【79本目】マトリックス(1999年・米)
【感想】
1984年、ウィリアム・ギブスンのSF小説【ニューロマンサー】が発表され、【サイバースペースもの】というジャンルが誕生しました。
そのジャンルは1995年に【GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊】で映像化され、日本のいならず各国のSFオタクを興奮させました。
【マトリックス】は、そんな【サイバースペース】というジャンルを最新の視覚効果技術によってリアルに映像化し、公開当時【映像革命】と呼ばれるほどの震撼を映画界にもたらした作品です。
1999年の全世界興行収入では第4位(新作映画では【シックス・センス】に次いで2位)という超好成績をもたらし、アカデミー賞においても視覚効果賞をはじめとして4部門受賞という栄誉を成し遂げています。
今この映画見ると気になるのは、仮想世界と言う夢を見せられつつ機械の歯車と化している劇中の人類って、資本主義経済の歯車として動く人類のメタファなのかもな、って点ですかね。
いやね、ちょっと見てて疑問を持ってた時期があったんですよ。【なんであの仮想世界って時代設定が20世紀末なんだろ。電脳世界の理論も定着してた時代だし、現実世界に脱出する連中がいたら電脳世界の理論を理解できちゃうじゃん】っていう疑問を。
例えばネオが中世ヨーロッパで暮らす農民と言う設定だったら、モーフィアスに電脳空間云々説明されたってまるで理解できなかっただろうし、現実世界でコンピューターとも戦いようがなかったわけで。
そこまで考えて、あの仮想世界でサラリーマンのトマス・アンダーソンとして働いてたネオって、現実世界で資本主義社会に縛られて生きる大人たちのメタファとして描写されているんじゃないかって思ったんですよね。
序盤で【起きてもまだ夢見てるような感覚あるか?】と取引相手に問いかけるネオは、インターネットと現実世界を行き来してリアルとネット空間を行き来している現代の人々と同時に、労働の中で疲弊しながら【こんなはずじゃなかった】【どこでこうなってしまったんだ】って思ってる人々のメタファにも見えてくるんです。
前回紹介した【ファイト・クラブ】では大量生産型の資本主義社会の奴隷となった人々の姿が描かれますけど、そういったことを考えると【マトリックス】で機械に夢を見せられながら電池として生かされる人間たちも、ある意味資本主義と言う機械的なシステムの歯車として生きざるを得ない人々を表現しているように思えます。
ある意味でこの映画は、めちゃくちゃデジタライズされた【モダン・タイムス】なのかもしれません。
【キャラについて】
結構いろいろなところで言われているところですが、しがないサラリーマンだったネオが突如別世界で救世主として大活躍するシナリオはかなり異世界転生チートもの的ですねw
モーフィアスの過剰なageっぷりとか正にそれですし、個人的にはトリニティの惚れ方も若干唐突なのでチーレム感を感じますw
ただ【【なりたい自分】こそが、【本当の自分】だった】という文脈でキャラクターに救済を与える展開、多少ご都合主義感はありますけど、フィクションだからこそ可能な最高の救済って感じで嫌いじゃないです。
(少年漫画によくある主人公は伝説の○○の家系だった!って血統主義的展開も、個人的には同じ理由で嫌いじゃなかったりする)
またマトリックスの電脳世界は【想像がそのまま力になる】【物理法則(現実)に縛られない動きが可能となる】という世界設定なので、凄腕ハッカーで機械をいじくることに卓越しているネオが電脳世界で救世主と化すのはそこまで違和感がないのも巧みに計算された設定って感じです。
【好きなシーン】
【スターウォーズ・エピソード1】にハマってた頃にこれも勢いで見たんですけど、ネオのおヘソにサソリが入るシーンがトラウマになって20年間くらい離れてましたねw
当時は仮装電脳世界という設定も理解できていなかったので、ただただ現実世界で生身のおヘソに虫を入れられた、と受け取ってしまっていましたし。
そして伝説の銃弾回避シーン(よけきれてないけどw)や冒頭の飛び膝蹴りで使われるスーパースローを使用したバレットタイム撮影!
今でこそ色んな映画で見ますけど当時は革命的って感じでしたし、何より人間の肉眼だと絶対に映せない映像なので、電脳世界という設定にぴったりマッチしてて正にこの映画ならではのアクション!という表現が似合います。




