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転生付与術師オーレリアの難儀な婚約  作者: カレヤタミエ


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172/204

172話 二十五年前の悲劇と葉巻

疫病と死を連想させる描写の多い回です

苦手な方はお気をつけください

「それでは、本日はお疲れ様でした」


 アウレル商会の代表の一人であるオーレリア・フスクスは、丁寧に挨拶をして、護衛二人とともに退室していった。


 すでに何度も顔を合わせているけれど、立て続けに積んでいくその功績の高さとは裏腹に、彼女自身はとても丁寧で、腰が低いと感じさせるほどだ。


 カミロは最初の頃、その丁寧さが一種の擬態なのではないかと疑っていた。


 熟練の商人の中には、必要以上に自らを大きく見せようと振る舞う者も少なくない。自信満々に笑みを浮かべ、葉巻をふかし、胸を反らして高らかに自分の意見を口にする。自分の判断に自信の持てない者を信じるのは難しい。大物ぶるのは商人としても資本家としても決して悪くない態度だ。


 その一方で、決して自分の功績や手柄を誇示しようとしない者もいる。貴族によく見られる社交術とは違い、彼らは穏やかで誰に対しても丁寧で、弱者には親切に振る舞い悪辣な手段を使うことはないと思わせる。


 カミロは商業ギルドの人間として、後者のほうがよほど老獪で、扱いが難しいことを経験から知っている。


 彼らは、自分が何者であるかを誇示する自尊心よりも、もっと重要なものを内側に忍ばせている場合が多い。


 今ではオーレリアのあの態度が演技によるものではなく、彼女自身がごく普通の、穏やかで善良な女性なのだということも分かるようになった。


 ――それはそれで、少々恐ろしいが。


 カミロの感覚では、武器はそれに相応しく見える人間が持っているほうが、よほど分かりやすい。


 柔らかく微笑みながら、いつどこから忍ばせた刃を取り出すか分からない人物のほうが、対面していてよほど緊張するものだ。


「副長、お疲れさまでした」


 商会対応担当のヴァレンティンがそう言うのに苦笑を返し、懐から葉巻のケースを取り出す。


「一服、付き合ってくれ」

「はい、喜んで」


 ソファに深く腰を下ろしたまま、葉巻のヘッドをカッターで切り落とし、火をつける。


 甘い煙を口の中で味わい、ゆったりと煙を天井へ吐きながら、カミロはそれに混じるようにため息を漏らした。


「試作機がうまくいけば、北区は、少なくとも飲み水に困らなくなるな」

「はい、きっと」

「二度と、二十五年前の悲劇を、繰り返さずに済むかもしれない」


 北区の浄水装置の設置は、アウレル商会との契約に含まれる慈善事業の一つだった。


 北区は、貧民が集まる地区である。

 職を持たず、病に冒され、親のいない子どもたちが身を寄せ合って暮らしている、極めて貧しい場所だ。


 衛生状態は常に悪く、口さがない者は王都の汚点とまで呼ぶ。


 二十五年前の悲劇も、まさに北区から始まった。


 あの年、北区から始まった疫病は多くの住人を下痢と嘔吐で死なせ、その死体の腐敗で王都には様々な病気が連鎖するように蔓延していった。

 当時、その病は、悪臭によって悪い風が体に入り込むことで発症するものだと考えられていた。衛生環境の悪い北区で特に頻発していたことや、発生が初夏から夏にかけて多かったことも、その説を後押ししていた理由の一つだ。


 雨が降るたびに下水から悪臭が立ち上り、これが病を媒介するのだと、多くの者が北区から顔を背けた。


 数少ない善良な人々は慈善事業として北区に通い、食糧の配給や炊き出しを行うこともあったけれど、それも焼けた石に水をかけるようなものだ。病の広がりは留まるところを見せず、じわじわと隣接する地区や中央区にまで魔の手は広まっていった。


 やがて、王都のあちこちで体調不良を訴える者が増えていき、死者が出るようになるまで、あっという間のことだった。


 その病は人から人へと感染するのだという噂がまことしやかに語られるようになり、症状の出た家には健康な者が近づかぬようにと、目印の黄色い旗が立てられるようになった。


 とりわけ、北区はその色で埋め尽くされた。沈鬱な町の空気とは裏腹に、鮮やかな黄色の旗(イエローフラッグ)が風にはためく光景は空しく人々の目に映ったものだ。


 葉巻の煙を吐き出しながら、カミロは静かに当時のことを思い出す。


 状況を重く見た議会は非常事態下の特令を出し、その時期に亡くなった者は衛生課の馬車が速やかに遺体を回収し、埋葬することが義務づけられた。


 下痢と嘔吐に苦しみ、顔は土気色に変わり、枯れ木のようになった人々がまるで物のように馬車に積み上げられて、運ばれていく。


 身寄りのない者は衛生課が回収しやすいよう、遺体がまるでゴミのように道路脇に積み上げられ、悪夢のような光景が、日々続いていた。


 今も、あれは本当に現実だったのだろうかと、カミロは時折考える。


 王都の北の大門から少し離れた先には、共同墓地がある。


 神の国へ渡った者はそこに埋葬されるが、二十五年前は墓地を建てることも追いつかず、地の魔法使いたちが大規模な穴を掘り、亡くなった住民たちの遺体は半ば放り投げるようにそこへ捨てられ、土で覆われた。


