171.王都と安全な水の未来
春から初夏にかけて、王都は街路樹のマロニエの白い花があわく彩りを添え、ふんわりとレースをかけられたように華やかな様相を見せるようになる。
オーレリアはその日、ジーナとジェシカと共に西区にある商業ギルドの本部を訪れていた。応接室に案内されると、すでに副ギルド長のカミロと、商会担当部長のヴァレンティンが待っていた。
「オーレリア嬢、ご足労ありがとうございます」
「こちらこそ、ご連絡をありがとうございます」
丁寧に挨拶をしあって席を勧められ、テーブルを挟んでカミロとヴァレンティンの向かいに座る。すぐにお茶が運ばれてきて、それに口をつける。
「すっかり春めいてきましたね。アウレル商会のますますの発展を、お慶び申し上げます」
ヴァレンティンが穏やかな笑みを浮かべながら告げる。彼とはつい先日、「レトルト」の意匠権の登録の際に顔を合わせたばかりだ。
すでにある程度の試作品を作り腐敗などの問題が起きていないことを確認し、意匠権の登録のあと、新たな長期保存食品ということもあり、内務局の管轄である衛生課の裁可が下りるのを待っている状態だ。
衛生課は前世でいうところの保健所のようなもので、屋台や食堂などの開業や食品を取り扱う商会にはなじみの深い部署であり、衛生課の販売許可が下り次第、冒険者ギルドを通じてまずは冒険者相手の携帯食として販売が始まる予定である。
「ありがとうございます。ヴァレンティン様には毎回、お世話になっています」
オーレリアやアリアが代理人を立てて衛生課に申請するのも可能だが、ギルドを通した方が許可が通りやすく迅速に対応されると助言され、ヴァレンティンが申請を代行してくれることになった。
「もうそろそろ審査が終わるでしょうし、そうなったらレトルトも販売が始まりますね。私も個人的にいくつか購入させていただきたく、楽しみにしています」
「でしたら、正式に発売されたら商業ギルドの方に贈らせていただけたら」
オーレリアが発明を乱発するため、商業ギルドには普段からなにかと世話になっている。商会担当という立場であるとはいえ、ヴァレンティンの色々な助言やサポートにはとても助かっているし、それくらいはさせてほしいと申し出たが、彼は困ったように微笑んだ。
「いえ、お気持ちはとてもありがたいのですが、それはあまり推奨されていないのです。賄賂や贔屓につながるおそれがありますので」
「ああ、なるほど……考えなしですみません」
商会が所属するギルドであり、現在は提携先でもあるとはいえ、距離が近くなりすぎれば何かと弊害も出てくるのだろう。申し訳なく思っていると、カミロがこほん、と小さく咳払いをした。
「私は書面で見ただけですが、レトルトは完全に新しい流通形態で、かつ当面は冒険者ギルドに卸すのみの規模ということですよね」
「はい、軽くて携帯性もよく、入れ物はスライムが問題なく処理してくれるので、その形がいいだろうということになりました」
「では、商業ギルドにはサンプルという形で、いくらか譲っていただければ助かります。我々の方でも試してみて、行商に出る者や決算期の残業組から希望があれば、いくらか卸すことを検討していただければ」
勿論サンプルの代金は支払いますので、と続けられ、隣に座るヴァレンティンが軽やかに笑う。
「商人というのは好奇心が強いものですから。新しい商品と聞けば、是非自分で試してみたくなるものです」
「ヴァレンティン、君、みなまで言うものじゃないだろう」
「アリアとも相談して、良い内容のレトルトを用意するようにしますね」
軽く笑い合って、そこからようやく本題に入ることになった。
「もう試作機に入ると聞いたときには驚きましたが、かなり順調なんですね」
「はい。もうすぐ雨期が始まるので、それに合わせて設置を急ぎたいという意図もあります。雨季はどうしても川が増水し、下流は水が濁りやすくなってしまうので」
元々王都は水が豊かであり、かつ二十年前に持ち帰られたスキュラの魔石による水路の増設もあって、普段からさほど水に困る状況になることはない。
だが人口が多く、排水や排泄物による水の汚染はすくなからずあり、必ずどこも綺麗な状態であるとも言い難い。
