173.夜会と駆け引きと妹心
きらびやかなドレスに身を包んで入場したホールは、塔結石を削り出したシャンデリアの光が輝く光で満ちていた。
最近はあえて火の魔力を入れて、少し光に赤みを出すのが流行っていて、今夜のパーティもその趣向に沿ってホールに淡い赤の光が輝いている。
「メイソン伯爵、本日はお招きをありがとうございます」
「おお、グレゴール! 王都に戻ったとは聞いていたが、真っ先に会いに来てくれないとは水臭いじゃないか。オリヴィアも、相変わらずお美しい」
「ほほ、ありがとうございます、メイソン伯爵。王都に戻ってしばらく私が体調を崩していたので、その回復を待っていたのです。若い頃は本領と王都の往復なんて何ともなかったのに、お恥ずかしいですわ」
「なんのなんの、今でも貴女は社交界の妖精と呼ばれるに相応しくお美しい。まったく、グレゴールが羨ましい限りです」
惜しみなく美辞麗句を告げる本日の夜会の主催者の隣に立つ妻のイザベラが、あら、と扇で口元を隠し、目だけで微笑む。
「旦那様、私に何か思うところがあるのかしら?」
「まさか! 君は今も私にとって空に輝く星だ。その輝きに触れたいと手を伸ばす哀れな求愛者だよ」
「ははは、星を手に入れた幸運な男が、何を言っているのですかな」
談笑をしている輪の中から、少しずつ、さり気なく後ろに下がって離れていったものの、本日のアリアのお目付け役のレオナは目ざとくついてきた。
「イザベラ様とお話するのもお久しぶりでしょう? お姉様はお話していてもいいですよ。私は壁際のベンチで休んでいますから」
「あなたから目を離すわけはないでしょう。全く、困った子ね」
両親とともに主催者への挨拶を終えたところで、自分の今夜の仕事は終わったも同然だ。後は派閥を同とするもの同士で勝手に話をしているだろう。
上の世代はそうして会話に興じているものの、参加している未婚の令嬢たちにはダンスを申し込む列ができ始めていた。
「アリア、あなた一曲も踊らないつもりなの?」
その言葉に、軽く肩を竦める。
未婚の令嬢にとって、こうした夜会でダンスを申し込む男性が途切れることは非常にみじめなこととされている。シャペロン以外に話す相手もなく壁際のベンチに座って時間をやり過ごすにいたっては、一刻もはやく帰る時間になってほしいと祈る苦行の時間らしい。
もっとも、それらはリッチな結婚相手を探している若い女性の事情であって、アリアには何の関係もないことだ。ダンスは大して好きではないし、そもそも相手を探していない。
「私が踊っても仕方がないでしょう。ほかの令嬢にチャンスを譲るほうが、むしろ親切というものですよ」
扇で口元を隠してひそひそと告げると、姉は盛大に呆れたような表情を浮かべている。
「無理にお相手を見つけろとは言わないけれど、出会いの機会くらい残しておいてもいいんじゃないかしら」
「必要ありません」
義兄と仲のいい姉にとって、結婚というものはよほど良いものらしい。
アリアがそれを望んでいないことは理解していても、どこかで背が高くハンサムな男性に出会えば、ころりと意見を変えるとでも思っている節がある。
「そもそも、この夜会はお相手探しの場ではないのでしょう。仕事は山積みなのに、ちゃんと参加しているだけで許してほしいです」
「早々に挨拶の輪からも離れたのに?」
両親や姉夫婦の少し後ろでにこにこと笑っているだけで済むなら、それで構わない。
けれど、社交の場ではそうもいかない。紳士がアリアではなく父親であるグレゴールに美しいお嬢さんだ。どうぞ私と一曲お願いしますと許可を求めてくれば、面と向かって拒むのは難しい。
社交とは、相手の面子を潰しては成り立たないものだ。つまりその場にいないのが最も良い判断である。
お目付け役の姉と会話をしている間は余計な相手も近づいてこないので、逃げ損ねたもののこれはこれで悪くない。
「レオナさん、アリアさん、お久しぶりです」
このまま少し時間を潰して、時間を見計らって体調が悪くなったとでも言って退出しようと目論んでいると、二人に声を掛ける者があった。
「スチュワート伯爵夫人。お久しぶりです。先日のお茶会以来ですね」
「こんばんは。ウィンハルト伯爵家は総出で参加ですのね」
やはり同じ派閥に属するスチュワート伯爵家の夫人である。その後ろには彼女の娘だろう、山吹色の髪を結い上げた若い女性が控えていた。
「いやですわ夫人、今はまだ、子爵家ですわ」
「ふふ、夏に陞爵するならば、もう実質伯爵家ではありませんか? 今回は本当におめでとうございます。まあ、ウィンハルト家ならば遅すぎたというべきなのでしょうけれど」
「父も、自分の代で陞爵するとは思わなかったと驚いていました。私としては過分な評価であると、緊張するところですけれど」
王都の地盤維持を跡取りである姉に任せて本領や商売先を飛び回っていた両親が突然王都に戻ってきたかと思えば、この夏に王国に対するウィンハルト家の長年の貢献を認め、陞爵の運びとなったのだという。
子爵家としては大きな経済力と商業的地盤を持つウィンハルト家である。同時に国に有益な者への投資や育成も惜しみなく行ってきた、それが評価されてのことらしい。
