(1)アーヤマーナ
新作です。
前作、前々作の失敗の反省を踏まえて新年度wから再出発。
結構大風呂敷だけど着地点は決まってますし、底抜け姫ほど長くはならない予定です。
頭から紙ぶくろをかぶり、袋の底以外何も見えなくなると、少しホッとする。
「ちょっと、居るのは判ってんだよ。いい加減、家賃、払っとくれ」
振動で郵便受けから溢れる請求書や督促状がバサバサと崩れ落ちるが、外の人は構わず扉をたたき続ける。
「払わないんならさっさと出てきな。こっちだって困るんだよ、いい加減におし」
大家さんのヒステリックな声から少しでも逃れるため、紙ぶくろの中にいっそう自分の頭を押し込み、袋の底をじっと見つめ続ける。
紙袋のたてるガサガサと言う音に意識を集め、暗い袋の底をじっと見つめると意味を為さないサイケデリックなモノが見えてくる。
「はぁぁぁ」
外界を遮断した彼女は深く息を吐き、自分の世界に埋没していった。
* * *
頭に衝撃があり、目から火花が飛び出した。
「あいたっ!」
思わず口に出たが、本当に痛いのか、それとも衝撃からそう錯覚しているだけかは本人にも判らなかった。
火花の中には、好きなマンガの一シーンや、現実のように彩られた小説の内容や、現実の記憶がアニメになっていたり、体験した覚えもないのに現実のような記憶だったりが一瞬のうちに浮かんでは消えていった。
やがて衝撃は薄れ、視界が回復していった。どうやら先ほどの衝撃は誰かに暴力を振るわれた、というわけではないことが知れた。
だがいきなり身体を大きく動かすことなく、視線だけで周囲を窺うのは女の子供であった。それも女の子という呼び名より、女児といった方がしっくりくる10歳に満たないような幼い子供だ。
女児の記憶では、ついさっきまで明るい室内で数人の大人たちと一緒に居たと思うが、どうにも記憶があやふやだ。
周囲に人の気配はなく、また暗い。
女児の背中は地面に触れていない。背負ったランドセルの分だけ身体が浮いているのだ。
手足の指を動かしてみるが、特に違和感はない。そっと頭に触れてみるが、タンコブもなく、出血している様子もない。
ランドセルを下敷きにして仰向けに寝ころがる女児は、うん、と手足を伸ばし上を見上げた。
「暗い、空……そっか、夜って暗いんだっけ」
ネオンサインに彩られた夜しか知らない女児は、不思議そうに暗い夜空をしばらく見つめていた。
夜空は細長く、両側を低い壁があるが、明かりの類は見えない
「うんしょ」
可愛らしく声を出し、腹筋の力だけで起き上がる女児。すると今までランドセルに阻まれていた地面に直接座る形になり、その濡れた地面の感触がお尻に伝わる。その不快感に一瞬、顔をしかめるが、すぐにその表情が消え、わずかに微笑みを浮かべる。
「よっこいしょーいち」
おじさんたちの口癖を真似て、意味も知らずにそう言いながら、座ったまま全身のバネでぴょんと飛び上がり、足の裏でしっかり着地する。すると今度は靴下が濡れ、足の裏がじっとりと濡れてきて気持ちが悪いが、今は無視することにした。
靴下や身にまとう白いシュミーズが臭い水を吸って不快だが、着替えがないのでどうしようもない。
それどころか今の彼女はシュミーズと靴下、それにランドセルだけで下着すら履いていないのだ。ランドセルすら自分の物ではなく撮影用の小道具に過ぎず、中身は空っぽだ。
「これは流石におまわりさんかなぁ」
そう独り言ちて周囲を見回すが、まるで見覚えがない。
「どこだろ、ここ?」
彼女が住み、また直前までいたはずの日本最大級の歓楽街を思うが、あの街は不夜城だ。こんな暗い場所があるなんて想像もつかないし、第一、こんなに低い建物をあの街で見たことが無い。
「もしかして……誘拐された?」
それが一番ありそうだ。さっきまで居た場所から、いきなり記憶がないというのが判らないし、頭を含め、痛いところもおかしな感じも身体にはない。
「マイティ☆フルーツが助けてくれたのかな?」
日曜朝の拳で語り合う魔法少女のことを少し思う。そんな荒唐無稽なことを思ってしまうぐらいには異常事態だった。
が、すぐに頭を振る。
「んなわけないよね。私みたいな学校の鼻つまみものを救い出すお話なんて作ったら、きっといろんな方面から苦情がテレビ局に殺到しちゃうよね。先生とかミンセイインさんとか大家さんとか……」
