エリオットの憂い
エリオットは悩んでいた。
近頃、自身が仕えている従弟であり義理弟である王子、公爵のレイモンドに粗野なふるまいが増えたのだ。いくら私室とはいえ王宮内で声を荒げ、その口から出てほしくない言葉がポロリとこぼれる。賓客の前でも飾らない、気さくと言えなくもないが、このまま見過ごすわけにはいかない。せめて公の場だけは貴公子であって欲しい。
これは護衛3人と、特にいつも側にいるヴィンセントの影響ではないか。男同士軽口を聞きたいのはわかるが、王族であり、人の上に立つ領主ともあろうものがよろしくない。何より幼い子ども達にとっても悪影響だ。
さてどうしたものか。
***
「レイ様、ご自分のお食事を人の皿にのせるなど。お止めください」
苦手な緑の豆をヴィンの皿に移していた。外食ではわざわざ除いて欲しいと言わなければ出てくる。人の目がある場で子どもじみた行為は慎んでもらいたい。
「残したのを食べ物に困っている者が見たら悲しむよ。それにもったいないお化けが出る」
民を思う気持ちはさすがレイ様……いや違う。それにお化けは出ない。
「今日中にさっさと終わらせろ」
「レイモンド様、お言葉遣いが少々乱れていますよ」
「だって、ヴィンが言うこと聞かないんだ」
「ヴィンセント、その書類はレイモンド様があなたに任せたもの。黙って処理しなさい」
「こんな面倒な計算、頭がいい領主が自分でやりゃいいだろ」
予算の分配は事務官の案を最終的に領主が決めるため、時には計算しなおすこともある。ヴィンは計算が苦手。だからレイが面白がって振るのだ。
「くそっ、意地悪屁理屈領主め」
「ヴィンセント!! 口を慎みなさい。君の態度がどれほどレイモンド様に悪影響を及ぼすか考えなさい」
今までこんなに目くじらたてていたっけ? レイとヴィンが顔を見合わせる。
「決めました。ヴィンセント・バーデット辺境伯を高位貴族として恥ずかしくないように、教育しなおします」
翌日ヴィンはソフィアの元へ連れて行かれた。
「私も色々気になっていましたよ。レイちゃんのかわいいお口から酷い言葉は聞きたくありません。ヴィンセントを預かりましょう」
背筋を伸ばしたヴィンは、これでもかとさらにピンと伸ばす。厄介なことになった。
「まずは子どもたちの学習の様子を見学なさい」
子ども部屋で双子がお行儀よくマナーレッスンを受けていた。
言葉遣いから立ち居振舞い、お辞儀までの全てを幼少期から少しずつ身に着けていく。大人になる頃には、それが当たり前になり自然となる。
「マナーレッスンはいかがでしたか? あなたもご実家で習ったのではないかしら、思い出してくれるといいけど」
「もう忘れました。私は国を守る騎士です。戦場でマナーはいりません」
「あなたは毎日戦場にいるのかしら?」
「いません」
ヴィンはソフィアにうまく説明できなかった。
次の日はソフィアの菓子店に連れて行かれた。
「色々な階層のお客さま来るわ。貴族だろうが平民だろうが空いている席に座ってもらっています。今のところ問題は起きていません」
「私は給仕でもすればよろしいですか」
ヴィンは腰に真白なエプロンを付けさせられていた。
「給仕しながらよく観察して。どんな場面でも気品とマナーを心掛ける貴族のふるまいを勉強なさい」
だが困った客というのは必ずいる。2人連れの若い貴族女性客がそうだった。観光で訪れたのだろう、案内図を手に入店した。
「随分と狭い店ね。メニューも少ない。もう少し広いテーブルに替えてくださらない?」
「すみません、お2人連れの方はこちらの席にご案内しています」
「あそこの平民と交換すればいいじゃない」
貴族女性が指し示したところには4人席に4名の平民女性が座っていた。
ヴィンはこの店では、貴族も平民も人数に応じて空いている席に案内していることを説明した。
貴族女性たちはヴィンの端正な顔をみて、「あら、この方は…」とひそひそ話し、席は気にしない、申し訳なかったと急に態度をかえた。
注文の品が運ばれるとまた態度が変わる。
「これは酷いわ。随分田舎臭い菓子じゃない。素朴と言えば聞こえはいいけど、こんなもの王都では子どもでも食べないわよ。店主を呼んできていただけるかしら」
提供されたのは日替わりの雑穀クッキーと新鮮な卵と牛乳をつかった全粒粉パンケーキ。蜂蜜バターと木イチゴのジャムが添えてあり店1番人気なのだが。
「いらっしゃいませ。お口に合わなかったかしら」
普段よりは簡素なドレスで、花柄のエプロンを付けたソフィアが応じる。
「あら店主といってもおばあさんじゃない。観光案内に載せるくらいならもっと見栄えのよいものを出してちょうだい、土産話にもならないわ」
「見た目ではなく体に良いものをお出ししているの。孫たちの好きだったものですよ。お代はいりません。召し上がらないならお帰り下さい」
「客を追い出すなんて失礼にもほどがあるわ。ここの領主様に訴えます。こんな店閉じてしまえばいい」
「お呼びですか」
貴族女性達が後ろからするいい声に振り向くと、白銀の髪に青紫の瞳。本で読んだあのお方がいた。推しに会えたと、お互いの手を取りあっている。
そこにはヴィンの様子を見に来たレイが立っていた。
「失礼ですが、観光案内にもここは体によい食材を使っていると書かれていますよ。字が小さかったのでしょうか。私どもの不手際ですね。今後の参考にします」
「いえそんな、公爵様は何も悪くありませんわ。ただ物足りないと申し上げたかったのです」
「そうですか。私は幼少時から食べ慣れているので気づきませんでした。逆に王都のケーキは私には重くて、こうして今も母方の祖母に作ってもらっているのです」
レイが店主に、「おばあ様、いつもありがとう」と微笑みかける。
祖母だって! ということは王妃の母ではないか!
