第一話 ブラックな職場
世の中には理不尽がまかり通っている。
どんなに働いても豊かになれないワーキングプア。
生まれたときから金持ちは金持ち、貧乏には貧乏人という枠組みから抜け出ることは難しいのだろうか。
頑張ればいつかは報われるという期待と、頑張っても未だに報われない絶望。
今日、俺は会社をリストラされた。
それほど未練がある会社ではない。
むしろブラックと言っても過言ではないだろう。
社員の平均年齢28歳。
若さの裏には5年間離職率80%オーバーの現実が見え隠れする。
俺は今年で32歳。
同期の入社組、5人の中では最後の生き残りだった。
最初に辞めたのは知恵だった。
美人で愛想もよく、同期入社の花だった。
狙っていた奴も多いのではないだろうか。
知恵は入社後半年で体調を崩し、そのまま出社しなくなった。
休み始める直前の平均産業時間は120時間。
サービス残業はカウントされていない。
更に美人の知恵は上司のお誘いも多く、接待と称してお得意先との宴席にもしょっちゅう同行させられていた。
「近藤君、ごめん。私もう無理。
先週借りた3万円は当分返せないかも」
休み始める前の知恵との最後の会話である。
水野は入社後10ヶ月立ったときの失敗で、輝實係長から手ひどく叱責され、それ以降出社出来なくなった。
完全にパワハラである。
「俺、今度新しいプロジェクトの○○商事担当に抜擢されたんだ。
それじゃあ、忙しいからまたな。
近藤もがんばれよ」
水野は、朝に発したやる気に溢れた言葉を実践することなく、夕方には廃人同然のていたらくとなり帰社した。
輝實係長は弱り切った水野にみんなの前にもかかわらず怒鳴り散らし、最後に始末書と顛末書、レポート用紙30枚を命じたのである。
もうこれ以上同期入社組も減らないだろうと思っていた3年目、界が辞めた。
順調にノルマをこなしていたかに見えた界だが、どうもさばききれなかった商品を自腹で処理していたようだ。
「近藤、もうダメだ。
親にも親戚にもこれ以上借金出来ない。
出世すれば何とかなると思っていたが、これほど給料が上がらないとは想定外だ」
友人となった界の初めての弱音を聞いた翌日、やつのデスクには辞表が置いてあるだけだった。
「クズはクズだな」
界の辞表を見下すような視線で眺め、輝實課長は吐き捨てる。
俺と明知は掌に爪が食い込んで血がにじむのを感じながら聞いていた。
「とうとう、俺たち二人だけになったな」
俺は明知に話しかけ、飲みに誘う。
それから2年、俺は辛いことがあると明知と一緒に飲むことでストレスを封じ込め、何とか仕事を続けた。
そんなとき、輝實係長が課長に出世した。
入社後5年のことである。
この時点で俺たちの部署の最年長は俺たち二人だった。
先輩社員はもれなくリタイアしていたのだ。
輝實係長は明知を自分の後釜に推挙した。
自分だけ出世した明知を妬んだこともあったが、そんな思いは直ぐに消えた。
係長に取り立てたことを恩に着せ、課長となった輝實が明知に無理難題を押しつけたのだ。
明知は朝も晩も残業した。
しかも、管理職となったため、残業手当も付くことなく、一日18時間は働いていたのではなかろうか。
当然、そんな無理がいつまでも続くはずもなく、明知は体を壊して入院した。
「近藤。
会社が悪いのかな。
それとも仕事が遅い俺が悪いのかな」
見舞いに行った俺の耳に、明知の言葉が重くこびりつく。
明知はそのまま病休に入り、二度と出社することはなかった。