215.聖女と神殿の思惑
性的な暴力に関する記述があります
苦手な方はお気をつけて下さい。
こほん、と調停人の一人が軽く咳払いをする。
「それでは改めまして、本日の調停を始めさせていただきます。まず申立人の神殿長ローデリアによる申し立て文、巫女ノーラは過去から現在において神殿に籍が残っており、早急に神殿に戻り巫女としての務めを果たすこと。また、放逐を正式に誤りとし、聖女としての復帰を認める。これで相違ありませんか?」
「間違いありません」
ローデリアと呼ばれた年配の巫女は、静かな口調で頷いた。
「これに関しましてノーラ・ホリデーは同意をする意思はありますか」
「ない。放逐された時点で私は神殿の人間ではないし、もう巫女でもない。すでに聖女としての資格も失っている」
「それに関しては、後日問題ないと判明しました。あなたは今でも立派なフルウィウスの聖女ですよ」
「それがありえないことは、神殿で確認されている。神殿長も知っているはず」
「その後、これまでの慣習が間違っていたのだと判明したのです」
どちらの声も抑揚が薄く、言い争っているという雰囲気ではないけれど、平行線だった。何度か言葉を応酬したあと、ロゼッタがちっ、と舌を打つ。
「今更、あれは間違いでしたで済む話か? あんたたち、自分らがしたことが本当に理解できているのか?」
「フルウィウスの聖女は前回が二百年前、千年の歴史の中でも数えるほどしか輩出されたことがありませんでした。例外があると知る機会そのものが、非常に稀なのです」
荒っぽいロゼッタの言葉にも、ローデリアの返答はあくまで穏やかなものだ。
彼らの会話は神殿の事情に触れるものなのだろうけれど、弁護士や付添人である自分たちとともに、調停人たちも会話から置いてきぼりにされてしまっている。
「失礼、その聖女の資格とは何なのか伺ってもよろしいでしょうか」
「純潔を失った。巫女は神に人生を捧げている。その中でも、聖女は神の花嫁も同然。赤ん坊の頃から神域で育てられて、聖女として認められれば神殿の最奥で暮らすことになり、生涯異性に触れることは許されない」
このままでは埒が明かないと思ったのだろう、エドワードが挙手をし、几帳面な声で質問すると、ノーラはこともなげに言った。
「聖域は森の深いところにある。そこに流れ着いた盗賊が聖域を襲って食料や備品を奪っていった。その時私も襲われた」
「いえ、失礼しました。それ以上は言わなくても結構です」
真っ白な手袋に包まれた指をピンと伸ばし、手のひらを向けてエドワードはノーラの言葉を遮る。
「決してあなたを辱める意図での質問ではありませんでした。正式に謝罪致します」
「? 構わない。ただの事実」
ノーラの声はいつも通り抑揚が薄く、本当に気にしていない様子だったけれど、隣に座るロゼッタが奥歯を噛み締めた、ギリッという音がかすかに響く。
オーレリアも膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。その指がひどく冷たくなっていることが自分でも自覚できた。
ノーラが神殿を放逐されたのは、十四歳の頃だったと聞いている。
ゴールドランクの冒険者となった今でも、小柄で物事へのこだわりが薄く、やや浮世離れしたところのある彼女がその年頃どんな少女だったのか。オーレリアには想像するしかないけれど、聖域と呼ばれる静かな場所で育てられていた何も知らない女の子に襲いかかった悲劇と、その後の成り行きを想像すれば、ロゼッタがあれほど神殿を毛嫌いする理由が痛いぐらいによくわかる。
もしも自分の大切な人たちが……例えばウォーレンやアリアがひどい目に遭って、自分ではどうしようもない状況の時に誰の助けも得られなかったとしたら。
その時彼らを助けるはずだった立場の人たちが、何の手も差し伸べなかったのだとしたら。
――きっと許すことはできない。
何年も経って、今更あれは誤りだったから戻って来いと言われたところで、到底認めることはできないだろう。
ロゼッタが彼女たちの拠点で剣を抜こうとした、その気持ちさえ、分かってしまう。
「これまで神に仕える聖女は、純潔であることが絶対の条件であるとされてきました。だからこそ我々はノーラを神域に分院を建てて大切に育ててきましたし、二百年ぶりの聖女の認定を心から待ち望んでおりました。……それだけに、あの事件は神殿にも大きな衝撃が走りましたし、資格を守れなかったノーラを追放するべきだという神殿の者たちの言い分も、決して無理のないことではあったのです」
「だったら、せめてこの子が市井に戻れるように後見ぐらいはするべきだったんじゃないのか。まだ成人もしていない、何も知らない子供だったんだぞ」
「あなたの言い分はもっともです、ロゼッタ・フローレンス」
そう言って、ローデリアは慈愛すら感じるほどの優しい笑みをロゼッタに向ける。
「あなたがノーラを保護して下さったこと、本当に感謝しております。ノーラが神殿に戻った暁には、あなたを聖女の恩人として厚く遇することを誓いましょう」
「そんなことは求めちゃいない!」
「ロゼッタさん」
激昂して立ち上がりかけたロゼッタに、エドワードが静かな声をかける。
「どうぞ、落ち着いてください。この場での態度や発言は全て記録されています」
暗に、神殿側は挑発しているのだと警告されて、ロゼッタは深く椅子に座り直すと、腕を胸で組み、間延びしたため息を漏らした。