特に水路の下流に当たる北区は、そうした汚染が深刻になることも多いのだという。
「大雨が降った後は、下流にいくほどひどい臭いになるもんな」
「ええ、水の魔法使いとしても、あまり気分のいいものではありませんね」
ジーナとジェシカの言葉に、カミロはしっかりと頷く。
「特に、夏に向かって気温が上がってくると北区には下痢の症状が蔓延しやすくなります。これは毎年一定数起きることで、王宮や議会としても水は飲用する場合、一度沸かしてからと勧告を出しているのですが……」
「運河から汲んだ水はともかく、井戸水にも煮沸が必要になるんですか?」
「どうも、汚染された特定の井戸の水を飲むと、同じように腹を壊すようです」
「そうなんですね……」
水を沸かすには、どうしたって燃料が必要になる。それらは手が届かないほど高価というわけではないけれど、その日の暮らしが精いっぱいの貧しい人たちには難しいことも多いのだろう。
「今年は北区に実験的に浄水施設を作り、実証実験を行いますが、最終的には王都全体に安全な飲用水を供給する浄水施設を建設することを目標としています」
「その建築を目途に、商業ギルドでは新しく「水道会社」の設立を進めていくことになります」
力強く言われ、思わずほう、と息が漏れる。
商業ギルドは国に属さない巨大な組織であり、商人の後援や支援を行い大陸中に網の目を張るように支部を有している。
レイヴェント王国の王都で成功すれば、いずれ大陸中に商業ギルドの支部である水道会社による安全な水の供給が進むだろう。
「現在は、どのような施設を想定していますか?」
ジェシカの問いにカミロが複数の書類をテーブルの上に並べる。
「まずは試作機は、塔型にして水路から水をくみ上げ、ろ過していく形です。これは単純に既存のろ過装置を巨大化したものですね」
「実験の最初期ならば、なぜこんな便利なものを中央区に設置しないのかと文句も出にくいですから」
「実験では問題ないと予想されますが、最初のうちは水の魔法使いが交代で常駐し、浄水の安全性を確認することになります。そうして北区で半年ほど水の安全性を確認したら、次に西区に浄水をそれぞれの槽に分けて段階的に行っていく方式の施設を建設する予定です」
その言葉に、北区の人たちを浄水施設の安全性の実験につき合わせてしまうようで申し訳ない気持ちも感じたけれど、安全性の確認は特に気を付けてほしいと何度も願っているし、商業ギルドも冒険者ギルドも、オーレリアのその依頼に真摯に応えてくれている。
この施設が稼働することで、一人でもお腹を壊してひどい目にあうことがなくなればいい。
「これはある程度規模が大きく、区にひとつあれば上水道が丸々賄える規模を目指すことになります。大規模な工事になるので、象牙の塔とも共同研究を進めています。ミズベタの生物膜の交換さえなければ、地下にろ過施設を作って浄水を井戸のようにくみ上げるという案もあったのですが、当面は難しそうですね」
ジェシカは資料をしっかりと見つめ、頷く。
「何もかも初めてのことですし、試行錯誤になるでしょうね」
「ですが、希望のある研究になりますよ」
カミロはカップに口をつけて、それからしみじみと言った。
「研究も実証実験も始まったばかりですが、十年もすれば王都は住人が安全な水をいつでも安心して使える都市になっているかもしれません」
「本当に、夢のようですね」
ヴァレンティンもしみじみと呟き、ジーナとジェシカもそれぞれ頷いている。
水道から出てくる水を煮沸なしで、安心して飲むことができる。それは前世が日本人であったオーレリアにはごく当たり前のことであるけれど、国の首都の井戸の水すら煮沸が推奨されるこの世界では、まだまだ夢の技術である。
だが、夢が夢でなくなる日が、必ず来るのだろう。
「その日が、一日でも早く来るといいですね」
「ええ、本当に」
穏やかに笑い合い、今後の予定や建設の日程、開塔式には是非アウレル商会の代表として出席してほしい旨など話し合うことになった。
その最中も、確かにそこには、希望が満ちていた。
出版社様より年賀状やお手紙を転送していただきました。
本当にありがとうございます。励みにして今後も頑張っていきます。




