悪癖持ち令嬢の呟き1
ごきげんよう。
私は王国一の港を持つ侯爵家を牛耳るイネスと申します。
夫の名前はフェリックス。
幸運という言葉を名前に持つのに、不幸に酔った生活を送る名ばかりの侯爵です。
「奥様、おはようございます。こちらをご確認いただけますか」
朝食の席にはフェリックスが座ることはありません。
フェリックスと私が名ばかりの夫婦というのは社交界で有名な事実です。
嫁いだ当初は、私に敵意を抱き、無礼の塊であった家臣達はすでに掌握しましたので、快適に過ごしています。
一歳年下のフェリックスは部屋に引きこもっています。
「坊ちゃんは……」
「心の傷が深いのでしょう。男女平等の文化のおかげで夫人にも当主と同じ権限が与えられるでしょう?どちらかが機能していれば問題ありません」
フェリックスの両親はうちの夜会に向かう途中に馬車の事故に遭い亡くなりました。
フェリックスは体調を崩し、休んでいたので馬車には乗っていませんでした。
当時フェリックスは成人していたので、継承の手続きには問題なかったのですが、かつての社交界の貴公子の心は脆すぎました。
「国王陛下は全面的に支援をするとおっしゃっている。フェリックスと交友があり、相応しいのはイネスだ。できるかい?」
「次期侯爵に相応しいと自慢げにお話しされていた亡き侯爵閣下が懐かしいですわ。侯爵夫妻が亡くなり、ショックで心の病に罹ったフェリックスを癒すことはできませんが、侯爵家として国益を損なわないようにすることはできます」
「十分だ。病で正常な判断ができない者に任せられない。イネスが力を発揮できるように力を尽くそう」
「ありがとうございます。お父様の期待に応えるように励みます」
侯爵家は気難しい外国との大きな取引の最中でした。
侯爵家は上位貴族としては珍しく一夫一妻制を貫き、養子は迎えず少数精鋭方針のため、一族の数が少なく、直系はフェリックスだけです。
貴族としては稀有なやり方でも、一族は優秀であり、外国との良好な関係を築き続けた歴史を持つ侯爵家の名は外交で使える手札の一つ。
侯爵家の優秀な嫡男の回復を待っていられるほど、現実は甘くありません。
亡き侯爵夫妻と嫡男の役割の代わりを担うために、選ばれたのが宰相の娘であり、次期宰相の候補として育てられた私、イネスです。
お父様は夫人を3人迎えているため、うちは兄妹も多く、長子ではなく優秀な者が後を継ぐように教育を受けていたので、候補の一人の私が抜けても困りません。
うちは半年間の試験結果と貢献度でお小遣いの額が決まりますので、働かざる者贅沢するべからずが家訓の一つです。
私は家族の中では平凡ですが、外交一族の侯爵家以上に多岐にわたる教育を受けていますので、能力の高さはフェリックスに負けないと自負しています。
いずれ政略のために嫁がされるとわかっていたので、急な訳ありの婚姻に驚くも断る選択肢はありませんでした。
「王子様にも高嶺の花と称えられていたお嬢様の結婚式がこんな……」
「喪中ですから。婚儀に時間を使うほどの余裕はなくてよ」
一部の嘆く声は笑顔で制し、王命のもと書類のみで婚姻を済ませ、夫婦になりました。
侯爵夫妻の喪に伏すという婚儀を行わない最適な理由もありました。
心の病に伏している侯爵としての体裁も保てない夫の隣で婚儀を行うという、辱めを受けずにすんだのはありがたいこと。もちろん口には出していませんわ。
侯爵不在のもと、婚姻手続きを終え、侯爵邸を訪ねると、かつての明るさの欠片もない暗い口調に、憎しみがこもった瞳を向けられました。
「僕は貴女と夫婦にならない」
「王命です。名前さえいただければ構いません。お気持ちが向かないなら、私が全て処理致しますので、お体に気をつけてくださいませ」
これが夫婦になったフェリックスとの最初の会話です。
部屋に引きこもるフェリックスを放置し、不満そうな侯爵家の家臣達にお父様と陛下が用意してくださった侯爵夫人としての権限を認める書類を見せ、侯爵夫人としての暮らしが始まりました。
「私の家臣は優秀ですから、比べることはしません。でも、働きに応じたお給料しかお支払いしませんので、大人ですから、考えて行動なさって。公爵家は護身術は採用試験に必須ですし、暗殺への対処も得意なので、安心なさって」
主の目がないからって、侯爵邸の掃除に手を抜いているのは一目瞭然です。
私のためだけに動く私の腹心達は、私の命令がなくても動き出しました。
私の権限で無礼な者は解雇にできましたが、そんなことはしませんよ。
私は警告しましたので、これからはお父様と国に求められる侯爵家の役割を果たすだけです。
幼稚な侯爵家の家臣達がうちの優秀な家臣達の実力に唖然とし、自らの無能に気づき、仕事を放棄しなくても、仕事がなくなり、支給金がもらえない現状に慌て出しても、プライドがあるので、引きこもっているフェリックスに助けを求めることはできません。
頭を下げる侯爵家の家臣達を寛大な態度で許し、仕事を与えるように命じて、侯爵家の家臣による無駄な足掻きは終わりました。
侯爵家の家臣の処遇より重要な侯爵家の執務も順調です。
「侯爵家の名だけで得られる信頼って便利ですわね。希少価値を武器に生き残ってきた侯爵家」
「お嬢様の美しさと計算高さが加わりましたからねぇ」
「お父様からの課題より、よっぽど簡単だったわ」
倒れた夫の代わりに、嫁いだばかりの華美でない黒いドレスを着た若き侯爵夫人が担うのは同情や憐れみを向けられます。
私はお母様譲りの華奢で清楚な外見なので、それらのものをありがたく受け取り、有利に進めます。
元公爵令嬢として、プライドは傷つかないのか?
