60、エイブラハム・リーガル氏の証言
まっすぐに見つめられ、わたしは思い出す。
何度も、結婚を申し込まれ、でもすぐには返事ができなかった。王都でも、リンドホルムの薔薇園でも、そしてあの――山奥の小さな駅で。
「エルシーは、俺との結婚を了承しただろう?」
「……ええ。求婚をお受けしました」
わたしが頷けば、マールバラ公爵が合点したように言った。
「――なるほど、ビルツホルンで、レディ・エルスペスを婚約者として連れまわしたのは、その書類があっての上のことか」
マールバラ公爵の問いかけに、殿下は頷く。
「俺はこの、マックスの血染めの勅書があれば、エルシーとは問題なく結婚できると考えていたが、王都の状況はまるで違っていた。だから俺は、どの段階で、勅書の存在を公にすべきか悩んだ。勅書には必ず写しがあるはずなのに、王宮の文書庫のどこにも、この勅書の対となる副本が見つからない。間違いなく、何者かがこの書類を隠蔽するか破棄するかしている。俺とエルシーの婚姻を望まない者が、政権の中枢に存在する。そんな状態で、この勅書の存在を明らかにすれば握り潰されると考えた。ビルツホルンで俺とエルシーの関係が問題視されれば、勅書を隠蔽した存在の手の届かない場所で、勅書を開示できると考えたが、ビルツホルンではエルシーの同伴は問題にされなかった」
「当たり前だ。わしが押さえ込んだからな。そんなどう転ぶかわからん爆弾を、外交の場面で出されても困る」
マールバラ公爵は言い、もう一つ尋ねる。
「先日の、王宮舞踏会で出さなかった理由は――」
「あの場で父上が、口頭で許可を出してくれたからだ。父上が渋ったら、これを持ち出す予定だった」
殿下は言い、議長に要求した。
「一人証人を呼んでいる。許可を願いたい」
議長が返事をする前に、首相が口を挟む。
「あなたは証人だ。証人が証人を呼ぶなど前例がない。それに、あなたがたの結婚の承認には関係が――」
「婚姻許可の勅書に絡む証人だ。無関係なわけがない」
殿下の言葉に、議長が了承した。
「証人を認めよう」
入ってきたのは四十前後の神経質そうな男性だった。かっちり固めた髪型、整えられた口髭、冷たい雰囲気のする灰色の瞳。どこかで見たことのあるような――。
男性は指定された場所に立つと、名乗った。
「エイブラハム・リーガル。法務省の役人で、三年前まで法務局相続課におりました。現在は司法部の資料調査室に異動しております」
「わざわざすまない。貴公は三年前、顧問弁護士のジェファーソン氏を通して、リンドホルム伯爵の代襲相続の申請窓口となった」
「はい。間違いありません」
リーガル氏は頷き、認めた。
「リンドホルム伯領の手続きについては、憶えているか?」
「ええ、よく覚えています。非常に理不尽な案件でしたから。通常、戦死による代襲相続の申請は、却下されることはまず、ありません。法務局に届く戦死公報のうち、爵位貴族はごく一部ですから。マクシミリアン・アシュバートン卿はシャルローで戦死した百九十二人のうち、唯一の有爵者でした。戦死が確認できれば、申請者であるご令嬢の書類を審査し、他に直系男子の不在が裏付けられましたので、問題なく通ると思ったのですが――」
「却下された?」
「はい。――たしかに、シャルローからの報告書は混乱しておりましが、戦死であることは間違いない。なのに、当時の状況を示す書類が不足している、という上からの付箋がついていました。私自身、納得できないと思いながら、弁護士にその旨を伝え、陸軍局に書類を貰いに行くように言いました。顧問弁護士は足が悪いようで、それも気の毒と思ったので、よく覚えています。数日後に彼が陸軍局からの書類を持って再度申請に来ました。シャルローの戦死者の書類が揃わないのは当然なのです。激戦だったのですから。例えば海軍で戦艦が沈没した場合の死亡例では、細かい記載は要求されない。要するに、ただの難癖です。ですから、二度目の申請が却下された時、私は上役に抗議しましたが――」
殿下が、リーガル氏に尋ねる。
「上役――当時の法務局の長官は?」
リーガル氏が、周囲を見回し、ある一点に目を止め、それから殿下を見た。
