Episode16 権力の戯れ
男の名は、アコネル・ヴェラトルム。学園で魔法を教える、気の弱い教師だった。
授業は丁寧で、相談事にも真剣に向き合う。生徒からの信頼は厚い――が、その臆病な性格ゆえに、からかわれることもしばしばあった。
「あっ先生、背中に毛虫付いてる」
「ひぃっ!? と、とってぇぇぇ!」
「ひっひっひ! わりぃ先生、嘘だよっ!」
教室に笑いが起きる。
「……グレーターくん。課題を倍にするので、放課後は教室に残りなさい」
「げっ、マジかよ!」
笑い声は絶えない賑やかなクラスだった。ムードメーカー的な存在の彼は、悪意のある行動ではなく、親しみから来る戯れだった。
――放課後。グレーターとアコネルはマンツーマンで追加の課題を受けていた。
「ところでさ、先生」
「どうしましたか?」
グレーターは机に頬杖をつき、にやりと笑う。
「母ちゃんとは、うまくいってる?」
「ッ!?」
耳まで真っ赤になるアコネル。相変わらず顔に出る男。
「お、大人をからかうものではありません!」
「わりぃわりぃ」
ニヤリと笑う表情は、彼女と全く同じものだった。
彼は、スノウ・ペリウィンクルと言う女性と交際をしている。彼女は街の小さなパン屋の店主。初めて店に入った日、彼女の笑顔に一目惚れしたのがきっかけだ。
何度か会話を重ねるうちに、彼女には息子がいると知った。そして、かつての婚約者に捨てられ、祖母と二人三脚で店を守ってきたという。それでも彼女は、いつも笑っていた。
だから――守りたいと思った。
「先生」
「……なんでしょう」
「俺さ、二人には――幸せになってほしい」
「……」
「母ちゃん、先生の話するときだけ、めちゃくちゃ嬉しそうなんだ」
アコネルは、言葉を失う。
「俺は最初、男の話を鬱陶しく思ってた。けど、本当に心の底から笑って話す母ちゃんの笑顔は……初めて見た。そしたらなんか、案外悪くないなって思うようになって……だからさっ」
グレーターはまっすぐに言った。
「俺たちの父ちゃんになってよ、先生」
普段は見せない真剣な表情に、アコネルは決意を固めた。
「……分かりました。来週、改めてご挨拶に行きます」
「おう。男の約束だぞ、先生っ!」
「はいっ」
拳と拳を合わせ、約束を誓った。
――翌週。僕は約束を果たすため、彼女の家に向かっている途中で学園の生徒らしき子に遭遇した。
道の真ん中で立ちすくみ、困っていそうだったから声をかけたけど――。
「わ、私……帰ります!」
「えっ、帰るって今日は――休日なんだけど……」
話の途中で女の子は行ってしまった。
アコネルは再び、彼女の家に向かって歩き出した。数分後、彼女の家の前に着く。
胸ポケットには小さな指輪の箱を準備し、何度も確認をしてから呼吸を整える。「――よし」と勇気を固め、震える手で、扉を叩いた。
「こんにちわ。僕です、アコネルです」
だが、返事はない。もう一度、ノックをするが、やはり返事はなかった。三度目のノックをしたとき、背後から声がかかった。
「兄ちゃん、この家に用事かい?」
振り返ると、商人の男だった。
「ええ……実は、今日。婚約の挨拶に」
その言葉に男は、困ったように視線を逸らした。
「……それは、残念だったな」
「え?」
「昨日な……ここに来た時に居合わせたんだが。伯爵様が若い姉ちゃんと、その子どもを連れて行く様子を見ちまった」
「連れて……?」
「ああ、それも無理やりだ。子どもは必死に抵抗して、姉ちゃんを守ろうとしていた。もちろん、姉ちゃんの方も抵抗していたさ」
商人の話を、アコネルは信じたくなかった。しかし、商人の表情もまた、現実を認めざるをえない。
「悪い事は言わない。潔く諦め――」
商人の話の途中、気づけば僕は、その場から走っていた。
「兄ちゃん……! その先に待っているのは……権力の、戯れだけだ……」
街道を抜け、石畳を蹴り、息が焼ける。胸の中の指輪が、やけに重い。やがて、黒塗りの豪奢な馬車が視界に入った。
――間違いない、アレは伯爵の馬車だ。きっとあの中に……!