利用できるものの全てを利用し、利を得るのが家訓ですから。
宰相の娘の公爵令嬢なら警戒されていましたが、今は侮られているので、さらに優位に物事が進みやすくなりましたわ。
結婚とは色んなものが変わると聞きますが、本当ですのね。
夫ではなく、愛人になりたいと口説かれることもありますが、お断りしています。
利になりませんから。
「お姉様は楽しそうね」
「人生楽しまないと損でしょう?」
私とは正反対な華やかな妹と取引の成功を祝いました。
うちは教育は厳しいですが、家族の仲は良好です。
断罪では連座が主流ですから、一族が生き残るためには争うより利用し合って、いい条件で生き残るほうがいいでしょう?
周囲から同情や憐れみの視線を受けても、実は順風満帆な侯爵夫人としての日々を過ごしていました。
侯爵家の取引先と、私個人として仲を深めることもありますが、侯爵夫人として必要なことはしていますから、許されるでしょ?
フェリックスが私の前に顔を出したのは、結婚して一年半が経った頃。
嫁いでから初めて執務室に入ってきたフェリックスは私の顔をじっと見ました。
「僕が行くから、君は休んで」
「ごきげんよう。かしこまりました」
赤い顔ですが、侯爵らしく身なりを整えたフェリックスに言われ、取引に必要な書類を渡しました。
難しい仕事ではありませんし、以前はフェリックスが担っていたことなので意欲があるなら、働いていただくことに異存はありません。
その後から食事の席にフェリックスが現れるようになり、執務もきちんとされるようになりました。
「イネス、ご苦労だった。どうだ?」
「ありがとうございます。立ち直られましたわ。潮時でしょう」
「時間は有限だ」
「かしこまりました」
お父様も私と同じ結論を出しました。
国に求められる侯爵家としての役割をフェリックスが果たせるようになったので、嫁いだ時からずっと用意してあった書類をフェリックスの机の上に置きました。
「これは、どういうことだ」
「夫婦生活のない白い結婚は離縁を認められています。私達の婚姻は侯爵家の役割を担うためですから、貴方がきちんと役目を果たすなら離縁も認められます」
「な!?最初から離縁前提で嫁いできたのか!?」
「はい。この婚姻に公爵家としての利はありませんから。それに、侯爵も望まない婚姻でしたから、続ける必要もないでしょう」
「僕も?」
「時間は有限です。サインをくだされば、全て私が処理します。離縁しても、うちは慰謝料も求めませんし、関係も変わりません。どうか陛下のお役に立つよう精進なさって」
夫の懐柔はお父様からの指示に入っていませんので、私の侯爵夫人はもともと期間限定の予定でした。
憎い女との離縁に喜び、固まるフェリックスからサインはもらえませんでした。
書類上でも憎い女の隣にサインをするのが嫌なんて、幼稚ですね。
一度お話し、行動していただけないなら、フェリックスの直筆のサインは諦めましょう。
侯爵家の血は残さないといけないので、お父様と陛下に離縁の手続きをしていただき、大事な時間の無駄を最小限に無事に離縁しました。
引っ越し準備は侯爵家の家臣達が賑やかだったそうですが、うちの優秀な家臣に任せ滞りなく終わりました。
最後に顔を合わせるのも嫌だろう元夫の心情を察し、手続きを終えた書類を机に置き、隠し通路から侯爵邸を後にしました。
もうこの通路を使うことはないでしょう。




