八 訪問
空色さん宅へおじゃまします
お母様登場です。
空色は一人とぼとぼと、家に帰る道の坂を上る。
幾つか先の電柱の背後に隠れるような、怪しい人影を見つけて立ち止まった。
「……」
数秒間見つめて、一気に通り過ぎようと早足で距離を開けて通ろうとした時、電柱の影から人影が姿を現した。
「よ、よお」
「きゃっ!」
ぎこちない動作で片手を挙げる相手との間に鞄を構え、空色が小さな叫びを上げた。
「何だかさ、俺まだそんな扱い?」
聞いた覚えのある声に、鞄の陰からそうっと空色が相手を盗み見る。
柔らかそうな、ゆるいパーマのかかった茶色の髪。
強い意思を感じさせる目。
大きくて意思の強そうな口。短い制服がベストのようになった独特のスタイル。不気味な模様の爪。
そして―― まだ消していない、半分消えかかった額の友の字。
「変質者、正体見たり、春の野獣」
怖さと知っている顔に会った安心感のあまり、空色は思わず俳句を読んでしまった。
「はいはい、相変わらず頭の回転が早くて、嫌味な奴だな。おら行くぞ」
空色の鞄に、鎖と色鮮やかなシールで飾りたてた鞄をぶつけ、御裏が坂道を上る。泣いていた事には一切触れずに。
「来いって、家はこっちの方向でいいのか、置いていくぞ」
「んーーーーーありがとう」
後ろから空色が御裏の鞄を掴んで呟く。
ささやき声を聞き取った御裏が、怪訝な顔で振り返る。
「ん、何て言った?」
「あーあ残念、二度と言わないであろう感謝の言葉を言ったのに。聞き逃すか」
「そういう事は、後ろからこっそりじゃなくてさ、きちんと言えよ。代わりに嫌味や悪口は心の中でこそっと言え」
「ごめん、無理」
「即答するな」
「本当にごめんなさい、反射神経だから」
「お前って、どういう育ちかたしたの? 親はどんな奴なんだ?」
「ああいう育ち方」
御裏の鞄を掴んだのと反対の手で、坂の上に建つ体育館のような、いや博物館のような大きくて近代的な建物を指差す。
「あれ、本当にヒリンの家か。また騙してないか」
「お父さんは……で、お母さんは……なの」
「嘘、名前聞いたことあるぜ。いや、引っ掛けようとしたな、父親と母親の名前が違うというものすごい間違いに気づいた!」
「だって、本名は空色だよ……さっきのは違うよ、今度調べてみれば」
「むむ、自信ありげだな」
御裏は自分の後ろを、尻尾を繋いだ象のごとく付いてくる今風の日本人形のような空色を見る。
確かに、言われて見れば似ているような、そうでないような気がした。
「じゃあ、お金持ちなのか」
「まあまあだよ」
「さりげなく嫌味……むしろ俺が僻んでいるっぽいか」
「命はどうなの」
「うちは割と普通。普通っていうか、贅沢できないけど、暮らしには困らない」
空色家を見上げながら会話していると、空色の携帯が音楽を奏でた。空色が慌てて携帯を取り出す。
「はい、私……うん、うん……今、家の前だよ。うん……じゃあ」
携帯を両手で押さえ、空色が御裏から距離を取る。遅くなって親に怒られているのだと察した御裏が、腕を組み面白そうに空色を眺める。
携帯を持ったままの空色が、会ってから初めて見せる申し訳なさそうな顔で御裏に話しかける。
「あのね、私、普通に話しできて嬉しかったの。友達と居るって言ったら……お母さんがね……送って貰ったお礼に、ご飯食べませんかって」
普通の会話だが、何故か顔を真っ赤にして、空色は恥ずかしそうに話す。
「うむ、喜んで頂きます!」
腕を組み、御裏が大きく首を縦に振る。
空色の困った態度が見られるのが愉快な上、豪邸で出る食事はさぞかし豪勢だろうと期待が高まる。これこそ一石二鳥だと、呼ばれる気が全身から溢れ出ていた。
「えー……来るの」
明らかに嫌な顔で、空色が声のトーンを落として聞き返す。
「行くって、おかあさーん、ぜひ行きます!」
御裏は携帯に声が届くように大声で返事する。それが決定だったのか、再び携帯を耳に当てた空色が落ち込んだ様子で、行くって……と答えた。
携帯を切った空色が、空に向かい呟いた。
「ああ、ついに我が家に飢えた野獣が……」
「俺達友達だろ、な」
額の字を指しながら、御裏が手を回し空色の肩を組む。
「馴れ馴れしい。本当にありえない、額に友って書いた友達だなんて。やらせと思われる」
「書いたのお前じゃん」
「……そうだけど、会わせたくないの、親の手前恥ずかしいでしょ。消してよ」
「嫌だ。それで外を歩かせようとした天罰だ」
「実力行使」
「ガード」
一瞬にして金属製の丸い盾を出した御裏が、ハンカチを摘んだ空色の攻撃から額を庇う。
知ってはいたが、改めて御裏の力を目にした空色が手を止める。
「なら横から」
「こっちもガード」
次はフルフェイスのヘルメットを作り出す。
空色はハンカチを持つ手を掲げ、しばらくすると諦めたのかハンカチをしまう。
