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結果から言おう。
「クズは妾であった…」
彼女は深い、深いため息を吐いた。
「何か、仰られましたか?フリーデ様」
「いや、何でもない…」
目頭を右掌で覆い、左手を宰相たる男へと向ける。
「左様でございますか」
そんな彼女の様子に更に突っ込むでもなく、手元の書類の束へと目を落とす。
彼女、フリーデは、再び漏れそうになるため息をぐっと飲み込み、己の机上にある書類へと判を押し始めた。
*
かつて、彼女は『闇の女王』と呼ばれる存在だった。
いや、そう名乗り、呼ばせていたのは自分だった。
主にネットの世界で。
小さい頃から空想好きだった彼女は、成長するにつれ、「空想好き」から「妄想好き」へと見事クラスチェンジを果たした。
そして、彼女は不治の病に侵された。
彼女は「中二病」の重病患者だった。
サラリーマンを父に持ち、専業主婦を母に持って生まれ育ったこの環境は、世を忍ぶ仮の姿。
その正体は母の腹を仮宿として生まれた『闇の女王』で、成長すれば、異世界からイケメンと一緒に召喚されて、一緒に召喚されたイケメンと結婚し、異世界のイケメン達の上に君臨する女王として、国を末長く治めるのだ。
などというイタい妄想を心の何処かで信じ、待ち続けていた。
成長と共に沈静化する筈の病は、残念ながら、死ぬまで治らなかった。
高校、大学を卒業し、一般企業の事務員として働き、待てど暮らせど来ない「お迎え」に業を煮やし、酔った勢いで足を滑らせ、そのまま飛び込んだ冬の川で溺死した。
死ぬ間際に我に返り、己の愚かさを反省できたのが、唯一の救いだったと思いたい。
次に目覚めたのは煌びやかな部屋に上質なシーツ。
日本人とは全く異なった、黒髪黒目の威厳のある超美形夫婦。
自由の効かない四肢に全く知らない言語。
それが所謂『異世界転生』と呼ばれるものであったと自覚した瞬間、喜びよりも、嘗ての世界での己の無様な生き方に対する後悔と羞恥に苛まれた。
「異世界召喚とか、馬っ鹿じゃねーの、自分」と悔いた側から目の前に突きつけられるのは黒歴史認定した妄想が現実に降りかかってきたのである。
それはこの上なくキツい拷問だった。
国の世継ぎとして育てられるにつけ、夢にまで見た状況が現実として降りかかるにつけ、いや、夢にまで見た状況が現実に降りかかるからこそ、「何でもっと、ちゃんと生きてなかったんだよ!!」と、前世の己を罵った。
そして、過去を振り返らぬよう、ひたすら目の前の事だけと向き合い生きてきた。
そして、過去の黒歴史が意識の底に沈んで久しい今日、
「油断したわ…」
仕事半ばで体調不良を理由に自室に戻り、人払いを済ませた彼女は、ふかふかのソファーに身を沈め、天を仰いだ。
単調な作業故だろう。
ほんの少しのうたた寝だった。
浅い眠りで見た夢は、彼女がまだ、日本の女子高生だった頃。
どうしてもクラスに馴染めず、夏休みを利用して引きこもっていた頃のものだった。
休日でもない日に休む度胸は過去の彼女にはない。
そんな事をすれば、間違いなく母が引き摺り出しに来るからだ。
「やけに鮮明な…」
ぼふり
ソファーに横たわり、己の手を目の前に翳してみる。
よく手入れされた、ピンク色の爪に白い肌。
今年で15歳を迎える彼女の手は、年相応の瑞々しさを湛えていた。
さらり、と零れた癖のない髪は光すら吸い込んでしまいそうな漆黒。
瞳の色も同様だ。
その瞳が不意に歪む。
「言葉遣いも改めよう…」
過去の彼女の発症した際の口調が今の己の口調と重なり、精神をガリガリと削って行く。
その日、食事の時間を侍女が報せに訪れるまで、彼女はクッションに顔を埋めて唸り続けた。