おばあさん呼ばわりしてしまって非常に気まずい。顔は青を通り越して真っ白だ。
「そ……そうなんですね、なんだか噛めば噛むほどに味わい深いですわ。ほほほ」
「王都から離れた田舎ですが、田舎の良さも味わってくださいね」
レイの微笑みを拝み、2人は食べ終わった後そそくさと帰った。
「レイちゃんありがとう。助かりました」
「おばあ様、お疲れではないですか? 屋敷までお送りしますね」
レイは祖母の手をとり、屋敷へ連れ帰った。
「ヴィンセントに悪いことをしたわ。あんな貴族の娘たちがいるなんて驚きました。貴族なら手本となるように皆が振舞っていると思っていたの。おばあさんなんて呼ばれたのは初めてですよ」
領からほとんど出ない祖母が知らないでも仕方がない。王妃を輩出するような家と懇意にしている家は、皆礼儀正しい者ばかりだったのだから。
「私のせいで余計な心配をかけてごめんなさい。初めてできた友達に浮かれてしまって、男の付き合いっていうのをしてみたくなったのです」
まぁとソフィアが驚く。
「おばあ様、王宮の食事はとても美味しいです。でも外で大口をあけて食べるのも、食堂の皆のように話しながら食べるのも美味しい。もし私だけがかしこまっていたら、皆も気を遣って味気ないものになってしまうのです」
「場を乱すのはよくないわね」
ソフィアが頷く。
「行軍中は立ったままで、食事と言えないような状況もあります」
「騎士の方々がそんな大変な思いされていたなんて、知らなかったわ」
ソフィアが涙ぐむ。
「それに戦場では指示を端的に伝えなくてはなりません。粗野と言われても、普段から使っていないと私のような者はいざとなったら使えません」
しゅんとうなだれるレイ。
「それにヴィンセントはいざという時のために片手を常に空けているのです。パンをそのままつかんで口にいれても、ナイフを使わずにフォークだけで食べるのにも、理由があるのです」
「それは騎士として正しい行いなのね。私もヴィンと呼ぼうかしら」
ヴィンへのフォローもきっちり行うレイ。株も上がったようだ。
「耳を塞ぎたくなる時もあるけど、いざという時にレイちゃんが皆を導くためなのね。ヴィンセントも言っていたわ。戦場にマナーは必要ないって。わかりました。子ども達の前とその場に応じて使い分けできるのなら、もう何も言いません」
「わかってくださってありがとう」
レイは祖母を抱きしめた。
***
「ごり押したな。見事だった」
ヴィンは呆れと感心がごちゃまぜになっている。片手で食していたのは傭兵になりたての頃に周りを見て真似ただけ。屋外ではコップも椅子もなく、ゆっくり食事などできやしない。言葉遣いもだ。「かしこまりました」などと腰を折って返事をすれば戦場で隙を見せる事になる。
「これでエリオットも何も言えないでしょう」
レイがほくそ笑む。
***
「レイモンド様、おばあ様を味方につけましたね」
「きちんと説明すれば、わかっていただけると思っていましたよ」
「特にあなたには甘いんだから。仕方ないです。私もそれに従いましょう」
「えっ」
「おい、いままで黙っていれば好き勝手して! 少しは補佐するこっちの身にもなってみろ!!」
エリオットの変貌にレイがたじろぐ。
「いいか、この間だって、『レイモンド様の姿かたちは一級品だけど、見送る際に賓客の、それも女性に対して黙れ、来るなってあれはないだろう』って俺が叱られて、どれだけ謝ってきたと思ってる! 返事は!!」
「……ごめんなさい」
藪をつついて蛇を出してしまったらしい。




