第1話:RTA走者は壁を抜け、暗殺者は常識を失う
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「……よし。前回の記録は2時間15分30秒。魔王城の壁抜けで2フレーム遅れたのが敗因だ」
薄暗い部屋の中、俺はカフェイン強めのエナジードリンクを一気に飲み干し、手元のストップウォッチをリセットした。
視線の先にあるのは、年季の入ったフルダイブ型VRゴーグル。そして今日挑むのは、世界中で「歴史に残るバグゲー」としてクソゲー・オブ・ザ・イヤーを総なめにした超大作ファンタジーVRRPG『クロニクル・オブ・クリエイター』だ。
普通のプレイヤーは、このゲームの美しいグラフィックや重厚なストーリーを楽しむらしい。だが、俺たちRTA走者にとって、そんなものはただの「スキップできない遅延行為」でしかない。
世界を救う? 魔王を倒す?
違う。俺の目的はただ一つ。前回叩き出した俺自身の世界記録(自己ベスト)を、1秒でも更新することだ。
「今日の目標は2時間10分切り。いくぞ……タイマースタート!」
視界が閃光に包まれ、電子の海へとダイブする。
目を開けると、そこは荘厳な大教会のスタート地点だった。ステンドグラスから差し込む光の中、チュートリアルを案内してくれる美しい女神のホログラムがふわりと浮かび上がる。
『よくぞ参られました、異界の勇者よ。世界は今、大いなる闇に包まれようと——』
「はいはい、スキップスキップ。あーもう、このオープニング10秒も拘束されるのかよ。アプデで飛ばせるようにしろっての」
俺は女神のありがたい言葉を完全に無視してメニュー画面を連打し、インベントリを開いた。
そして、初期装備である伝説の『聖なる剣』を無造作に石畳の床へ投げ捨てる。あんなものは振りが遅いだけで、タイムアタックの邪魔だ。
代わりにインベントリから取り出したのは、チュートリアル前の村でパクってきた「鉄のフライパン」である。
俺はそれを装備スロットではなく「空間オブジェクト」として設定し、自分の頭の真上にドロップした。
ガコンッ。
鈍い音と共に、俺の視界の上半分が真っ黒な鉄板で覆われる。
はたから見れば、頭にフライパンを乗せて直立する完全にヤバい不審者だ。だが、これでいい。
「よし、『無頭の構え』完了」
このゲームのポンコツ物理エンジンは、頭上に特定のオブジェクトを乗せると処理が追いつかなくなり、プレイヤーの『頭部の当たり判定』が完全に消滅するという致命的なバグがある。
これで敵の即死級ヘッドショットはすべて無効化できる。RTAにおける必須テクニックだ。
「次は街からの脱出だが……正規ルートの扉から出るのは遅すぎる」
俺は教会の出口には目もくれず、女神像の裏側——テクスチャの繋ぎ目が甘い石柱の角に向かって、フライパンを被ったまま「後ろ向き」で張り付いた。
そして、左斜め下45.2度の角度をミリ単位で維持しながら、超高速で屈伸とカニ歩きを繰り返す。
ガガガガガガガガッ!!!
視界が激しく上下に揺れ、空間のグラフィックが乱れ始める。
物理エンジンが「プレイヤーが壁にめり込んでいる」という異常事態に悲鳴を上げ、主人公の体を無理やり押し出そうとする。その反発力を利用した、通称『壁抜け(クリッピング)』だ。
「よし、抜ける……!」
ズバァァァン!!
次の瞬間、俺の体は教会の分厚い壁をすり抜け、凄まじい速度で弾き飛ばされた。
本来ならゲーム開始後、お使いクエストをこなして30時間は経たないと到達できない中盤の難所、『暗黒の森』の奥深くへと、座標ごとカッ飛んでいく。
さあ、今日も楽しいバグまみれのAny%(何でもあり)クリアの始まりだ。
まさかこの時、俺が遊んでいるこのゲームが『現実の異世界の法則を管理するシステムそのもの』であり、俺の奇行が異世界の理を根底からぶっ壊しているなんて、1フレームたりとも想像していなかった。
◆ ◆ ◆
——同時刻。異世界『暗黒の森』深部。
「……標的の姿は、まだ見えない」
樹齢数百年を超える巨木の上で、暗殺者シルフィアは息を殺していた。
裏社会で『不可視の死神』と恐れられる彼女は、今宵も完璧な仕事を遂行するはずだった。
ターゲットは、この森を通るとされる王国軍の要人。彼女の放つ『絶対必中の魔刃』から逃れられた者は、この世界に一人として存在しない。
(風の音、葉の揺らぎ……すべてが私の支配下にある。いつ来てもいい)
シルフィアが短剣に呪力を込めた、その時だった。
「——!?」
突如、彼女の眼下にある巨大な岩壁が、水面のようにグニャリと歪んだ。
空間そのものが悲鳴を上げているような、耳障りで不快なノイズ。世界を構成するマナが、あり得ない形に捻じ曲げられている。
(空間転移の魔法!? ばかな、この森には強力な結界が……)
警戒を最大まで引き上げたシルフィアの目に飛び込んできたのは、想像を絶する光景だった。
分厚い絶対不可侵の岩壁の中から、一人の男が「後ろ向きの屈伸姿勢」で、凄まじい速度で飛び出してきたのだ。
ズザザザザッ!! と土煙を上げて着地した男は、そのままピタリと静止した。
「な……んだ、あれは……?」
シルフィアは戦慄した。
男の頭には、なぜぜか『黒き鉄の円盤』が乗っている。
兜でもなく、魔法の帽子でもない。日用品のナベだ。
(わざわざあのような滑稽な物を被っている……いや、違う。あれは偽装だ。私の魔眼を通してすら底が見えないほどの、高密度な防御結界の塊……!)
