二十 沙羅
―― 夜、二人が寝静まった頃。
空色がむくりと起き上がる。
頭から漆黒の滝が流れるように、長い髪の毛がさらに長く伸びていた。暗い部屋ではっきりと見えないが、体形が心なしか変化しているようだ。
髪を下ろし顔を隠した空色が周囲の様子を伺い、そっと部屋を出ようとして、同時に部屋のドアが開いた。
空色母が立っていた。
空色は軽く頭を下げ、夜叉の声で喋った。
「久しくお目にかかる」
別人と化した娘に対し、空色母は普通に答えた。
「お久しぶり、どうしてその子の中に貴方が居るの」
「世界の戦いに巻き込まれ、緊急時故に、断り無しに我が世界へと誘導したが、結果として戦わせてしまい空の人は肉体を破損した。。我が付いていながら申し訳なし。いかにして回復させようか思案し、我の肉体を使い修復を試みた。この体、心配なさらずとも空の人へ譲り渡す」
空色母は、大よその事態を状況と感覚、それに夜叉の言葉で把握したようだ。
「いよいよ、その子の力が目覚めたのね。最強で、使えば何も残さない諸刃の力。そして世界樹に悟られて……今回の戦いの結果は、世界はどうなったの」
「向こうが消滅した、人の世は現状維持である。そのメイカーの力を持つ女人のおかげだ。とはいえ、いずれは復活するであろう」
「とりあえず一段落ってことね。とにかく良かったわ。そうそう、私が昔、貴方と組んで戦った事実は、いずれ私から話したいの。その子は多感な時期で、精神的にまだ脆く未熟なの。メイカーの子は大切なお友達、余計な感情を持たせず、二人の仲を見守りたいのよ。暫くは黙っていて貰えると助かるわ」
「承知した、我は沙羅の人と人の世を守ると誓った。沙羅の人がそう念じるのなら、従おう」
沙羅の人、そう呼ばれた空色母は、過去の思い出が蘇り目尻に薄っすらと涙を浮かばせた。
「こんな私を、まだ沙羅の人として呼んでくれるのね。昔の約束だけど、守ってくれるのね?」
「人ならざる我を信じ、一時でも力を貸して頂いた。そちが居なければ前の戦いで、世界の状況は大きく向こう側に傾いたであろう。我は忘れぬ、我は存在する限りそなたの味方だ」
「ありがとう……今では力の名残を持つだけの、普通の人間で母親よ。とりあえず、今回は人が勝ったのね。大体の事情は分かったわ。その子も疲れているから、もう体を返してね」
空色母は空色と等しく無敵に近い能力を持っていた。
その力を求め、昔に大きな争いがあった。
だが戦い途中で身篭った空色母は、子供が只ならぬ力を持ち、お腹の子供が自分の力を打ち消し、産まれた時には自分の力が渡っていた事を知る。
今では力の残り香が使える程度だった。
結果として戦線離脱し、今現在は一般人として生活している。
空色の力が目覚めるまでは普通に暮らせるよう、注意を払って育てた。自己主張と自意識の強い性格なのは、大事に育てすぎたからだと若干反省していた。
空色はいつしか、家であってもどこか見えない一線を引いた態度を取るようになった。
御裏が訪れ、久しぶりに若者らしい振る舞いをする娘を見た。
心を打ち明けた大事な友達なのだろう、娘の態度がそう物語っていた。
空色の肉体を借りた夜叉がベッドへと戻る。
「元より、恩義あるそなたに、一刻も早くこの件を伝えたいだけであった。すぐに消えよう」
「夜叉。貴方が無益な殺生をしない思想主義なのは十分に知っているわ、貴方の力も知っている、だからその子が今のところ安全なのも同時に分かる。だけど、そこまでして守るというからには、狙っているのでしょう、空の力を」
「この空の人の寿命が尽きるまでは、我は守護する」
寿命が尽きるまでね……空色母は夜叉らしい理屈に思わず笑った。
「うふふ、その子を守ってくれるのなら、死んだ後まで止めないわよ。どうせ私が先に死んでるでしょうから。他の神に取られるよりは夜叉ならまだ、幾らか安心だわ。ねぇ貴方達、歴史の神々は、そこまでして力を得て自由になりたいの、自由って何かしら」
「まず、人以外で自由などと思想する存在があろうか……我は、良くも悪くも勝手に生き方を定められぬ事であろうと思う。たとえそれが苦しく、心の目が曇り、苦行や迷いに満ちた一生であろうとも。我は人を素晴らしい存在であり、同時に何と無駄の多い生物かと考える。されど我は我、人は人なり、自由とは何ぞ。我も心理を彷徨う者なりて答えられず」
腕を組んだ空色母が、少し意地悪く、自分の口を指差す。
「まず手始めに、悩んだら聞いてみるのよ、話してみたらいい、私で良ければ相談に乗るわ。ここに話しかけやすい人間がいるのに、相談もせずに答えを出すなんて、もったいないでしょ。あなた非効率な行動は嫌いでしょ?」
空色に肉体を明け渡そうと、夜叉はベッドに倒れるように寝転がる、
「そうであったな、知恵を借りるという選択であるな。ふむ……早く空の人を休ませよう、我は主格から消える」
「久しぶりに話せて楽しかったわ、相変わらず頑固なところもお変わり無しのようね」
「………最後に聞きたい、この娘の名は、我が?」
「そうよ、名付け親が神のような存在の娘、私の自慢よ」
「我は貴重な機会を与えてもらったのであろう、かたじけない。あの時、我は止まらぬ筈の摂理が、止まったような錯覚を受けた。こうなると予測しておられたのか、未だあの感覚忘れられず」
夜叉はそれだけ言うと目を閉し、空色に全てを明け渡した。
空色母は、夜叉の存在が消えるのを感じると、床で眠る御裏の傍に屈みこんだ。
寝返りを打ち、ずれ落ちたタオルケットを、そっと御裏の背中に掛ける。
「この子を宜しくお願い」
すやすやと眠る御裏に、祈るように囁いた。