「やるわね、変な時だけ絶好調で作るとは。変な時だけ絶好調な人……略して変人め」
「おい、それ略し方が変だって。それこそ変人じゃん」
「違った、変なケダモノで偏見……字が違うわ、やり直し」
空色がハンカチで口を隠し、ぶつぶつと真剣に言い方を考える。
御裏がヘルメットの下でにやりと笑った。
「ぬっふっふ、困っているな。さあ、観念して行こうぜ」
「参ったわ調子が出ない」
「そうか、ほれほれ、こんな物も作れるぞ」
片手に盾、片手に剣を作った御裏が、剣を構えて空色に向けポーズを決めた。
「覚悟しろ、お楽しみはこれからだ!」
「あら、いらっしゃ……い?」
空色を迎えに出てきた、有名人だというお母さんが、剣を突きつけた御裏を見て目を丸くする。
高級そうなスーツを着て髪を結い上げ、年齢の割りに若く見え綺麗な肌をした、空色をすっきりさせた感じの美人だった。
空色が弁解しようとして、御裏と母親を交互に見る。
「あ、お母さんこれは……」
剣を下ろした御裏が空色に尋ねる。
「ふむふむ、これはどういう状況になっているのかなヒリン君?」
この顔を見て察しろと言わんばかりに、空色は引きつった笑顔だった。
御裏は母親へと向き直り、首を傾けると、相手も首を傾けた。
「どちらさまですか?」
「名前は御裏、見ての通りだ。でも普通のお友達ですよお母さま」
「出来すぎだと思うくらい、最悪の出会い方ね」
眉をピクピク痙攣させた空色が呟く。
「まあ……びっくりしたわ。力に溢れた、何て個性的な方なの。攻撃的ですごくセクシーよ、ささ、早く家にいらして」
両手を上げて黄色い声を発した母親が、どうぞどうぞと手招きする。
「自分でもびっくりした、歓迎されてしまったようだ。やっぱ親だな、感性が独特な上に、ヒリンを寛容で柔軟にしたら、ああなりそうだぜ」
ヘルメットの下で笑いながら、御裏が母親を盾で指す。
軽い頭痛を覚え、空色は頭を抑えて呟いた。
「さっきの台詞、失礼この上ない。時と相手を変えたら、溢れんばかりに犯罪の匂いがする言葉なのに……どうして二人へらへらと笑って、打ち解けた感じなの」
誰もその呟きを否定しなかった。
呟く空色を残し、御裏は空色母の横に並んで玄関を潜る。おおーっと声を発し、警備システムの設置された大きな門を見て感激していた。
こうなったらしかたない、空色は腹をくくる決心をした。
「もう遅い時間だけど、お家の方は心配しないの?」
空色母の問いかけに、ヘルメットを消した御裏は元気良く答える。
「だいじょぶ、さっきメールしておきました。俺は色々あって結構出歩くから、一日くらい家にいなくても平気」
「家に居たくない何か事情があるの? ご免なさい、深入りする質問しちゃって。本当に珍しい事だわ、ロヒリンがお友達を連れてくるなんて」
「ロヒリン……いや、なんでも。うんうん、こいつ性格キツイから友達付き合い悪そうだもん」
御裏は単純な性格だけに何を言い出すのやら、不安だらけの空色が、御裏を母親から引き離す。
「ああっ、いいからいいから。命は、会ったばかりの他人の母親に何をペラペラ話しているの。お母さん、私達少し積もるお話があるから、部屋に行くね」
御裏の目が丸く輝いた。
「おっ、お前の部屋か。い、いいぞ見せろ」
「やっぱり却下! 今の言い方、隠すつもりのない下心を感じるわ」
「じゃあ、お母さんと積もる話でもしよっかな。いいでしょ?」
さりげなく空色母と腕を組み、やけに親しげな態度の御裏に、空色母は困った顔で答える。
「あら、私はどちらでもいいけれど。命ちゃんみたいな若い方と、お話が合うかしら」
「合う合う、色々とあれやこれや聞きたい事があるんだ」
「ところでね、命ちゃんのそのおでこ何か付いて……それともわざと付けたの?」
御裏の額の文字について、ヘルメットを消した時点から気になっていた空色母が尋ね、空色はいつでも行動を起こせるように二人の後ろで只ならぬ気を発した。
「これ? いやぁ困ったことに、お宅の娘さんが俺にマーキング……」
朗らかに笑いながら答える御裏の肩を、空色が叩く。
殺気を感じとっさに振り返った御裏の頬に、突き出した人差し指が刺さった。
「うぁ……いてて……何だ、指で良かった……あのな、子供の悪戯か」
「私のプライドとアイデンティティーが揺らぐのを感じる罪で連行よ」
バタバタと廊下を走る足音を聞きながら、空色母は笑って見送る。
腕を掴まれ引っ張られ、強制的に御裏は空色の部屋へと投げ込まれるように連れ込まれる。
ここまでお付き合い頂いでありがとうございます。
さて、肝心のストーリーはどうなったのか。
やたら会話の多い小説で成り立つのか。
さすが、話の組み立てをもっと考えて勉強して下さいと批評された作品です。
回を追うごとに、恥ずかしくなります。
次の章あたりからは、かなり書き込みますので更新が遅れるかもしれません。