Episode17 未来の過ち
「――っ!」
カルミアは大きく息を吸い、現実へと引き戻された。
膝をついたまま、物陰で片手をついている。目の前には、先ほど描き上げた魔法陣が変わらぬ光を放っていた。
「今のは……」
すぐさま周囲の状況を確認する。発動前の魔法陣、舞う砂埃、風に飛ばされた一枚の葉も、カルミアの目の前をゆっくりと横切ったばかりだった。
カルミアは震える指先を見つめる。
記憶の中では、街を歩き、男と言葉を交わし、実態をこの目で見て、状況を考えるだけの時間が十分にあった。
それなのに、現実では――。
「ほんの、一瞬……?」
まるで瞬きをしただけだった。いや、それよりも短かったのかもしれない。
驚いている暇はない。この状況を変える最善の答えを見つけ出した。
カルミアは魔法陣を消し、物陰から一歩前に踏み出し、男に声をかける。
「聞いてください!」
手は震え、それは言葉にも連動する。
「私たちは、あなたから何も奪うつもりはありません。それに――私は貴族でもない、ただの落ちこぼれです」
「……土弾」
男の放つ魔法がカルミアの足元に着弾する。しかし、カルミアは引くことなく一歩、また一歩と、男の元へと距離を縮める。
「私、あなたの記憶を体験して確信したんです」
男の攻撃は止まる事は無い。だが、攻撃は一度もカルミアに当たる事は無かった。
「誰かを傷つける事はしないって」
その言葉に男は激しく同様した。
「違う! 僕は……人を、憎しみの感情だけで……傷つけ――」
「間違いです!」
「っ!?」
「私は近くで体験したから、真実が分かります。あの時……魔法は中断された」
◇ ◇ ◇
――ネフェルへ放った魔法は、護衛兵が前に出るよりも先に、砕け散った。
誰かを傷つけること、ましてや復讐のためになど、彼の心はそれを許さなかった。
「……僕はあなたとは違う。自分のエゴで他人を傷つけはしない!」
この行為は罪に問われる。けれど、これで良かったんだ。僕は誰も傷つける事は――。
――グサッ。
何かを貫く鈍い音と同時に、彼の額に生温かい液体が付着した。
目の前の伯爵を庇う護衛兵が、別の兵士によって、刃で胸を貫かれていた。そして、ゆっくりと胸元から赤い液体が広がる。
その兵士は無言のまま剣を引き抜いた。そして、ネフェルは言った。
「貴様が放った魔法は、護衛兵を殺した」
違う、何を言っているんだ。
「筋書きは完璧。貴様、反逆罪だ」
「違う。違う違う違う! 何をしているんだ! 早く、早く手当てをしないと!」
アコネルが横で倒れる兵士の傷を手当しようと身体を動かしたとき、他の兵士によって強く地面に叩きつけられた。
「離せ! まだ、まだ助かる可能性があるんだ! お前らは仲間を見殺しにするのか!?」
しかし兵士は何も答えない。
「こんなの……間違っている!」
◇ ◇ ◇
「だからもう、攻撃をやめてください」
「僕は……誰も……?」
「戻って来てください! そして自分から……全てを話、未来の過ちを償ってください」
「違う、違う違う。違う!」
男は混乱し明らかに取り乱している様子だった。
葛藤の中、気が付けばカルミアとの距離は、手が届く所まで縮まっていた。
「アコネルさん。私は――あなたを信じています」
「――っ」
その言葉に、アコネルの視界が滲み、瞬きをすると、あの頃の記憶が蘇ってくる。
――――
「毛虫くらいで驚くなんて、あなたって本当に臆病なのね」
「ごめん、頼りないよね……」
暖かい風が彼女の長い髪をなびかせていた。
「そんなことないわよ?」
彼女から握られた手の温もりは、今でも忘れない。
「あなたは、誰よりも私たちを心配してくれる優しい人。幸せにしてくれる相手だって、信じてるものっ」
――――
アコネルの額からは、一粒の雫が流れ、全身の力が抜けた様に、膝から崩れ落ちた。
同時に、トレニアを縛っていたツタが力を失い、解放される。すると、すぐさまカルミアの元へと歩み寄った。
「ご主人様!」
「大丈夫だよ。アコネルさんも、正気を取り戻したみたいだから」
カルミアの視線は、台座の中央にある魔石へと向けられた。
「魔石から溢れる魔力を、過剰に浴びたせいで、魔力瘴気を発症したんだ。負の感情に支配されて暴走してると思って……なんというか、心を落ち着かせたって感じっ」
「よく分かりませんが、ご主人様が無事なら良かったです!」
トレニアは満面の笑みで頷く。
「ところで、こいつはどうしましょう?」
アコネルは極度の精神的なダメージで、意識を失っていた。カルミアが頭を悩ませていると、丁度いいタイミングで声がかかる。
「彼の身柄は、こちらで預かろう」
振り返ると、ロベリアが立っていた。
「ロベリアさん!」
「こっちは片付いた。残りの始末は助っ人を呼んであるから、心配はするな」
「助っ人……ですか?」
カルミアは首を傾げる。
「てか、あの石はどうします? なんなら私、壊しちゃいますよ!」
「待てっ! それに近づくな――」
ロベリアが静止する間もなく、トレニアが魔石に近づこうとした、刹那。魔石は突然として不自然な割れ方をし砕け散った。その周囲には、濁った魔力が霧のように溢れ出し、空気に溶けて消える。重苦しかった場の魔力が、ゆっくりと晴れていく。
ロベリアが一瞬、視線を屋上へ向けるが、そこにはもう誰の姿もない。
「……」
――その頃、学園内では。
暴れていたはずの魔獣たちが、不自然なほど静まり返っていた。
「すっげぇ……なんだよ、あの人」
「信じられない……魔獣が、全部……」
魔獣の群れの中心。そこに、ひときわ目立つ男が立っている。
身軽な軽装に、帽子を被っていた。
彼の周囲では、凶暴だった魔獣たちが、まるで躾けられた犬のように伏せている。男は魔獣の毛並みを優しく触り、話しかけている。
「ええ子やねぇ。もうすぐ終わるから、おとなしくしとき」
魔獣もまんざらでもない様子。
「それにしても……ロベリアさんは、ほんま人使い荒いわ」
気の抜けた口調とは裏腹に、漂う魔力は異様なまでに深い。彼の名は――大罪の魔女No.6。怠惰の魔女、フィグ・トレイリング。
学園を覆っていた騒乱は、ゆっくりと収束へ向かっていた。




