十 異界
今回も二人は元気です。
ここまで読んで下さった読者様に感謝を込めて。
空色の家の中で、御裏は途中で見かけた扉や窓、はては階段下の収納までを一々開けて何かを確認していた。
不審に思った空色が、窓から頭を出して外を伺う御裏の尻を引っ張る。
「うわ、いきなり何しやがる。ケツが見えるじゃねえか、大胆な奴だな」
「見たくないわよそんな物、早く上げてよ。さっきから何を探しているのか聞かせなさい」
「お前自分でやっておいて見たくないとか……ちょっと変わった事が無いか、いざとなったら逃げる場所を探していた」
「怪しい、不審、うさんくさいわ」
「あの感覚だ、一日二回は俺も初めてだが、ひょっとするとひょっとするかもな」
「……耳が腐らない言葉が出ることを、一応は失望しない程度に期待するけど、あの感覚って?」
「異変だ、どこか歪んでいるな」
「この家で?」
同じ番組を二回流したテレビ、飲み干した筈のグラスに再び酒が入っていた。
しかし母親の位置は戻っていなかった、どこかが歪んでずれている。今戻ったら空色母はテレビでさっきまでの番組を見ているのかもしれない。
異変が発生する際には、時間がずれる、場所がずれる。
普段ありえない森羅万象に関する物事が誤作動を発する。御裏は過去に何度も渡る数え切れない体験でそれを知っていた。
今が、その時なのか、そうでないかを知るには、ささいな現象が普段の記憶と違っていないかを確認する。
さらに感覚がずれるからか、脳内を打たれたような衝撃や違和感が発生する。
その説明を話しながら、空色の部屋に入る。空色の後から続いて入った御裏がドアを閉める。
ドアが閉まる音に同調し、御裏の脳裏に、錆びた金属が剥がれ落ちる感触。
粉っぽく、ざらついた金属が脳の端にぶつかって砕け散った――――
――――眉間に皺を寄せて首筋を押さえ、立ち止まった空色の背中にぶつかった。
「おっと、何やってんの、俺を入らせない気」
空色は無言のまま無表情で、動かない首をやっと傾けるように、無理に力を入れた動きで御裏を見返す。
御裏は空色の先を見て、口を大きく開き「あーーー」と意味の無い声を発した。
目の前には遠く大自然が広がる森と、緑が生い茂るなだらかな丘が延々と続く景色。
足元は冷たい石の床。
傾いた夕日が、古びた手すりの影を二人に落としていた。
空高く聳える、どこか異国の塔のような場所。夕暮れの風景と風に乗って感じる爽やかな空気が、自分の生まれた国と別世界なのは確かだった。
「綺麗に不意打ちやられた、ここはどこだ」
ドアを閉める祭に異変のスイッチを入れてしまったのだろう。
部屋ごと違う場所へ飛ばされたと察した御裏が、つるつるした石の床を歩き、錆びた手すりにもたれて風景を眺める。
「めちゃくちゃいい景色だ、おいヒリン、記念写真撮ろうぜ。カメラある、無ければ携帯でがまんすっか」
「ちょ、ちょっと……」
「ここはどこ、私は誰ってか」
「私は私よ、ここは私の部屋じゃなかったの」
「そうであって、そうでない。しかしヒリンが入るときは何も起きなかったのにな。俺が閉めたら飛ばされるって、今回は二人が狙われたのかな。ここまで出来るって大物だぜ」
「どうなってるのよ、幻覚でも見ているの? 知らない場所なのに、何よこの懐かしい雰囲気」
空色は素早く半回転して部屋のドアを開ける、ドアすらも古風な木の扉に変わっていた。
重いノブを回し半開きにしたドアの先には、照明を落とした広いホールが広がっていた。
石の床と壁、柱や天井には金で細かい文様の装飾が施され、幾分剥げ落ちた感のある古い寺院の中のような建物だった。
