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白い雪は、すべてを優しく覆い隠してくれる。

私の罪も、みじめさも、そして間もなく消えゆくこの命さえも…。


冷たい…。

感覚を失った指先は、もう自分の物かどうかもわからない。

没落という坂道を転がり落ちるようにして、私はすべてを失った。ドレスも、誇りも、温かい食事をくれる家族も。最後にすがった教会の重い扉は、貧しさに汚れた私を見て、無情にも目の前で閉ざされてしまった。


ああ…私はここで、誰にも知られずに死んでいくんだわ…。


凍てつく裏路地、雪のベッドに横たわりながら私は静かに瞳を閉じようとした。

その時、ざり、と雪を踏みしめる重い足音が聞こえた。

見上げると、そこには一人の男性が立っていた。ひどくふぶいていて男性の顔はよく見えない。けれど、彼が私にそっと差し伸べた「手」だけは、驚くほどに鮮明に脳裏に焼き付いた。


骨ばっていて、とても大きな手。

そしてその指裏には__夜の海を切り取ったかのような、深い、深い青色を下魔石の指輪がはめられていた。


「……おいで…。」


低くひび割れた声。けれど、凍えた細胞にしみわたるほど温かな声だった。私は、その大きな手を握ろうと、必死に感覚のない右手を伸ばした。

あと、数センチ。

あと少しで、そのぬくもりに触れられる。

そう思った瞬間、私の視界は、プツリ…!と真っ暗な闇に落ちた。



「__様。アリアお嬢様、お嬢様起きてくださいまし。朝でございますよ。」


柔らかな光と小鳥のさえずり。そして私を呼ぶ優しい声。しかし、私は先ほどの息が詰まるような死の恐怖の中で勢いよく飛び跳ねた。


「はぁ、はぁ、ッ…!」

「あら?お寝坊さんなのはいつもの事ですけど、そんなに慌ててどうなさったのですか?」


呆れたように笑っているのは、見覚えのある顔だった。私の侍女だったマーサ。でも、彼女は私が18歳の冬に、仕事を辞めて田舎へ帰ったはずだ。

違和感を感じておもむろに自分の両手を見る。記憶にあるあかぎれでひび割れ、汚れ切っていたはずの指先は驚くほど白く、滑らかだった。そのまま、辺りを見回す。ここは、冷たい裏路地じゃない。私がかつて愛したシルフィード子爵家の…私の部屋だ。


「…マーサ…今、何年…何月かしら?」

「まぁ、寝ぼけていらっしゃるの?今日は聖王歴451年の5月10日ですよ。」


5月10日。

私が21歳で飢え死にする、ちょうど3年前の春。


私…戻ったの?…戻って来たんだわ!!


神様がくれた奇跡に、心臓が早鐘を打つ。理由は分からないけれど、戻って来た!まだ、何も失っていない。家が借金を背負うのも、両親が倒れるのも、すべてはこれから起こる事。今から動けば、絶対に破滅の未来を変えられる!


大きな決意に胸をギュっと握り絞めた時、私の頭の中にあの雪の日の記憶が鮮明によみがえった。


最後に差し伸べられた、あの大きな手。

闇に溶ける間際に見た、深い青色に輝く魔石の指輪。


あの人は誰だったのだろう。

天涯孤独となり、誰も私に見向きもしなかったあの狂った世界で、ただ一人、私を人間として見つめ、救おうとしてくれた人。

触れることも、お礼を言うこともできなかったけれど、あの時の手のぬくもりだけが、私の冷え切った魂を救ってくれたのは間違いなかった。


「待っていて…。」


私は、白く美しい自分の手を見つめ、そっと誓った。

今度は私があなたを見つける。

あなたが私に手を伸ばしてくれたように、今度は私が、私のもてるすべてを使って、あなたに恩返しをするわ!


ここから、運命を変えるための、私の新しい人生が始まった。



タイムリープをしてから数か月。

私は前世の記憶を頼りに、実家の帳簿を整理し、悪質な投資話を未然に防ぐことで、まずは我が家の「没落の未来」を少しずつ書き換え始めていた。


けれど、私の心はいつもあの雪の日に置き去りにされたままだった。あの大粒の青い魔石の指輪の主__私の命の恩人をどうしても見つけることができずにいたのだ。


「情報ギルドにでも頼もうかしら?」


ぽつりと誰もいない部屋に声が響く。情報ギルドに頼めば、何かしらの手掛かりが得られるかもしれないが、今の我が家の財政では高額な費用を払うことは難しい。やっと、悪質な投資の話を避けて資産を形成し始めたのに、私が使いこんでしまっては元も子もない。

はぁ…。

大きなため息が窓ガラスを曇らせる。青々としていた葉は黄色に色好きはじめ、もうすぐ夏が終わろうとしていた。


「お嬢様!そろそろお支度をしませんと、間に合いませんよ。」


窓辺で静かに恩人に想いを馳せてると、マーサを先頭に数人の侍女たちが入室してくる。今夜は王宮で国王主催の大夜会が開催される。その為、爵位を持つ貴族は全員参加を言いつけられていた。


