221.知恵熱と未来の話
ノックの音が響き、どうぞと告げると控えめな動作で部屋のドアが開いた。
「オーレリア、果物を切ったんですが少し食べませんか」
ひょっこりとドアの隙間から顔をのぞかせたアリアに頷くと、彼女はピックを刺した皿をサイドボードの上に置いてベッドの端に腰を下ろす。
「少しおでこ触りますね」
そう告げて触れた手のひらは冷たくて気持ちがいい。
「まだ熱が高いですね。気分は悪くありませんか?」
「体調が悪いわけじゃないので、大丈夫です」
実際、喉の痛みや頭痛といった症状はなく、熱があってだるいだけだ。そう言ってもアリアは心配そうな目を向けるばかりだった。
情けないことに、先日のノーラの件があった直後、そのまま熱を出して足をふらつかせ、そのままダウンしてしまった。
緊張感が途切れて少し貧血気味になったことと、付与の直前、これまで使ったことがないほど思考をめまぐるしく巡らせていたのが仇になり、知恵熱が出てしまったらしい。
我ながら締まらないし、情けないと思いつつ、その場にいたメンバーは無茶な付与をしたのではないかと心配してくれて、そのままベッドに押し込まれることになった。
あれから三日ほど過ぎ、ようやく少し楽になってきたけれど、完全に熱が下がるまでは安静にしているようにと言い含められている。
「アリア、ノーラさんはどうしていますか」
「あれから神力の暴走も起きていませんし、何の問題もありませんよ。ノーラさんの体調もいいと言っていましたし、心なしか、少し感情が表に出るようになったような気がします」
肉体に直接影響を与える付与は、予想とは違う動きをする可能性も高い。何か不調が出ていないかとアリアが訪れる度に聞いてしまうけれど、面倒がることもせず丁寧に答えてくれた。
その言葉にほっとすると、アリアは困ったように苦笑を漏らす。
「人のことより、まずはオーレリアが体調を戻してくださいね。みんな心配しているんですから」
「はい……」
あの後すぐにベッドの住人になってしまったことと、アリアが慮ってくれているため、誰とも詳しい話はできていないままだ。
思えば、これまでもギリギリのところはあったけれど、神殿でしか扱えない医療付与を行うのは一線を越えてしまっている。
聞きたいことは色々とあるだろうに、今は安静が一番だとそっとしておいてくれることに、感謝も申し訳なさもあった。
「すみません、アリア。仕事も放り出したままで」
「もう、熱を出した時ぐらい頼ってください。こんな時のためにパートナーがいるんですよ」
アリアは笑って持ってきたプレートを渡してくれる。
皮を剥いた果物を口に入れると、独特の濃い桃の香りと甘さが口の中に広がった。
「これ、月下桃ですか?」
「はい。ウォーレンさんがオーレリアにって採ってきてくれたんです」
先日お土産に持ってきた月下桃は拠点のみんなで分けた他、スーザンやミーヤ、アリアが仕事で会うついでにジャスマン商会へおすそ分けにと分配され、完熟したものはすでに食べ切ったため、わざわざダンジョンまで行って採ってきてくれたらしい。
「美味しいです。ウォーレンにもお礼を言わないと」
「オーレリアが元気な姿を見せるのが、一番のお礼になると思いますよ。ウォーレンさん、本当に心配していましたから」
頷いて、甘い桃の香りと食感を楽しみながら、なんともいたたまれない気持ちになってしまう。
ウォーレンもアリアもこんなに労わってくれるのに、自分は彼らに言えないことだらけで、今でも何をどう説明すればいいのか悩み続け、だらだらと寝付いてしまっている。
ベッドの中にいてもよく眠れないし、浅い眠りの合間によくない夢を見ては飛び起きて、そんなときは汗でびっしょりと濡れていたりする。
これだけ思いやってもらっているのに、彼らはそんな人たちではないと分かっているのに、期待外れだと、役立たずだと思われるのが恐ろしかった。
「……アリアは、私が怖くないんですか」
何かと不自由が多かった幼い頃、ここではない遠い場所で自分は確かに愛されて育ち、便利な道具に囲まれて不自由なく暮らしていたのだという記憶はオーレリアの心を支えてくれたので、オーレリア自身は前世の記憶があることを忌まわしいと思ったことはない。
だが、未知のものや得体の知れないものは恐ろしく感じる感覚も、よく解る。
自分が周囲の人間に比べてとりわけ臆病なたちである自覚はあるけれど、我ながら怪しいことこの上ないし、気味が悪いと思われても仕方がない。
「うーん、そうですね。オーレリアが少し変わっていることは以前から分かっていましたし、またオーレリアが何かしたなぁという気持ちはありますけど、怖いとかは別に」
「えっ、私変わってますか?」
「あれ、自覚なかったんですか?」
オーレリアの自認は、アリアと出会った頃は田舎から出てきた地味で冴えない人間で、多少いろいろな付与ができる部分を買ってもらったところはあるにせよ、そのあとも商売のメインはアリアが取り仕切ってくれていて、自分は拠点で黙々と付与を行っているというものだ。
時々は緊張を押し殺して人の前に出ることもあるにせよ、本当にたまのことであり、今でも裏方という意識が強い。
体力があるとは言えないし、どんくさい自覚もある。臆病な割にうっかりしている性格で、変なところで投げやりだし、何もないところで転んではジーナに笑われたり、ジェシカに苦笑をされることだってある。
――あれ、私欠点が多すぎない?