シルフィアの背筋に、今まで感じたことのない冷たい汗が伝う。
空間を無理やり破って現れたあの男は、間違いなく規格外の化け物だ。要人暗殺などと言っている場合ではない。ここで排除しなければ、世界が危ない。
「……死ねっ!!」
シルフィアは一切の躊躇なく、樹上から音もなく飛び降りた。
標的は奇妙な男の『脳天』。
彼女の必殺技である『脳天突き』は、対象の頭部を概念的に貫通する不可避の一撃である。
鋭い刃が、一直線に男の頭——いや、頭に乗ったフライパンへと吸い込まれる。
(もらった……!)
確信した瞬間。
チリンッ、と。気の抜けるような軽い音が響いた。
「——え?」
シルフィアの瞳孔が限界まで見開かれる。
彼女の放った必殺の短剣は、フライパンを、そして男の頭を『まるでそこに何も存在しないかのように』完全にすり抜けてしまったのだ。
手応えはゼロ。幻影を切ったかのような虚無感。
男は暗殺者の凶刃が文字通り頭を通り抜けたというのに、一切動揺することなく、ただ空を見上げて独り言のように呟いた。
「お、このフライパン、ちゃんと当たり判定消えてるな。検証ヨシ」
「な……っ!?」
シルフィアは着地と同時に大きく距離を取り、恐怖に顔を歪めた。
(ば、馬鹿な……! 私の『絶対必中の魔刃』が、ただの鉄ナベを通り抜けた!? いや、それだけじゃない……刃が触れた瞬間、彼の『頭部』という概念そのものが世界から消失していた!)
彼は私を嘲笑うためだけに、神聖なる絶対防御結界をあえて日用品の形に偽装して見せたというのか。
なんという傲慢。なんという底知れぬ魔力。
「……ひっ」
生まれて初めて、暗殺者であるシルフィアの喉から悲鳴が漏れた。
逃げなければ。あれは人間が立ち向かっていい存在ではない。
しかし、シルフィアが後退しようとした瞬間、男がクルリと振り返り、彼女を真っ直ぐに見据えた。
鉄ナベの下から覗く目は、一切の感情がない、氷のように冷酷な瞳だった。
「お、なんだこのNPC。こんな序盤の森にイベントキャラいたっけ?」
男が何か意味不明な単語を呟いたかと思うと、一瞬でシルフィアの目の前に距離を詰め、彼女の細い腕をガシッと掴んだ。
「ひぃっ!? や、やめっ……!」
「ステータス確認……お、こいつ近くにいるだけで『パーティの移動速度5%アップ』のパッシブスキル持ってんじゃん! 最高! タイム縮めるのに必須の装備品だわ。絶対離さねえ」
装備品。
その単語の意味を理解した瞬間、シルフィアの心は完全にへし折られた。
この恐るべき魔神にとって、最強の暗殺者である自分すら、ただ己を飾る『アクセサリー』程度の価値しかないのだと。
「よし、乱数調整も完璧。次行くぞ、NPC」
「えっ? ちょ、まっ……きゃあああああああっ!?」
男はシルフィアの腕を掴んだまま、なぜか進行方向とは逆を向き、背中から跳躍を開始した。
物理法則を完全に無視した猛烈な加速。景色が弾け飛ぶような爆発的な速度で、二人は暗黒の森を後ろ向きにカッ飛んでいく。
(う、後ろ向きで飛んでる!? なんなのこの速さは!? まさか、私を未知の追手から守るために、あえて死角を作らない究極の走法をしているというの……!?)
圧倒的な力の前に、シルフィアの常識は瞬く間に崩壊していく。
これが、のちに世界を統べる神すらも理不尽に爆散させる『Any%走者』と、彼を熱狂的に崇拝することになる暗殺者の、最悪で最高の邂逅であった。
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