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44、守銭奴王子の告白

わたしは立ち上がり、グレンジャー卿に対峙した。


「何かご用ですの?」

「殿下が……」


 言い淀んだグレンジャー卿の横から、ミランダ嬢が涙声で言う。


「殿下が、ステファニーとは踊らないと。婚約も破棄するって! あなたの差し金なの?」

「こんなところでするお話しではないと思いますけど。……わたしは殿下には何も要求してはいません」

「でも、その指輪だって……」


 ミランダ嬢がわたしの、グラスを持った左手を見る。わたしは溜息をついた。


「ええ、いただきました。聖誕節の贈り物で……わたくしの、父の形見のサファイアのタイピンと交換したんです」

「ステファニーという婚約者がいるのに、聖誕節を二人で過したの? あんまりよ! ステファニーは四年も待ったのに!」


 化粧が剥げるのもかまわず、泣きながら訴えるミランダ嬢の姿に、周辺に人垣ができ始める。


「殿下からは、戦争に行く前にレコンフィールド公爵令嬢との婚約話は白紙に戻したと、何度も聞いております。戦争から帰国したらすぐ、わたくしに結婚を申し込むつもりだったとも」


 わたしが冷静に言えば、ミランダ嬢の隣にいた、アイザック・グレンジャー卿が驚いたように言う。


「……帰国前から君と結婚するつもりだったと? でも――」

「戦地で、父に送ったわたくしの写真を見たそうです。それで、わたくしに結婚を申し込む許しは父から得ていると。その直後に、シャルローで父は銃弾に斃れました。……殿下を庇って、と聞いております」


 わたしの言葉に、ブルック中尉が頷き、踊りに行ったはずのカーティス大尉も駆けつけて来て、言った。


「あの時、僕が足に銃弾を受けて、動きが鈍って敵に迫られて――アシュバートン中佐が殿下を突き飛ばし、代わりに銃弾を――」


 カーティス大尉の証言に、わたしは持っていたビーズ刺繍の小物入れ(レティキュール)から、セピア色の写真を取り出す。穴が開き、赤黒い飛沫が飛び散っている。


「……父の遺体の胸ポケットから、殿下が取り出した写真だと。……わたしと、弟です」


 周囲がシンとなり、音楽がやけに響く。銃撃の痕をありありと残す写真が、命の恩人の娘と結婚したい、という殿下の主張を裏付けるからだろう。わたしは写真を小物入れ(レティキュール)に仕舞いながら言う。


「殿下と、レコンフィールド公爵令嬢との話し合いに、わたしは口を出してはいません」

「でも! あなたは要するに、死んだ父親と弟をダシに、殿下の同情を煽ってステファニーから奪い去ったのでしょう?! やり方が汚いわよ!」

「ミランダ、それは――」


 アイザック・グレンジャー卿が婚約者を窘めるが、わたしはあまりの謂れように息を呑む。ずっと黙って聞いていた、マールバラ公爵が立ちあがり、言った。


「……シュタイナー伯爵令嬢、と言ったか。今の発言はあまりにも、戦死者の遺族を愚弄するものではないか? 国のために命を投げ出した者とその家族に対し、礼を失するのも甚だしい」

「それは……」


 ミランダ嬢が怯んだところに、すっと影が差す。


「グレンジャー、俺はミス・アシュバートンには関わるなと言ったはずだ。シュタイナー伯爵令嬢も、彼女をこれ以上侮辱するのは許さない」


 振り返れば、陸軍中将の正装に身を包んだ、アルバート殿下が立っていた。


「ミス・アシュバートン、踊っていただけますか」


 わたしの前に膝をついた殿下の姿に、わたしは絶句する。

 周囲は水を打ったようにシンと静まり返り、ただ、楽団の音楽だけが響く。――音があるからかえって静かだと感じる、という逆説的な状況を、わたしは奇妙に冴えた頭で捉えていた。


「殿下、それは――」


 殿下がまっすぐにわたしを見上げ、少し微笑んだ。いつもと同じ、自信に満ちた金色の眼差し。ここで殿下の手を振り払ったら、大変なことになる。――この手を取っても大変なことになるかもしれないが――。


 同じ大変なら、殿下の手を取るしかない。


 わたしは白手袋をはめた殿下の大きな掌の上に、絹とレースの白い手袋をはめた手を置いた。


「――ええ、喜んで」


 殿下はわたしの手を握り、すっと立ち上がって、周囲を見回す。


「……道を開けてもらえるかな」


 アイザック・グレンジャー卿がハッとして後ろに下がる。ザーッと、神話の海が割れる場面の、潮が引くように人波が動き、舞踏会場(ボールルーム)の中央まで道ができる。真っ赤な絨毯と、高い天井から吊り下げられたシャンデリア。正面、赤い玉座には国王陛下が――。