そんな風に少し明後日の方向で妄想を否定する女児であった。
何時までもここに居ても仕方がない。壁にそってどちらかに行けば人のいる場所に出るだろう。
夜空の星明かりを頼りに、壁に沿って歩き始める。足元のぐちゃぐちゃとした感触が靴下越しに伝わり、やっぱり気持ち悪い。
「ん?」
なにかの動く気配に、足を止める。
「ネコならいいな。犬とかだったら怖いな。ネズミは嫌だな」
いつもいる歓楽街で見慣れた猫みたいな大きさのネズミを想像し顔をしかめる女児。しかしその想像はある意味的中し、また別の意味で外れていた。
「犬?」
暗がりの中、女児の膝ぐらいの高さで光る眼。しかし疑問を憶える暇もなく、暗がりから襲い掛かってきたのは小型犬ほどもある大きな黒いネズミであった。
「いや!」
慌てて踵を返すが、その足にネズミの牙が食らいつく。
「いたい、いたい、いたい」
無茶苦茶に手を振り回すが、ネズミは思いのほか力強く、その皮膚は固かった。
「だったら!」
背中のランドセルを降ろしながら足元のネズミにフルスイングで殴りつける。中身空っぽではあるが、それなりに頑丈なランドセルの一撃は小型犬大のネズミをひるませるに十分であった。
しかし、足からはいまも血が流れ、ドクドクと痛みも増している。
その上、暗がりの向こうで新たな気配と光が姿を現した。
「うそ」
小型犬並みの大きさのネズミが幾匹も現れ、彼女を取り囲んでいく。
「シャーッ」
ランドセルで殴りつけたネズミが勝ち誇ったように威嚇の声を上げる。
「うううううぅぅぅっ」
一方の女児もランドセルを武器のように構えて、負けじと唸り声で威嚇し返す。
「ははっ」
大ネズミの群れと小学生の威嚇対決に渇いた笑いが割って入った。
「!」
ネズミは女児と新手、双方を威嚇したが、やがてそのまま暗がりへ走り去っていった。
暗がりから現れたのは大人の男であった。男の頭上には光が浮かび(ドローン?)周囲を照らしている。
男の目はどんよりと灰色に濁って焦点が合っておらず、フラフラと揺れる身体はバランスをとることもできずにズルリと足を滑らし尻餅をつく。
「おまえ、おもしれぇな」
呂律の回らない口でそんなことを言い、そんな有り様でありながら尚も酒瓶を呷る。
「ダメな大人のヒトだ」
生まれ育った街で見慣れた光景に思わず呟く女児。よくこういうのに絡まれた経験から男に対して警戒する。
しかし、ネズミに噛まれた傷はドクドクと痛み、流れ出る暖かい血が足を濡らし、その代わりのように身体は寒さにブルブルと震え、どんどん熱を失っていく。
ダメな大人は多くの場合、危険だ。しかし、
「おじさん」
足を引きずりながら浮かぶ光の下に進み出て、精一杯声を張る。
しかし、その声は女児自身が思っている以上に小さく、弱々しかった。ジクジクと痛む足は熱を帯び、意識が朦朧としていく。
「助けて!」
女児はそのまま意識を失った。
「……ばかな」
光の下に現われ助けを乞うてから意識を失った女児の姿を男は茫然と見下ろしていた。
酔いに耽溺し、長く失われていた男の正気がわずかに覚醒した。
* * *
わたしが気が付くと知らない家に寝かされ、傷の手当てもされていた。
その家は木造でガラス窓も、電気もないがどうやら病院らしく、おじいちゃん先生とその娘さんが手当と世話をしてくれた。身体も洗ってくれたみたいで頭も痒くない。
「キミは三日間も眠りっぱなしだったんだよ。黒鼠の毒が回っていたんだね。でももう大丈夫。君自身に体力があったのもあるが、“彼”が解毒薬を飲ませてくれたおかげで、脚は無事だよ。処置が遅ければ毒が回って壊死して、最悪切り落とさなければならなかったかもね。だからボクの治癒魔法はちょっとしたお手伝いをしただけさ」
そう言っておじいちゃん先生は軽くウィンクした。ちょっとかわいい。
柔らかいお粥みたいな食事をして、また一眠りすると、すっかり体調は戻っていた。もしかしたら生まれて初めてかもと思うぐらい身体の中が元気だ。
「ほらほら。もう治ったんだから退院しなさい。ここはホテルじゃないのよ」
そう言って早速わたしを追い出そうとする娘さん。
「おまえ、そんな言い方をするもんじゃないよ」