「止まれ!」
アコネルは、前に飛び出した。
馬が嘶き、兵士が怒号を上げる。
「どけ! 伯爵様のお通りだ!」
「……ネフェルを出せ! そこにいるんだろう!」
「貴様、伯爵様を呼び捨てに……! なんと無礼な奴、言葉を慎め!」
剣が抜かれ、槍が向けられる。
このまま何も出来ずに、先を行かれてしまうのか。その思った時だった、馬車の扉が開いた。
ゆったりと、降りてくる男。整えられた髪。仕立ての良い衣。一片の焦りもない顔。
「誰だね? 犬のように吠える愚か者は?」
この男が伯爵、ネフェル・エーヴェルハルト。十五年前に彼女を捨てた元婚約相手だ。
「ネフェル……なぜ今更、彼女の元に姿を現した!?」
「ああ……あの女の件か」
退屈そうに、笑う。
「そういえば、庶民の婚約者がいるとか、ほざいていたな」
「ああ、そうだ! 僕がその婚約者だ。彼女を返せ…… ボクが幸せにする――あの子とも約束をしたんだ!」
「はあ……残念だったな。その約束は、もう叶わん」
ネフェルは、口元を歪めた。
「どういう意味だ?」
一瞬の沈黙。そして、軽く言った。
「あの女が、ガキを妊娠したお陰で、俺は大変だった。誤解を解くのに時間が掛かったが、なんとか話を受け入れ、妻も怒りを抑えてくれた」
「――お前、何の話をしている……」
「あの時、女は俺に色目を使ってきた。顔つきと肉体、露出した肌が俺の興奮を高めた。だから俺はあの日、性欲を満たしたんだ」
ネフェルは淡々と話を続けた。
「少し優しくしただけで、あの女は婚約の話を出して来た。俺は既婚者だ。使い終わった道具など、取っておく必要もないからな。性欲以外の情なんて一切わかなかった! はっはっは!」
「……彼女たちはどうした」
アコネルは怒りを抑えられくなった。
「あ? 家畜なんて邪魔なだけだからな――殺した」
その瞬間から、世界の音が消えた。
笑う、笑っている。なぜ、笑ていられる? 人の幸せを、人生を、未来を奪っておいて、なぜ笑っていられるんだ?
その怒りは、血が逆流するようだった。
「……お前ら貴族は」
拳が震える。
彼女の未来は……価値のないものだったのか?
「――全員、クズだ」
アコネルは怒りに任せ、ネフェル対象に地面へ手を付けた。
「土弾!」
伯爵を殺せば、僕は死刑を免れない。だけど、それでいい。君が居ない世界なんて……破滅すればいいんだ。
アコネルの放った魔法は、ネフェルに向かって一直線。だが一人の護衛兵が前に出る――次の瞬間、護衛兵の胸から血が噴き上がった。同時に護衛兵が膝から崩れ落ちる。
その向こうで、ネフェルは一歩も動いていない。
「……貴様、反逆罪だ!」
ネフェルの冷たい声と共に、アコネルに剣が振り下ろされ、地面に押さえつけられた。
指輪の箱が石畳に転がる。止まった先で蓋が開き、銀の輪が血に濡れた。
――その後、アコネルは行方不明として学園では処理された。
投獄されいる間は意外と苦痛では無かった。最大の苦痛は大切な人を奪われた事。それ以外は何も感じなかった。そんなある日の事だった。一人の男が僕を訪ねて来た。
「初めまして。私は君を救いに来ました」
「……僕を救いに? 君は誰なんだ」
「うーん、そうですね……まあ、白羊と呼んでください」




