを言って、本気にしたら、馬鹿にされるだけ。


「で、退職はいつごろなの?」

「ええと、アルバート殿下のご帰国と就任が六月中にはということですから、引継ぎを考えれば七月に入ってからでしょうか」


 自分で言ってから、あと半月ほどで新しい職を探さなければならないのかと気づき、つい、溜息をついた。新しい職を見つけ、祖母に説明して許可を得るなんて不可能だ。――だが働かなければ飢え死にしてしまう。いったいどうしたらいいのか。 


「なんです、溜息などついて、はしたない」


 目ざとく祖母に窘められ、わたしは目を伏せてあやまる。


「申し訳ありません。……少し、疲れておりまして」

「女のくせに仕事などしているからですよ。アシュバートン家の娘が。……全く、お前が男だったら……いいえ、ウィリアムが死んだりしなければ、こんなことにならなかったのに」


 その言葉がわたしの胸を抉る。死んだのが弟のウィリアムではなく、わたしだったら。祖母は城を追い出されることもなかった。


「……はい、おばあ様」

「わたくしはリンドホルム伯爵に嫁ぎ、マックスも生まれ、ウィリアムへと爵位を継いでいくはずだったのに。まさかマックスが戦死し、ウィリアムが急死するなんて……おかげで、あの忌々しいサイモンに爵位を奪われる羽目になった。爵位も領地も奪われ、(カッスル)も出る羽目になってしまった。本当にお前が――」

「奥様、お代わりはいかがですか」


 さりげなくジョンソンが祖母に話しかけ、話題を逸らしてくれた。


「ええ、いただきますよ。……このハーブティーというの、最初は慣れなかったけれど、確かに、夜はよく眠れる気がしますよ。メアリーも本当に気の利くこと」

「奥様のおほめに与かり、メアリーも恐縮でしょう」 


 ジョンソンが祖母のカップに熱い茶を注ぎ、蜂蜜を薦める。ついで、わたしのカップにも注いで、眉尻を下げてほんのわずかに首を振る。


(お気になさらないでください――)


 目だけでそう言われて、わたしもわずかに口角をあげてジョンソンに応ると、熱いハーブティーを飲む。


 先行きは真っ暗だが、どうしようもない。わたしはもう一度零しそうになる溜息を懸命に飲み込んだ。



 生まれ育った屋敷は「(カッスル)」と表現されるとおり、まさに巨大な城塞のようで、三百年ほど昔のご先祖様が建てたものである。その由緒正しき由来について、わたしは祖母から、耳に胼胝(タコ)ができるくらい聞かされたため、今でも、滔々(とうとう)と述べることができるだろう。屋根の形の形式とか、その時代の王様の名前とか。――城内の由来のある家具や、絵画などの美術品についても。大広間の天井画は有名な画家のもので、王都のとある公爵様の邸宅の天井画をも手掛けた人で、こんな田舎まで呼ぶのに余計なお金がかかったのだとか。応接室(ドローイング・ルーム)のチェストを作った高名な家具作家の名前も、もちろん憶えている。


 でもわたしは、重厚で巨大な屋敷の建物や豪華な内装よりも、何よりも周囲に広がる庭園が好きだった。


 かつて、住んでいるときはそれが当たり前だと思っていたけれど、あの城を出て王都に暮らしてみれば、いかに広大であったかわかる。……王都の下町の訛りで言うところの、「べらぼう」っていう表現がぴったりだと思う。何しろ、門から玄関まで数マイル、なだらかに連なる緑の野原に、森に、湖まであった。ところどころ、馬車の窓からの目を楽しませるための、異国風の塔や、古代の神殿を模した建物なども配置され、庭をさらに広く見せていた。噴水を中央に左右対称の幾何学式の庭園、生垣の迷宮(ラビリンス)、温室、果樹園に菜園……祖父は東洋風の庭園を造ろうとしたらしいけれど、それは果たせなかったのだそうだ。



 城を出て、もう三年。

 閉じられた広大な箱庭のような世界を飛び出して――いや、違う。わたしたちはあの城から追い出されて、王都に出てきた。


 わたしが、女でなければ、と祖母が繰り返し言う。

 わたしが女でなければ。死んだのが弟のウィリアムでなくて、わたしなら、爵位も城も失うことはなかった。わたしが女だったばかりに、あの忌々しい、サイモンに、父の従兄に、すべてを奪われてしまった。お前が男ならよかったのに。


 弟が死んでからのこのかた、何度も耳にした言葉。自分でも思う。なぜ弟ではなく、わたしが死ななかったのだろうと。死んだのがわたしだったら、祖母は今も、あの懐かしい城で暮らすことができたのに。

 貴族の暮らししかしたことのない祖母にとって、王都の、小さな家での暮らしはきっと我慢できないくらいに辛いだろう。わたしを(ののし)ることで祖母の気が多少なりとも晴れるのなら、この小さな家の平和のために甘んじて受けよう。 


 祖母の小言が始まると、わたしはいつも、神妙な表情で聞いているふりをしながら、祖母の向こう側、暖炉(マントルピース)の上の壁に飾った、小さな油絵を見つめる。


 特別に素晴らしいわけでもないその絵は、名のある画家の作品ではなく、美術品としても財産としても価値がないので、(カッスル)から持ち出すことが許された。誰が描いたものか忘れたけれど、あの城の、薔薇園(ローズ・ガーデン)の風景を描いたものだ。


 広大な庭園の中で、幼いわたしの一番のお気に入りだったのが、薔薇園(ローズ・ガーデン)だ。


 生垣と壁に囲まれた中に、さまざまな薔薇を集めた庭。初夏には、蔓薔薇を這わせたアーチをくぐると、色とりどりの薔薇が視界を覆いつくし、甘い香りが漂う。小さな野性の品種も、改良された大輪の花も。かつて城に暮らしたある人が特に愛し、丹精込めて作りあげたその小さな庭は、その人の死後もずっと、年老いた園丁が手入れを続けていた。――彼は、まだあの庭を守ってくれているだろうか。


 無名の画家が描いた薔薇園(ローズ・ガーデン)の絵を眺めて、もう二度と戻らない幸せな日々に思いをはせる。


 辛い現実から逃がれることはできないけれど――。

 

 

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