虚飾の王
赤茶色の大地に、雨が降り続けていた。
アパルトヘイムを一望できる丘の上からは、崩れた白壁も、砕けた高台も見える。雨に濡れた街のあちこちから、薄い煙が上がっている。
アサグは、静かにアパルトヘイムを見下ろしていた。その前には、宙に浮かぶ水鏡がある。
アサグは深く頭を下げた。
「ケネディ陛下……アパルトヘイムは、姫と強欲により制圧されました。忍耐も姫へ同行する可能性が高いでしょう。そろそろ監視の目が必要かと……」
報告しながら、街の上空を走る紅黒い光へ目を向けた。
「加えて、憤怒まで現れました。アパルトヘイムはほぼ壊滅状態です」
鏡の向こうへ沈黙が落ちる。
国王は表情を変えず、感情のない声で答えた。
「……そうか」
「……はは」
鏡の向こうから気怠そうな笑い声が聞こえてくる。国王の前でも、めんどくさそうに立つホノリウスが肩を揺らしていた。
「だから言ったじゃねぇか。めんどくせぇことになるってよ」
「黙っていろ」
国王の瞳が僅かに動き、水鏡越しのアサグへ告げた。
「アサグ……滅ぼせ」
「かしこまりました」
それだけ言うと、水鏡は消えた。
その時。
背後で紅黒い雷が弾けた。
「見つけたぞ……」
「……やはり来ましたか」
黒槍を肩へ担いだジョンが、アサグの背後に立っていた。その赤い瞳でアサグの背中を睨んでいる。
「逃げなくていいのか?」
「逃がしてくれるのですか?」
「いや?」
「なら、無駄ですね」
アサグはようやく身体を向けた。陶器のような罅が走る顔にも、濁った瞳にも、焦りは微塵もなかった。
ジョンの口元が歪む。
「余裕だな。お前……これから死ぬんだぞ?」
黒槍に纏わりつく雷を見て、アサグは薄く笑った。
「死ぬ気なのはあなたの方では?」
「なに?」
「その力……使い続けて大丈夫ですか?」
ジョンは答えなかった。
アサグの濁った目が、黒鎧で包んだ体を見据える。
「カラカ・ルミアラニと同じで、貴方もその力を完全には制御できていないでしょう」
雨が、二人の間を流れていく。
「鎧で隠していてもバレていますよ。雷が貴方の身体や内臓までも焼いているはずです」
「だからなんだ。この程度じゃ俺は止まらねぇ! 俺の怒りは収まらねぇ!」
「大した精神力ですね。あなたに死なれたら我々も困るのですが……」
アサグの法衣の奥で、何かが蠢いた。
「では、少しだけ相手をしてさしあげましょうか」
法衣の裾が、不自然に膨らんだ。
布の内側から、岩のような腕が一本、また一本と覗いた。罅割れた皮膚の隙間に、濁った眼球がいくつも開いていく。
無数の視線に見下ろされているような、不快な感覚がジョンを襲う。
「その姿は?」
「おや。あまり驚かないのですね」
「ああ。似たようなやつを何人か殺してきたからな」
「そうですか……我々に情などと言う感情はありませんが……仇をとらせていただきましょうか」
ジョンは黒槍を構え、穂先をアサグの胸へ向けた。アサグは複数の腕を広げた後、ふと思い出したように一つの口を開く。
「あ、そうそう……蜘蛛はいい働きをしてくれましたよ」
その言葉を聞いた瞬間。
ジョンの体の奥で、何かが爆ぜた。
「貴様ぁ!!!」
ジョンの目が血走る。紅黒い雷が荒れ狂い、丘の草を焼き、赤茶色の大地を抉った。
「死ぬ前に全てを話してもらう!!」
アサグの無数の瞳が、感情のないままジョンを映す。
「全てを知るには、あなたたちはまだ若すぎる……」
二人が同時に地面を蹴った。
紅黒い雷と、異形の影が、雨の丘で激突した。
その頃。エルピディア王国。
謁見の間のさらに奥。
城の最上階、最奥にあるその部屋は、玉座だけが置かれた質素な部屋だった。
華美な装飾も、王家の旗も、金も宝石もなく、ただ冷たい静寂だけが満ちている。
その玉座に、まるで死者のような男が座っていた。
長く伸びた白髪と、胸元まで垂れた白い髭。細い身体を包む純白の衣は、風のない部屋で煙のように揺らめいていた。
国王ケネディ・フィッツジェラルドは、その男の前で膝をつき、深く頭を下げていた。
「ご報告があります」
「あぁ、聞いていた」
国王は顔を上げずに続けた。
「いかがなさいますか」
白髪の男は、しばらく何もない宙を見つめた。やがて目を僅かに細める。
「罪と美徳。相反する体現者が共に歩むか。何百年……止まっていた歴史がようやく動き出すかもしれんな」
男は、静かに告げた。
「泳がせておけ」
「かしこまりました。オリヴァン・フィッツジェラルド様」




