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11、旧ワーズワース邸

 スプリングの効いた馬車の中で、殿下は長い脚を優雅に組み、窓枠に肘をついて寛ぎながら、わたしをジロジロ見ている。品定めされているようで居心地が悪く、わたしは身じろぎした。

 

「似合ってるじゃないか。もっと堂々としていたらいい」

「そ、そうですか?……その、靴の踵が高いし、妙に布地が薄くて……」


 実は、今日のドレスは前回のものよりシルエットがタイトで、しかも布地が薄い。ドレスのラインに響くからと言って、ミス・リーンはドロワースを穿くことを許してくれなかった。だからドレスの下は絹のスリップとガーターベルトと絹の靴下だけ。……殿下に見つめられると布地が透けているのでは、と不安でしょうがない。


「仮面で顔が隠れるのがもったいないな。……今度はオペラにしよう。ボックス席なら、周囲から見えない」

「……オペラにパートナーは必要ないでしょう。一人で行ってくださいな」 

「何が面白くて、野郎がボッチでオペラを見にゃならんのだ」

「じゃあ、例の公爵令嬢をお誘いになれば……」

「嫌だね、ステファニーには、戦争前に散々、あちこち連れまわされてお釣りが来る。もう二度とごめんだな」

 

 ……まあ確かに、公爵令嬢に間諜(スパイ)ごっこはさせられまい。


「……その、今回は何を探る予定なんですか?」

「探る?……探るって……そうだなあ……」


 殿下は慌てて周囲を見回し、それからわたしに金色の流し目を向けて、言った。


「まあその……お前の好みのタイプとか、趣味とか、好きな食べ物とか?」

「は?……間諜(スパイ)に行くんですよね?」


 わたしが問い質せば、殿下が慌てて組んでいた脚を解いて姿勢を正し、頷く。


「そうだった! 間諜(スパイ)だった!」

「……あちらを別口で探っている、工作員(エージェント)の方とは接触なさるのですか? 合言葉は決まってるんですか?」

「エルシー……やけに間諜(スパイ)に詳しいな」


 訝しそうに殿下に聞かれ、わたしはハッとして口元に手をやる。


「あ、ビリーの……その……弟の読んでいた本に、間諜(スパイ)の話があって……」


 リンドホルムの城を出るとき、城の蔵書は持ち出せなかったが、弟の探偵小説や間諜(スパイ)小説はどうせ処分されるのだからと、形見として王都に持ってきていた。目を伏せたわたしを気遣うように、殿下が尋ねる。


「ああ、ビリー……弟の、死因は何だったんだ?」

「食当たりなんです。もともと身体があまり丈夫じゃなくて。夕食を食べた後、ひどく苦しんで……食材のエビがよくなかったのかもって」

「エビ……」

「わたしも祖母も同じものを食べたのですが、特には何ともなくて……アレルギーじゃないかって。もっと気を付けていればよかったのですが……助かりませんでした」


 喉を押えて苦しむ弟の姿は、今でも目に焼き付いている。……彼でなくて、わたしが死ねば祖母にこんな苦労をかけることはなかったのにと、つい思ってしまう。殿下も眉を寄せて何か考えていたが、ふっと視線を動かし、話題を変えるように窓の外を指さした。


「……あそこが目的の(やしき)だ。旧ワーズワース邸。ワーズワース侯爵が投資に失敗して売りに出したのを、成金の資本家が買い取り、後援している芸術家なんかを住まわせているそうだ。ときどき、こういうイベントをやる」

「……殿下は以前にも?」

「先代のワーズワース侯爵夫人は王妃の従姉でね。子供の頃に来たことがある。まさか、侯爵家があの邸を手放すとはね。何しろ、自慢の邸だったから」


 壮麗な邸宅は、建物こそ堅牢で昔ながらの風情を残していはいるが、門の周辺の装飾もどこかケバケバしく、門から車止めに向かう道の周囲の並木も妙な形に刈り込まれて、なんだか異様だった。その印象は建物の内部に入るとさらにひどくなり、どこかしこも金ぴかで目がチカチカしたが、さらにおよそ場に似付かわしくない、奇妙な像が置かれ、その隣に東洋の武具が飾られて、全体にチグハグだった。


「これが……芸術……ですか?」

 

 わたしの問いに、殿下も仮面の下の顔をしかめたらしい。


「いや……たぶん、違う。俺も舐めていた。……さすが成金は趣味が違うな」


 昔、ワーズワース侯爵家の所有であった頃はもっと、落ち着いたしつらいの邸だったそうだ。


「……亡くなった夫人がこの惨状を目にしたら、憤死するかもしれん」

「もう、亡くなっていらっしゃるなら、憤死はなさらないでしょう」


 視界も悪く、ピンヒールは歩きにくいため、殿下の腕に縋りつくようにして、画廊(ギャラリー)を通り抜ける。見たこともない作家の絵がところ狭しと飾られているが、申し訳ないが、上手いとは思えなかった。――後援されている芸術家の一人なのだろうか。邸の現オーナーとは趣味が合いそうもない。


