Episode18.5 はじめてのおつかい
魔力を持たないはずのトレニアが、どうやってこの学園に辿り着いたのか。
それは数時間前に遡る――。
森の奥、カルミアの自宅。
太陽がうっすらと差し込む室内で、トレニアはテーブルに肘をつき、口を尖らせていた。
「あーあ……ご主人様がいないと、今日も退屈で死にそうです」
誰に向けるでもなく零れた愚痴。つい最近まで賑やかだったはずの部屋は、一人減っただけでも妙に広く感じられ、風の音だけが静かに通り抜けていく。
「暇すぎて、掃除も手につきません」
普段なら落ち着きのないトレニアが、珍しく椅子から立ち上がらない。トレニアが不貞腐れていると、耳元で鈴の様な音が聞こえた。
「うんうん、その気持ち分かるよー」
同時に軽い調子の声が、すぐそばから返ってきた。
「愉しみがないと、なーんにもやる気、起きないよねっ」
「そうなんですよー……って、あなた誰ですか!?」
気づけば、部屋の中央に見知らぬ少女が立っていた。
「不審者ですか……いったい、いつから……」
扉が開いた音も、足音もない。だが、そこに立つ姿は不自然なほど馴染んでいる。無遠慮で、どこか人懐っこい笑顔。まるで最初から、この家にいたかのような自然さだった。
「ヒバナはヒバナだよー……それよりさ。メイドちゃんも、学園に行きたい感じかなー?」
ヒバナは淡々と話を進める。
「……どちらかと言えば、ご主人様と一緒にいたい、ですね」
迷いも、照れもない正直で真っすぐな、即答だった。
その言葉を聞いた瞬間、ヒバナの表情が「ぱっ」と明るくなる。まるで、その返事を待っていたかの様だった。
「だったらさ。その願い――ヒバナが叶えてあげよっか?」
「……本当ですか。ご主人様に会えるんですか!?」
トレニアの目が、その期待に「キラリ」と輝いた。疑うという選択肢は、最初から存在していない。ご主人様に会えるのなら、なんでもよかった。
「任せてよー!」
ヒバナは肩に掛けたカバンを漁り、何かを取り出す。布擦れの音の後、掌に乗ったのは小さな魔石だった。それを掲げると、再び軽い調子に口調を変えた。
「テッテレー。てーんーいーまーせーきー(転移魔石)!」
淡く輝く石の内部には、細かな紋様が幾重にも刻まれている。ただの装飾ではない。魔術に詳しくなくとも、それが特別である事は一目で分かった。
「これはね、転移先の座標が刻まれた特別製の魔石なの。魔力を持たない人でも、その場所になら一瞬で移動できちゃう優れものなのー!」
「なんと……便利な時代になりましたねー」
素直な感想に、ヒバナは満足げに頷く。
「でしょ、でしょ! 馬車での移動なんて、もう古いの。魔法で空を飛ぶ? でもそれって、一般的じゃないでしょ? もっと手っ取り早く、簡単に、楽に移動がしたい! そんな願いを叶えてくれるのが、この魔石ちゃんなのっ!」
ヒバナはトレニアに魔石を渡し、笑顔で答えた。
「ところで……どうやって使うのですか?」
「そ、ん、な、の、簡単だよ。砕くだけ」
「なるほど……」
トレニアは魔石をじっと見つめる。掌に伝わる、ひんやりとした感触。その背後で、ヒバナが「ちなみに――」と何かを説明しようと背を向けた、その瞬間。
「えいっ」
――パキンッ。
軽い音と同時に、床へ魔法陣が走った。幾何学模様が淡く発光し、空気が一瞬だけ歪む。
「ちょ、ちょっと!? それ片道しか使えな――」
しかし、ヒバナの声は最後まで届かなかった。眩い光が弾け、視界が白に染まる。光が収まった後、そこにトレニアの姿はなかった。
ヒバナは「ぽかん」と口を開け、一言ぼやいた。
「……もう、行っちゃった?」
――転移後。視界が白く弾け、次の瞬間。
「おー……本当に一瞬ですね!」
