Episode15 権力の戯れ
男の名は、アコネル・ヴェラトルム。学園で魔法を教える、気の弱い教師だった。
授業は丁寧で、相談事にも真剣に向き合う。生徒からの信頼は厚い――が、その臆病な性格ゆえに、からかわれることもしばしばあった。
「あっ先生、背中に毛虫付いてる」
「ひぃっ!? と、とってぇぇぇ!」
「ひっひっひ! わりぃ先生、嘘だよっ!」
教室に笑いが起きる。
「……グレーターくん。課題を倍にするので、放課後は教室に残りなさい」
「げっ、マジかよ!」
笑い声は絶えない賑やかなクラスだった。ムードメーカー的な存在の彼は、悪意のある行動ではなく、親しみから来る戯れだった。
――放課後。グレーターとアコネルはマンツーマンで追加の課題を受けていた。
「ところでさ、先生」
「どうしましたか?」
グレーターは机に頬杖をつき、にやりと笑う。
「母ちゃんとは、うまくいってる?」
「ッ!?」
耳まで真っ赤になるアコネル。相変わらず顔に出る男。
「お、大人をからかうものではありません!」
「わりぃわりぃ」
ニヤリと笑う表情は、彼女と全く同じものだった。
彼は、スノウ・ペリウィンクルと言う女性と交際をしている。彼女は街の小さなパン屋の店主。初めて店に入った日、彼女の笑顔に一目惚れしたのがきっかけだ。
何度か会話を重ねるうちに、彼女には息子がいると知った。そして、かつての婚約者に捨てられ、祖母と二人三脚で店を守ってきたという。それでも彼女は、いつも笑っていた。
だから――守りたいと思った。
「先生」
「……なんでしょう」
「俺さ、二人には――幸せになってほしい」
「……」
「母ちゃん、先生の話するときだけ、めちゃくちゃ嬉しそうなんだ」
アコネルは、言葉を失う。
「俺は最初、男の話を鬱陶しく思ってた。けど、本当に心の底から笑って話す母ちゃんの笑顔は……初めて見た。そしたらなんか、案外悪くないなって思うようになって……だからさっ」
グレーターはまっすぐに言った。
「俺たちの父ちゃんになってよ、先生」
普段は見せない真剣な表情に、アコネルは決意を固めた。
「……分かりました。来週、改めてご挨拶に行きます」
「おう。男の約束だぞ、先生っ!」
「はいっ」
拳と拳を合わせ、約束を誓った。
――翌週。ボクは約束を果たすため、彼女の家の前に立っていた。胸ポケットには小さな指輪の箱を準備し、何度も確認をしてから呼吸を整える。「――よし」と勇気を固め、震える手で、扉を叩いた。
「こんにちわ。ボクです、アコネルです」
だが、返事はない。もう一度、ノックをするが、やはり返事はなかった。三度目のノックをしたとき、背後から声がかかった。
「兄ちゃん、この家に用事かい?」
振り返ると、商人の男だった。
「ええ……実は、今日。婚約の挨拶に」
その言葉に男は、困ったように視線を逸らした。
「……それは、残念だったな」
「え?」
「昨日な……ここに来た時に居合わせたんだが。伯爵様が若い姉ちゃんと、その子どもを連れて行く様子を見ちまった」
「連れて……?」
「ああ、それも無理やりだ。子どもは必死に抵抗して、姉ちゃんを守ろうとしていた。もちろん、姉ちゃんの方も抵抗していたさ」
商人の話を、アコネルは信じたくなかった。しかし、商人の表情もまた、現実を認めざるをえない。
「悪い事はいわない。潔く諦め――」
商人の話の途中、気づけば僕は、その場から走っていた。
「おい兄ちゃん……! その先に待っているのは……権力の、戯れだけだ……」
街道を抜け、石畳を蹴り、息が焼ける。胸の中の指輪が、やけに重い。やがて、黒塗りの豪奢な馬車が視界に入った。
――間違いない、アレは伯爵の馬車だ。きっとあの中に……!
