196.市場と薬店とちょっとしたトラブル
「必要なものは、これでだいたい揃ったでしょうか」
「大体は揃ったと思います」
平日の昼下がり、昼食の時間を大きく過ぎていることもあり、市場はほどほどの混み具合で、買い物はスムーズに終わりそうだった。
アリアの引っ越しから間をおかずロゼッタとノーラが移動してきて数日後、拠点の日用品を買い足すためにみんなで市場に来ることになった。
市場といえば、普段は食事のために屋台を利用することがほとんどだが、料理のほかにも食材や雑貨類や金物類、食器類が比較的選択の幅が広く手に入れることができる。
屋台一杯に盛られた野菜や果物、高い位置からフックで吊るされた生ハムや、バケツに入ったまだ生きているカタツムリなども売られている。
食器や調理器具などは、こだわるならば専門店を利用するのが望ましいものの、ひとまずありあわせのものを揃えるなら市場を利用するのが最も手軽だ。通りの左右に店を開いている市場を一周すれば、必要な物はほとんど手に入れることができた。
「思ったよりたくさん買ってしまいましたね。市場でこんな風に買い物をするのは初めてで、なんだか楽しかったです」
身の回りのものは十分に揃っているのに、新しい刺繍入りの靴下とハンカチ、使い勝手が良さそうな小さな蓋つきの鍋まで買ってしまって、完全に買い物の勢いに呑まれてしまった。
王都に来てすぐに鷹のくちばし亭に世話になり、その後はウィンハルト家、今の拠点と、一年の間に住居を転々としたオーレリアだが、多少服を買い揃えることはあっても意外と日用品の買い足しはほとんど行ったことがなかった。
化粧品はウィンハルト家の推薦する美容室を通しての購入だったし、毎回移動先がすでに生活をする場として整っていたということもある。東部にいた頃から今ある物でやりくりして買い物を楽しむという習慣がなかったので、気の置けない仲間たちとの買い出しというイベントにすこし浮かれてしまったようだった。
市場がこんなに楽しい場所であることも改めて知る。一年以上王都で暮らしているのに、まだまだこの街には見ていない顔があるようだった。
「後は薬品店に寄りたいな。歯磨き粉とカミソリは今日のうちに揃えておきたいからさ」
「あ、私も爪切りが欲しいです。うっかり荷物に入れ忘れたみたいで」
「それなら、取りに行ってもいいんじゃないですか?」
「早々に忘れ物を取りに戻ると、またお姉様にうっかりしているとお説教されてしまいそうですから」
そうしてロゼッタとアリアの希望で、両手に荷物を抱えたまま市場の端にある薬品店に足を運ぶことになった。
薬品店は神殿に掛かるほどではない軽微な症状の緩和のための製品を置いている店で、風邪や腹痛の薬や切り傷やあかぎれ用の軟膏といったものの他、歯磨き粉やうがい薬、シェービング用のクリームやかみそりなども売られている。
石鹸のコーナーでは洗えればそれでいいというような、少し獣臭く切り出されたままの武骨なものから、パッケージに薔薇の絵が印刷された可愛らしい製品なども無造作に並べて売られている。
「ノーラ、あんたも髪紐を買っておきな。ちょっと前に切れそうだって言ってただろう?」
「うん、革製の丈夫なやつがいい」
ノーラの白銀の髪は長く、編んで後ろに流しているが、それでも腰の近くまでの長さがある。解けば相当な長さになるだろう。
「また白でいいのかい?」
「うん、誓いがあるから」
「少し長めのがいいね。あんた、水の魔法でしょっちゅう濡らすからあんまり長持ちしないし、予備も買っておくか……」
そう言って、ロゼッタがてきぱきと髪紐を選んでいる姿は、見た目は全く似ていなくても仲のいい姉妹のようだ。アリアと違いノーラは世話を焼かれるのは嫌ではないらしく、ロゼッタがこれでいいかと確認するのにこくこくと頷いている。
「オーレリア、この髪留め可愛いですね」
アリアに声を掛けられてショウウインドウの中を見ると、細かい花の意匠が彫り込まれたべっ甲の飾りがつけられた髪飾りが置かれていた。
同じデザインで乳白色のものや、不思議な青みの掛かったものなどが色別に綺麗に並んでいる。
「不思議な色合いですね、白いのは象牙だと思いますが、青いものの素材はなんでしょうか」
「これは魔角鹿の角を削り出したものですね。個体によって青や緑、魔力の強い個体だと赤やオレンジの色がうっすらと浮き出すんですよ」
アリアの説明に、ほお、と思わずため息が漏れる。
その複雑な色合いが美しく、髪留めの他にも指輪や宝飾品など、色々なものに加工されているのだと教えてくれた。
「魔物素材はこの色合いも素敵ですよね。一角ウサギの角も指輪などに使われることがありますよ。あとは丸く加工して、真珠に近いアクセサリーになったり、先端部分はビーズに加工されて貴族の女性の持つ鞄などに使われていますよ」
