森から離れる
「どうしたんだ?」
恐る恐る悟が声をかけると加奈子は森を指さしてぽつりと呟いた。
「あそこに行ってみたい」
それは悟にとって一番聞きたくない言葉だった。一瞬、何も考えられなくなり呆然と立ちつくした後、悟は加奈子の肩をきつく抱きとめた。加奈子がそのまま森に向かって歩き出してしまいそうだったからだ。
不意に肩をつかまれて驚いた表情を見せる加奈子に悟は、
「行っちゃだめだ。行きたくても絶対に行っちゃだめだ」
と強い口調で注意した。加奈子はよく分からぬままそれにうなずく。
「あの森には、絶対に行っちゃだめだよ」
「分かった。絶対に行かないよ」
加奈子にそう約束してもらっても悟は不安だった。今まで予想していなかった――というよりも考えようともしていなかったのだ、加奈子が自分の前から去ってしまうかもしれないという事を。
(嫌だ、そんなことは――)
悟はその夜、自分から加奈子のために引っ越しても良いと父親に告げた。出来れば今すぐにでもと。
「今すぐには無理だよ。でもおまえが賛成してくれて良かった」
ある程度準備は進めていたので一週間ぐらいで行けるという答えを聞き、悟はひとまず胸をなで下ろした。
引っ越す予定のアパートは、現在の家よりも少し狭かったが内装はそれなりにきれいで悟は特に不満は感じなかった。
一通り下見を終えると、大家と両親が話し込み始めた。悟はその場から離れ、窓から外の風景を眺めながら新しい学校はどんなところだろう、早く友達は出来るかなと見知らぬ土地での新生活に思いを巡らせる。
引っ越しが決まってからもこの日まで、悟の心が安まることはなかった。加奈子のちょっとした発作でも過剰に反応してしまい、逆に両親を心配させる事もあった。