改めて考えると、いつも背筋を伸ばして自分の道を真っすぐに進むアリアや、それぞれの技能に特化し一流の専門分野を持っている周囲の人々に比べて、大分情けないというか、見劣りするのではないだろうか。
「オーレリア、なんで急に落ち込んでいるんですか」
「いえ、至らなさに気づいたというか、もっと色々と頑張らないとと思って」
「うーん、私が思うに、オーレリアの一番困ったところは、自分自身に対する評価がやけに低いところだと思いますよ」
アリアに笑われて首を傾げる。
昔から気が利かないとか、辛気臭いと言われてばかりで、自分を評価するなんて考えたことはなかった。
王都に来てからは周りの人たちは優しいけれど、だからこそその優しさに甘えすぎてはだめだろうとも思う。
「オーレリアがいなければ、私は商売をやりたいという欲を見ないふりしたまま、今でも西区の図書館で司書をしていたでしょうし、女性の冒険者は花の時期を重い足かせにし続けていたと思います。おじさんたちの足は臭いままだし、ウォーレンさんなんか、今頃したくない結婚をさせられていたかもしれませんよ」
「ええと……」
アリアやウォーレンや女性冒険者と、おじさんの足の臭いを羅列してもいいものかと迷っていると、アリアはニッコリと笑った。
「オーレリアが王都に来て、人生が変わった人たちはたくさんいると思います。きっといい方向に変わった人がたくさんいますよ。それはオーレリアじゃなければできなかったことです」
「アリア……」
アリアはいたずらっ子のように笑う。
「一つ打ち明け話をしますが、私は最初の頃、お姉様がオーレリアをいい方向に導いてくれるだろうなんて思っていて、自分が何かする気まではなかったんですよ。でもオーレリアが前向きになった時に、このままお姉様に任せるのは惜しいってなったんです」
「惜しい、ですか?」
「はい! あの時の私には、オーレリアは未来に続く可能性の塊がピカピカと光っているみたいに見えました。オーレリアと並んで周囲を明るく照らしながら、その先に行ってみたいって思ったんです! もう絶対お姉様には譲れないって思ったし、実際そうしました」
アリアがパートナーになってもいいかと言ってくれた時、身に余る言葉だと思ったのと同時にとても嬉しかった。
あの時アリアがそんな風に思ってくれていたなんて、少しも考えていなかった。
「その選択を、私、よくやった! と思うことはあっても、後悔したことはただの一度もありません。ええと、オーレリアが怖いかという話に戻ると、全然怖くないです。オーレリアはいつでも私の一番星みたいな親友ですよ」
「……はい、ありがとう、アリア」
「早く元気になってくださいね。それから、オーレリアが言いたくないことは言わなくったっていいですし、聞いてほしいことがあるならいくらでも聞きます。オーレリアがどんな存在でも、何を言っても言わなくても、何も変わりません。ウォーレンさんだってオーレリアを心配して、できることはないかって右往左往してたから、桃でも採ってきてあげたらどうですかって言ったら、本当にその足でダンジョンに向かったんですから」
自分はつくづく幸せ者だ。
こんなにも得難い人たちに出会うことができた。
「なんだか元気が出てきました。明日には動き回れるようになるかもしれません」
「せっかくのお休みを、ベッドの上で過ごすのももったいないですしね。バリバリ働いて余暇ができたら、秋頃にはどこか行楽に行きましょうか。アウレル商会のみんなと、黄金の麦穂の皆さんも誘って」
「はい」
楽しい未来の予定を話すと、たまらなく安心する。
しっかり月下桃を食べ終えて、あとで氷嚢の替えを持ってきますねと声を掛けられてアリアが部屋を出ると、なんだか無性に力が抜けて、そのままくたくたと、夢も見ない深い眠りに落ちていった。