ただ、そうした色合いはオーレリアやアリアよりも、もう少し年上の女性が好むファッションなのだと付け加えられる。
「エレノア様ならこういうものをいくつも持っていると思います。ドレスの装飾から宝飾品まで使いどころがありますから」
「色々なところに、ダンジョンの素材が使われているんですね」
髪留めは中々のお値段ではあったものの、新生活の祝いということで揃いのデザインでアリアは涼し気な白を、オーレリアはうっすら灰色掛かった濃い黒の髪留めを購入することに決める。
「ふふ、オーレリアとお揃い、嬉しいです。今度お出かけするときに着けていきましょうね」
「はい、是非」
本格的な夏になれば髪を結い上げて留めるのもいいし、一部を結ってお揃いの髪型にしても楽しいかもしれない。そんな話をしながら引き続き店の中を見ていると、カウンターの向こうにいた年配の女性の店主が、ノーラにちょっと、と声を掛けた。
「あんた、水の魔法使いかい?」
「うん」
「だったらさ、ちょっとこのタンクに水を出してもらえないかい? 今日は暑くて、予定より早くなくなっちゃってね」
この、と指されたのは、カウンターの横に設えられたガラス製の容器である。元々は水が入っていたのだろうけれど、今は底に数センチに満たない程度しか残っていなかった。
薬店は体力増強や滋養強壮に効くシロップを水で割ってその場で飲めるように店頭販売しているが、その割材の水が品切れになってしまったようだった。
「銅貨二枚でどうだい?」
「わかった」
ノーラはあっさりと頷くと、軽く手をかざす。瞬く間にタンクの中に水が生成されて中にたっぷりと満ちるのを何の気なしに見ていると、水はあっという間に容器一杯になって、細くくびれた入り口からざばりとあふれ出してしまう。
あふれ出した水はカウンターの上に置かれた小物やトレイを押し流し、床まで一気にこぼれ出した。
「ちょっとちょっと! 溢れてるよ」
店員も慌てて声を上げるけれど、ノーラ自身も驚いた様子で目を見開いている。オーレリアが慌てて思わず駆け寄ろうとすると、床の水を踏むより先に、ふっとその水が消えてしまった。
あまりにあっさり消えたので、床に落ちた小物が転がっていなければ何かの錯覚だったのかと思っていたかもしれない。
後には、タンクの口元まで満ちた水だけが残っていた。
「連れが失礼いたしました。濡れたところは全て乾かしましたので、ご容赦下さい」
床に落ちていたトレイと可愛らしいブリキのおもちゃを拾い上げると、ジェシカは元の場所に戻し、丁寧に言った。
「あ、ああ……いや、驚いたけど、商品が濡れてないなら構わないよ」
「幸いカウンターと床だけだったみたいです。少し魔力の出力が強すぎたみたいですね」
「……ごめんなさい」
ノーラはしょんぼりと肩を落として、うつむいてしまっている。小柄でぱっと見まだ幼い少女のように見えるノーラなので、真っ白な小動物が落ち込んでいるようにも見えてしまう。
「いや、水を汲みに行くのを不精した私もよくなかったよ。店に被害がなかったならいいさ」
寛容に言うと、店主はノーラに銅貨二枚を手渡した。
「ありがとう。でも」
「あと、これはお礼。薬草飴だよ。舐めると喉がスーッとするから、舐めて元気を出しな」
「うん……」
ノーラは相変わらずの無表情だけれど、気まずい思いをしているのが少し落ちた肩から伝わってくる。それにロゼッタが、ぽんぽんと薄い肩を叩いた。
「ちょっと張り切りすぎたな。ジェシカ、対処してくれてありがとな」
「いいえ、すぐに対応できてよかったです。それにしてもノーラさんは、本当に力が強いんですね」
おっとりと言うジェシカに、ノーラはうん、と小さな声で言って、頷く。
「でも、いつもはこんな失敗はしない。今日は調子が悪かった」
「魔法はメンタルに強く左右されますし、そんな日もありますよね」
ノーラの言葉にジェシカはあっさりと頷き、騒がせた詫びに薬店で購入する予定のものの他、薬草茶をいくつか追加で購入し、帰路につくことになった。
簡易包装だがアリアと揃いで買った髪留めは、それぞれのバッグに収められる。
「こうしてお買い物をするのも楽しいですね。またゆっくり回ってみたいです」
「本格的な夏になったらラグを新調しましょうか。拠点にもエアコンを入れますし、可愛いひざ掛けとか、クッションとか、拠点は人が集まることも多いので、お茶用のカップなんかも買い足してもいいと思います」
「帰ったらひとまず薬草茶を淹れましょうか。風邪の予防にいいと言っていましたし」
多少のトラブルはあったものの、買い物を済ませて拠点に戻る足取りは軽く、久しぶりにのんびりと過ごせた休日だったと思う。
そんな話に花を咲かせているうちに、そのトラブルもすぐにオーレリアの思考から薄れて、消えてしまうことになった。