 画廊の先の大広間と、その先の庭園がパーティー会場だった。音楽が流れ、着飾った男女があちこちで群れ、白い上着に黒いズボンの制服を着た給仕が、グラスを載せた盆を持って歩きまわる。どの人物も皆、仮面で顔を隠して、どこか退廃的な雰囲気だ。……やはり内装は奇妙にゴテゴテしている。殿下が、無言でわたしの腕を引いて、天井を指さす。年代物のシャンデリがキラキラと輝き、天井に描かれた、壮大な神話の世界を照らし出している。その絵に、見覚えがあった。


「ええっと、確か……エル……」

「――エル・グランの『最後の審判』だ。二百年ほど前の巨匠」

「ああ、うちに画集がありました」

「覚えていたか!」

王立美術館(ロイヤルギャラリー)が解放された時に、実物をいくつか見ました。……この天井画も、画集に入っていたと思います」


 壮麗な天井画に見入って、わたしは殿下の話をろくに聞いていなかった。

 リンドホルムの城には貴重な美術書が収蔵されていて、時々、執事に鍵を開けてもらい、それを見ていた。昨年、戦費を市民から募るチャリティーの一環として、普段は一般市民の目に触れない王室累代の美術品が公開された時、その画集に納められた実物を目にすることができた。――そうだ、あの画集は宮廷画家を務めた巨匠、エル・グランのものだった。……ずっと、忘れていたけれど。


 わたしが天井画に見惚れていると、給仕がグラスの載った銀の盆を差し出す。殿下がそれを二つ取り、わたしに一つ手渡す。


「乾杯しよう。……俺はずっとこの絵が見たかったんだ」

「……それで、このパーティ―に出ることにしたのですか……」


 チンと軽くグラスを合わせ、一口飲む。


「うん、内装はまずいが、酒はまあまあだな。……ここのオーナーはワインの先物で一山当てたことがある。絵の趣味はともかく、味覚は信頼できそうだ」


 殿下はわたしの腰に手を回し、体を密着させるようにして、会場の隅にあるソファに誘う。

 

「少し座ろう、足がキツイんだろう?  それとも踊るか?」

「ええ?  踊るのはちょっと。仮面で視界が悪くて酔いそう……でも、間諜(スパイ)ごっこに必要でしたら、他の方と踊っていらしても」

 

 邸の内装とは相いれない、ヒョウ柄のソファに二人並んで腰を下ろし、スパークリング・ワインを啜りながら、周囲を見回す。……まともな護衛もなく、こんないかがわしい、内装がチグハグな邸にやってきて大丈夫なのか。


「護衛はいないわけじゃない。何人かは潜んでる。……趣味と、実益を兼ねて」

「趣味と、実益?」

「……俺の配下はずっと前線に貼り付いて、まともな娯楽もなかった。だから、少しは華やかな場に足を運んで、羽を伸ばさせてやりたい。……ロベルトもいるはずだぞ。どれかは知らんが」


 殿下の配下は貴族と平民が半々くらい。もっと公的な、まともな茶会や園遊会、夜会などは、爵位や肩書が必要で、平民は立ち入ることもできない。


「この成金舞踏会はコネと金さえあれば誰でも招待状(チケット)を手に入れられる。……かなり高額だが」

「……お金がかかるんですか!」


 この趣味の悪い邸に来るために、金を払わねばならぬとは、なんという罰ゲーム。


「それでも、今、王都でもっとも金を持っている若手の投資家連中が集まるんだ。金の匂いに敏感なやつらは(こぞ)って、招待状(チケット)に金を払う」

「……そういう投資家の動向を探るおつもりなんですか?」

「ん……まあ、そんなところだな」

「じゃあ、こんなところでわたしと喋っている場合ではないのでは……」

「いやしかし、あの天井画が無事でよかった。ここの芸術家モドキどもは、この貴重な絵を塗りつぶしかねんな。文化庁の長官あたりから、所有者に釘を刺しておくよう、命じる必要がありそうだ」


 わたしは殿下が間諜(スパイ)の仕事に取り掛かるのであれば、邪魔にならないように大人しくしているつもりだったが、殿下は一向に動こうとせず、昔の巨匠エル・グランについての、豊富な蘊蓄(うんちく)を語りだして止まらない。というか、殿下もうちにあったのと同じ画集を見たことがあるのか、舞踏会そっちのけで画集の話ばかりしていた。

 ……もしかしてこの人は、要するにこの天井画が見たいだけだったのでは。

 だとしたらそのために、わざわざドレスを仕立てて女を着飾らせるなんて、本気でどうかしていると、内心、呆れた。



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