二 二人
空色 緋環ヒロイン? 登場です。
二人が話している間にも、何人かの生徒が冷やかしの眼で眺めながらも傍を通り過ぎる。気がつけば周囲に学生は誰もいなかった。
人気が無くなった校庭を、涼しい風が一房の帯のように流れた。
「教室で、前からも後ろからも左右からも、同じ台詞をずっと聞かされたら。私……」
もう立ち去る素振りを見せない御裏の服の袖をぎゅっと掴み、彼女は下を向く。
混乱して何が何だか、ひょっとして自分がおかしくなったのかと疑い始めた時、不意に御裏が普通に話しかけた。
彼女にとって、自分が正常だと示す唯一の命綱だった。
「確かに教室という密室であの状態はきついな」
御裏の言葉を遮るように、授業開始を告げる電子音のベルが鳴る。校舎を見上げた御裏が、窓際の生徒達の影を眺めながら言った。
「あ……遅刻した。お前のせいだぞ」
「この非常事態に授業受けるつもり……不良っぽいのに遅刻が気になるの」
泣きかけていた彼女が顔を上げ、信じられないと呟いた。
「俺さ、ちゃんと卒業する気あるから」
伸ばした髪の上から首筋をポリポリ掻き、御裏はため息混じりに話す。
「まだ学年始まったばかりだろ。俺さ、去年ぎりぎりだったけど、今いいイメージを植えつけておけば、今年は過ごしやすくなると思うんだよな。俺にも色々事情があってさ」
指先が白くなるまで掴んでいた彼女の腕から力が抜ける。
「よほどの事情があるんだね。いきなり会ったばかりの他人が、勝手に引き止めて迷惑だったよね」
名残惜しそうに校舎を見上げる御裏から離れ、鞄をギュッと胸に抱きしめる。下を向き、自分に言い聞かせるように呟く。
「私一人で何とか…………どうせ一人だし」
「ま、いっか」
ふわふわした茶色の髪の毛を手櫛で撫でながら、御裏は明るい声で振り返る。
「今日は別の事情ありだし、さぼろうぜ」
「え、え、いいの?」
諦めていたのだろうが、助け船を出され彼女が驚いて顔を上げる。
「出席は惜しい、実に惜しい。だけど一日中のりっこさん聞かせられるのも嫌だな」
校舎の入り口の低い階段を飛び降り、鞄を肩にかけた御裏はにっと笑う。
「泣きそうな顔で、入るなって脅迫する怖い奴もいるし。気分転換にその辺ぶらつこう」
御裏の明るい笑顔に一瞬だけ見とれた彼女が、鞄を振り上げて階段を飛び降りる。
「怖くない、それにまだ泣いてない。脅迫した覚えなんてもっとない。誇張しすぎ、取り消しなさい」
「うわ、怒った怒った」
笑いながら逃げた二人を見つけた先生の一人が、二階の窓を開けて眉間に皺を寄せ何か叫んだ。
『さあ! お便り一枚目はペンネーム!!!』
「ごめんなさーい、急用です!」
御裏は笑いを堪え、両手を謝る形にして掲げると、素早く校門まで駆ける。
「あ、待ってよ」
慌てて彼女も追いかける、その後姿にも先生の怒鳴り声が響く。
『のりっこさんか!!!』
言われた彼女が笑ってはいけないと唇を噛み締め、ほほをプルプル震わせながら大声で返事する。
「私も同じく、急用です!」
御裏に続いて門から出ると、右手で後頭部を押さえた御裏が、学校と反対を向いて立っていた。
息を切らせた彼女が後ろから声をかける。
「はぁ、はぁ……学校行かないって吹っ切れたら……気が楽になって面白かったね……どうしたの」
固まった表情の御裏の顔を覗き込むと、走った後なのに顔色が悪いようだった。
御裏が小さく呟いた。
「歪だ」
校門を出た瞬間、ねじれて歪んだ重たい鉄の塊が、脳内に落ちてきたような衝撃と爆音を感じた。
冷たい金属の感触と、曲がった部品がぶつかる違和感さえもリアルに感じた。
御裏は首をさすり、ぎこちなく笑って答える。
「何でも……たまに痛くなるんだ、関節のどっかがずれているのかな。いつも少し待てば治るけど」
「それって、大丈夫なの。お医者さんとか行かなくていいの?」
