声が、ない
第1章 目覚め編
「……ノエル。なんか、静かすぎない?」
そう言おうとした自分の声に、私は、ぎょっとした。
鳥の声が、しない。虫の声も、風の音すら、しない。口は動いているのに、声が、まったく出ていないのだ。ついさっきまで、確かに聞こえていた湿地のざわめきが、まるごと、誰かに切り取られたみたいだった。
「(え、うそ、声出てない!?)」
パニックになって、口をぱくぱくさせる私の隣で、ノエルが、剣の柄に、そっと手をかけた。表情は、さっきまでの穏やかさが、すっかり消えている。いつも冷静な彼が、これだけ緊張しているということは、相当なものが来る、ということなのだろう。
「(ヒナさん、僕の後ろに)」
唇の動きだけで、そうわかった。彼も、声を失っていた。
湿地の奥から、それが、姿を現す。
霧だった。ただの霧じゃない。灰色の靄が、人の形に、ゆらゆらとまとわりついている。輪郭の中心には、口らしきものが、ぽっかりと開いていた。声を求めるように、開いたり、閉じたりを、繰り返している。まるで、飢えた獣が、獲物を探しているみたいに。夜の湿地に、その姿だけが、ぼんやりと青白く浮かび上がっていた。
私は、震える手で、地面の石を拾って、投げつけた。
石は、あっさりと霧をすり抜けて、後ろの木に、ぼす、とぶつかっただけだった。物理的な攻撃が、まるで効いていない。手のひらに残った、石の感触だけが、やけに生々しかった。
「(効かない……!)」
ノエルが、無言で剣を構えて、斬りかかる。刃は、霧の中心を、通り抜けただけだった。手ごたえは、まるでない。ノエルの整った顔が、初めて、焦りに歪んだ。彼ほどの腕でも、届かない相手がいる。それを、目の当たりにした瞬間だった。
霧の口が、大きく開いた。まるで、これから、ノエルの声を、丸ごと吸い込もうとするみたいに。腹の底から、冷たいものが、せり上がってくる。
(このままじゃ、ノエルの声が、なくなる)
考えるより先に、体が動いていた。
私は、ノエルの前に、飛び出していた。腰の痛みも、今だけは、不思議と気にならなかった。




