においすみれと蚕(かいこ)
その年の夏はやけに暑く、体調を崩した長兄と母に同行して、レイも母の生家に避暑に出かけた。
広大な農地に養蜂と養蚕を特産とする牧歌的な領地。
実家帰りは母も久方ぶりだった。
そこで出会ったのが母の兄で現侯爵の娘、従妹のオリビアだった。
嫡男エリオットとは幼いころからともに剣を学んでいて、領地に幼少の頃大病をした少し身体の弱い妹がいるとは聞いていた。
オリビアはレイのひとつ下の十二歳。
きれいなカーテシーで挨拶をしてくれた。
「王妃様、アルバート殿下、ご無沙汰をしております。レイモンド殿下初めまして。オリビアと申します」
「堅苦しい挨拶はぬきにしましょう。王妃様でなく叔母様と呼んでくれると嬉しいわ」
レイの隣にオリビアが座るとお茶とお菓子が配られた。
「それに初めてではないのよ。オリビアが一歳の頃かしら。あなたに会いにレイも連れてきたのよ」
オリビアは淡い金髪にレイと同じ青紫の瞳。白い肌にほっそりとした体。
触れたら壊れそうだとレイは思った。
「レイモンド様は」
「レイでいいよ」
「レイ様はにおいすみれのようね」
「においすみれ?」
「ほら。こちらをご覧になって」
オリビアが手にしたのはガラスの器に入ったすみれのジャム。
すみれの花びらが白地に青紫だ。
「お庭に咲いているから一緒に見にいきましょう」
「楽しみだな」
なぜだかレイの心の奥がそわそわした。
翌朝、エリオットと日課の剣の稽古をしているとオリビアが顔をだした。
「レイ様はとてもお強いのね。お兄様が負けるのを初めて見ました」
「弓ならエリオットに勝てないけどね」
汗を拭うレイとエリオットにオリビアが冷たいはちみつレモン水を差しだす。
「においすみれが見たい。案内頼めるかな」
「喜んで」
オリビアがこちらよと手招く。
「オリビア今日は調子がいいのかい? あまり長く外にいてはいけないよ」
「お兄様ったら過保護ね。レイ様にお見せしたらすぐ戻ります」
オリビアのお気に入りの場所。
「ほら見て。レイ様がたくさん咲いているわ」
「ふふ。髪の色と目の色と同じだね」
その時、強い風が吹いて、レイの乱れた髪が唇に張り付いた。それを振り払おうと首を左右に動かす。
「あらにおいすみれかと思ったら蚕みたいよ! 絹糸をだしているみたい」
オリビアが声を出して笑った。
何を言われたのかとぽかんとするレイの髪を、オリビアが直した。
「本当に絹糸みたいな髪ね」
何度も髪を梳かれたレイはくすぐったくて、なんだかおかしくなって、声を上げて笑っていた。
「虫に似ていると言われたのは初めて。オリビアは僕を笑わせる天才だよ」
「オリビアもう中にお入り」エリオットが呼びに来た。
「中に入ってお茶にしましょう」
二人はいつのまにか手をつないでいた。
「さあ、できたわ」
「母上、これ本当に僕が着るの?」
「そうよ。私のインスピレーションがいい仕事したわね」
「レイ様…レイちゃん! すごくかわいい。私たち双子みたいよ」
「……」
別室に連れて行かれたレイが戻ると、オリビアと母がパチパチと手を叩いている。
二人おそろいの水色のドレス。
オリビアが喜んでいるからいいか。
幼少時から時折可愛らしい服を母が着せるので抵抗はない。女の子の前でちょっと照れただけだった。
その後もたびたびおそろい服を着せられ、お茶会にくる貴族夫人から、金のすみれ姫、銀のすみれ姫と呼ばれるようになった。
数年たっても二人は変わらず仲が良かった。
ある夜、暖炉の前の長椅子に並んで座っていた。
「君のその小さな剣には勝てそうにないな」
剣の手入れをしていたレイは、刺繍針を通すオリビアの手を見つめていた。
「レイの指に刺さったら大変ね」
オリビアがくすくすと笑う。
国境がきな臭くなり、レイに前線へいくよう命が下されていた。
「またすぐに君に会いに来るよ」
「レイは行くのね」
「本当は嫌なんだ、人を傷つけるなんて嫌だ。汚れた手で君に触れたくないんだ」
「あなたの剣は何度も切りつけず、ひと振りで戦闘不能にするのでしょう? 傷が残ろうが家族の元に帰すのね。命を絶つより難しいとお兄様が言ってた。もし斬られるのなら私は白銀の一閃に斬られたい。何度も痛いのは嫌だもの」
オリビアはレイの手に自分の手を重ねた。
「それにレイの剣で助かる人も大勢いるのよ。だから私はあなたが汚れてるなんて思わない。戦なんて皆行きたくないし、行かせたくない。でもあなたはこの国の王族。先頭にたって戦ってほしいという言う私は汚れているのかしら?」
「オリビアには敵わない」
レイはオリビアの肩にもたれかかる。
「レイの帰りをここで待っています」
糸を切って枠から外したハンカチをレイに渡す。
青紫の生地に金と銀ですみれの刺繍。
レイはそれを宝物のように胸ポケットにしまうと、オリビアに口づけた。
王宮に帰ると父王のところへ向かった。