「そっちはどうだ?」
手のひらについた錆を払い落としながら、御裏がのん気に尋ねる。
真っ青な顔の空色が、ドアを閉めて震える声で答える。
「うそ……寺院の中みたい、暗くて何かそれっぽい仏像があった」
「そうか。まあ、いきなり海の上とか雪山じゃなくて良かったな」
「これも、朝の異変と関係あるの」
「力のスケールが違うから別の敵だけど、同じ系統だろうな。俺達が朝感じた異変ってのは、普段通りにあるべき事が、人の力では変えようのない事が、歪に組み替えられる。大体はそれから始まって……お?」
手すりにもたれて腕を組み話す御裏の背後に、空から降ってきた影が空中で停止した。
影に驚き、はっと息を呑む空色。
空色の視線の先を追い、御裏は話しながら首を斜め後ろに傾ける。
「で、原因を起こしていると思われる変な奴が、一匹、二匹くらいどこかに混じっているんだぜ。よう、今回は出てくるの早いじゃん」
黒い影が渦を巻き、渦を縁取るように緑の草木の額が現れる。
その辺りの木々や草を編んで作ったような額から、黒髪に覆われた人の頭部が現れる。
続いて全身が現れ、頭の先からつま先まで黒で統一した長身の男が姿を現す。
膝まで伸びた不気味な程に黒い髪、垂れた髪の間から覗く、無表情だが整った顔。
肌を一切露出させない全身を覆う黒い服、全身から発せられ蜘蛛の足のように揺らめく黒い影。
木々が絡まった環を背中に立つ男に、御裏がヒューと口笛を吹く。
「おお、俺、結構そのセンス好きかも。ビジュアル系のバンドでもやるの?」
ハートにバッテンのキルマークを描いた爪で相手を指差し、腰に手を当てた御裏が尋ねる。
「最初から強そうなのは分かっている。尋ねるぞ、お前に名はあるのか?」
全身が海の底に漬かっていたかのように濡れた感じのある男は、整った顔で無表情に答えた。動くつど、黒い残像が水面に石を投げて残した輪のように体からにじみ出る。
「力を持つ者よ。我の名はそちの国では夜叉と呼ばれ、地理的にヤークシーニとも呼ばれる」
「あ、名前を聞いたことある、えーと、どこの何だっけヒリン。テレビに出てたっけ?」
空色は大きな柱の影に隠れていた。
「もう、間抜けな質問で私の場所がばれるでしょうが。詳しくは知らないけれど、乱暴な鬼神で、非道な行いを、夜叉のごときって言う例えもある。参考までに、テレビには出てないわ」
夜叉と名乗る男が、すっと手を上げ御裏を指差した。
「人ならざる道を進む者を、狩る者だった。御主はメイカー、いざ力を試さん」
何らかの攻撃で、御裏の足元の石が爆破、破裂した。
御裏の足元から股の間を抜け、背後に向かい一直線に爆発と煙が舞い上がる。
立て続けに鼓膜を打ち破るような爆発音、砕ける石の建物。
さらに壁、天井にまで夜叉が指でなぞった一本の線の跡が、次々に爆発。
支えを破壊され崩れた石の屋根が崩れ、耳を覆って悲鳴を発する空色の近くに落下した。
爆発によって小さな竜巻が渦巻く煙に御裏の姿が隠れる。
煙が割れ、胸元の開いた短い制服にブーツ姿の御裏が現れる。
戦闘機に乗るようなゴーグル付きのヘルメットを被り、健康的な白い歯を見せニッと笑う。
「おっかねー。改めて、よ・ろ・し・くっ。お待たせしたな、こいつが俺の戦闘服」
両手を伸ばし、ビッと人差し指で夜叉を指す。
「そんで、お返しっと。今回は初めから全力見せるぜ」
片手で抱えるには重たそうな、円盤のようなドラム式弾倉を持つサブマシンガンが左右の手に一丁づつ現れる。
互いの間は十メートル強、狙いを定める距離では無かった。