 そこには今も、カミロの母が眠っている。


 あの頃、カミロは成人していくばくかが過ぎた頃だったが、葉巻の甘い臭いが悪疫を遠ざけるとして、父に勧められて吸うようになり、以来、今でも時々こうして火をつけることがある。


 独特な甘い臭いは記憶と強烈に結びつき、葉巻に火をつける時間はカミロに母の最期を思い出させた。


 穏やかで善良な、普通の女性だった。貧しさも飢えも北区の子どもたちに責任はないのだと寂しげに言うような、そんな人だった。


 容姿は少しも似ていないが、そうした弱い者への慈悲深さは、どことなくオーレリアと重なるものがある。


 北区の炊き出しに出ていた母は、帰宅後、少し熱っぽいと言って寝室に入り、そこから下痢と高熱を伴って苦しみ始めるまで、ほとんど時間はかからなかった。


 年の割にふくよかで肌艶もよかった母は、ほんのわずかな期間で肌色が変色し、しぼんだように細り、この世を去り、悲しむ時間すら与えられず遺体は衛生課の職員によって運び出され、埋葬されることになった。


 カミロの家にも疫病を出した印の黄色い旗が立てられ、ヒリついた険悪な雰囲気の中、北区などに行くからだと、自分たちに感染したらどうしてくれるのだと周囲の住民からは悪し様に言われた。


 母の死を悼むどころか、時には露骨な差別の言葉を投げつけられることもあったほどだ。

 事態が収束した後、その大穴を埋めた場所には、疫病犠牲者の慰霊碑が建てられ、今も遺族が花を添えている。


 母のための墓は、結局作られないまま。


 ――仕方がない。


 悪疫は悪疫を呼び、連鎖的に広がっていく。被害を最小限に抑えるために、個人の想いや願いは後回しにするしかない。


 母だって、穴を掘り返すことで再び悪疫が解き放たれるようなことがあれば、より強く嘆くだろう。


 そう自分に言い聞かせながら、病が治まった後の何事もなかったかのように日常へ戻っていく近隣の住民たちを眺め、カミロは言いようのない虚しさを抱えていた。


 時に葉巻に火をつけて物思いにふけり、時に強い酒を飲んで眠りにつき、夜をやり過ごすこともあった。


 その数年後、スキュラの魔石が持ち帰られたことで少なからず王都の水事情は改善し、以降あの時ほど大規模な悪疫は発生していないものの、貧民が暮らす北区では散発的に発生している病である。


 母の死後、むなしさをやり過ごすように仕事に邁進し、商業ギルドの副長にまで上り詰めたものの、自分の胸には葉巻の煙でしか満たせない空虚な穴が空いたままであると感じることもある。


「商業ギルドの長が、私の人生の到達点であると思っていたが、まだ先があったようだよ」


 ヴァレンティンはそうですね、と静かに頷く。

 彼もまた、幼い妹をあの悪疫に奪われた者のひとりだ。


 五年後、北区にはもう悪疫は発生していないかもしれない。

 十年後、王都の誰もが安心して水道から出た水で渇いた喉を潤しているかもしれない。


 まさに夢のような未来だ。


「この仕事を、必ず成功させましょう」

「ああ、そうだな」


 いずれ歴史の中に悪疫は静かに埋まり、誰もが忘れてしまう日が来たとしても――いや、そんな日が来ることこそを、夢見よう。


 黄金の鎖の名を持つ商会の、朝焼けのような髪の付与術師の指し示してくれた道だ。


 葉巻を灰皿に置いて、その火が消えるのを眺めながら、いずれこれが自分に必要がなくなる日がくるかもしれない。


 そんな予感は僅かに寂しく、そして思わず笑みを浮かべてしまうほど、希望に満ちたものだった。


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― 新着の感想 ―
コロナ禍 思い出さずにはいられませんね 辛くもあり でも忘れたくない
読んでいて涙ぐんでしまった。俺おっさんなのに恥ずかしいw
胸アツ展開だった…
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