「そこにおられる、レコンフィールド公爵です」
ざわっと議場がざわめき、名指しされた公爵が肘掛を両手で握り締める。
「抗議して、どうなったのです?」
「まず、こんな田舎の伯爵家の相続に、わざわざ難癖をつける理由などない、と言われました。そして書類の不備は認められないという一点張りで。シャルローの状況を考慮すれば、不可解なことです。私は内閣官房にも意見を上げました」
リーガル氏が言う。
「はじめ、内閣官房の窓口では好意的に扱われましたが、すぐに却下されました。その時、耳打ちされたのです。この件は関わるなと」
リーガル氏の発言に、ざわざわとさざめきが起こる。
「その役人は私に言いました。この件は、首相も承知の上で潰している。これ以上は無理だと」
首相が立ちあがりかけ、それからもう一度座る。
「私は渋々引き下がりましたが、その後、法務局から司法部の資料調査室に異動になりました。アシュバートン、という家名はずっと記憶に残っていました。それで――」
リーガル氏は革の書類ばさみを持参していて、それを開いて見せた。
「資料調査室ってのは要するに、古い文書を保管している部屋で、一般には窓際ポストなんですが、私は数百年前の司法資料なんかを研究しておりますので、実は天職のような職場なんですよ。で、先日も、五百年前の、建国前後とある事件に関わる文書を調査しておりましてね。そこで、この書類を発見したのです。二通も。」
リーガル氏が示す書類を見て、殿下が目を見開く。
「これは――」
殿下はそれをすばやくマールバラ公爵に渡し、マールバラ公爵も確認すると、それを議長に渡した。
「議長、そこの、血染めの勅書の片割れだ」
「……片割れ……勅書の?」
「副本ということか?」
ざわざわ……と議場がどよめく。
「一目でわかったのか?」
殿下の問いに、リーガル氏が当然、という風に頷いた。
「もちろんです。五百年前の資料は、全部、羊皮紙なんです。……ですから、植物性の紙でできた妙な書類が紛れ込んでいると、すぐに気づきました。また、書類の名前がアシュバートンだったので、私は以前の一件を思い出し、さらにたまたまですが、別の方面からもアシュバートンの名を聞きましてね。迂闊に上役に届けるべきでないと、しばらく手元に置いておいたんです」
リーガル氏の返答に、殿下が首を傾げると、リーガル氏は何でもないことのように、言った。
「実は私の伯母が、王都の王立療養院に入院しておりまして。そこで、爵位を失ったかつての伯爵夫人に知り合ったと。彼女の名が、レディ・ウルスラ・アシュバートン。その孫娘が第三王子殿下と最近、噂になっている女性だと。見つけた書類の一通は、出征前の、相続の確約を求める請願で、もう一通が伯爵令嬢とアルバート殿下の結婚を認める、という詔勅でした。日付は戦争中のもので。ちょうど、殿下がレコンフィールド公爵のご令嬢と婚約するか、あるいは新しい恋人がいるとかなんとか。何となく話が繋がったような気がしていたところに、殿下の首席秘書官の方から問い合わせがあった。それで、証言をお引き受けしたんです」
少しだけはにかんだような表情に、わたしは思い出す。――あの老姉妹の妹は、リーガル夫人!
わたしの動揺を余所に、質疑は進んでいく。
「古い資料に、現代の書類が紛れ込む可能性は――」
「誰かが故意に隠そうとしない限り、あり得ないと思いますよ。私の推測ですが、資料室の出入りには厳しいチェックがあり、さらに、資料調査室は火気厳禁でなんです。持ち出すことも燃やすこともできず、数百年前の棚に移動して、適当な場所に突っこんで、隠蔽したのではないかと」
それは極めて合理的に思える解釈だが、いったい誰が何のために、父への詔勅の副本を――。
「誰が――なぜ、そこまでして、書類を隠蔽するなんて……」
思わず呟いたわたしの声を、隣の殿下が拾い、答えた。
「おそらくは、リンドホルム伯爵が、田舎の伯爵家だったからだ」
意味がわからずただ見上げると、殿下がもう一度言う。
「権力の中枢にいる者からすれば、リンドホルム伯爵なんて、潰れても踏みつけにしてもわからないくらい、ちっぽけな家だったからだ。だから――」




