214.義務と養育費と信仰の在処
調停院の控室は六人入ればいっぱいの、さほど大きくない、飾り気がない部屋だった。
調停院の自体が中央区にある公共の施設とは思えないほど古ぼけた印象のある建物だけれど、控室の床の隅には掃き掃除の際に不精しつづけたような埃がうっすらと積もっていて、あまり掃除が行き届いていない感じがする。
「さて、概要はあらかじめ書面にて頂いていますが、改めて本日の申立人であるフルウィウス神の神殿からの申立書と、相手方であるノーラ嬢の意思の確認をさせていただきます」
席に着かないままエドワードはよく磨かれた革の鞄から書類を取り出すと、テーブルの上に丁寧な手つきで並べていく。
「神殿からの申し立てによると、ノーラ嬢はかつて神殿の巫女として所属しており、ゆくゆくはフルウィウスの聖女となるべく育てられていた女性である。赤子の頃から神殿が養育し、後見人もまた神殿に登録されている。一時の行き違いで神殿より放逐したのは事実であるが、後見人としての権利を解いたわけではなく、彼女の籍は今でも神殿にあると主張しています。また、放逐を正式に誤りとし、聖女としての復帰を認めるというのが主訴となります」
「ふざけた話だね」
吐き捨てるように言うロゼッタに、エドワードは眉ひとつ動かさず、冷静な口調で続けた。
「こちらで調べたところ、ノーラ嬢が正式に神殿に引き取られ、神官長が法的後見人として登録されているのは事実でした。神殿には孤児院を併設していることも多いので、このあたりの手続きは完璧でしたね」
「ですが、ノーラさんはすでに成人しています。また、一度放逐したことで後見人としての義務を放棄したことは明らかです。たとえ正式な後見人であったとしても、連れ戻す権利があるというのは、過剰な要求ではないでしょうか?」
ジェシカの言葉にエドワードは頷くと、手袋に包まれた指先で書類の文章をなぞってみせた。
「神殿で養育された孤児は、その養育に掛かった環境や金銭的な支援に対して成人後、数年間の神殿に対する奉仕を行うことが慣習的に認められています。ノーラ嬢の場合は巫女としての務めを果たす前に放逐を受けたので、その年数分の奉仕も行われていない状態である。これが言い分のひとつです。神殿は聖女候補である彼女のために聖地に分院を建て、彼女の養育に充てていたため出費も相当額であったと」
全くの部外者であるオーレリアが聞いても、神殿の言い分は身勝手に感じられるものだった。ノーラのパートナーであるロゼッタにとっては、余計にそうなのだろう。
隣に座るロゼッタから、ぴりぴりとした怒りが伝わってくる。
「もうひとつの言い分が、神への宣誓の履行の要求です。神殿に引き取られ巫女となった時に、生涯を通じてフルウィウス神への信仰と奉仕を宣言したはずですので、その履行を求めるというものですね」
エドワードは癇性に眉を顰め、それからノーラに視線を向けた。
「ノーラ嬢に確認したいことは三つです。神殿の要求通りに戻る気は本当にないのか。神殿がこれまでの養育に関する費用の返還を求めてきた場合、それに応じる気はあるか。最後に、フルウィウス神への信仰心への有無です」
エドワードは静かな声で、問いかける。
「一つ目が最も重要で、これが決定ならば二つ目の費用についてが今回の調停の大きな争論になるでしょう。また、神殿と完全に袂を分かつことで今後、神殿への参拝や信仰する神への祈祷についても影響が出る可能性があります」
「私は戻らない。これは決定」
ノーラははっきりと言い、それから少し考えるように言葉を切った。
「養育費用については、支払えというならその意思はある」
「エド兄さん。ノーラさんを聖女候補に決めたのは神殿ですし、聖地の分院で育てることを決めたのも神殿です。その費用の全部を私が支払う必要はないのではないでしょうか」
ジェシカが軽く挙手をして告げると、エドワードは浅く頷いた。