夏の陞爵の儀に至る前に、こうして派閥の家のパーティに参加し、改めて社交を行っているのも、アリアがウィンハルト家の一員として参加しているのも、そのためだ。
後継ぎで、次代のウィンハルト女伯爵である姉はともかく、いずれ家を出ることになるだろう自分まで参加する必要があるのかと渋々というところではあるけれど、本家の一員の名を名乗っている以上、今は仕方のないことだ。
「アリアさんは、ダンスは踊らないのかしら?」
「私はまだ恋も「戯れ」も、少し早いようですので」
戯れは、いわゆる恋愛に行きつくかどうかの駆け引きのことで、言葉や仕草で相手を挑発したり、からかったり、軽くスキンシップをして楽しむことだ。
社交界にデビューした令嬢で、これがある程度できなければ野暮で粋ではない田舎者として軽んじられることすらある。
「でも、あなた目当ての紳士もどうやらたくさんいるようよ?」
ちらりと視線を向けられた先には、数人の男性が談笑を楽しんでいる。あからさまな視線を向けてくることはないものの、さり気なくこちらを気にしている様子には気づいていた。
「私のようなはしたない女では、交流を持った男性が気の毒ですわ。今夜は姉と夜会の雰囲気を楽しむに留めておくことにします」
「そう……まあ、そういう過ごし方も素敵ね」
何気ない言葉ではあったものの、僅かに安堵が滲んでいる。レオナは見かねたらしく、微笑んで優雅に礼を執った。
「妹はこの通りなので、隅でお説教をしてきますわ。スチュアート伯爵夫人、祝福の言葉をありがとうございます。シンシア嬢も、パーティを楽しんでくださいね」
「あ、あの、はい……ありがとうございます」
レオナに肩を抱かれ、その場を後にする。アリアの友人よりさらに気弱そうなシンシアは、母親に連れられてホールの中心へと戻っていった。
「シンシア嬢、もしかしてまだ婚約者が決まっていないのでしょうか」
「戯れの相手に夢中になっていたという話は聞いていたけれど、婚約には至らなかったようね」
婚約していない以上、交流のあった男性を咎めることはできない。社交界は正式な相手を見つけるまで複数の異性をキープするのは普通のことであるし、婚約をしていない相手に本気になる方が、どちらかといえばルールを判っていないとされる。
「だからといって、私を牽制しても仕方がないでしょうに」
「あら、あなた最近王都の社交界では注目されているのよ」
「お父様が伯爵になったからといって私が次女であることが変わるわけでもありませんし、年間金貨何百枚と積み上げていても、夫に口座の管理を任せるつもりもありませんよ」
貴族で家を継げるのは長男か、男子がいない場合はしかるべき相手と結婚している長女だけである。
そのため、次男以下はできるだけ財産を持っている女性を、女性は貴族の長男か、富裕層の男性を結婚相手にするべく選別に余念がない。
最終的に最悪の結果になったとはいえ、幼い頃から婚約者のいたアリアはその手の恋愛競争に参加せずに済んで楽だとすら思っていた。
シンシアは、アリアと同い年の元友人の姉だ。おおむね二十二歳程度で結婚する貴族の女性としては、そろそろ婚約者がいないことに強く焦り始める頃なのだろう。
そうした娘がいる場合、未婚の男性の多い夜会で母親が娘のライバルになる令嬢を牽制するのも、よくある話である。
「あなたは顔は可愛いのに、どうしてそう可愛げがないのかしらねえ」
「あら、私だって必要な時は可愛げのひとつやふたつ、出し惜しみしたりはしませんわ。必要のない場所で無駄な投資をする気はないだけです」
そう言ってにっこりと微笑むと、レオナは白い手袋に包まれた手で頬を押さえて、ほう、とため息を漏らす。
「まあ、私も今の時点であなたに声を掛けてくる男性を相手にする必要はないと思っているけれどね」
財務局でのやりとりは、耳の早い貴族にはとっくに広まっているはずだ。
その上で自分のような扱いづらい娘にそれでも声を掛けてくるのは、黄金を積み上げ続けているアウレル商会の代表の一人であるという部分が大きいのだろう。
おまけに長く婚約していた相手との破局や、財務局とのやりとりも含めれば瑕疵のある令嬢扱いで、軽く見てくる者も少なくない。
「それに、好きにしたらいいわ。どこかで失敗しても、あなた一人くらいなんとかしてあげるから」
「……私が失敗するときはオーレリアを巻き込むことになりますから、しませんよ」
「それでもよ」
何かと口うるさくお節介で、お説教も多い姉だけれど、時々こうしてやけに懐の深いところを見せるものだから、そのたびにアリアは動揺してしまう。
――敵わないなあ、本当。
「……ありがとうございます、お姉様」
「そうそう、今のは中々可愛げがあったわよ、アリア」
余裕気な笑みに、そういうところが素直に可愛い妹でいられなくさせているのだと本人が理解してくれる日は、まだまだ遠そうだと思う妹心だった。
このお話は19世紀末から20世紀初頭くらいをイメージして書いているのですが、貴族の恋愛結婚も一般化してきた当時の婚活は中々大変だったようで、年頃の娘さんが娘の相手にと狙っていたハンサムなお金持ちと会っていたら、家に乗り込んで邪魔するお母様もいたらしいです……。