無造作に両手の引き金を引く。
軽快な発射音と共に、弾丸が夜叉の体に次々と命中。
夜叉は悠然と立ったまま、撃たれた箇所から血のような黒い煙を飛び散らす。
弾数と威力を重視した火器が、雨のように弾を降り注ぐ。
手を上げようとした夜叉の腕が途中で千切れ、黒い粒子となって霧散する。
「ほお」
関心したように夜叉が声を漏らす。
黒い粒子が腕の付け根に吸い込まれるように集まり、再生を開始。
御裏は全弾撃ちつくしたサブマシンガンを投げ捨てた。
握って開いた手の平の上に、黒い球形の塊。
形状の様々な手榴弾を生成。さらに数十個の手榴弾を生成し転がす。
「ボムッ!」
親指を下に向けて下ろすと同時に、夜叉の周囲にばら撒かれた手榴弾が一気に点火。
連発花火のような破裂音と、圧縮された火薬が一気に爆発する閃光が幾重にも重なる。
無数の爆発に包まれた夜叉の姿が、捩れて薄くなる。
爆発により、歪んだ舞台に不具合が発生。
壁や床が一瞬色を失い、枠組みだけの透明な建物と化す。
煙にノイズが走り、目が痛くなるような点滅を繰り返した。
数秒の後、端から色と質感が戻り、破損された箇所も同時に再生される。
身を屈めて隠れていた空色の傍に落下した石片が、色を取り戻しつつ天井へ浮かび上がり元の場所に同調した。
爆炎を睨みつけていた御裏が、ゴーグルに浮かび上がる反応で夜叉の存在を確認した。
「流石! まだまだいくぜ、フルコースを召し上がれ」
両手で重たい物を持ち上げる仕草で、よいしょと見えない何かを腰に構える。
大口径の火薬が詰まった薬莢を連続で打ち出す兵器、オートマチィックグレネードを膝を曲げて構える。
構えると同時に、目視で連続発射。
実物は着地点の周囲約十メートルが殺傷範囲と言われる弾薬。
爆風と熱と破片をもろにかぶりながら、御裏は全弾を撃ちつくす。
破壊力の大きさに、目標はおろか周囲の空間が燃え出す。
溢れた熱が、蛇のような炎の姿となり逃げるように這い回る。
熱気と火薬、弾薬の破片が炎を上げ、石材を繋ぐ素材が燃える。
黒い煙が立ち込め、焦げ臭い匂いが鼻を突く。
「滅しろ!」
御裏が肩に大型の対戦車砲を構える。
四つの砲身が並ぶ、御裏が独特にイメージし改良した武器。
「どーん!」
激しいバックファイヤーを発し、四発のミサイルが白煙を引き煙の中に打ち込まれた。
御裏は武器を消し、後ろに飛び下がる。
しゃがんで両手の前に防護壁を作り出し、全身を鎧のような服で庇う。
ついでに空色の前にも防護壁を造っておいた。
同時に、目標ごと建物までをも吹き飛ばす威力を持つ、強烈な爆発が起こった。
分厚い金属のような防護壁を抑えた手に、爆破の振動と熱が伝わる。
炎を纏う突風が収まるまでの間、御裏は受け止めた衝撃で震える防護壁の後ろに身を隠す。
爆風が収まり、周囲にちろちろと爆発の残り火が燃える中、立ち上がった御裏が全身の防護服を解除した。
視界に入るのは吹き飛ばされ、削り取られ、崖のように崩れて黒煙をくすぶらせる建物の跡。
障害物が消え、前方百八十度に広がる、緑豊かな丘陵。
攻撃が集中した場所の空間が剥がれ落ち、ブラックホールのような黒い穴がぽっかりと開いていた。
黒い穴は周囲から色を補充するように、徐々に縁を滲ませて縮まる。
見晴らしの良さと自分の攻撃の破壊力に、しでかした本人が驚いていた。
「……我ながらやり過ぎた感が……知らない場所だし、すっきりしたからまあいいか」
自分が命だったら、以前辞めた会社にぶっぱなして……いやいや、生々しい話は面白くないですね。
読んで頂いてありがとうございます。