「止まれ!」
アコネルは、前に飛び出した。
馬が嘶き、兵士が怒号を上げる。
「どけ! 伯爵様のお通りだ!」
「……ネフェルを出せ! そこにいるんだろう!」
「貴様、伯爵様を呼び捨てに……! なんと無礼な奴、言葉を慎め!」
剣が抜かれ、槍が向けられる。
このまま何も出来ずに、先を行かれてしまうのか。その思った時だった、馬車の扉が開いた。
ゆったりと、降りてくる男。整えられた髪。仕立ての良い衣。一片の焦りもない顔。
「誰だね? 犬のように吠える愚か者は?」
この男が伯爵、ネフェル・エーヴェルハルト。十五年前に彼女を捨てた元婚約相手だ。
「ネフェル……なぜ今更、彼女の元に姿を現した!?」
「ああ……あの女の件か」
退屈そうに、笑う。
「そういえば、庶民の婚約者がいるとか、ほざいていたな」
「ああ、そうだ! ボクがその婚約者だ。彼女を返せ…… ボクが幸せにする――あの子とも約束をしたんだ!」
「はあ……残念だったな。その約束は、もう叶わん」
ネフェルは、口元を歪めた。
「どういう意味だ?」
一瞬の沈黙。そして、軽く言った。
「あの女が、ガキを妊娠したお陰で、俺は大変だった。誤解を解くのに時間が掛かったが、なんとか話を受け入れ、妻も怒りを抑えてくれた」
「――お前、何の話をしている……」
「あの時、女は俺に色目を使ってきた。顔つきと肉体、露出した肌が俺の興奮を高めた。だから俺はあの日、性欲を満たしたんだ」
ネフェルは淡々と話を続けた。
「少し優しくしただけで、あの女は婚約の話を出して来た。俺は既婚者だ。使い終わった道具など、取っておく必要もないからな。性欲以外の情なんて一切わかなかった! はっはっは!」
「……彼女たちはどうした」
アコネルは怒りを抑えられくなった。
「あ? 家畜なんて邪魔なだけだからな――殺した」
その瞬間から、世界の音が消えた。
笑う、笑っている。なぜ、笑ていられる? 人の幸せを、人生を、未来を奪っておいて、なぜ笑っていられるんだ?
その怒りは、血が逆流するようだった。
「……お前ら貴族は」
拳が震える。
彼女の未来は……価値のないものだったのか?
「――全員、クズだ」
アコネルは怒りに任せ、ネフェル目掛けて詠唱を始めた。
「大地よ、矢となり敵を射貫け! 土弾!」
伯爵を殺せば、ボクは死刑を免れない。だけど、それでいい。君が居ない世界なんて……破滅すればいいんだ。
アコネルの放った魔法は、ネフェルに向かって一直線。だが一人の護衛兵が前に出る――次の瞬間、護衛兵の胸から血が噴き上がった。同時に護衛兵が膝から崩れ落ちる。
その向こうで、ネフェルは一歩も動いていない。
「……貴様、反逆罪だ」
ネフェルの冷たい声と共に、アコネルに剣が振り下ろされ、地面に押さえつけられた。
指輪の箱が石畳に転がる。止まった先で蓋が開き、銀の輪が血に濡れた。
――その後、彼の死刑は減刑された。それは理事長の強い温情だった。学園に復帰するも、以前の生活とは変わってしまった。
彼の授業は全て自習。毎日部室に籠り、植物の根だけが数を増していった。そして二年が経ち、彼の元に最悪の情報が入った。
去年、伯爵の息子が学園に入学している情報だった。
――その日、彼は再び一線を越えた。追放となった彼は学園から姿を消し、その後の行方を知る者は、誰一人いなかった。
◇ ◇ ◇
「サァ――ここからが、本番ダァ……!」
ひび割れた声と同時に、地面が低く唸った。
「大地よ、矢となり敵を射貫け! 土弾!」
地面が弾け、圧縮された土塊が一直線に撃ち出される。
「――魔法障壁!」
カルミアは咄嗟の判断で、魔力で構成された透明な壁を展開。衝突音が空気を震わせ、余波で周囲の植木鉢が砕け散る。
「(無詠唱で発動だと? いいや、何かトリックがあるに違いない)」
「流石です、ご主人様!」
「……貴族が。金と権力で得た力なんて、ただの飾りだ!」
「ちょっと! さっきから貴族って連呼してますけど! 貴族はそっちでしょう!」
「メイドは黙ってろ!」
アコネルが片手を振り下ろす。
「大地の手綱よ、敵を拘束せよ――蔓縛!」
背後の植物園から、無数のツタが伸び、蛇のようにトレニアの手足へ絡みついた。一瞬で自由を奪った。
「トレニア!」
「だ、大丈夫です……ちょっと締め付けが強いですけど」
トレニアを助けようにも、相手は隙を見せない……。素性は分からないけど、もしかすると使徒の可能性も――。