「国王陛下にお願い申し上げます。もしこの戦で功績をたてたなら、願いをひとつ聞いてほしいのです」
「お前は地位も名誉もすでに持っているだろう。何がほしい」
「ひとつだけ、お願いします」
「帰ったら詳しく聞くとしようか」
今聞いても息子は答えないだろう。
「必ず功績を立てて戻ります」
わがままひとつ言わなかった息子は何をねだるのだろうか。
その戦でレイはリアンを自分のダミーにした。
後ろで弓をひくエリオットもリアンの側についていたため、敵は気づかない。
その隙にレイはセオとトーマスほか数人を引き連れ、何度も急襲をかけた。
敵陣の奥深くに入り込み指揮官の男を一閃で切り捨て、周りを固めていた敵もことごとく戦闘不能にして降伏に持ち込んだ。
「よくやった。これで隣国も懲りて手を出してくることはないだろう。全部あちら側に賠償させた。さすが白銀の一閃だな」
「皆の奮闘あってのこと。騎士たちへ褒賞よろしくお願いいたしますね」
「もちろん。褒賞と休暇も必要だろう」
「私のお願いを申し上げてよろしいでしょうか」
「言ってみよ」
「私は婚姻のできる十七となりました、ぜひともオルレアン侯爵家のオリビア嬢を迎えたいのです。そこで国王陛下からオルレアン侯爵へ婚姻の勅令を出していただきたい」
「ほう。なぜそこまでする必要がある」
どんな高位の者でも王からの勅令は無視できない。だが婚姻のために出すなどなかった。
「オルレアン侯爵に幾度となくオリビアとの婚約を願いでましたが、体が弱いから王家へ嫁がせることはできないと断られました」
「もし余が願いを聞き入れなかったらどうするつもりだ」
「叶わないなら、私が王家をでます」
それは困るし、父としても嫌だ。
「そこまでの覚悟なら願い叶えよう」
眉をさげ、仕方ないなと息子を見る。
「ありがとうございます」
レイはにっこりと笑い深々と頭を下げた。
勅令を聞いたオルレアン侯爵は大変驚いた様子だったが、渋々承諾した。
「あなた方には敵いませんね」
レイと伯爵家令嬢イザベルとの婚約。
実はオルレアン侯爵が仕組んだもの。
オリビアと引き離すためだったが、レイと兄王子たちの手によって一年の後に破棄された。
ただオルレアン侯爵から条件がひとつ出された。
二人の婚姻を公にしないこと。
王家に嫁げばそれなりに社交も必要になるが、オリビアの負担が大きすぎる。
領地を出たことさえないのだ。
「もちろん。オリビアが一番大切ですから」
レイはにおいすみれの咲く庭へオリビアを誘った。
「無事のお帰り本当にうれしい。怪我は本当にないの?」
「君のハンカチが守ってくれた。いつも以上に働けたよ」
オリビアはいつもレイを気遣ってくれる。
その優しさに何度も恋に落ちた。
「オリビア、やっと侯爵から承諾をいただけた。僕と結婚してください」
いつになく真剣な面持ちのレイが、震える手で、においすみれの花冠をオリビアに差し出した。
「レイには他のご令嬢がいいと思うわ」
「そんなこと言わないで。僕だって戦で君より先に命を落とすかもしれない。病気にかかることもあるだろう。それとも僕では嫌なの?」
「そんなことない! でも…でもね、やっぱりだめだわ」
オリビアの目に涙があふれる。
「僕には君しかいない。お願いだから僕の手を取ってほしい」
オリビアが涙をぽろぽろとこぼしながら、何度も手を出したりひっこめたりする。
レイがオリビアの手を捕まえた。
「僕はこの手を離さないし、オリビアも離さないで」
オリビアはレイの手を強く握り返した。
「僕は蚕だからね。君のために最高の絹糸を用意したよ」
婚約期間は三週間。
結婚式の準備に三週間かかっただけ。
兄、王妃、オルレアン夫人によって準備が密かに進められていた。
身体を締め付けない、ゆったりとした婚礼衣装をまとったオリビアは妖精のようだった。
白い絹のドレスにいく枚ものシフォンを重ね、ティアラには夜明けの空が輝き、すみれをいただく。
迎えるレイも真っ白な盛装用の騎士服に髪は緩く後ろに束ね、顔をうっすらと赤くしていた。
「すごくきれいだよ。今すぐにさらいたくなる」
レイはオリビアの手をとり指輪をはめた。
オルレアン侯爵の庭園で、ごくごく近い身内だけに見守られ式は執り行われた。
「私は自分の息子の結婚式に参列できないのか」
「公にしないと固く約束させられたのですよ」
妻にも兄からの厳命だと言われ、父王は涙目だ。
王が動けば護衛、警備と人が動く。妻の実家とはいえ目立ちすぎる。一人王都で留守番となった。
「父上、お祝いにあの離宮をください。新居にします。王都からもそれほど離れてないし、あそこならお忍びで来れますよ」
「父思いの息子をもって幸せだ」
「もう改築も終わるころです。半年くらい経ったらご招待しますね」
レイがにっこり笑う。
改装でなく改築? 祝いに出す前から?
半年も待たされると聞いて父はがっくりと肩を落とした。