 殿下はゆっくりとわたしを玉座の前まで導いていく。踊っていた何組かの男女が戸惑う様子を見せたので、殿下は軽く、首を振ってみせる。――踊りを続けろ、という合図だ。


 音楽が続き、次の曲に入る。殿下はわたしの両手を取り、言った。


「始めるぞ」

「はい」


 ステップを踏み、踊り始める。ビルツホルンでも踊っていたから、衆目の中で踊るのも、初めてではない。殿下の、黒に金色の飾緒のついた軍服と、わたしの純白のドレス。ターンのたびに白いオーガンジーのスカートが広がり、頭の白い羽飾りが揺れ、長く垂らしたベールが翻る。


 殿下がわたしの耳元に唇を寄せて、囁く。


「綺麗だ、エルシー。薔薇の妖精か、いや、女神かな」

「褒めても何も出ませんよ?」

「俺にとってはお前の中(・)身(・)が、一番のご馳走だから」

「もう!」


 卑猥な冗談に睨みつけてやれば、殿下がにっこりと笑っている。――遠目に見ている限り、彼は今夜ここまでまったく笑っていなかった。何とも破壊力抜群の、蕩けるような微笑み。


「……グレンジャーとミランダの件、済まなかった。ステファニーとの話し合いが延びて、間に合わなかった」

「舞踏会の雰囲気を悪くしてしまうのではと、それが心配で……」

「どう見ても、壁際に追い詰められているのはお前だったから、どちらが悪いかは一目瞭然だ。……ミランダとステファニーの友情は麗しいが、彼女にとって、俺はステファニーのアクセサリーで、ステファニーにひれ伏すべき存在らしい。婚約者のグレンジャーも、それを諫めもせず、むしろ煽っていたから」


 殿下はそう言って、詫びてくださった。わたしは片手を取られてくるりと回りながら、周囲を見る。真っ青な顔色のステファニー嬢とその家族らしきが視界に入り、わたしは意を決して殿下に尋ねた。


「……ステファニー嬢とは、なんと?」

「もともと愛していないし、今後も愛することはないと。形だけの正妻としても娶るつもりはないと、はっきり言った」

「承知なさったの?」

「……いや。あくまで、俺を愛していると」


 わたしは、ステファニー嬢の言葉を思い出す。

 

 ――わたくしがこれまで捧げてきた愛は、誰にも奪えない。

 

「……尽くし続ければ、いつかは……と?」

「たぶん。……そんなことはないと、何度も言ったんだが」

 

 ……ステファニー嬢は、今までずっと、幸福の中で生きてきたんだろう。愛は常に与えられ、努力は実る。ある日突然、すべてが崩れて大切なものを根こそぎ奪われる、そんなことが、この世にあると知らなかった。だから、愛し続ければいつか、思いは届くといまだに信じている。


 一曲が終わったけれど、殿下はわたしを離さず、そのまま踊り続ける。


「愛してる、エルシー。俺は王位継承権の放棄を申し出るつもりにしているが――」

「そんなものはそもそもいりませんから、どうでもいいのですけど――」

「ステファニーの慰謝料に全財産むしり取られて、無一文でリンドホルム城に転がり込むかもしれん」

「あなたが働いて、領地を立て直してくださるなら、歓迎するわ」

「とりあえず、庭師の真似事から始めて、ローズの庭を戻すところから……」


 わたしはくるっと回転してから、笑った。


「何のかんの言って、王子様なんだから。貧乏人は果樹園と菜園から始めるべきだわ。まずは二十日大根(ハツカダイコン)ね。それからキャベツ。薔薇みたいな贅沢品は、最後の最後よ」

 

 殿下が悪そうな表情でニヤリと微笑む。


「大丈夫だ、見かけ上の全財産とは別に、それに数倍する隠し財産が、外国の銀行に預けてあるから。税金対策もバッチリだ」

「……前言撤回するわ。王子様じゃなくて、守銭奴の悪徳資本家みたいね」


 殿下とは結局、三曲立て続けに踊った。本当はマナー違反だけれど、この後、もっとすごいマナー違反を仕出かすから、この際どうでもいいと言って……。


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― 新着の感想 ―
おおっと、ついに『公爵令嬢、君との婚約を破棄し、私は真実の愛に生きる』という、婚約破棄王子様のテンプレが出るのでしょうか? それならそれで、楽しみです。
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