その時、再び地面が裂ける。土弾が連射され、物陰の壁が抉られる。粉塵が舞い、視界が白く霞む。カルミアは一瞬霞んだ視界の隙に、攻撃線から外れ物陰に隠れた。
「(防御を続ければ魔力が削られる。トレニアを解放したい。でも――)」
狙いは常に自分。拘束されたトレニアには、遠距離からの攻撃魔法は傷つける可能性もある。
物事を整理するカルミアの脳裏に、ある事が引っかかる。
「(どうして私だけを狙ってるのかな……。あの状態なら、確実にトレニアを仕留められたはずなのに)
「クソっ……長く拘束は出来ねぇのに……!」
アコネルの焦りが、言葉の端に滲む。
「おい!」
アコネルの声が鋭く響いた。
「今から十数える。そのうちに出てこなきゃ、こいつを殺す!」
「……」
「いち、にー、さん……」
カルミアにはもう一点気になる事があった。
「ろく、しち……はち……」
魔法を防いだ時に違和感があった。もしかすると、本当は――。
カルミアは息を整える。
「きゅう……」
アコネルの額に汗が滲む。拳は、わずかに震えていた。
その時、カウントダウンのギリギリで、カルミアは静かに両手を上げ、物陰から姿を現した。
「手間をかけやがって……それじゃあ仲良く、あの世で――」
「待ってください」
カルミアは一歩前に踏み出し、言葉を続けた。
「あなたは、私たちを殺せません」
空気が、わずかに揺れた。
「なにを言っている」
「本気で殺す気があるなら、拘束の直後に、無抵抗な彼女に攻撃していたはずです。でも、あなたは私ばかりを狙っています」
アコネルの瞳が、一瞬だけ揺れる。
「……ただの偶然だ」
「いいえ。偶然ではありません」
さらにもう一歩前進する。
「もう一度言います。あなたは……人を殺せない」
「黙れ、貴族!」
地面が裂ける。
「大地よ、矢となり敵を射貫け! 土弾!」
「魔法障壁」
カルミアは引くことなく、一歩。また一歩。アコネルの近くへと前進する。
その行動に相手は動揺を見せ、隙が目立つようになった。カルミアとアコネルの距離は僅か十メートルほどだった。
この時、カルミアは一瞬だけ目を伏せた。制服の胸元に指をかけ、布越しに触れていたそれを掴む。
鎖が引き出され、隠されていた魔石が空気に晒された瞬間、周囲の魔力がわずかに揺らいだ。それは、常に首に掛けていた【魔石の首飾り】だった。
「一度きりですけど――」
魔石に魔力を込めると、周囲が淡い蒼で包まれた。
「こんな目くらましでは、何も変わらない……! 大地よ、矢となり敵を射貫け!」
アコネルが詠唱で術式を展開を試みる――しかし何も起きない。
「……術式が展開されないっ!?」
「これは、私の大切な人が贈ってくれたプレゼントです。この魔石には、魔法を打ち消す結界魔法が組み込まれています」
魔石は一定のリズムで輝きの強弱を繰り返す。
「魔法を、打ち消す……そんな結界、聞いたことがない!」
「それと、もう一つ」
カルミアは、真正面から彼を見る。
「私は、貴族ではありません」
「そんなはずない! その制服、その従者、その魔道具……! 金と権力で手に入れた偽物じゃないなら、お前はいったい何だって言うんだ!?」
「私は……」
ほんのわずかに、周囲の草木が揺れる。
「――魔女です」
その言葉に、アコネルの呼吸が乱れる。
「魔女……だと……?」
その言葉を聞いて、握る拳に力が入る。溢れ出す感情。
「ふざけるな……お前が魔女だって言うなら……」
アコネルは一歩、踏み出す。
怒りと悲しの感情に任せて、カルミアに殴りかかろうと腕を振り上げる。
「なぜ、責任から逃れようとするんだッ!」
「あなたは……優しい人です!」
次の瞬間、アコネルの手が止まる。
「魔法を放った時、軌道を大きく外して狙った、最初から当てるつもりなんて、無かったんですよね。だから......あなたは、手を出さないと――私は信じていますっ!」
その言葉に、アコネルは視界が滲み、瞬きをすると、あの頃の記憶が蘇ってくる。
――――
「毛虫くらいで驚くなんて、あなたって本当に臆病なのね」
「ごめん、頼りないよね……」
暖かい風が彼女の長い髪をなびかせていた。
「いいえ。私は、あなたを頼りにしてるわ」
彼女から握られた手の温もりは、今でも忘れない。
「誰よりも私たちを心配してくれる優しい人。幸せにしてくれる相手だって、信じてるものっ」
――――
「……できない」
アコネルの声が、ひどく掠れる。
「できないよ……。ボクは……誰にも死んで欲しくない……」
瞳から溢れる雫は、彼の心を取り戻し、力が抜ける様に膝が崩れた。