「でしたら、ノーラ嬢が神殿にいたのは一歳に満ちる前から十四歳までですので、孤児に対する養育費の算定表通りに計算をし、当時未成年だったノーラ嬢を放り出したことで、後見人としての道義的責任の棄損とそれによってノーラ嬢が負った精神的苦痛の慰謝料を差し引くことを要求しましょう。相殺とまではいかずとも、ゴールドランクの冒険者の稼ぎならばそう重くない支払いとなるでしょう」
「この子は、あたしと出会ったとき、飢え死にしかけていた。森の中で、一人でだ」
エドワードがさらさらと書類の空いた部分に計算式を書きこんでいく音が響く中、ぼそりとロゼッタが低い声で漏らす。
「あいつらは、この子を殺そうとしたのも同じだ。今更……」
「ロゼッタさん……」
「それについても反論の材料とさせていただきましょう。それでは最後に、信仰についてですが」
「今でもフルウィウスへの信仰はある。だから「白の誓い」を続けているし、私は今でも神力を使えている。これはフルウィウスの加護が今でも私に宿っているから」
「では、神殿との完全な決別は望まないと?」
その言葉に、ノーラは静かに首を横に振った。
「神に祈るのに、場所は関係ない。宿の部屋でも、ダンジョンの中でも、ロゼッタとの家でも、私が祈るとき、神様はそこにいる」
静かな声だ。けれど、きっぱりとした口調だった。
「だから、神殿には戻らなくても大丈夫」
「なるほど。では、そのようにさせていただきます」
ともすれば突き放すような冷たさすら感じるほど、感情を含まないエドワードの言葉だが、それがやけに頼もしく感じる。
それは、この場にいるウォーレンもジェシカが、エドワードに任せておけば大丈夫だと信頼しているのが伝わってくるからからなのだろう。
* * *
時間がきて、係員に案内された部屋はやや大きめの会議室という趣きだった。
申立人である神殿の神官は二人。ノーラと同じく真っ白な服に身を包んだ年配の女性と、妙齢の女性の二人だった。
調停院からの人員は調停人は二人、公証人が一人で、こちらが弁護士であるエドワードを入れて六人なのでややバランスを欠くように思えたけれど、誰も気にした様子は見せず、調停人の一人が座る席をてきぱきと指示していく。
「まず、この場において冷静に事実のみで話し合い、お互いの意見を尊重し、譲り合い、認め合うことで生じた問題の解決を最優先とすることを申立人、相手方双方に宣誓を願います」
「誓います」
「誓う」
調停院での話し合いは、調停人とよばれる仲介者が両者の意見を聞き、感情的になりがちな場を冷静に処理し、問題を紐解いて明確にし、お互いの折り合いがつく場所まで導く役目を果たす。
そして双方が納得した上で調停が成立した折には、公証人が作成した和解書へ署名を入れ、それをもって調停が締結したこととなる。
公証人は調停人とは異なり、合意の内容を法的に確定させる役割を持つ役職で、調停で取り決めた内容は以後正式な約束事として双方を拘束することになる。
和解書には裁判での判決ほどの強制力はないものの、再び問題がこじれた場合には正式な裁判での強力な証拠となる重要な書類として扱われるので、個人間のトラブルの解決としては準法的な措置といえるのだそうだ。
宣誓の後、まずは申立人である神殿側の主張が改めて読み上げられ、内容に間違いはないか確認されると、神官の一人、年配の女性が静かに頷いた。
「申し立て通りで間違いありません。巫女ノーラは、速やかに神殿に戻り、その務めを全うするべきであるというのが神殿の主張ですが……ノーラ、お久しぶりですね」
「………」
「貴女を育てた私に、再会の挨拶もしてくれないのですか?」
「神官長、久しぶり。……元気そうで、よかった」
ノーラは、いつも抑揚が少なく感情を表に出すことが少ない。たまに分かりやすく気持ちが出るのは、嬉しいことや楽しいことに関するものだった。
けれど今は、強い葛藤と困惑、それから、滲むような喜びが含まれていて。
こんなに近くにいるのに、心の中で応援するしかできないことが、とてももどかしく感じられた。