そうした一連のやりとりに、ローデリアは全く意に介した様子を見せようとはしない。
「あの時の判断に関しては、明らかな間違いでありました。ノーラの追放を声高に要求した者たちは、すでに神殿を出るか、遠い分院に異動となって本院への復帰は叶わないように措置を取ってあります」
「その言葉を信じろっていうのかい」
「あなたに信じていただく必要はありませんよ。私もこの六年、遊んでいたわけではありません。二度とあんなことが起きないように、神殿がただ慈悲と信仰を重ねる場であるように、改革の努力をしてまいりました。ノーラのことは、このまま市井で幸福に暮らせるならば、それでも良いだろうと思っておりましたが」
言葉を切ると、ローデリアはふっとロゼッタから視線を逸らし、ノーラをひたりと見つめる。
「ノーラ、本当に神殿に戻る気はないのですか」
「ない。あそこはもう私の居場所じゃない。私の居場所はロゼッタの隣」
「そうですか。できることならあなたに自分の意思で、神殿に戻って欲しかったのですが」
少しの間、会話が途切れて調停人の一人が声をかける。
「相手方の意思は固く、神殿に戻る気はないということで一致しています。よって調停は、ノーラ・ホリデーが神殿に戻らないことを前提とし、神殿側に別の要求があればそちらの調整についてお話をしたいのですが」
「そうですね。六年間神殿を離れていたということですし、神殿側からノーラ・ホリデーを放逐したと認めているのですから、今でも籍が神殿にあると言うのは難しいでしょう」
調停人が発言をメモするペン先が紙を走る音が響き、場の雰囲気は次の話題に移ろうとしていた。
「神殿側は、他に要求はありますか?」
「いえ、我々が求めているのはノーラが神殿に戻ることだけです」
ローデリアは、予想されていた養育費や信仰の履行について口にすることはなく、軽く首を横に振る。
「もう少しだけ、私の発言を許していただけますか?」
「ここは話し合いの場ですので、納得いくまでどうぞ」
「それでは――神殿に深く関わらない方々には不明のことであると思うので、説明させて頂きます」
そう前置きして、ローデリアは静かな口調で話しを始めた。
「個人の魔力を利用した魔法とは違い、我々聖職に就く者は神の加護を得て神力と呼ばれる力を振るうことができますが、神が信仰者たちに与える力は一定のものです。ですので、誰かが強い加護を得れば他の誰かに分配される加護が弱くなります。神に力を与えられた者が神官であり巫女であり、もっとも神の寵愛を得る者を聖女と呼びます。ですので、聖女が現れると一時的に他の神官や巫女は使える神力が低くなります」
ローデリアの声は低く心地のよい響きで、いつの間にかオーレリアも含め、その部屋にいる全員が聞き入っていた。
「とはいえ、信仰する者が増え祈りが増せば神の力そのものが強くなるので、結果的に分配される力も大きくなります。聖女が現れればそれに伴い信仰心も増し、神殿への入信や寄付なども増えますので、結果として他の巫女や神官の力が強まることは、これまでも聖女が出るたびに起きてきた事象でした。ところでノーラ」
それまでの、説法にも似た淡々とした口調から一転して、ローデリアは困ったような笑みを浮かべてノーラに問いかける。
「貴女は、神力の制御はきちんとできていますか?」
普段はあまり感情を表情に出さないノーラが、はっと息を飲む音が響く。
「聖女は多くの力を神から分け与えられています。そのため幼い頃から静かな環境で感情を表に出さないように訓練を受け、聖女と認定をされた後は神殿の奥深くで神に祈りを捧げて生きていくことになります。いろいろな感情や思惑が渦巻く市井で聖女が生きていくのは難しいことでしょう。また、聖女が聖女の座に就いていないことで神力の分配が正しく行われておらず、神官や巫女はこれまで使うことができていた力が枯渇されてきています」
ローデリアはかすかにため息を漏らした。
「神殿からの使い三人がそちらの水の魔法使いに下されたのも、彼女たちが弱かったからではなく、以前からは考えられないほど神力が弱まっていたことが原因です」
「なるほど。確かに私は魔力多めの魔法使いですが、神官が三人もいてあの程度だったのは不思議に思っていたのです」
水を向けられたジェシカが納得したように頷いた。
「つまりこういうことですね。ノーラさんが神殿を離れた今も、彼女に対するフルウィウスの加護は強まる一方で、彼女はすでに実質フルウィウスの聖女であるのでしょう。それにもかかわらず正式に聖女の座に就いていないことで、神殿の広告塔となりえていないのですね。もともとの信仰心による神の力はそのままなのに、ノーラさんに対する神力の分配は大きくなるばかりということは、事情を知らない信者の皆様にはフルウィウス神殿の神官や巫女の力が弱体したように映るのでしょうね」
ジェシカの声はおっとりとしている。いつものように頬に手を当てて、困ったように微笑んだ。
「確かにそれは困ってしまいますね。ノーラさんに戻っていただいて聖女の地位に就いてもらわなければ、巫女や神官による神の威光を示せなくなってしまい、神殿の運営、いえ、存続そのものに関わってくる可能性すらあるのですから」
それが、神殿がノーラを求める理由なのだと、ジェシカの言葉は簡潔に説明してくれた。
ローデリアはその言葉に答えず、微笑みを浮かべたままだ。
しばらく誰も何も言うことができず、ひどく重たい沈黙が部屋の中に落ちてることになった。




