22、新聞記者
「逮捕状」という穏やかならぬ単語に、一同がハッとして口を噤み、シャーロット嬢がビクっと身を震わせた。
殿下が手を挙げてシモンズ大尉を制し、言った。
「まだ、犯人が確定されたわけじゃない。死体から毒物が検出されただけだ。ダグラスとサイモンが関与した証拠を揃えてからだ。――遺体は、埋め戻したんだよな?」
「はい。ただ、正式な令状を取ったわけではないので、今回の司法解剖の証拠能力がどの程度認められるかは――」
「奴らに気づかれたか?」
ラルフ・シモンズ大尉は首を振った。
「いえ、ちょうどダグラス・アシュバートンは王都に出掛け、留守にしていました。ジョンソンに命じて、サイラスの動向を見張らせ、風邪気味で臥せっている時を狙い、教会側の墓石の修理や墓地の整備に託けて行いました。教会の牧師には堅く口止めしてありますので、ウィリアム・アシュバートンの墓を掘り起こしたことは、周囲の者にもバレていないはずです」
シモンズ大尉の言葉に、わたしは思わず息を呑んだ。殿下が、わたしの手を上から覆い、撫でる。
「……ならば、容疑が固まるまでは内密に。墓の見張りは?」
「常に」
殿下は頷く。
「毒殺の明確な証拠はビリーの遺体だけだ。奴らは証拠隠滅のために、必ず遺体を奪うか、壊しにくる。だがそれが、奴らの致命傷になる。ぜったいに捕らえろ。いいな?」
「はい。……アシュバートン中佐の無念を晴らすためです。俺の部隊の者は全員、命を懸けます」
「頼んだぞ」
それから殿下はロベルトさんを見た。
「ダグラスは王都に何をしにきた?」
「金策ですね。それから、例の、従姉さんに接触しましたよ」
「デイジーに?」
カーティス大尉がギョッとして身を起こす。シャーロットが両手を口元に当て、必死に震えを堪えている。
「ダグラスとデイジーから目を離すな。……シャーロット嬢を手づるに、こちらに連絡を取ろうとするかもしれん。ジョナサンはしばらく、オーランド邸に貼り付け」
「わかりました」
殿下は皆を解散させると、わたしの手を取って寝室に上がる。階段を登り切ったところで足を止め、突然呟く。
「兄上の遺体と一緒に、雪の女王が王都に戻ってきた。――今更、何かできるとは思わないが、気をつけてくれ」
「ええ? 誰ですって?」
意味がわからなくてわたしが殿下に問いかければ、殿下はまっすぐに前を睨みながら言う。
「王妃だよ。……兄上は死んだのに、あの女はまだ生きている。俺を殺すために、国さえ売ろうとした、女が」
ジョージ殿下の葬儀を翌日に控えた一月九日。
王都の冬には珍しく晴れ間が覗いたその日、わたしは分厚いコートを着こんで、ユールを庭で遊ばせることにした。
オーランド邸の庭はそこそこに広い。――リンドホルム城のあの広大さにはもちろん敵わないけれど、それでも周囲を木立で囲み、車寄せまで並木を作る余裕はある。玄関の裏手側に温室を兼ねたサロンがあり、そこから芝生の庭に直接出られるようになっている。
十分に広い芝生と花壇。一角にはもちろん、薔薇が植えられていた。
――残念ながら、今は季節柄、寒々しい状態だったけれど。
庭の隅の木立の陰には、数日前の雪が残っている。でもユールはそんなことも気にせず、思いっきり走り回る。
「それ、取ってこい!」
犬の訓練の経験のあるジュリアンが鞠を投げれば、ユールが嬉々として追いかけていく。
「ほーら、取ってこい、こっちだ!」
しかし、無事に鞠を手に入れたユールは、それをどこかに隠そうとする。
「ダメだってば! 持ってこい! ユール!」
「ユール! こっちよ! お肉はこっちよー!」
そんなわたしとジュリアンの様子を眺めながら、カーティス大尉とシャーロット嬢は日当たりのいい場所で、ずっと二人で話をしていた。
ここ数日、二人で話合う時間が取れたことで、シャーロット嬢は婚約者との関係に自信を持てるようになったらしい。目に見えて表情が明るくなった。
二人の様子を横目に見ていると、ジュリアンが鞠を咥えてきたユールに肉を投げてやりながら、小声で言った。
「あの二人、すごく仲良くなりましたよね」
「そうね、やっぱり二人で過す時間が少なすぎたのよ」
「いいなあー、俺も恋人が欲しいです」
「……そう言えば、その後、ハンナから連絡は?」
ジュリアンがニヤリと意味ありげに笑った。
「実は昨日、王都に着いたそうなんです。今日ぐらい、こっちに来るはずなんですけどね」