足裏に伝わる感触が変わった。木の床でも、土の地面でもない。硬く整えられた石畳の冷たさ。
顔を上げたトレニアの目の前には、聳え立つ巨大な校門があった。黒鉄で組まれた門扉には精巧な装飾が施されている。
「この門の先が学園でしょうか? だとしたら、ご主人様は目前! 早速入ってみましょう」
だが、門は固く閉ざされていた。辺りに人影はなく、不自然なほど静かだった。
「えーっと……誰かいませんかー? 門を開けて欲しいのですがー」
声を上げ、問いかけるが返答は返ってこない。首を傾げ、少し考える。するとトレニアは、何を思い立ったのか、門に沿って外周を歩き一周する。塀の高さは校門と同じく統一されている。他に入口らしき場所は無し。トレニア再び「うーん」と首を傾げ、少し考える。
今度は何かを閃いたのか「ぱあ」と表情が明るくなる。
「ジャンプして、飛び越えましょう!」
トレニアは軽く屈伸し、両腕を振る――次の瞬間。
地を蹴った音すら小さく、トレニアの身体は宙を舞った。高さ数メートルはある校門を、まるで段差を越えるかのように軽々と飛び越え、内側へ着地する。
「よしっ」
何事もなかったかのように、服の裾を払う。
「さて……ご主人様はどちらでしょうか」
周囲を見回した、その時。違和感に足が止まる。
学園の中には、あちらこちらと魔獣がうろついていた。その様子に眉をひそめる思考を巡らせる。
「学園って……魔獣を飼育する場所でしたっけ?」
以前、ロベリアに学園とはどういった場所なのか。その様な会話をしていた。会話の中には動物を飼育していると、聞いた覚えはあるが、魔獣に関しては何も聞いていない。
トレニアが、まじまじと様子を伺っていると、物陰から一匹の魔獣が咆哮を上げ、トレニアへと突進してきた。
「――グァアアッ!!」
気づいた時には、すでに間合いに入っていた。
だが、トレニアは慌てない。半歩、体を捻り、ごく自然な動作で蹴りを放った。それは魔獣の胴体を正確に捉えた。
鈍く重い衝撃音が響き、魔獣の巨体は宙を舞う。
獣の悲鳴が空気を引き裂き、そのまま二階部分の校舎へと叩きつけられた。
――ガシャァンッ!!
窓ガラスが派手に砕け散り、木枠が軋み、魔獣の身体は室内へと突き抜けていく。静まり返っていた学園に、衝突音が響いた。
少し遅れて、トレニアが声を上げる。
「あ、あわわわ……壊してしまいました……!」
割れた窓を見上げ、申し訳なさそうに両手を胸元で合わせる。「弁償はデルフィニウム様がしますっ」と言わんばかりに。
「魔獣も中に入ってしまいましたし……とりあえず、様子を確認しましょう」
一拍置いて、気を取り直したように頷く。
トレニアは軽く膝を曲げ、跳ねるように地を蹴った。壁を掴むこともなく、砕けた窓枠を越えて、二階の室内へと、またもや難なく侵入する。
教室の中は荒れていた。倒れた机、散乱した椅子、床には砕けたガラス片。
その中央では、先ほどの魔獣は完全に伸びきり、ぴくりとも動かない。
「ふう……どうやら被害は最小限に収まったみたいで、何よりです」
胸を撫で下ろすように息を吐き、額に落ちかかっていた前髪を、そっと指で払った。
「……ここに、ご主人様の姿は無いですね。他の部屋にいるのでしょうか?」
トレニアはドアを開け、廊下へ一歩踏み出し周囲に目を向けた、その瞬間。視界の数メートル先に、見覚えのある人物の姿が映り込んだ。その顔を認識した途端、思わず声が漏れる。
「ああっ!」
高身長で細身の身体。金色で腰程まで伸びた長髪。紅い瞳。それらの特徴だけで誰か分かってしまう。
「デルフィニウム様じゃないですか!?」
――こうして、トレニアはロベリアと合流し、後の展開へと発展したのだった。