「はいはい…。あんまり派手にしないでもらいのだけれど。」

「何をおっしゃいます!お嬢様の魅力を最大限に表現して、今夜の夜会でいいお婿さん候補を見つけないといけません。」

「うげぇ…。まだ、結婚なんて考えてないってば。」

「また、そんな事を言って!もうお嬢様は17歳ですよ?結婚適齢期なのに婚約者もいないとは…なんて嘆かわしい!そのままではすぐに行き遅れと呼ばれるようになってしまいます!」

「…別に、それでもいいけど。」

「ダメです!私の可愛いお嬢様にそのような不名誉は許せません。このマーサ、今夜は王妃陛下もかすむほどの美女にお嬢様を変えて見せましょう!!」


鬼気迫る様子のマーサと侍女たちに思わず逃げ腰になるが、すぐさま浴室へと連行されて、気が付いた時には仕立て上がったばかりの美しいドレスと輝く宝石を身にまとい、王宮のフロアに立っていた。

きらびやかなシャンデリアの光と着飾った貴族たちの笑い声に酔いそうになりながら、そそくさと会場の隅へ移動する。ドレスは重いし、慣れないヒールで足が痛い。どこかに座れるところはないかと周囲を見回したその時、フッと周囲の空気が凍り付くのがわかった。


「おい、見ろよ…『死神公爵』だ。」

「まぁ、不吉な。よくもまぁ、あんなお姿で夜会に出てこられたものだわ。」

「どうせ、あの忌まわしい呪いでじきに死ぬのだろう?近づかない方が身のためだ。」


ヒソヒソと交わされるとげのある冷笑と蔑みの言葉。貴族たちが波が引くように避けたその中心に彼はいた。

豪奢な車いすに腰を下ろし、深い漆黒の礼服を纏った青年。向けられる悪意を全て無視するように彼は長いまつげを伏せ、ただ静かに心を閉ざしていた。

私は、その姿を息をのむほどに美しいと思った。触れれば壊れてしまいそうなほど白い肌に切れ上がった涼やかな目元。けれど、その頬は痛々しいほどに痩せこけ、放たれる雰囲気は社会的にも肉体的にも、まさに「瀕死」と言っていいほど衰弱しきっていた。

その時、彼が車いすのひじ掛けに置いた右腕がズルッと落ちる。その右手を見た瞬間、私は思わず声を上げた。


「あっ…!」


心臓が大きく跳ねあがる。

細く、けれど骨ばった大きな手。そして、その薬指には__夜を切り取ったかのような深い青色の魔石の指輪が、鈍い光を放っていた。


「あの…人…!」


間違いない!

大雪の路地裏で、凍えた私に「おいで」と手を差し伸べてくれた、あの人だ!

私の世界で唯一温かかった、あの手…。

でも、彼はいったい…?


「アスラン公爵閣下じゃないか。」


近くに居たお父様がぽそりと言った。その言葉に私はすぐにお父様に振り返る。


「お父様、あのお方をご存知なのですか?」

「ご存知も何も、アリアは知らないのか?ギルバート・フォン・アスラン公爵。この国で圧倒的な魔力を持つ立派なお方だ。」

「でも、どこか具合が悪そうですが…。」

「ああ。閣下の持つ魔力が大きすぎるせいで、数か月前に魔力暴走を起こしてしまったらしい。その際に何人か死傷者を出したようでね。そのせいでお心を病んでしまい、ここ数年は屋敷に引きこもっていらっしゃるようだよ。」


…うら若き公爵。確かに名前は聞いたことがある。

でも、何かがおかしい。

回帰前の私の記憶の中の彼は、もっと超然としていて…世界のすべてをあきらめたような、けれど確固たる強さを持っていたはずだ。魔導騎士として輝かしい戦績と公爵としての政治手腕も高く評価されていたはずなのに。今目の前にいる彼は、親族らしき男たちに冷ややかな目で見下ろされ、今にも消えてしまいそうなほど孤独で、無防備だった。

気が付けば私は彼を凝視していた。

彼は今、確かに生きている。けれど、彼の後ろに控える親族らしき男女は、車いすの彼をいたわるどころが、まるで「早く死ねばいい」とでもいうような冷ややかな目を彼に向けていた。


あんなに優しい手を持ったひとが、なぜ「死神」と呼ばれ、あのような扱いを受けなければいけないのだろうか。それに、彼の衰弱ぶりは、本当にただの呪いなのだろうか…?周囲の人間たちのあの歪んだ笑顔も気になるわ。


確かなことは、何もわからない。

けれど、胸の奥からやっと出会えた恩人への張り裂けそうなほどの愛おしさと憤りが湧き上がって来た。

あの冬の日、彼は見ず知らずの私にを見つけ、手を伸ばしてくれた。

そんな彼がこのまま、あんな扱いを受け続けるなんて、私は絶対に…認めない!


今度は、私があなたを救う!


ドレスの裾を握り締め、私は前を向いた。彼がどうしてあんな視線を向けられるのか、どうしてあのような身体の状況なのか。その原因をこれから突き止めてやるわ!

彼をむしばむものが何であろうと、私が全部払いのけて見せる。

あの大きな手を、今度こそ掴んで見せる。


「待っていて、私の恩人…。」


私は彼を救い、恩を返すために___「公爵の婚約者(仮)」として公爵へ自ら飛び込むことを決意したのだった。



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