「まあ!」
わたしが目を丸くすると、ジュリアンが照れたように言う。
「正式採用になるかどうかはわからないですが、ひとまず、ミス・パーマーとミス・アシュバートンと、二人もご令嬢がいるのに、全然人手が足りてませんからね。数日でも手伝ってもらえないか、交渉するつもりでいます。……ヴァルタ―さん次第ではあるんですが」
「そうなの、その後どうなるにせよ、彼女と逢えるのは嬉しいわ」
と、ユールが何かに気づいて、「きゃん、きゃん」と吠えた。
「ユール? 何かいるの?」
「きゃん、きゃん!」
ユールが森の方に向かって駆けていくのを、何気なく追いかけていくと――。
「ヤバイ、ずらかれ!」
「あ、あいつら――」
ジュリアンが咄嗟に甲高い指笛を鳴らし、それに反応してカーティス大尉や他の護衛たちが駆け付ける。
木立の陰からこちらを伺っていた男たちが、慌てて逃げていく。
「また、新聞記者ですよ! 全く、王族のお邸を何だと思っているんだか!」
「きゃん、きゃん、きゃん!」
ジュリアンが吐き捨て、ユールが外に向かって吠え続ける。
「……ずいぶんと、記事になっているの?」
「ええ、まあ……庶民ってやつは、物見高いというか、お偉方のスキャンダルが大好物ですから」
もともとは、身分の低い愛人がアルバート殿下にドレスや宝石をねだり、愛人に入れあげ、心変わりした殿下がレコンフィールド公爵令嬢との婚約を嫌がっている、そんな内容のゴシップがほとんどだった。
しかし、秋に殿下とステファニー嬢の婚約が議会の承認を得ると、ほぼ同時にわたしの情報がリークされて、その頃からゴシップ紙の論調が変わっていった。
殿下の愛人エルスペス・アシュバートンは、元はれっきとした伯爵令嬢だったのに、父が戦死して相続が認められずに領地と財産を失い、生活に困窮した挙句、王子の愛人になるしかなかったのだ、と。中には、「没落令嬢と恋人の仲を引き裂き、金と権力をチラつかせて、無理矢理、王子が愛人にした」などと書いている記事もあるらしい。
――恋人云々はともかく、祖母の入院費用をたてに、無理に愛人にしたのは間違いないので、殿下も否定しづらいらしい。
「……奇妙よね? 普通は善良な王子様を誑かしてお姫様との仲を引き裂くのは、卑しい身分の娼婦と相場が決まっているのに」
守られるのは基本、王子様で、身分の卑しい愛人は犠牲の子羊にされるものだと思っていた。実際、はじめの頃はそうだったのに。わたしが言えば、ジュリアンが眉を顰めた。
「殿下の評判を下げたい輩が、ハートネルの撒いた噂を利用しているのかもしれません」
「……殿下の評判を?」
「王家そのものの評判を下げたい者、戦争の英雄である殿下の人気に嫉妬する者……殿下ご自身には権力欲はなくとも、醜い政治の世界からは逃げられません」
ジュリアンの言葉に、わたしは何となく、新聞記者たちの後ろ姿を目で追う。
木立の向こう側に鉄製の柵が張り巡らされているのを、彼らは易々と乗り越えて逃げていく。
ジョージ殿下がご逝去あそばされ、アルバート殿下の継承順位が第二位に上がる。国王陛下は体調が思わしくなく、王太子殿下に譲位の思し召しがあるとも言われている。だからこそ、王太子殿下に継嗣の産まれていない現在、王家そして国家は重大な危機に立たされている。
その状況下で、誰もが薦める婚約者を拒否し、身分の低い恋人を妻にしたいと言い張るアルバート殿下は、多くの重臣たちの眉を顰めさせているに違いない。
――俺が王子であることを理由に、去っていかないで。
殿下との約束がなければ、わたしだって逃げ出してしまったかもしれない。
まして、本来ならば自身は継承権の認められない庶子だと知っている殿下は、自分の肩にのしかかる重圧を一際、感じているだろう。
そんなことを考えていると、ユールがさらに「きゃんきゃん」と、盛んに鉄柵の向こうに向かって吠えている。
「ユール、あの人たちはもう逃げていったわ。護衛の人が追いかけているから……」
わたしがユールに近づいて抱き上げようとしたとき、鉄柵の向こうの人影が、わたしに呼び掛けた。
「あ、あの――! ミス・エルスペス・アシュバートン? わたし、ハンナです!」
「ハンナ?!」
後ろから走ってきたジュリアンも彼女に気づき、声をかける。
地味な毛織のコートに、臙脂色のスカーフを頭に巻いたハンナが、大きな鞄を二つ持って立っていた。