「もう……ボクのせいで、人が死ぬのは……いやなんだ……」
――三年前のあの日。
ネフェルへ放った魔法は、護衛兵によって、あっけなく防がれた。鎧を貫通出来ないほど、魔法の威力は低かった。
でも、それでよかった。ボクは人を殺さずに済んだ。これで全て――
――グサッ。
何かを貫く鈍い音がした。目の前には伯爵を守った護衛兵が、別の兵士によって、刃で胸を貫かれていた。ゆっくりと、胸元から赤が広がる。
背後に立っていた別の兵士が、無表情のまま剣を引き抜いた。
「貴様が放った魔法は、護衛兵を殺した」
ネフェルの声は、冷たかった。
「筋書きは完璧だ。貴様、反逆罪だ」
違う……違う……ボクは、殺してない。
それでも、権力でねじ伏せられた出来事は変えられない。あの瞬間から【人を殺した魔法教師】が出来上がった。
――あの時も、そうだった。
「君の親父は、自分を守った兵士を殺した! 二度も、同じ過ちを繰り返したんだ!」
「手をどけろよ」
学園の廊下で、アコネルはエーヴェルハルトの長男に事実を話した。それは彼の行動が、父親と同じだったからだ。ボクは彼を正しい道へと戻そうとした。
「これ以上、罪を重ねちゃいけない! 君も、権力で人を押さえつけるのはやめるんだ!」
「だから、どけろって言ってんだろ!」
エーヴェルハルトの長男は、冷えた目で睨み、腕を払われる。次に彼のとった行動は、ボクの全てを奪った。彼は大げさに後ろへ倒れ込み、そして――
「いってぇぇぇ!」
廊下に響く叫び。
「誰か助けてくれ! 先生に突き飛ばされた!」
「なっ……待ってくれ、ボクは――」
最悪のタイミングで、足音がこちらへと近づいて来た。
「アコネル先生……何を、しているんですか!」
女性教員の冷たい視線。
「この件は理事長に報告します」
「違う、ボクは何も――」
彼女の耳に、言葉は届かない。
どうして、どうしていつも……お前らは。権力を、盾にする……。不都合があれば、貴族の権力で全てをもみ消す。金で人を買い、権力で奪う。
貴族は全員クズだ。
――崩れ落ちるアコネル。
同時に、トレニアを縛っていたツタが力を失い、解放された。すると、すぐさまカルミアの方へと歩み寄った。
「ご主人様! いったい何が――」
「原因は、あの魔石だと思う」
カルミアの視線は、台座の中央にある魔石へと向けられた。
「魔石から溢れる魔力を、過剰に浴びたせいで、魔力瘴気を発症したんだ。負の感情に支配されて暴走してると思って……だから、魔石から距離をとらせたんだ」
淡く発光する魔石に触れようとした時だった。魔石は突然、不自然な割れ方をして砕け散った。その周囲には、濁った魔力が霧のように溢れ出し、空気に溶けて消える。重苦しかった場の魔力が、ゆっくりと晴れていく。
「よく分かりませんが、ご主人様が無事なら良かったです!」
トレニアは満面の笑みで頷く。
「ところで、こいつはどうしましょう?」
アコネルは正気に戻ったと同時に、今まで消費した魔力の反動で、地面に伏せた状態で気を失っていた。
素性も分からない男をどうするか。カルミアが頭を悩ませていると、丁度いいタイミングで声がかかる。
「身柄は、こちらで預かろう」
振り返ると、ロベリアが立っていた。
乱れ一つない姿で、淡々と状況を見渡している。一瞬、視線を屋上へ向けるが、そこには誰の姿もない。
「こいつには聞くことが山ほどある。それに、お前も今の状況を整理する時間が必要だろう」
「あの……魔獣の召喚は止まりました。けど、まだ中に残っている魔獣が――」
「安心しろ」
ロベリアは落ち着いた口調で答えた。
「助っ人を呼んである」
「助っ人、ですか?」
――その頃、学園内では。
暴れていたはずの魔獣たちが、不自然なほど静まり返っていた。
「すっげぇ……なんだよ、あの人」
「信じられない……魔獣が、全部……」
魔獣の群れの中心。そこに、ひときわ目立つ男が立っている。
身軽な軽装に、帽子を被っていた。
彼の周囲では、凶暴だった魔獣たちが、まるで躾けられた犬のように伏せている。男は魔獣の毛並みを優しく触り、話しかけている。
「ええ子やねぇ。もうすぐ終わるから、おとなしくしとき」
魔獣もまんざらでもない様子。
「それにしても……ロベリアさんは、ほんま人使い荒いわ」
気の抜けた口調とは裏腹に、漂う魔力は異様なまでに深い。彼の名は――大罪の魔女No.6。怠惰の魔女、フィグ・トレイリング。
学園を覆っていた騒乱は、ゆっくりと収束へ向かっていた。