「えーとな、どっちかっていうと、精神的なもの、だと思うから」
心配して覗き込む彼女から顔を逸らし、御裏は何処へ行くとも言わず歩き出す。鞄を抱えた彼女が後ろに続く。
「可愛い子をせっかく連れ歩いているのになー、どっか二人で休める場所に行こうか」
御裏がそう言いながら斜め後ろを歩く彼女を見る。彼女も後ろを振り返る。
「誰をお探しなの?」
「お前しかいないけど」
「可愛いって私、今そう言われたの。美人はよく言われるけど、可愛いって嬉しいな」
照れた笑いで自分の顔を指差す、その仕草を見て御裏は頷く。
「よく言った、凄い自信だな。あまり調子に乗ってると、いつか痛い目に遭うぜ。今後のために、俺がどんな目に遭うのか体に教えてあげようか」
「褒められて嬉しいけど、あんた……私をいきなりどこに連れ込む気」
照れた笑いから一転し、冷めた顔つきの彼女が、凍るような流し目で問いかける。
御裏はしれっと答える。
「あのなー……俺はそんな趣味無いし、そんな意味も無い」
「だよね」
「と、言いながら、なぜに前を向いたまま後ろに離れる」
「野獣がいるみたいだから」
「学校の近くに野獣がいるのか?」
「あんたしかいないわよ」
御裏は頬を数度引きつらせた。
「あのな、俺がそんな奴に見えるか。違うって」
「見えないから余計驚いた、逆にそうは見えない人がそうなのかもしれないって疑ったわよ。本気でも冗談でも寒かったな、ここ鳥肌立ってる」
彼女が制服の袖を捲り、二の腕の内側を示す。抜けるように白い肌だった。
「うわ、ほんとだ。色白だから目立たないけど」
「見ないで、今、何を考えて……いいえ結構。聞かせないで、答えないで」
さっと服の袖を下ろし、自分の腕をかばう様に片方の腕で押さえて離れる。
あまりにも露骨な態度に、軽い調子で会話を合わせていた御裏も、さすがに機嫌を悪くする。
「俺が何か言ったのかもしれないけどさ、そんな態度取っていいのか。一人で置いていくぞ放置されて泣くなよ」
「放置するなんて……そうなったら、あんただって一人になるのよ」
「俺にとっては、こんな状況は今回が初めてじゃないからなー。これくらいならやり過ごせる。いけるいける」
「そうやって強がって、一人にすると脅して、何させる気」
「何にも、俺はお前に興味がないと理解してくれればいい、初めから、全くない。
たかがサラサラ黒髪の、色白美人に対して、変な意味での興味がある筈がないと納得すればいい」
「そこまで言われると褒められているようで、逆に傷付いた。私を本気にさせたわね」
本気で悔しいのだろう、彼女は鞄で御裏の背中を叩いた。
「うわっ、見た目に反して結構暴力的だな……それともう一つさ、確認したいんだけど」
振り回す彼女の鞄を、自分の鞄でガードしながら尋ねる。
「何?」
「お前の名前何ていうの、俺の名前は……」
鞄を下ろした彼女は、先ほどの凶暴性をどこかに忘れたように普通に答えた。
「御裏命でしょ、知ってる。三年生でしょ、割と目立つ人だしね」
「知っていたのか、それでお前の名前は?」
彼女は鞄の中から生徒手帳を取り出し、御裏の目の前に自分の写真と名前が見えるように、指を挟み広げる。
「空色 緋環本名だよ。芸名でもペンネームでも源氏名でもない、生徒手帳を偽造もしていない!」
「ふーん、お前が空色ね……どうでもいいけどさ、どうしてそんなに自信満々なの?」
「どうでもよくない! 珍しい名前だ、印鑑売ってるの、どう読むのこの字。そう思わないの?」
「ん……まぁ……そだね」
はい、ほとんど会話でした。
こんな作品を投稿していたなんて、なんて恐ろしい世間知らずだったのでしょう。
毎回、読み直してアップするたびに顔から火がでそうです。
ごめんなさい、なるべく書き直したのですけど……一年前はこんなに文章が下手だったのですね^^;