「お父さん、いつも言ってるでしょ。浮浪児の面倒なんか見てたらキリがないの。今回はあのキ〇ガイから先払いでもらってるから例外なの。アンタも退院したら二度と来んじゃないわよ。ほら、その服も脱いで」
いまのわたしは病院着のようなものを着せられている。なんでもここに連れてこられたとき、裸な上に血だらけ、傷だらけで酔っ払いのキ〇ガイ爺さん(娘さん談)に引きずるように連れてこられたという。傷だらけなのは大ネズミのせいではなく、その時の擦り傷が大半だったそうだ。
「怪我して意識のない女児の服を脱がせて裸にするキ〇ガイと呼ばれるオジサン……うーん、元の世界なら一発アウトだよね」
と、考え込むわたし。因みにお爺ちゃん先生によると、ここでもアウトらしい。
「いくらなんでも裸で放り出すわけにはいかないだろう。お前のお古があるだろう。少し分けてあげなさい」
「あれはそのうち私の子供に着せるのよ」
「子供より先にお相手を探しなさい。いい歳なんだから」
「キー!」
奇声を上げ始めた娘さんを無視して勝手に服を物色してわたしに着せてくれるお爺ちゃん先生。
「行く当てはあるのかい?」
その問いに素直に首を振る。
おじいちゃん先生の使う治癒“魔法”だったり、知らない言葉なのに何故かお話しできたり、電気もガスもない……というより知らない人たちを見れば、なんとなく、いまの状況を察することができた。
「ネット小説で一杯読んだな、こういうの。わたし、扉を開けちゃったみたい」
ここは日本でもなければ、多分地球でもない。だからケイサツもおまわりさんも学校も児童相談所もない。
ここに来る直前の状況はよく覚えていない。誰かと一緒だった気もするが、そういった記憶が全部、あやふやなのだ。
「お爺ちゃん先生、娘さん先生。お世話になりました。わたし、出て行きます」
ぺこん、と頭を下げるわたしに、二人は少し驚いていたが、なにに驚いているのか判らない。でも娘さん先生は少しバツの悪そうな顔をしている。そっか、娘さん先生はツンデレなんだ。
「……キミは幾つかな?」
「春に11歳になりました」
「11? もっと下かと思ったよ。だがそれならよかった。ちょっと待っててね」
そう言ってお爺ちゃん先生が紙に何事か書きつけて渡してくれた。知らない文字だったが、何故か意味が解る。
「ここから東に行くと冒険者ギルドがある。剣と杖と葉っぱのマークの大きな建物だよ。沢山、人が出入りしているからすぐわかると思うよ。そこにこれを渡して仕事を貰うといい。そこで真面目に働けばご飯も食べられるし、信頼を得れば市民権も買えるようになる」
「働いてもいいんですか!」
わたしは驚いて思わず聞き返してしまった。
給食費とか、日々の日用品とか、下着とか、お金が欲しくても小学生の自分は仕事をしちゃいけないから、いつも困っていたのだ。
「変なことを言うね。働いちゃダメな事なんてないよ」
「わたし、働きます。働いて、自活して、ちゃんとお金貰って、払うもん払ってマトモな大人になります! ああ、働けるんだ、マトモにお金稼いでいいんだ。すっごく嬉しい!」
喜びのあまり自分でも引くほどテンションが上がっている。それを見ていた二人は、わたしの感動ポイントがイマイチ理解できないようで揃って首を傾げていた。
「じゃあ、もう行きますね」
「……本当に困ったら遠慮せずに相談に来なさい。いいね」
娘さん先生の二度と来るなという強い視線と、お爺ちゃん先生の優しい視線に、わたしは二人に大きな笑顔を向けた。
作る必要もなく自然に浮かんだ笑顔だ。
「ありがとうございました。このご恩は忘れません。さようなら」
早速、歩き出そうとするわたしをお爺ちゃん先生が呼び止めた。
「そう言えば名前を聞いていなかったね。教えてくれるかな」
「アヤです。明るい夜で明夜?」
名乗りながら奇妙な違和感を感じて口ごもるわたし。
「マァヤ? アーヤ?」
一方のお爺ちゃん先生も“アヤ”という発音がしにくいらしく首をかしげている。
明夜という名は自分の名で間違いないはずなのに、何かが足りないような、何かが違うような気がしてならない。
だから続いてでた言葉に、自分でも驚く。
「アヤです。明るい夜のアーヤマーナです」
何故そんな名を名乗ったのか自分でもわからないが、妙にしっくりきて、なんだかとてもうれしくなった。
その気持ちのままアーヤマーナは長い銀色の髪を揺らしながら朗らかに笑った。